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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Friday, January 30, 2015

『選挙2』DVD発売! Campaign 2 DVD

本日『選挙2』のDVDが発売されました。本編2時間30分+特典映像58分。特典映像には、初日舞台挨拶、ニセ安倍首相ご来場、ニューヨーク近代美術館でのQ&A、各予告編など。いまのところレンタルには出さない予定です。

DVD of Campaign 2 is now released in Japan. With English subtitles. Region free.





Sunday, January 25, 2015

「テロとの戦い」の原理的かつ根本的な落とし穴

「イスラム国」による人質事件に際し、去年9月にメルマガに書いた原稿を転載します。

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13年前に最初にボタンをかけ間違ったことの負の影響の甚大さについて、改めて考えています。

 米国による、いわゆる「テロとの闘い War on Terrorism」が本格的に始まったのは、2001年9月11日の事件がきっかけです。当時のブッシュ政権はアメリカに対するテロ攻撃への報復及び「テロリストの根絶」を目標に掲げ、アフガニスタンへの侵攻を開始しました。日本の小泉政権も、すぐさまそれを支持しました。

 僕は当時もニューヨークに住んでいましたので、あの911事件にはとてつもない衝撃を受けました。炭疽菌事件もあったりして、街を歩くのにも現実的な身の危険を感じました。だから世論調査でアメリカ国民の約90%がアフガニスタン攻撃を支持したと知ったときには、感情的にはその気持ちを理解しました。

 しかし、アフガニスタンに米軍を侵攻させてテロリストを撲滅するという発想には、原理的かつ根本的な落とし穴があると直感し、侵攻には当初から大反対でした。

 その「原理的かつ根本的な落とし穴」って、なんだか分かりますか?

 テロリストとは「人間の種類」「属性」ではない、ということです。また、テロリズムとはコンセプト(アイデア)である、ということです。

 まだ分かりにくいでしょうか?

 つまりこういうことです。

 生まれながらにテロリストである人間はいません。テロリストと呼ばれる人たちは、最初は誰しも普通の赤ちゃんとして生まれるわけですが(当たり前ですね?)、その後育った環境や出会った人々や出来事、思想などの影響で、人生のどこかでテロリストになることを決断します。ということは、テロリズムというコンセプトが、現状を打破したり敵に報復したりする上で魅力的なソリューションに見えるような環境が継続する限り、テロリストは無限大に増殖しうるのです。

 これが例えば「この世からゴキブリを根絶する」というのであれば、実際には難しいでしょうけど、原理的には実現の可能性はあります。ゴキブリを片っ端から殺していけばいいんですから。そしてゴキブリがこの世から一匹もいなくなれば、たぶんその後ゴキブリが再び復活することはありません。なぜなら、カブトムシがいきなり誰かに影響されてゴキブリになったりすることはないからです。

 しかし「テロリスト」は違います。たとえテロリストが皆殺しに合い、一時的にこの世から一人もいなくなったとしても、「テロリズム」というコンセプトが存在し、それに共感する人がいる限り、再びテロリストが生まれる可能性は残ります。たぶんアメリカ人や日本人の多くはテロリストをゴキブリのような存在としてイメージし、徹底的に殺せばいなくなるものだと今でも考えていると思いますが、そういうイメージそのものが致命的に誤っているのです。

 アメリカは、アフガニスタンやイラクに侵攻して武力でテロリストを一掃しようとしました。しかし、13年間にもわたる「テロとの闘い」の末に、テロリズムは根絶できたのでしょうか?

