「やわらかい部分」
想田和弘
『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)をギリギリで書き上げて飛行機に飛び乗り、イギリスのシェフィールド・ドキュメンタリー映画祭へ参加した。新作ドキュメンタリー映画『Peace』のイギリス初上映が予定され、僕も招待されていたからである。
僕はドキュメンタリーを撮る際に、先入観や固定観念に縛られないため、事前のリサーチや打ち合わせを排し、台本や概要を書かない。目の前の現実を観察しながら、行き当たりばったりでカメラを回すようにしている。また、観客にも映画の世界を自由に観察し、解釈してもらうため、ナレーションや音楽を使わない。そして、そういうドキュメンタリーの方法論やスタイルを「観察映画」と呼んでいる。
拙著では、「観察映画」の源流であるダイレクトシネマ(1960年代にアメリカで勃興した、ナレーションなどを排したドキュメンタリー運動)の歴史から紐解き、なぜ、どのようにして僕は観察映画を作るのか、そしてドキュメンタリーの魅力とはいったい何なのか、全力で書いた。その作業がやっと一段落し、僕は幽霊のごとくフラフラとイギリスへ旅立ったわけである。だから、今回の旅は半ば休暇のつもりだった。
ところが、甘かった。飛行機を降りたら目の前に、車椅子に腰掛けた白髪の老人がいたのである。見覚えのある黒縁眼鏡。ダイレクトシネマの伝説的巨匠アルバート・メイスルズ監督である。僕が勝手に「心の師匠」と決めている人物の一人だ。しかも空港で彼と同じ車に乗り込み、約一時間離れた映画祭会場まで同行することになった。今回のシェフィールド映画祭では、監督は「生涯功労賞」を受賞するそうで、回顧上映と方法論を語る「マスタークラス」が行われる予定だという。これでは僕も息抜きなどしていられない。
アルバート・メイスルズは、1926年にボストンで生まれた。30代の頃、J・F・ケネディの選挙運動を描いたダイレクトシネマの記念碑的名作『大統領予備選挙』(1960年)のカメラマンに抜擢され、ダイレクトシネマ運動の中心的メンバーになる。64年には弟のデーヴィッドと組んでビートルズのアメリカ初訪問を活写した『アメリカのビートルズ』、68年には聖書を売り歩くセールスマンの悲哀を描いた『セールスマン』、70年にはローリング・ストーンズの全米ツアーに密着した『ギミー・シェルター』、76年には後にブロードウェー・ミュージカルにもなった『グレイ・ガーデンズ』などを発表。ここには挙げきれぬほどの傑作の数々を生み出し、かつてあのゴダールに「アメリカで最高のカメラマン」と言わしめた人物である。
ニューヨーク在住のメイスルズ監督には、実はこれまでに三回お会いしているが、車の中で僕は改めて自己紹介し、ダイレクトシネマのスタイルを自分なりにアレンジして「観察映画」を撮っていることを告げた。すると時差ボケで眠そうだった巨匠は、にわかに満面の笑みを浮かべ、こう言った。
「われわれのやり方がベストだろう!」
おお、“the best”と言い切るのか。相対主義が支配的な昨今だけに驚いたが、その言葉には強い確信と誇りが感じられ、心を動かされた。そして彼はこう続けた。
「映画にはdiversion(気晴らし・娯楽)のための作品と、engagement(観客を巻き込む)のための作品がある。私は後者を目指してこれまで映画を作ってきた」
映画を「娯楽」と「芸術」に分ける議論はよく聞くが、diversionの対義語としてengagementを使うのは興味深い。ここで言うengagementとは、「観客に能動的に関わってもらう」というニュアンスだろう。僕がよく「観客にも自分の目で映画の世界を観察して欲しい」と言っているのと同じ趣旨だと思う。
