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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!
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Wednesday, October 06, 2010

「サンガジャパン」心と仏教

「サンガジャパン」Vol3に僕のインタビューが出ています。『精神』と観察映画と仏教について。面白い本ですからおススメです。下に僕のインタビューの一部をご紹介します。
http://bit.ly/9OSoyr


(前略)―観察の状態でも自分の主観が働いている。インタビューまですると余計な自我、欲望のようなものが入るからでしょうか?

想田:そういうことですね。「無作為の作為」という言葉を僕はよく使います。作品を作るわけですから、作為はあります。でもそれは、無作為になることで良いものを作りたいという作為です。
 僕が「観察映画」と呼んでいる方法の特徴は、あらかじめ対象についてリサーチせず、何も知らない状態で飛び込む、そして興味を引かれるものに虚心坦懐にカメラを向けていく。このやり方をするのは、作為=自我をなるべく取り除きたいからです。というのも、先に情報や知識があると、それらに合うように被写体を誘導したり、「こう発言させたい」などと色々な雑念が出てくるわけです。で、雑念に従って作ってしまうと、作品が自分の貧しい想像の範囲に収まり凡庸になる。自我=作為を抑えることで、自分という狭苦しい枠組みを突破し、一本突き抜けたいという意識があります。
 では、どうやって自我を抑えるのか。それは「観察」です。僕は「ああしよう、こうしよう」と思う気持ちがでてきたら、目の前にあるものを「よく観察するぞ」という気持ちに切換えます。すると、意識が「今、目の前」におりてきます。よく瞑想で言われる「今、ここ」にいられる。…(後略)

Tuesday, March 09, 2010

『宗教と現代がわかる本 2010」


渡邊直樹さん編集の『宗教と現代がわかる本 2010』(平凡社)に僕のインタビューが載っています。宗教をキーワードに現代を読み解こうとする企画。「宗教と映像メディア」が今回のテーマだということで、まだパラパラとページをめくっただけですが、非常に読み応えがありそうです。
http://heibonshatoday.blogspot.com/2010/03/2010.html

以下、僕のインタビューのほんの一部の抜粋です。

想田和弘インタビュー
聞き手 渡邊直樹

渡邊 想田監督がお撮りになった映画『精神』を拝見しました。患者さんによりそって監督が見つめている時間がずっと流れている。そういう映画って、えてして観ているほうは飽きたりすることがあるんですが、まったく飽きることがなかったです。というのは、「患者さん」という匿名の存在ではなく、一人ひとりの患者さんの名前と人格が菅野さん、藤原さん、美咲さん……。しっかり立っている。それから彼らの話に徹底してつきあう山本先生。そしてそれを想田さんが徹底して見続けている。観ているほうは、患者さんたちがまったくの他者ではない、自分の中にも共感できる部分があることを発見するし、とても濃密な時間を体験させていただきました。
想田 ありがとうございます。一つには、ぼくがカメラを向けることによって、いわゆる健常者と彼らを隔てているカーテンが取り除けるんじゃないかという気持ちが、この映画を撮る中心にあったんです。カーテンというのはつまり、彼らはいままでずっと隠蔽され、隔離されてきていますよね。精神病院の閉鎖病棟に隔離され、あるいはメディアに登場する場合にはモザイクをかけられる。要するに患者さんたちは顔の見えない存在として遠ざけられ、タブー視され、いわゆる一般社会の中では存在すら認められていなかった。それこそ本当に顔が見えないわけだから、モザイクを取り払って顔が見える状態にするというだけで、ぜんぜん違うんじゃないかっていう気がしたんです。つまり人間として描かせてもらうということですね。英語だと「put human faces」というんですけれど、それまで記号でしかなかった存在に、具体的な人間としての顔を持ってもらう。もちろんもともと持っているんだけれども、持っていないかのようにずっとまわりが扱っていたから、そういうふうに扱うことをやめるというだけの話なんですけれど。
渡邊 でも、想田監督ご自身も、カメラがなかったら、ああいうふうに飛び込んでいけなかったのではないですか。
想田 そう、もちろんカメラあっての話です。そこがすごく重要で、撮られている人も、カメラがあるということを前提に振る舞います。映画を観た方から、「これは外向きの顔なんじゃないか」、「本当はもっと辻褄の合わないことを言ったり叫んだり、もっとさらけ出すものなんじゃないのか」というようなことをよく言われます。たしかにそうなのかもしれません。たとえば家族に見せる顔とぼくに見せる顔は絶対違うはずですから。誰と一緒にいるのかによって違う顔が出てくる。それは必ずしも嘘ということではなくて、自然なことですよね。我々は多面的な存在であり、そのときの状況や相対している人によって、自分の持っている多面的な部分からその都度違う側面を出していく。それはその人の一側面でしかない。だから、今回もカメラを持ってお邪魔した人間に対して表わしてこられた表情を映画にさせてもらったということだと思っているんです。

