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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!
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Wednesday, February 13, 2013

キアロスタミ特集@リンカーンセンター

リンカーンセンターでキアロスタミ特集やってる。で、『クローズ・アップ』を久々に観て来たんだが、全編興奮しっぱなし。やはり映画史に残る大傑作である。事件の本物の当事者をキャストに再現をやっちゃうって、悪魔的な思いつきだが天才過ぎる。

特集2本目は『そして人生は続く』を10年ぶりくらいに観た。オンボロ車で地震の被災地に人探しに行く図は、人生のメタファー。被災地を撮ってるのに、終始あっけらかんと楽観的なのは、紋切り型に決してはまらないキアロスタミならではの凄さ。

目の前にある状況をそのまま借りてフィクションの中に落とし込んでいくことにかけて、キアロスタミ以上に上手い監督を知らない。ドキュメンタリーを撮ることで技量と感性を磨いたのだろう。

それにしても、まだ瓦礫も片付いていない被災地で、あんな映画を撮ってしまうキアロスタミも、撮影に協力する地元の人たちも、ホント凄い。日本だったら、「不謹慎」という言葉が撮る側にも撮られる側にも浮かんで、絶対に実現しなかったと思う。

しかし、出来た映画は全く不謹慎ではないどころか、当時のイランの様子を後世に伝える優れた記録であると同時に、「生きること」の本質的で普遍的な部分を鮮やかにとらえているわけで、やはり芸術の力とは信じてよいものなのである。

http://www.filmlinc.com/films/series/a-close-up-of-abbas-kiarostami

Monday, January 14, 2013

保坂展人『闘う区長』

保坂展人世田谷区長の『闘う区長』(集英社新書)を読んでいるのだが、非常に面白い。元社民党だし「革新」のイメージが強い人だが、「行政では継続性も大事なので95%は現状を引き継ぎ自分が変えるのは5%だけ」という方針を最初から打ち出している。橋下徹みたいな単なる壊し屋ではない。

それでも、東電の値上げや情報開示を巡るバトルなどは文字通り「闘って」いる。東電以外のPPSからの電力購入を行い区役所の電気料金を数千万円浮かせ、それを真似する自治体が続出して一種のPPSブームを起こしたことなどは、まさに「世田谷区から日本を変える」ような政治行動だと思った。

よく「日本は国の規模が大きすぎるので、小さい国のようには改革がなかなか進まない」という声が聞かれるが、世田谷区は人口88万人。まさに「小国」に匹敵する規模なので、日本全体を変えようとするよりも、ずっとやりやすい。『闘う区長』を読みながら、そのことを具体的に実感させられる。

とはいえ、日本という国は世田谷区のような自治体が多数集積してできているわけで、よい方に変わる自治体がたくさんできれば、結果的に日本全体が変わることになる。「日本を変える」というと、どうしても「国政を変える」に短絡しがちだけど、実は逆からのアプローチの方が効果的なんだと思った。

つまり「○○から日本を変える」という、よくあるスローガンは、実は正しいということだ。問題は、それが正しい道筋だと本当に信じて唱えている政治家は、実は少ないということ。橋下徹なども、大阪から日本を変えると言いながら、国を変えないと大阪が変わらないなどと矛盾したことを言っている。

興味深いのは、PPSからの電力購入のように画期的な政策を行うと、我も我もと真似する自治体がどんどん出て来ることだ。どの自治体も改善策を探している。だから効果的なモデルを示す自治体があれば、ヒット商品を真似する企業が続出するのと同じで、ぱっと広まる。この伝播力を侮ってはならない。