観察映画はダイレクトシネマをお手本としているが、実作者の僕は学者とは違って、作品を観ることによって直に影響されるのであって、作り手の理論や方法論を文献などで研究したわけではない。しかし、ときおり作家のインタビューなどで彼らの言葉に触れると、自分の考え方と酷似していて「やっぱり」と思わされる。後に開かれたマスタークラスでも、メイスルズは「ドキュメンタリーは被写体の体験を描くもの」と発言したが、それも僕が普段「ドキュメンタリーは作り手の体験を描く体験記」と言っているのと基本的には同じことだ。
逆にメイスルズは僕の新作の題名が『Peace』であると聞いて、「それは私が次に撮りたいと思っていた題材だ。なぜ映画作家は戦争ばかりを描くのだろう。われわれは平和の方法を描く必要がある」と興奮気味に言った。ちょっと畏れ多い言い方だが、僕らは国籍も世代も異なるのに、かなりの「似た者同士」なのである。
僕は試しに、メイスルズに方法論のことも訊ねてみたくなった。僕は予定調和を避けるため、事前に台本や概要を書かないが、彼はどうなのだろうか。
「撮影前には何も書かない。もちろん製作資金を集めるために作品の概要を書くことはあるけど、それは自分のためのものではない」
やっぱり。こうなると、拙著でもひとつの焦点となった「ドキュメンタリー作家の加害性」という問題についても、巨匠の見解を聞きたくなる。つまり、ドキュメンタリー作家は、カメラを生身の人間に向け、その心の内側の「やわらかい部分」をすくいとろうとする。そして、それがやわらかければやわらかいほど、被写体が傷つく可能性も高まる。そのことを彼はどう考えているのだろうか。
メイスルズの作品は、被写体と厳しく対峙しない。むしろ共感と愛情をベースにして作られるのが特徴だ。それでも彼の映画には、人間が普段は覆い隠しているような、「やわらかい部分」も必ず映し出されている。例えば、『セールスマン』の中で、いくら頑張っても聖書が売れず、疲れ切った中年セールスマンの顔。『グレイ・ガーデンズ』の中で、赤裸々に映し出された元上流階級の貧しい暮らしぶり。シェフィールド映画祭で初めて観た彼の最新作『モハメッドとラリー』(2009年)では、気力と体力の衰えのため試合で無惨に敗れるモハメッド・アリの姿が映し出されていた。
そうした「やわらかい部分」が見えるお陰で、観客は被写体たちの体験を共有し、深く共感したり、理解したりすることができる。しかし同時にそれは、被写体らを裸にして無防備にする危険な行為でもある(と僕は思う)。そういうジレンマを、メイスルズは感じたりしないのだろうか。
『モハメッドとラリー』上映後の質疑応答の際、僕は思い切って質問した。するとそれまでにこやかだった大御所は、さっと顔色を変え、緊張した面持ちでこう答えた。
「常にそれには細心の注意を払っています。『グレイ・ガーデンズ』のときには、“可哀想な人たちを被写体として利用した”と批評家から激しい批判を受けた。しかし、映画を観た本人たちは“傑作ができたね”と、とても気に入っていた。実際、今まで被写体から編集を変えてくれと言われたことはない。肝心なのは、行き過ぎない(don't go too far)ことです。撮影中、被写体の女性があまりにも個人的な話をし始め、“彼女の顔を映画で晒してはならない”と感じたことがあった。そのとき私は、カメラを被写体の顔から外し、代わりに手を撮りました」
「行かない(踏み込まない)」ではなく「行き過ぎない(踏み込み過ぎない)」というのが、メイスルズらしい。ただ、現実にはどこからが行き過ぎで、どこまでが行き過ぎでないのか、その判断自体が難しいのではないか。特に、作り手が「行き過ぎていない」と信じていても、被写体がそう感じるとは限らない……。僕はそのように自問しながら、シェフィールドを後にした。
“don't go too far”という彼の言葉は、ニューヨークに帰った今も、彼の柔和な笑顔とともに、僕の頭の中でこだまのように反響し続けている。彼の映画を支えてきたのは、実は、彼が自分自身に言い聞かせ続けてきたであろう、その言葉だったのではないか。ふと、そんな気がしてきた。それは僕の今後の映画作りにも、どんな芽が出るか予想のつかない種を宿した。
(そうだ・かずひろ 映画作家)