Friday, March 05, 2010

『環境会議』にインタビュー掲載


『環境会議』2010年春号に僕のインタビューが載っています。
http://www.sendenkaigi.com/hanbai/magazine/kankyoningen/

以下は、僕のインタビューのほんの一部の抜粋です。

想田 昔の映像を観ると、ディズニー映画やミュージックビデオですら、ヨーロッパの文芸作品かと思うほど、優雅なテンポで素朴。今は強い刺激をてんこ盛りにする傾向が加速度的に進行していますが、この先には、愉快な未来は待っていないのではないでしょうか。刺激を増幅する競争から降りて、映像表現の原点に立ち返る必要があるのではないかと思うのです。
 環境問題についていうと、問題の本質はヒューマニズムの暴走にあると思います。自然に対して人間が小さかった頃は、人間中心主義でも問題が無かった。しかし科学技術を持ち、人口もこれだけ増えた今となっては、人間中心では自分たちの活きる環境も壊れてしまうというジレンマに陥ってしまう。
 テレビをつければ映っているのは人間ばかりで、映像にも人間中心主義が反映されている。動物をモチーフにした作品であっても大半は擬人化されて描かれています。

Wednesday, February 03, 2010

『母の友』連載最終回


『母の友』の巻頭エッセイ、今月号(3月号)が連載の最終回です。タイトルは「苦と楽の比率」。よかったらお読み下さいませ。

http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=20942

Saturday, January 30, 2010

『Atプラス』に寄稿


『Atプラス』(第3号)という硬派で面白い雑誌に文章を寄せました。今号のテーマは「アートと活動」だそうです。そこで僕は「ドキュメンタリーにメッセージは必要か?」と題して、ドキュメンタリーとプロパガンダについて書きました。よかったらお読み下さいませ。

http://www.ohtabooks.com/publish/2010/02/06112237.html

以下は、本稿の出だしを抜粋したものです。

ドキュメンタリーにメッセージは必要か?
想田和弘

 「この映画に込めたメッセージは何ですか?」
自民党候補者による選挙運動の内幕を追った『選挙』や、岡山市にある精神科診療所の世界を描いた『精神』を公開する過程で、このような質問をジャーナリストや観客から何度も受けてきた。
 彼らの質問からは、『選挙』や『精神』のごとき“社会派”のドキュメンタリーには、当然、作者の高邁なる主義主張や啓蒙的なメッセージが込められているハズだろうという、暗黙の前提のようなものが透けてみえる。
 いや、もしかしたら、彼らはそれが社会派の映画だからメッセージを期待したわけではないのかもしれない。それが恋愛映画であろうが、小説だろうが、演劇だろうが、舞踊だろうが、およそ表現と名のつくものには作者の「メッセージ=言いたいこと、伝えたいこと」があるはずだと、信じ込んでいるだけなのかもしれない。
 いずれにせよ、彼らは目をキラキラさせて、唾をごくりと飲み込んで、あたかも問題の核心に触れるがごとく、作者からの決定的な答えを期待する。「さあ、要するに言いたいことは何ですか?正解は何ですか?」と。
 けれども、僕は彼らの期待に応えることができないし、応えたくない。いや、実を言えば、作品がメッセージを発することを注意深く回避しながら映画を作っている。作品にメッセージを込めるのは、危険だとさえ思っている。だから僕の返答は決まっている。
 「僕の映画にメッセージはないですよ。言いたいことも、結論もありません」