保坂区長の「95%は引き継ぎ、5%だけ変える」という方針は、彼を後押しした市民派や環境派の人々の多くにとっては、もしかしたら物足りないかもしれない。しかし、急激に変えようとすると、それだけ抵抗も大きい。世田谷区議会は自公が多数派だし。長い目で見守ることが大事だと思う。

http://www.amazon.co.jp/dp/408720667X

Saturday, August 25, 2012

横浜借景とneoneoイベント

8/23は篠崎由紀子さんとハイネ君が企画し出演している「横浜借景」を観た。めちゃくちゃ面白かった。「借景」というだけに横浜の実際のモールを舞台にしてしまうのだが、虚と実の入り交じり方がハンパなく、極めてドキュメンタリー!終始ニヤニヤしてしまった。26日まで1日8回公演。おススメです。

普通の通行人と出演者が入り乱れて「横浜借景」は進む。出演者には独特のテンションがあるのですぐに「演者だな」と分かるんだけど、通行人にもそういうテンションを持ってる人が多くて、だんだんみんなが出演者に見えてくる。僕ら見学者も含めて(笑)。日常生活の演劇性を実感させられたな〜。

途中、出演者がちょっと奇妙なことをしているのを、たぶん本物の警備員らしき人が咎めるハプニングがあったりして、でももしかしたらそれも仕込んであるのかな、なんて思ったりして、ホント、虚と実が入り乱れる。こういう趣旨の企画は昔からあったとは思うけど、作り方が洗練されていて心地よかった。

僕ら観客は無線のヘッドフォンを付けて鑑賞するんだが、そこから流れる効果音、音楽、柴幸男さんのテキストが面白さを増幅している。「百年前、ここは海だった。建物の寿命は80年なので百年後にこの建物はない」という趣旨の言葉が、いまそこに自分がいることの不思議さを実感させて印象的だった。

夜は雑誌『neoneo』創刊記念で上映された小川紳介監督『どっこい!人間節 寿・自由労働者の街』を観た。最初の1分くらい遅れてしまったけど、素晴らしい映画だった。厳しい状況を描いているはずなんだけど、僕には人々が活き活きと見えたし楽観的に思えた。

小川プロのプロデューサーだった伏屋博雄さんに打ち上げでお聞きしたところ、小川監督は三里塚の映画等を撮りながらも、ご本人は左翼思想に興味がなかったらしい。彼の映画が政治的題材を扱ってはいるけど、全然政治的ではなく、そこから横溢するものに溢れているのはそのせいかもしれない。 

石川直樹×諏訪敦彦のトークも面白かった。いわゆる「ドキュメンタリー映画」のど真ん中にいるわけではないお二人にトークを依頼したことに、ドキュメンタリーという概念・手法そのものを問うていこうという『neoneo』の編集方針と気概を感じる。大いに刺激的である。

それにしても、昨晩の『neoneo』の上映+トークがほぼ満席だったことは、とても頼もしく嬉しい現象であった。遅れて入ったので、暗闇のなか席を見つけるのに苦労したけどね笑。
(ツイートを再構成しました)

Wednesday, July 07, 2010

『新潮』に寄稿


7/7発売の『新潮』8月号に、「反イルカ猟『ザ・コーヴ』と 「正義」」と題する論考を寄稿しました。その一部を抜粋します。上映中止運動のために議論が「表現の自由」うんぬんにシフトし過ぎている嫌いがありますが、もっと本作の手法や姿勢について論じる必要があると思います。

