http://bit.ly/9OSoyr
(前略)―観察の状態でも自分の主観が働いている。インタビューまですると余計な自我、欲望のようなものが入るからでしょうか?
想田:そういうことですね。「無作為の作為」という言葉を僕はよく使います。作品を作るわけですから、作為はあります。でもそれは、無作為になることで良いものを作りたいという作為です。
僕が「観察映画」と呼んでいる方法の特徴は、あらかじめ対象についてリサーチせず、何も知らない状態で飛び込む、そして興味を引かれるものに虚心坦懐にカメラを向けていく。このやり方をするのは、作為=自我をなるべく取り除きたいからです。というのも、先に情報や知識があると、それらに合うように被写体を誘導したり、「こう発言させたい」などと色々な雑念が出てくるわけです。で、雑念に従って作ってしまうと、作品が自分の貧しい想像の範囲に収まり凡庸になる。自我=作為を抑えることで、自分という狭苦しい枠組みを突破し、一本突き抜けたいという意識があります。
では、どうやって自我を抑えるのか。それは「観察」です。僕は「ああしよう、こうしよう」と思う気持ちがでてきたら、目の前にあるものを「よく観察するぞ」という気持ちに切換えます。すると、意識が「今、目の前」におりてきます。よく瞑想で言われる「今、ここ」にいられる。…(後略)
精神は映画館で見て 選挙はテレビで見ました。
ReplyDelete想田さんの作品は映画館のような大きなスクリーン
で観るものだと感じました。
大きい画面だと人物のちょっとした表情も
分かり、こちらも観察するぞという
集中力がテレビのスクリーンより増すような。
ちょっと見上げてみるという姿勢も影響してるのかも
しれません。すみませんDVDの販売を邪魔してるような
文になりましたが
横さん
ReplyDeleteありがとうございます。
本音を言えば、僕もDVDではなく映画館で観て欲しいので、むしろ嬉しいですよ、そういうコメントは(笑)。でも、DVDにはその分特典映像をたくさん入れてるので、違う見方ができると思います…というのはセールス・トークです(笑)。