 イスラム国の台頭にみられるように、実際に起きていることは真逆に思えます。

 アフガニスタンとイラクにおける戦争で亡くなった一般市民の数は、約17万人と推定されています。17万人と一口にいいますけど、その一人ひとりに人生があり、家族や友人がいたことを想像すると、めまいで倒れそうになります。

 米軍は、人を殺した数だけ、街を破壊した分だけ、テロリスト予備軍を増やしているのではないでしょうか。そして、肉親や友人を殺された人々がアメリカに対する報復を誓い、あるいは同胞による報復行動に共感することで、イスラム国が力を得てきているのではないでしょうか。

 この上イラクやシリアを空爆してさらなる犠牲者を出しても、問題は悪化するだけだと思います。日本も集団的自衛権の行使を容認すれば、アメリカのテロリスト撲滅作戦にフルに参加する可能性も充分に考えられますが、そうなったら本当に愚かで悲しいことだと思います。

Wednesday, January 21, 2015

米国の厭戦気分を吹き飛ばした「首切り映像」

「イスラム国」が日本人2名の身代金を要求する映像を流したのを受けて、以前メルマガ(14年9月)に書いた記事を転載します。いま読んでいただきたいと思ったので。

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Q:いつも分かりやすく、目から鱗の新たな視点を与えてくれるメルマガをありがとうございます。アメリカにお住まいの想田さんに伺いたいのですが、アメリカがシリアに空爆を始めましたが、これはアメリカ議会で承認されたのでしょうか。去年、化学兵器使用の問題でアメリカがシリアを攻撃しようとしたとき、議会で否決されて攻撃できなかったと記憶しているのですが、今回と何か違いがあるのでしょうか。また、政府に対する不信感や厭戦的な空気がアメリカ国民に広がっているような印象がありましたが、それに変化があったのでしょうか。アメリカが参戦するときの手続きや、今のアメリカの世論、空気といったものを教えて頂けると幸いです。(もし、想田さんに質問するのが適切でなかったら、申し訳ありません)