http://bit.ly/c6lDmn

(抜粋)...ドキュメンタリーの作家が、なぜ現実にカメラを向けるのかといえば、目の前に展開する世界をよく観て、耳を澄まし、吟味・検討し、その作業から何かを学びたいからだ。ドキュメンタリーとは、自分自身の鎧を外して世界へ開いていくための手法であり、その逆、世界を自らが作った安全な庭に閉じ込めるためのものではないはずだ。だから、いくら「イルカ猟は残虐非道に違いない」と信じる作家でも、作品を撮るからにはいったんはその考えを捨て、“転向”の可能性にも身体を開いて無防備になりながら、カメラを回さなければならないのである。
 ところが、サホイヤス監督が『ザ・コーヴ』でやったように、先に結論ありきで、それに合う映像やインタビューだけを掻き集めてくるのでは、作り手の意識は閉じたままなので、現実世界から何も学ぶことはできない。また、撮影中にたとえ理解不能な、奇怪な現実に突き当たったとしても、それらが伝えたいメッセージに合わなければ削ぎ落とされ、作品からは排除されてしまう。だから、現実の予想もつかない展開に作り手が圧倒され、固定観念が打ち壊され、荒波に足をすくわれ溺れそうになるような、危険だけれども面白いこと限りない“ドキュメンタリー的驚天動地”は、絶対に起き得ない。要するに、サホイヤス監督は、最初から足の立つ浅瀬で、チャプチャプ水遊びをして泳いでいるつもりになっているようなものであり、そういう、自らの安全圏に閉じこもり、ドキュメンタリー的なリスクをとろうとしない作り手を、僕はドキュメンタリストとは呼びたくないのである。  
 しかも、攻撃の対象を限定したことで、制作者はますます安全な立ち位置にいる。一番のミソは、作り手が標的にしたのが、......(抜粋終わり)

Friday, May 07, 2010

映画『ザ・コーヴ』を巡る座談会

映画『ザ・コーヴ』を論じるため、『創』6月号(5/7発売)の座談会に出ました。僕はニューヨークからスカイプで。

この問題は、「反日」だとか「盗撮けしからん」だとか、どうも表層的な議論ばかりが先行してよくない。座談会では、捕鯨や食の問題から始まって、ドキュメンタリー論やプロパガンダ論にもなり、かなり突っ込んだ議論が出来たと思います。

ちなみに、森達也さんと綿井健陽さんは映画を高く評価していますが、僕は映画としては評価していません(イルカ猟自体には否定的です)。意見が違って面白かったです。是枝さんは座談会には参加せず、コメントを寄せられたようです。

ドキュメント映画「ザ・コーヴ」の制作手法と上映中止騒動を考える。
森達也×綿井健陽×想田和弘+是枝裕和 司会:篠田博之編集長
http://bit.ly/asQXP3

以下、僕の発言部分のほんの一部を抜粋します。
篠田 アメリカ人にとって、イルカを獲るなんてとんでもないという感覚は一般的なの?

想田 すごく平均的ですよ。だからこれは、アメリカでは非常に安全なトピックです。僕はそこが、あの監督の姑息なところだと思うんです。おそらく彼はベジタリアンで、本当に標的にしたいのは、動物全般を食べることなのだと思います。でもそれでは広範な支持を得られない。それこそ、今の日本人から上がっているのと同じような反発が、アメリカやヨーロッパから来るでしょう。けれどイルカなら、欧米では誰も食べません。だから観客はみんな簡単に正義の側に立てるんです。線を引いて、自分たちはみんなこちらの正義の側、イルカ漁をこらしめようという側に立てる。そしてみんなで「ひどいひどい」と言い立てる。
 テレビシリーズが決まったというところからピンときたのですが、エンタテインメントとしてバッシングする、つまり、やっつければやっつけるほど視聴率が上がるという構図を、そこに見てしまった気がします。オウム報道と同じですよ。もちろん、日本から反発があることもわかっているのですが、それは彼らにとって、非常に限定された、遠い国の話です。それこそ、イラクにミサイルを撃ち込むのと同じなんです。自分たちは安全なところにいて、遠くのよくわからない国にミサイルを撃つ。そういう発想を僕は感じました。
 僕もベジタリアンなので、監督が狙うことはよくわかります。でも、やるんだったらもっと本質的なところでやってほしい。一般社会で支配的な価値観に挑戦するなら、肉を食べるという問題に行くべきですが、この映画は、そういう試みをしようとしません。

森 ならばこの作品が、イルカではなく牛肉の屠殺やアメリカの食肉業界を告発するドキュメンタリーならば、想田さんの評価は変わるのでしょうか?