 ドキュメンタリー作家=活動家説

 すると質問者は、かすかな狼狽を顔に表す。それまで一歩一歩登ってきた梯子をいきなり外され、身体が宙にふわっと浮いてしまったときのような、頼りない、裏切られたような表情である。
 確かにドキュメンタリー映画には、歴史的にも、今日的にも、メッセージ性の強いものが多い。
 実際、僕が住むアメリカなどでは特に、ドキュメンタリーの作り手は、作品によって世の中の矛盾や不正、不公平を告発し、“社会的正義”を希求して闘わなければならないと、多くの作り手が考えているようにみえる。ドキュメンタリー作家=活動家説である。
 この説を採用する作り手たちは、自らの作品を社会運動の手段として考える。革命家が銃を手に取るように、カメラを武器として使う。したがって、作品の完成度や芸術性などよりも、それがどのようなメッセージを持ち、いかに観客を啓蒙し、目覚めさせ、政治的・社会的目標に近づけるかということが、重要視されるのである。
 そのような作品の最大の特徴は、作品に使われるあらゆる映像や音声が、単純で明快なメッセージの正しさを立証し、観客に印象づけるために使われていることである。だから、映画を観終わった観客は、作品の趣旨を一言か二言で総括できてしまうし、作品が訴えかけるものが何であるかは明白すぎて、作者に改めて尋ねる必要もない。
 例えば、マイケル・ムーアの『華氏九一一』(〇四年、アメリカ)を観て、「ジョージ・W・ブッシュはやっぱり凄い人だなあ」と思う人は、たぶんほとんどいないだろうし、そういう人が大勢いたとしたら、ムーアは作品の目的を達成できなかったことになる。同作は、ブッシュを徹底的にこき下ろして、大統領選での再選を阻むためにこそ作られた作品だからである。
 同様に、アル・ゴアの『不都合な真実』(〇六年、アメリカ)を観て、「地球温暖化とか言ってるけど、この映画を見る限り大丈夫そうじゃん」と思う人は少ないだろうし、モーガン・スパーロックの『スーパーサイズ・ミー』(〇四年、アメリカ)を観て、ビッグ・マックを食べたくなる人は稀だろう。また、ルイ・サホイヤスの『ザ・コーヴ』(〇九年、アメリカ)を観て、和歌山県で行われているイルカ漁を「素晴らしい日本の伝統文化だ」と思う人も、たぶんいない。いや、いたら作者としては困るのである。
 これらの作品の最上位には、作り手が考えるところの「メッセージ」や「正しさ」が鎮座している。そして、映像はそれを観客の頭に叩き込み、注入するための道具として、利用されるのである。

…以下は『At プラス』誌でお読み下さい

Tuesday, January 12, 2010

「グラフィカ」第3号にインタビュー


「グラフィカ」第3号に僕のインタビューが掲載されています。超硬派で面白い本です〜。

http://www.graficamag.com/grafica.html

以下、インタビューのほんの一部の抜粋です。

ー作為を排するということですか?

