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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Friday, March 28, 2008

梅が開花 モロッコの映画祭へ




東京は桜が満開だというのに、ニューヨークはやっと梅が咲いたばかり。やっぱり寒いんだなあ、ここは。

それでも結構暖かくなってきたせいか、散歩をしてると近所の「なじみ猫」と出くわします。
思わず携帯でパチリ! 迷惑そうな顔が可愛いんだな、これが。

来週は一週間、モロッコの「テトゥアン映画祭」に出席します。『選挙』の上映があります。モロッコはおろか、アフリカに行くのは初めて!

でも、映画祭のサイトをチェックしてみたら、『選挙』に[DOC/FICTION]と書かれていました。しかも「CAMPAIGN」じゃなくて「CAMPING」だって!また何かを勘違いしているのでは…。先方にはメールしておきました。「フィクションじゃないよ!しかも題名はキャンピングじゃないよ!」って(笑)。とほほ。
http://www.festival-tetouan.com/carte.php

Sunday, March 23, 2008

編集に苦しくなると

『精神(仮題)』の編集に、頭を悩ませ、胃をきりきりさせる毎日である。

シーンとシーンをつなぎ合わせ、映画としての構造を構築する時期に入り、いつものことながら無限地獄のような苦しみを味わっている最中。ああでもない、こうでもない、妙案を思いついては試し、失望し、壊し、組み立て、また壊す。

『選挙』でもそうだったが、僕は『精神』を撮るときに、いわゆる台本やシノプシスを一切書かなかった。撮影する前に台本を書いてしまうと、自分の書いたこと=先入観にとらわれてしまい、目の前の現実を虚心坦懐に観察しにくくなるからである。

それなのに、編集に苦しくなってくると、「この人、この時もう少しこういう事を言ってくれてたら面白かったのになあ」とか、「もうちょっとこういう状況だったら良かったのに」とか、手前勝手な気持ちがつい頭をもたげてくる。知らず知らずの間に、僕が嫌っているはずの、予定調和でご都合主義的なドキュメンタリー作りに陥ろうとしていて、はっとする。

僕には子供はいないけど、ドキュメンタリー作りは子育てと似ているんじゃないかと、ふと思った。目の前の自分の子をよく観ずに、親としての勝手な理想に無理矢理当てはめようとすると、きっと子供は違和感を感じ、反抗したり、病気になったり、引きこもったりするだろう。

たぶん、子育てもドキュメンタリーも、子供=作品が伸びようとする方向を見極め、手助けをしてあげるくらいが丁度良い。決して無理強いしてはならない。苦しいときにこそ、そのことを忘れずにいたいものである。

Monday, March 10, 2008

Screening Schedule at MoMA


The schedule of screenings at MoMA (The Museum of Modern Art) has been determined!!
April 7 - 13, 2008
ONE WEEK ONLY!

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
www.moma.org

Mon, April 7, 7:00 PM (Q&A with the filmmaker)
Wed, April 9, 6:00 PM
Thu, April 10, 6:00 PM
Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

「切る」と「つなぐ」

去年の秋から、ひとりコツコツと、次回作『精神(仮題)』の編集作業を進めている。とある精神科の診療所を舞台にしたドキュメンタリー映画である。

編集作業のことを、アメリカの映画人は「切る(cut)」と呼ぶ。「君の映画は、誰が切っているんだい?」というように。逆に日本の人は「つなぐ」と呼ぶ。「もうあのシーン、つないだ?」というように。

このことは、編集についての考え方の違いをよく言い表していて面白い。

すなわち、「切る」と呼ぶことからは、編集の極意は引き算、つまり無駄なものを省くことにあるという思想が感じられる。逆に「つなぐ」と呼ぶことには、編集の醍醐味は足し算、撮ってきた映像の断片と断片の間に、何らかの関係性を見出すことにこそあるという姿勢が現れている。

では、僕は「切る」のか、「つなぐ」のか。足し算なのか、引き算なのか。

結論から言うと、色即是空、空即是色ではないけれど、切ることがつなぐことであり、つなぐことが切ることであると思う。例えば、あるシーンの最後の台詞を切ってみると、次のシーンの冒頭との意外な関係性が見えてきたりする。また、ショットAとショットCをつなぐために、間にあるBを切ったりする。「切る」と「つなぐ」は相反するものではなく、同一か、もしくは相互補完の関係にあるのである。

切って、つないで、つないで、切って。引いて、足して、足して、引いて。リズム良く、しなやかに、粘土で立体を造るように。タルコフスキーは、映画は時間の彫刻だと言った。

でも、言うは易しである。とにかく、切るにせよ、つなぐにせよ、編集というのは一筋縄ではいかない。あんなに面白く見えたラッシュ(未編集の映像)が、切ってみたら全くつまらなくなることがある。かと思えば、ラッシュではつまらないと思っていたシーンが、切ってみたら異様な輝きを放ちだすこともある。

切って、つないで、つないで、切って。

いや、実際の僕の生活は、切って、珈琲を飲んで、つないで、風呂に入って、ビールを飲んで、漫画を読んで、切って、散歩して、昼寝して、つないで。っていう感じである。

映画でも人生でも、余計なものは切りたいけれど、切りすぎるとうまくいかないんだよなあ。

Saturday, March 01, 2008

Wiseman Festival

もっと早く紹介すべきだったんですが、東京でフレデリック・ワイズマンの特集上映をしています。そのために飛んで帰りたいくらい、すばらしいラインナップです。ぜひお勧めします。

『チチカットフォリーズ』『肉』『霊長類』『臨死』『少年裁判所』『福祉』『DV』とか、はっきり言って、震えます。ワイズマンの本拠地アメリカでもなかなか観れない作品をこれだけ観れる日本は凄い!