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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Friday, June 28, 2013

日比谷図書館での『選挙』上映が一時中止された件について

明日から渋谷のシアター・イメージフォーラムで『選挙』の再上映が始まる。DVDも出てるし、日本のみならず世界中でTV放映もされた作品だ。それなのに、まだまだこの映画にタブー感を抱く人たちがいる。そのことを痛感する出来事に遭遇したので、勇気を出して紹介したい。

7/2(火)に予定されている千代田区立・日比谷図書館での『選挙』上映と山さんとのトーク、実は開催を危ぶまれていた。なぜか?先週の金曜日(6/21)、千代田区図書・文化資源課が上映に懸念を示し、図書館を運営する指定管理会社が中止を一方的に決定したからだ。

すでにチラシは刷り上がり、告知も済んでいた。にもかかわらず、共催である配給会社・東風に一言の相談もなく、中止は決定された。説明を求め、一昨日(6/26)午前中に指定管理会社の担当者の方々に面会した。その時点で、中止は決定済みで変更できないと言われた。

彼らの説明によれば、千代田区の懸念の内容はこうだ。「参院選の前にセンシティブな内容の映画を上映することは難しいところがある。怖い。映画が選挙制度そのものについて一石を投じる内容になってしまっている。議論が起きること自体が好ましくない。過去に苦情等のトラブルが生じたこともある」

しかし、映画『選挙』は特定の政党や候補者を応援したりするものではないので、公職選挙法に触れたりはしない。その点は区も承知しているという。では、何が問題なのか。違法でもないのに、なぜ上映を中止するのか。僕らは疑問を表明し、抗議した。また、中止するなら中止の理由を公表すると伝えた。

すると午後になって再び面会を求められた。中止ではなく、参院選後に延期してもらえないか。それが彼らの「お願い」だった。しかしそれは僕らには受け入れられない。選挙前だからこそ映画を観て語りたいのだ。適法なのだから、今こそ堂々と上映し語るべきなのだ。逆に上映できない理由はないはずだ。

結局、指定管理会社との「共催」ではなく、東風の単独主催で上映することに落ち着いた。したがって会場費は東風が負担し、チラシも東風が刷り直す。大きな負担だ。しかし上映が、そして我々の表現の自由がギリギリで守れたことは成果だ。

「選挙直前に選挙について語るのはダメ」などという不条理を許容しないで済んだことも良かった。だいたい、選挙期間になると、選挙について、政治について語れなくなくなることこそが、ニッポンの民主主義の本質的な問題なのだ。

とはいえ、腑に落ちない点がある。ある新聞社の記者が千代田区図書・文化資源課の担当者に取材したところ、「映画の内容に懸念を示したことはない」と言ったというのだ。だとしたら、指定管理会社が僕らに嘘を付いていたというのか?そんなわけはないだろう。

そもそも、この上映&トーク企画を率先して提案してくれたのは、映画『選挙』を好いてくれた指定管理会社のスタッフである。その有志が勤務外にボランティアで準備を進めてくれていた。僕はそれがとても嬉しかった。そんな彼らが、自分から中止を決めるわけがない。

僕の想像はこうだ。区の仕事を請け負う指定管理会社は、とても立場が弱い存在である。何か問題が起これば、契約を切られ雇用も失われる。だから区の意向には逆らいにくい。だからちょっとした懸念にも敏感に反応し忖度(そんたく)する。

区はそういう指定管理会社の弱い立場につけ込み、すべての責任を押し付けようとしているのではないか?そんなことが許されていいのか?指定管理者制度は、何か問題が起きた時に役所が民間に責任を押し付けるための装置なのか?それこそ、無責任ニッポン社会の典型ではないか?

僕はこの事実を公表することに、ためらいを感じた。指定管理会社の立場が、更に弱くなることを恐れたからである。下手をすると次の契約更改時に不当に切られる可能性がある。すると社員の仕事も失われる。それは僕の望む所ではない。彼らは一生懸命仕事をしている。

しかし、区がシラを切り通そうとしているならば、それを伏せたままでよいのだろうか?このまま「何事もなかったかのように」上映をしていいのだろうか?だいたい、区は「表現の自由」を軽く考え過ぎているのではないか?実はこのようなことは、これまで公にならないだけで、頻繁にあったのではないか?

中島岳志さんが「「リベラル保守」宣言」の印刷直前に、NTT出版から橋下徹大阪市長について書いた章の削除を求められ、新潮社に出版社を引っ越したというツイートを読んだ。同じようなことが、あちらこちらで起きているのではないか?