 いや、作品ですから作為はあります。「この映画を撮ろう」と思うこと自体が作為ですから。作品のために行うあらゆる行動に作為があるわけです。
 編集のときもそうです。例えば『精神』でいうと、70時間の映像素材を2時間15分にまとめたわけですから、68時間は捨ててるわけです。凄まじい選別作業です。
 で、どうやっているかというと、まず自分が興味のあるシーンからどんどん繋いでいきます。そうするといくつもシーンができあがります。それを一本にまとめます。でも、まとめた時点ではこれはシーンの羅列でしかない。映画にならないんです。で、ここからパズルがはじまるんです。シーンを入れたり出したり、順序を入れ替えたり。そのうちに、「実はこの映画のテーマはこういうことだったのか!」などという“気づき”が、編集し始めて4、5ヶ月目位にやっと出始めて来る。そしたらその視点を先鋭化するために、また順序を入れ替えたり、ショットの順番を調整していく。これが編集の技術なんですね。作為以外の何物でもない。
 ただし、それは自分の考えに現実を無理矢理当てはめるための作為ではなくて、自分が対象を観ることで徐々に獲得していった視点を表現するための作為であるわけです。それで僕は編集に10ヶ月かかるんですよ。

Saturday, January 02, 2010

『母の友』連載第2回目


『母の友』2月号に、巻頭エッセイ連載第2回目(全3回)を寄稿しました。今回の題名は「猫薬」です。

http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=20910

Tuesday, December 15, 2009

『社会福祉セミナー』に番組抄録


NHK出版『社会福祉セミナー』(09年12月−10年3月)に教育テレビ『福祉ネットワーク:「精神」を撮る』の番組抄録が掲載されています。

https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=69107162009

Friday, December 11, 2009

『キネマ旬報』12月下旬号に寄稿


雑誌『キネマ旬報』12月下旬号に、自分の方法論についての文章を書きました。「ドキュメンタリー、ドキュメンタリー作家の多様性」と題する特集の一環です。

http://www.kinejun.com/kinema/index.html

以下は、本稿の出だし部分の抜粋です。

 「観察映画シリーズ」と銘打って、ドキュメンタリー映画を作っている。これまでに、選挙運動を観察した『選挙』(07年公開、観察映画第一弾)と、精神科診療所の世界を描いた『精神』(09年公開、同第二弾)を発表した。現在、平田オリザ氏と青年団を被写体にした『演劇(仮題)』(同第三弾)を製作中である。
 観察映画の方法論的特徴として、撮影する前にテーマ設定をしないことが挙げられる。リサーチを最小限にとどめ、構成台本も書かず、目の前の現実をつぶさに観察しながら、行き当たりばったりで撮影をする。事前にいろいろ決めると、それが先入観や足枷となって、予定調和的な作品になってしまうからである。編集の際にも、先にテーマを決めない。映像素材を何度も観察し、試行錯誤を繰り返しながら、自らの視点を定めて行く。そして、その結果を映画にしていく。

Thursday, December 10, 2009

Tuesday, December 08, 2009

『母の友』にエッセイ連載開始


雑誌『母の友』09年1月号に「風景が変わるとき」と題した短いエッセイを書きました。連載第1回目(全3回)です。

http://www.fukuinkan.co.jp/detail_page/haha201001.html

Tuesday, December 01, 2009

WAMに寄稿

福祉医療機構が発行している「WAM」という雑誌(09年12月号)に、短いエッセイを寄稿しました。
http://www.wam.go.jp/wam/sitemap/index.html

Wednesday, September 09, 2009

共同通信の連載記事

共同通信配信の連載記事「こころの現場から 映画『精神』をめぐって」(全4回)が、山陽新聞、中国新聞、山形新聞、高知新聞で、それぞれ掲載がスタートしています。今後、掲載紙も増える予定です。

Sunday, September 06, 2009

雑誌『文学界』に寄稿

雑誌『文学界』(10月号・9/7発売)に「観察映画についての覚え書き」と題する文章を寄稿しました。観察映画というスタイル・方法論について、覚え書き風にまとめました。