想田 うーん……、それほど変わらないと思います。というのも、この映画はドキュメンタリーというよりも、すごくよくできたプロパガンダだと思うんです。アカデミー賞に長編プロパガンダ賞という部門があるとすれば、これは一等賞だと思いますよ(笑)。

森 つまり監督の姑息さは作品の評価とは関係ない。要するにこの作品は、想田さんが規定するドキュメンタリーとは違うということですね。

想田 そうですね。それは、立ち位置が中立じゃないということではありません。偏っていてもいい。むしろ、ドキュメンタリーを撮る人は全員偏っているものですからそれはいいんですが、僕が一番問題にしているのは、「未知に対して開かれていない」ということなのです。先に結論ありきで、その結論に閉じ込めるためにいろんな要素を拾ってきて、結論を強化するためにしか素材を使っていない。作り手にためらいや疑問がない。とにかく、太地町の漁師をこらしめよう、糾弾しよう、そのための材料を集めよう、と。そこが僕には、ドキュメンタリーとして認めがたいんです。

Thursday, May 06, 2010

メディアの本音と建前

例えばこの記事、一体どうなんだろうと思う。

読売は社説で「最初から辺野古にすりゃよかった。沖縄は我慢しろ」って書いている。つまりそれが本音なのだ。
http://bit.ly/c0bnvv

なのに普段のストレートニュースでは、沖縄住民の味方のフリをして鳩山を攻撃。こういうのをまやかしっていうんじゃないか。もっと言えば、卑怯だろう。

もっとも、読売に限らずどの大新聞も似たり寄ったりだが。メディアのこういう狡猾なレトリックを絶えず解読しないとならない。

■「いったい何をしに来た」説明不足に沖縄怒り
(読売新聞 - 05月05日 21:21)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100505-OYT1T00564.htm

 「首相がお見えになって、いろんな『思い』を言って行かれた。(しかし)政府で一体これまで何をやってこられて、結局はどういう方向に進めようとしているのか、絵が見えない」
 仲井真知事は4日の首相との会談後、記者団に何度も「絵が見えない」と繰り返し、首相が政府案の具体的内容に言及しなかったことに怒りをあらわにした。
 首相が政府案の具体的内容を説明しなかったのは、米国との本格的な実務協議が遅れているためだ。
 政府は名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる現行計画の修正案と、鹿児島県・徳之島へのヘリコプター部隊の移転を組み合わせる政府案を固めている。首相が県庁にいる同じ時刻、防衛省では、日米の実務者協議が開かれ、この案の運用技術面での協議が行われていた。
 米側は徳之島へのヘリ部隊移転について「陸上部隊との距離が遠すぎる」などと反対している。米側との調整が進まなければ、沖縄には具体案を示せないわけだ。県側では「いったい何をしに来たのか」(幹部)との批判が一層強まった。
 また、首相は4日、「普天間の危険性の除去と沖縄の負担軽減をパッケージで考えていく時、どうしても一部の負担を(沖縄に)お願いせざるを得ない」と語るなど、「パッケージ」という初めての言葉を何回も強調した。
 徳之島へ普天間の機能の一部を移転し、全体として沖縄の負担軽減を図るためには、県内移設も容認してもらわないといけないという考え方だ。しかし、県側からは「もし徳之島がノーと言えば、すべてを沖縄にということになる」との反発が早くも出ている。

Wednesday, May 05, 2010

普天間問題についての社説読み比べ

まずは読売の社説。要約すると「最初から辺野古移設で行けばよかった」ということ。つまり「沖縄は我慢しろ」ということ。なのに沖縄の味方のフリをして首相を批判している。
http://bit.ly/c0bnvv

朝日の社説は、首相の対応の仕方を批判するだけで、何が普天間問題の解決になるのか立場を表明していない。つまり「沖縄じゃダメ」とは言っていない。言えない事情があるのだろうか。
http://bit.ly/S4hmI