『選挙2』の中で、路上で選挙運動をする自民党議員から撮影拒否を受けたことも思い出した。僕は撮影を続行したが、川崎市連の弁護士からは「映像を使うな」という通知書が届いた。だが、もちろん映像は使った。これらの出来事は、すべて根っ子で繋がっているように思う。

ものを言いにくい雰囲気。これが社会の隅々にまで充満している。その雰囲気を打破する唯一の方法は何か?タブーなく語ることである。逆に、語ることを自主規制すれば、ものを言いにくい雰囲気に加担することになる。

僕は問題の所在を明らかにし、オープンな議論を巻き起こすためにも、今回の経緯を公表する必要があると判断した。その決断に東風も賛意を示した。指定管理会社の皆さんには申し訳ないという気持ちもある。しかし、彼らも一度は中止の決定をした主体だ。一定の責任は感じてもらいたい。

7/2の日比谷図書館での上映後のトークでも、この問題について語りたいと思う。個人の責任を追及するつもりは一切ない。そんなことより、問題提起をしたい。語ることはタブーだという雰囲気があるが、そのタブーこそが問題だと思うのだ。

現時点で、区の担当者とは僕らは一度も話していないし、面会もしていない。僕の申し上げていることが間違っているなら、区はトークの場に出てきて反論して欲しい。僕は誰かを糾弾するつもりはない。僕が求めているのは、対話であり、率直な議論である。

想田和弘

Tuesday, June 18, 2013

日本の不思議な選挙制度ベスト3


ニッポン放送・上柳さんの番組に生出演中、いきなり山さんが電話で乱入。この誰も予期していなかったまさかの乱入事件で、「日本の不思議な選挙制度ベスト3」というコーナーが飛んじゃったよ(笑)。せっかく用意してたのに〜。ということで、ここでベスト3を紹介します。

日本の不思議な選挙制度ベスト1は、選挙ポスター。あれ、みんな当たり前のように受け入れてる、税金も支出された公職選挙法上の制度ですけど、よく考えると不思議です。ポスターは候補者についての重要な情報を何も伝えない。顔写真と名前とスローガンを見比べて、どう選べっていうんでしょうか。

日本の不思議な選挙制度ベスト2は、選挙カー。これも同じ理由で摩訶不思議。名前の連呼をする選挙カーが、どう、投票先を選ぶことの助けになるんでしょうか。あのガソリン代には公費が使われてます。公職選挙で基礎付けられた正式な制度です。なんであんなものがあるの?

日本の不思議な選挙制度ベスト3は、世界一高い供託金。もしかするとこれが一番重要。比例では600万、選挙区で300万もの供託金が義務づけられてますが、これでは金持ちしか立候補できず、事実上の制限選挙です。憲法44条に反しているとの指摘もあります。アメリカやドイツやフランスやイギリスではゼロ。

最近、一票の格差など選挙権の公平さの問題は論じ始められたけど、被選挙権の問題は全然議論されない。これはおかしい。日本の供託金制度が導入されたのは1925年。男子普通選挙が導入されたのと同時。治安維持法も同じ年。それが戦後もずーっと続いてるんですね。既成政党に断然有利な制度。

選挙制度は、その制度で勝った人たちが設計するので、変わりにくい。だって、自分たちが勝ったゲームの規則を変えてしまったら、今度は負けるかもしれない。だから非民主的で不条理な制度が永遠に変わらない。供託金の件は、違憲訴訟を起こして司法の側から圧力をかける手がありますが。

Monday, June 17, 2013

「おまかせ民主主義」の正体は「消費者民主主義」である。

今日は毎日新聞から参院選について取材を受けた。「低投票率が予想されるがなぜか」と聞かれたので、政治家は政治サービスの提供者で、有権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、政治家も有権者も誤ってイメージしていることが原因ではないか、と答えた。

有権者が自らを政治サービスの消費者としてイメージすると、「つまらぬものは買わぬ」という態度になる。低投票率は「買いたい物がないから投票しないのは当然」という態度なのではないか、と。これ、内田先生が教育現場について仰ってることの応用です。でも有権者は消費者ではないですよ、断じて。

国王に主権(=判断し、決断し、責任を取る権限)があったのを、民衆一人ひとりに主権を移すことで近代の民主主義は始まった。つまり民主主義では、民衆=主権者とは国王の代わりに政治を行う主体だ。政治サービスの消費者ではない。消費者には責任は伴わないが、主権者には責任が伴う。