「総力特集:映画の現在——若手日本映画作家の肖像」という企画の一環です。よかったらお読み下さい。

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/

以下、本稿からのほんの一部の抜粋です。

(七)観客に「観ること」を迫る

 観察映画は、観客に自分の目と耳でスクリーンをよく観察することを強いる映画である。
 多くのドキュメンタリーでは、新しい登場人物が現れるたびに、テロップで名前や肩書きを表示し、ナレーションでも懇切丁寧に解説してくれる。しかし、観察映画ではそのような「情報」や「説明」が作り手から与えられないので、観客は登場人物の動作や表情、話し方やその内容に注意を傾けざるを得ない。そして、観客それぞれの世界観や人間観、経験と照らし合わせながら、登場人物について知り、解釈していかなければならない。情報の欠落が、観客の観察眼を刺激し、作動させるとも言える。

(八)観察映画は観客を信頼する

 したがって、観察眼を使う労力を厭う人や、懇切丁寧に何でも噛み砕いて説明する離乳食のような映像を受け身で消費することに慣れ切っている人は、観察映画の入り口で門前払いされてしまうだろう。
 しかし、自分の意志で門をくぐった観客は、自らの顎と歯を使って映像を咀嚼し、消化することになる。そこでは、観客は受け身の消費者ではなく、能動的で主体的な鑑賞者として、映画の世界に接することが可能である。
 観察映画は、観客の注意力や咀嚼力、洞察力を信頼するのである。

(九)観客はバッター

 観察映画では、作り手がピッチャーなら、観客はキャッチャーではなく、バッターとして想定する。鑑賞者が自分の力でバットを振り、ボールを色々な方向に打ち返すことを期待する。換言するならば、作り手が観客へ一方的に何かを伝えるのではなく、両者が衝突し合う双方向のコミュニケーションを目指している。

(十)観察映画は「窓枠」を提示する

 観察映画の作り手が行うのは、世界を切り取る視座としての窓枠(=フレーム)を、観客に提示する作業である。
 窓枠の外にある世界は、観客には見えない。しかし、窓枠の中で起きていることは、自由に観察できる。
 ナレーションやテロップによる説明を付けることは、窓枠の中の風景に「ここを観ろ!」と矢印を付けたり、風景そのものに色を付けたりすることに当たる。それは、観客による自由な観察や洞察を妨げかねない。

Monday, August 24, 2009

森達也『リアル共同幻想論』と『選挙』

森達也さんが、連載中の『リアル共同幻想論』で、拙作『選挙』などを素材に公職選挙法について論じている(僕との会話もちょっと出てる:森ファンとしては、何となく嬉しい)。
http://diamond.jp/series/mori/10026/

公職選挙法の問題を、共同幻想という視点から論じたのは、森さんらしい鋭い視点だと思う。公職選挙法自体も矛盾だらけの悪法だけれど、それと同じくらい問題なのは、それに抵触するのを恐れて、何もかも自主規制してしまう日本人なのではないか。

記事によると、森さんが特定の候補者を応援しているという理由だけで、あるテレビ局は森さんの出演をキャンセルしたという。これは、放送局が法解釈を厳密に行ったというわけではなく、ちょっとでも危険性があることは念のためにやめておこうという、過剰な安全策に過ぎないと思う。(もしくは、政治的な意図を疑ってしまう。)それは、道ゆく人やら看板やら、何でもかんでもモザイクをかけてしまうのと同じ心理であり、まさに共同幻想である。

実は、『選挙』を07年に日本公開する際、参議院選挙にぶつけてロードショーをしたかったので、僕らも公職選挙法との兼ね合いについては随分と心配をし、弁護士にも相談した。弁護士の答えは、合法だけれども、警察のさじ加減ひとつで問題視したりしなかったりするので、100%は太鼓判を押せない、という趣旨だったと記憶している。まあ、この時点で、たいていの放送局や配給会社なら「じゃあ、やめておこう」と思うのだろう。