A:ご質問、ありがとうございます。

 合衆国憲法上、正式な宣戦布告の権限は米国議会にあります。しかし一方で大統領には憲法によって軍の最高司令官(commander in chief)としての権限が与えられているので、限定的な軍事行動であれば議会の承認を得ず、大統領の独断で行ってよいと解釈されてきました。
 そのため、「軍事介入」として始まったベトナム戦争も正式な宣戦布告を出すことなく、泥沼の戦争になってしまったわけですが、その反省の上に立ち、1973年に戦争権限法という法律が作られます。これにより、大統領は独断で軍事行動を起こせるけれども、武力行使をした48時間以内に議会へ報告することや、60日以内に議会からの承認を得ることなどが義務づけられました。
 つまり昨年シリア攻撃の可能性が持ち上がった際にも、実はオバマ氏には事前に議会の承認を得る必要はなかったのです。だから彼がいきなり「議会の承認を求める」と発言した際には、みんなむしろ驚いたわけですね。
 では、オバマ大統領はあのとき、なぜわざわざ議会の承認を求めたのでしょうか。
 その背景には、オバマ氏自身がシリア攻撃に消極的だったことや、直前にイギリス議会でシリア攻撃が否決されたこと、アメリカの世論調査で約6割が攻撃に反対だったことなどがあったとみられています。攻撃をするなら、「アメリカ国民の了承の下で行った」という十分な正統性を確保したかったのでしょう。しかしあのときは、結局議会での採決を待たずに、オバマ氏自身が攻撃を中止して終わったと記憶しています。
 僕がアメリカで暮らしている肌感覚からすると、大統領には法的には武力攻撃をする権限が与えられているのですが、実際に攻撃する際には、「世論」の動向を大変気にします。言い換えれば、アメリカ国民の大多数の支持なしには、アメリカ大統領といえども戦争をすることは困難です。国民の支持なしに戦争を始めることは、さすがに政治的なリスクが大きすぎるのです。
 今回の「イスラム国」攻撃に際して、オバマ大統領は議会の承認を求めず、自らの権限で実行を決定しました。私見では、その背景にはやはりアメリカの世論の動向が大きく関係していると思います。9月始めにウォール・ストリート・ジャーナルとNBCが共同で行った世論調査によれば、61%が「イスラム国を攻撃することがアメリカの国益になる」と答えています。
http://blogs.wsj.com/…/wsjnbc-poll-americans-turn-hawkish-…/
 では、なぜ1年前には厭戦的だったアメリカの世論が、急激に「攻撃支持」に傾いたのか?
 ウォール・ストリート・ジャーナルも言及してるように、僕は世論調査の少し前に二人のアメリカ人ジャーナリストの「首切り処刑」のニュースが駆け巡り、多くの人が「あの映像」を目にしたことが決定的な理由だと思います。もっと言うと、仮にあのような映像を見せつけられてもオバマ大統領が何らかの軍事介入をしなかったとしたら、「弱腰だ」という批判が相当巻き起こっていたのではないでしょうか。
 ここに「映像」の恐ろしさがあります。
 映像には、見る者にある種の「疑似体験」を与え、感情を強く揺さぶる力があります(僕ら映画の作り手はその力を利用して作品を作ります)。あの「首切り処刑」の映像は、見る者が自分自身を被害者に投影しやすく、あたかも自分が首を切られたかのように感じるような、臨場感あふれる高精度なHD映像でした。よくできたのホラー映画のごとく、人間に強い恐怖の感情を喚起させる力があります。そして人間とはまだまだ知性よりも感情で行動する生き物ですので、感情を揺さぶられるとその勢いで重大な判断も行いがちなのです。
 911事件のときにも同じことを感じました。周知の通り、あのときは世界貿易センターに飛行機が突っ込み、崩壊する映像をリアルタイムで全世界の人々が目撃してしまいました。当時すでにニューヨークに住んでいた僕も、テレビで何度も繰り返される映像を観ながらとてつもないショックを受け、恐怖と怒りの感情に激しく揺さぶられたものです。
 あのとき米国世論が「アフガニスタン攻撃支持」に急速に傾き、約9割が賛成するに至ったのは、あの強烈な映像の存在なしには考えられません。広大な国土を持つアメリカですが、その隅々にいたるあらゆる米国人がテレビを通じてあの映像を同時に目撃し、いわば「自分自身に対する暴力」として疑似体験しました。
 映像を目撃した人々は、当初はショックと悲しみに暮れていました。しかしすぐにそのエネルギーは怒りに転化し、「報復」に向かって団結していきました。個人主義を尊びバラバラに見えたアメリカの世論が、一瞬にして「米軍を支援しない人間はテロリストの味方だ」という雰囲気さえ醸し出していきました。僕はその様子を見ていて恐ろしくなり、アメリカから逃げ出したい気持ちに駆られたものです。いずれにせよ、映像とはときに恐るべき力を発揮するものなのです。
 話がやや脱線しました。
 私見では、もし今回「ジャーナリストの処刑」が文字のニュースとして伝わっただけで、あの「首切り映像」が流れなかったとしたら、米国世論がここまで厭戦気分から一転することはなかったと思います。
 冷静に考えれば、アメリカ軍がイスラム国を攻撃すれば、子供を含めた現地の一般市民の犠牲は避けられず、よって米軍はイスラム国と同等かそれ以上の罪を犯すことになります。しかし映像によって喚起された強い感情は、そういう知的な考えを上書きしてしまうのです。
 やりきれないのは、あの「首切り映像」が実はフェイクだったのではないかという疑いさえあることです。イギリスの新聞「テレグラフ」紙は、首を切る瞬間を映し出した映像が一種の特殊効果によるもので、実際の首切りはカメラが回っていないところで行われたのではないかという専門家の分析を紹介しています。
http://www.telegraph.co.uk/…/Foley-murder-video-may-have-be…
 もしそれが本当だとしたら、アメリカ国民は偽の映像によって感情を揺さぶられ、攻撃支持に傾いていったということになります。
 僕自身は、もしあの映像を流したのが本当にイスラム国だとしたら、なぜ彼らはわざわざ自らへの攻撃を誘発するような映像を流したのか、という点に非常に深い疑念を抱いています。映像の流布は、彼らの不利益になりこそすれ、利益にはならないように思うからです。
 いずれにせよ、私たちは政治的文脈でインパクトのある映像を目にした際に、感情よりも知性を働かせるように、十分に気を付けなければなりません。今後日本政府が戦争参加への支持を日本国民に呼びかけるようなことがあれば、おそらく私たちの感情を強く動かすために、何らかの映像を流布させることになるのではないでしょうか。そういう映像が出てきたときに、私たちは我を忘れず、観察眼と知性を働かせるよう、格段の注意を払う必要があります。