この点が、消費者と主権者では決定的に異なるはずだ。ところが消費資本主義的価値観が蔓延する中、ゆっくりと誤解が定着した。政治家も主権者も、消費モデルで政治をイメージするようになってしまった。だから政治家は国民をお客様扱いする。同時に、軽蔑している。単なる消費者だと思ってるから。

だから政治サービスを買ってもらうには、売れそうな刺激的な商品を分かり易く並べ、誇大広告も辞さない。政治家の政策がマーケティングめいているのも当然なのだ。一方の消費者化した有権者も、政策や問題を自分の力で吟味しようとはしない。それは売る側の責任だと思ってるから。

首相をコロコロ変えたりするのも、「頻繁にモデルチェンジすれば売れるのではないか」というのと同じ発想だ。だが繰り返しになるが、民主主義を消費モデルでイメージすることは、重大な過ちだ。ここで壮大なボタンの掛け違いをしているから、民主主義の空洞化ないし劣化が進んでいるようにみえる。

最近「おまかせ民主主義」という言葉が定着してきたが、その正体は、ずばり「消費者民主主義」なのだと思う。消費者はサービスを消費するだけ。つまりお任せ。不具合があれば文句言うだけ。何も生み出さない。税金と票という対価を払う以外、貢献しない。いや、気に入らなければ票さえ投じない。

民主主義の原点は、「みんなのことは、みんなで議論し主張や利害をすりあわせ、みんなで決めよう」であったはずだ。しかし主権者が消費者化してしまうと、そんな発想からは遠くなる。消費者の態度は、「お客様を煩わさないで。面倒だから誰かが決めてよ、気にいったら買ってやるから」になる。

(ツイートをまとめました)

Saturday, June 15, 2013

選挙前の『選挙』『選挙2』の使い方

新宿で「憲法!崖っぷち!ひみつ作戦会議」に参戦。参加者の危機感の強さからか、「選挙前に何をすべきか」と度々問われ、いろいろ答えたが、一つ重要な「できること」を忘れてた。

拙作『選挙』や『選挙2』を友人や家族と見ることだ笑。手前味噌で恐縮だが、選挙や日本社会について考えるには実は良い材料だと思う。

『選挙』や『選挙2』含め、僕は政治的な目標のために映画を作っていない。映画は映画だ。だから今日も「何ができるか」と問われたとき「映画を観よ」と言えなかったのだと思う。だけど社会運動的な観点から観れば、結構「使える」と思う。ニッポンの民主主義について見つめ直す機会になるから。

『選挙』や『選挙2』を友人や家族と観たら、帰り道に語り合っていただけると嬉しい。何らかの発見や気づきがあるのではないかと思う。映画館での上映が予定されていない地域では、自主上映会と感想を語り合う会を開くのも面白いと思う。自主上映の方法→http://senkyo2.com/

ということで、みなさんお誘い合わせの上、『選挙』『選挙2』をご覧下さい笑。

渋谷のイメージフォーラムでは、『選挙』は6/29から一週間、朝だけ上映(他に各地で自主上映会も続々企画)。

『選挙2』は7/6から連日3回上映。大阪、大分、沖縄、神戸、名古屋、金沢、富山、広島、尾道、愛媛、福岡、京都、横浜、岡山などでも同時・順次公開されます。

Monday, June 10, 2013

特別講座「“観察映画”のつくり方」@映画美学校

締め切り(6/14) 間近です〜。
ガッツリ短期集中!想田和弘が特別講座「“観察映画”のつくり方」を開講@映画美学校
6月18日(火)ー6月26日(水)(全5回)

<受講者の方々への僕からのメッセージ> 一般に映画作家の仕事は「作ること」だと思われているが、僕は「作って、上映して、資金回収する」までを行うのが作家の仕事だと考えている。作ることと、上映することと、資金回収することは、互いに矛盾するのではなく、支え合い相乗効果をもたらす関係にならねばならない。でないと、このご時世、作家として独立性を保てないし、作品づくりを持続できない。本講座では、映画作家として独立し持続するための僕なりの方法論をさらけ出そうと思う。同業者も来るだろうに手の内を晒すのはどうか、などとケチ臭いことも一瞬考えたが、まあいいや、などと思っている。 想田和弘

http://senkyo2.com/?p=67