けれども、『選挙』は特定の候補者や政党を応援しているわけでも、批判しているわけでもない。筋論から言えば、問題があるはずがないのである。

僕らは、「お上」から難癖がついたら、その是非を世論に問いかけ、社会問題化させてしまおうと腹をくくった。そしたら客も入るし(笑)。それがこじれて上映中止になったり、逮捕者が出たりするなら、それも面白いじゃないか。そう考えて、公開に踏み切った(ちなみに弁護士によると、逮捕されるとしたら、それは映画の作り手ではなくて映画館主など興行側だそうです 笑)。覚悟してからは、問題化することを半ば心待ちにした。

結局、残念ながら?お上からは警告も何も来なかった。

その『選挙』、ただいま復活ロードショー中です。もちろん、選挙期間中も上映しています(笑)。
http://www.laboratoryx.us/campaignjp/screenings.html

Monday, August 17, 2009

『精神』新着記事

『精神』関連の新着記事です。

まず、8/13朝日新聞夕刊の「窓」というコラムで、『精神』が取り上げられました。

また、8/15発行の『ビッグイシュー』に3ページにわたる僕のインタビューが載っています。
http://www.bigissue.jp/latest/index.html

8/16の中日新聞には拙著『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』(中央法規)の書評が載りました。


Monday, August 10, 2009

『東洋経済』に書評

現在発売中の「週刊東洋経済」(8/15-22合併特大号)に拙著『精神病とモザイク』の書評が掲載されました。
http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/f7a367fe62e35fc8af3c641822a0bc5d/


以下、全文掲載します。

書評
「精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける」 想田和弘著
〜モザイクは撮影側の保身 無責任な報道を可能にする

評者 江口匡太 筑波大学大学院准教授

 赤ちゃんを産んだ母親が、家族との度重なる確執から精神的に追い詰められて混乱し、泣きやまない子どもの口を塞いで死なせてしまった。本人は悔やんでも悔やみきれない罪を一生背負うことに後で気づく。

 こうした虐待のニュースは最近よく報道される。想像してみてほしい。もし、あなたがテレビ番組の制作責任者なら、そうした過去をもつ本人を実名で素顔をそのまま報道できるだろうか。

 著者は映画監督で、現在、『精神』と題するドキュメンタリー映画を日本各地で公開している。本書はその制作過程とその後をまとめたルポである。著者はこの映画で精神病を患っている人たちを、本人の承諾を得て実名で素顔をさらけ出して、その人となりを伝えようとした。

 もし、被写体となった人に何かあったら? 病気が悪化したら? 攻撃されたら? そう考えると、モザイクをかけずに実名で報道するのはとても勇気がいる。

 だからこそ、被写体となってくれた人たちをどのように報道するのか、責任をとれるのか、真正面から向き合えるという。モザイクは被写体となった人を守るためではなく、撮影側の保身のためだと著者はいう。モザイクが乱暴で無責任な報道を可能にしてしまうのだ。

 精神病患者と健常者とを簡単に分けられるのか、というのも著者のテーマの一つだ。許可をとって撮り始めたら、患者さんではなくて診療所のスタッフだったという話が紹介されているが、その垣根は本来存在しているのか曖昧だ。モザイクのように、自分たちで勝手に境界を作って隔てているだけかもしれず、それが「病気」を過度に作り出しているのかもしれない。

 診療に長年関わってきた山本昌知医師、精神科医の斎藤環氏との対談も収められており、読み応えがある。

そうだ・かずひろ
映画監督。ニューヨーク在住。1970年生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。『選挙』で、ベルリン国際映画祭正式招待・ピーボディ賞、『精神』も日本公開前より海外映画祭での受賞多数。テロップ、ナレーション、BGM等なしの観客の自由な思考を促す映像表現(「観察映画」)が国際的に高い評価を受けている。