毎日の社説も朝日と一緒。「沖縄じゃダメ」とは言っていない。要するに3大紙とも「沖縄の民意を尊重しろ」という方針ではない。首相を激しく批判する語法で、この点を誤摩化そうとしているようにみえる。
http://bit.ly/cQnfAi

赤旗の社説は見解が明白(笑)。いや、笑い事ではないな。「普天間基地の移設ではなく撤去を求めよ」という主張。
http://bit.ly/c6xqGd

産経の社説も見解が明白(笑)。「沖縄よりも日米同盟を優先しろ!」だって。
http://bit.ly/9H8LvV

おっと、日経も日米同盟優先主義だ。要するに「沖縄には負担を継続してもらいましょう」と。それを最初からはっきりと打ち出さずに右往左往するから、首相を批判するのだな。
http://bit.ly/cdQOdf

つまり、読売、産経、日経は「日米同盟を優先しろ、沖縄は我慢しろ」という主張。朝日と毎日は、ホントはそう言いたいけど言うと不味いから首相の対応を批判しよう、という感じ。明確に普天間基地撤去を求めているのは、赤旗だけという結果か!沖縄は孤立無援に近い。

僕はと言えば、軍事的なことはよく分からんけど、地元が嫌がってるんだから撤去すべきなんじゃないの?と思う。だいたい、自民党政権による長年の隷属外交のせいで、米軍は基地やその周辺で傍若無人のやりたい放題してるんだし。日米地位協定だってあまりに不平等で、基地周辺住民の権利が全然守られてない。それでも「絶対に日本のために米軍が必要だ」というのなら、そう言う人が自分の住む地域に海兵隊を誘致をしろって思うね。

Wednesday, March 10, 2010

『不惑のアダージョ』


井上都紀の初長編映画『不惑のアダージョ』を観た。09年のゆうばり映画祭以来、2度目。

神に身を捧げて来た修道女が、処女のまま更年期を迎え、自らの生き方に疑問を持つと同時に性に目覚めてしまうという、文章にすると下世話にも聞こえ兼ねない、そして実際にはもっともっと複雑な物語なのであるが、これが極めて上品かつ格調高く描かれている。

その最も大きな理由は、女性なら誰もが通り過ぎるであろう困難なライフ・ステージを、井上が正面から真摯に描こうとした、その姿勢にある。しかし、それを体現するための映画的技術ーーー例えば主人公を演じるミュージシャンの柴草玲の、抑制されているのに表情豊かな演技であるとか、彼女が奏でる迫力ある音楽であるとか、自然光をうまく使った大森洋介の美しいカメラワークであるとか、井上による人物配置の巧みさであるとか、そのようなものが合わさって初めて、可能になったといえる。欠点もあるにはあるけれども、初の長編映画とは思えない完成度なのである。 少なくとも、若さとか勢いだけでは決して到達できない地点にいる。

こういう優れた作品が未だに劇場公開されず、お蔵入りに近い状態であることが、惜しまれる。映画界は、せっかく出て来た才能を応援しない余裕などあるのだろうか。

Thursday, January 21, 2010

鼻血ものの2本

『演劇(仮題)』のロギング作業でカンヅメの日々だが、今日は久々に映画を2本ハシゴした。しかも歴史に残る傑作を2本!

1本目は黒澤明の『生きる』(1952年)である。Film Forumで組まれた黒澤特集の一環。久々に観たけれども、もし人類が200年後も存続していれば、必ずその中に古典として残っていることは間違いない。今観ても全く古くない。むしろ輝きを増している。胃がんを病む志村喬の視点から、残された者の視点に180度回転する構成は、天才的かつ奇跡的と呼ぶほかはない。
http://www.filmforum.org/films/kurosawa.html#121