中央法規出版 1470円 242ページ

Tuesday, August 04, 2009

雑誌『ブレーン』に鼎談掲載

宣伝会議の雑誌『ブレーン』(9月号)に、僕も参加した鼎談が掲載されていますので、お知らせします。題して、「青山デザイン会議:こころの距離感 想田和弘×名越康文×松尾高弘」です。ご一読下さいませ。

http://www.sendenkaigi.com/hanbai/magazine/brain/

Sunday, August 02, 2009

8/3(月)朝日新聞朝刊

衆議院選挙に絡み、8/3(月)朝日新聞朝刊の「私のマニフェスト」欄に登場します。別に僕が立候補するわけじゃありません(笑)。

インタビュー中には、選挙制度のことやら、精神医療のことやら、いろいろ喋ったんですが、紙幅の関係で、日本映画と地方の映画館について語ったことを中心にまとめていただいたようです。ご一読下さい。

ウェッブ版にも載りました。
http://www.asahi.com/special/09016/TKY200908030248.html

以下に全文掲載します。

〈映画監督の想田和弘さん〉

 川崎市議補選の自民党公認候補に密着したドキュメンタリー映画「選挙」を07年に制作しました。撮影を続けながら、政策論争がほとんどされない選挙戦に疑問を抱きました。候補者は自分の名前を連呼するだけで、有権者が政策を知る機会は、ほとんどない。選挙カーやポスターなど政策論争と無縁の道具に税金が使われるのもおかしいと思いました。
 芸術の分野でも、必要なところに税金が使われていないと感じます。国は117億円をかけて「国立メディア芸術総合センター」の建設を計画していますが、使い道は他にあるはずです。日本にはお金がないわけじゃない。配分が間違っているだけです。
 例えば映画なら人口10万人以上の都市にミニシアターを公設してはどうでしょうか。既にシアターがある地域なら、運営に公共性を加えて継続的な助成をする。
 日本映画はここ数年、若手の映画監督が増え、黄金時代の50年代に匹敵するほどの本数が制作されています。しかし、若手の作品を多く上映するミニシアターは赤字に苦しんでいる。地方都市では映画館の関係者がアルバイトをして何とか維持しているような館もあり、このままでは続かないのは明らかです。街にミニシアターがなくなれば、東京との文化格差は拡大し、荒廃してしまうでしょう。
 ミニシアターで上映される日本映画には海外で注目を集めるものもあり、黒澤や小津作品のように日本人像を海外に伝える役割も担っています。しかし、自国で発表の場が失われれば、日本映画は簡単に廃れてしまう。日本映画が世界に発信されなくなれば、日本人は世界で今の地位を保てません。
 映画館に通った若い人が、映画の次世代を担います。そのためには一つの巨大博物館より、小さな映画館が地方にたくさんある方がいい。そこに税金を使うことの方が文化を育てることにつながるのではないでしょうか。(聞き手 宋光祐)

    ◇

 文化支援予算 文化庁は09年度の当初予算で日本映画・映像振興の推進に約5億円を計上。補正予算で「文化芸術支援」として315億円が上乗せされ、国立メディア芸術総合センターの建設も決まった。

Saturday, July 25, 2009

京都も大盛況/明日の朝日新聞朝刊

本日の京都初日舞台挨拶は、2回とも満席+お立ち見で、大盛況でした。
明日(26日)も13:15および16:00の上映後に質疑応答を行います。
http://www.kyotocinema.jp/index2.html

久々の京都ですが、街を練り歩く祇園祭の御神輿に偶然出くわしたり、神社仏閣を訪れたり、路上観察したり、温泉に入ったりと、カミさんと一緒にめちゃくちゃ満喫しています。いい街だなあ〜。

話は変わりますが、明日(26日)の朝日新聞朝刊のオピニオン欄に、モザイクを巡る僕のインタビュー記事が載る予定です。みなさん、読んでくださいませ!