2本目はMOMA(NY近代美術館)で、敬愛するフレデリック・ワイズマンの『基礎訓練(Basic Training)』(1970年)を観た。ベトナム戦争の最中の米国陸軍の新兵訓練の様子をドキュメントした傑作。キューブリックの『フルメタル・ジャケット』はこの作品を参考にして作られた(実際、ワイズマンから1年もプリントを借りていたそうだ)。本作も、制作から40年たった今でも、全く古くなっていないどころか、いよいよ重要性と批評性を増している。人類は悲しいほど進歩しないのだ。
http://www.moma.org/visit/calendar/films/1028

この度MOMAはワイズマンの映画36本をまとめて購入したそうで、今日から1年間にわたり(!)、月に3本ずつ上映していくそうだ。今夜はその大特集の記念すべきオープニングだった。それだけでも鼻血が出そうだが、今晩はワイズマン氏ご本人も開場を訪れ、トークをされた。凄くお元気そうで、その姿を拝見するだけで感無量だった。

しかしまあ、この間80歳になられたというのに、ワイズマン氏の制作意欲は全く衰えない。最新作は『ボクシング』だそうである。40歳も若いオイラが「疲れた〜」とか言ってちゃ恥ずかしい。

やはり、ワイズマンは「我が永遠のアイドル」なのであった。

Monday, June 29, 2009

『鳥の飛ぶ高さ』カンゲキ(観劇/感激)

昨日は青年団国際演劇交流プロジェクト『鳥の飛ぶ高さ』を観に行った。

ミシェル・ヴィナヴェール原作、平田オリザ翻案・演出協力、アルノー・ムニエ演出の演劇である。ホントはもっと前に行きたかったのだが、『精神』の公開で忙殺され、結局最終回になってしまった。しかも開始時間を勘違いしていて、モロに遅刻!最初の20分を見逃した。何たる大ボケ、めちゃくちゃ悔しい…。

しかし、これがまた快作だったのだ!日本の便器メーカー「猿渡」がフランスの便器メーカーに乗っ取られる話で、下ネタと現代資本主義批判が渾然一体となっている。オリザ作品には極めて珍しく、唄と踊りもある。しかも最高にイケている。作曲はオリザ氏の妻で女優・歌手のひらたよーこ、作詞はオリザさんである。

『便器のサルワタリ』
雲の白さに風薫る
ヤマトの誇り、ここにあり
流れ流れるその先に、希望の大河が光るのだ
便器、便器、便器のサルワタリ、
北から南へ、すべての人が、
白い便座に腰掛ける

『世界はあなたを求めてる』
便座の輪は世界の輪、宇宙を包む神秘の楕円
眠りから覚め、いま進む、改革の時、前進の時、
世界はあなたを求めてる。あなたは世界に走り出す
輝く伝統引き継いで、便器の未来、切り開く
進め進め、世界のために、アジアのおしりを洗うのだ
開け開け技術の扉、心で磨くこの曲線
便座の輪は世界の輪、宇宙を包む神秘の楕円
マーケティングのその先に、信念の夢、未来の希望
世界はあなたを求めてる。あなたは世界に走り出す
流れる水は流々と、便器の未来、切り開く
進め進め、世界のために、アジアのおしりを洗うのだ
歌え歌え歓喜の唄を、心で磨くこの曲線

「静かな演劇」というイメージしかない人にとっては、これが平田オリザか?と良い意味で裏切られるだろう。とにかく弾けている。演出がアルノー・ムニエであるだけに、俳優の演技は平田印とは全く異なるが、こういう非オリザ的演技もできるんだなあと、彼らの技量にも感心した。

これも次回作『演劇(仮題)』の一部として撮れてたらなあと、ちょっと悔しくなった。でも、今回はどう考えてもタイミング的に無理だった。

再演を待ち望む。

http://www.seinendan.org/jpn/info/index.html

余談だが、会場で高校の3年間の担任だった恩師に、20年ぶりにバッタリお会いした!と思ったら、実は先生の息子さんが青年団の俳優さんだったのだ!そういや、同じ名字だ〜。そんなことって、あるんだなあ。世界は恐ろしいくらいにつながっている…。