パソコンのファイルを整理していたら、映画「精神」をワールドプレミアした釜山映画祭での質疑応答の書き起こしが見つかった。拙著
「精神病とモザイク」(中央法規)に盛り込むつもりだったのが、紙幅の関係でほぼ割愛せざるを得なかったのを思い出した。そのまま眠らせておくのはもったいないので、ここに掲載しておきたい。長文ですが、何かのお役に立てれば幸いです。
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映画『精神』釜山国際映画祭 上映後 Q & A (ワールドプレミア)
10/3/2008
司会:ナム・イニョン 通訳:延智美
想田: まずは最後までご覧いただき有り難うございました。そう簡単に最後まで見れる映画ではなく、どっとお疲れになったのではないかと思い、感謝しています。それから、今日、今の映画に出て下さった方、それから協力して下さった方が来ておりますので、ちょっとご紹介したいと思います。ちょっと立って下さい。
(会場、拍手)
皆さんはこの診療所と作業所のスタッフの方です。まず、こういうドキュメンタリーを撮る時には、患者さんに安心してもらう事が大事なんですけれども、そのためにはスタッフの方が僕を受け入れて、100%応援してくれないと、患者さんは繊細なので、撮影をなかなかうまく進められないんですね。そういう意味では、この方々が100%僕を信頼してサポートしてくれたので、なんとか撮影ができたのいうのが実感です。だからすごく感謝してます。それでも、僕が「出てくれますか?」と訊いた10人の当事者のうち、8人から9人は「出たくない」とおっしゃったんですね。それは、それだけこの問題がタブーだということなんです。精神的な病を持っているという事は、今の日本ではなかなか言い出す事ができません。ですから、映画に出て下さった方はもの凄い勇気を持って出て下さったんです。彼らの協力無しには、この映画は出来なかったので、出て下さったみなさんに感謝を申し上げたいと思います。それから釜山映画祭からはお金をいただきまして、そのお金なしにはこの映画が完成できませんでした。本当にありがとうございました。
司会者: 皆さん色々と質問があるかと思いますが、もう遅い時間になっておりますので、すぐに質問を受けたいと思います。
質問者(男性): 一般的に精神の病を患っておられる方々というのは、カーテンの裏に隠れていて、一般の人々とは距離感がある。で、この映画を通じて、一般の人々も同じような面を持っているし、また彼らを通じて学べることがあるという印象を受けて、とても驚きました。で、もっともご質問したいのは、彼らの心をどうやってオープンにさせていったのか、あれだけの話を聞けるには、どうやって彼らを説得し、心を開いてもらうというアプローチがあったのか、どうやってあれだけ彼らと近い距離が持てたのか、ということです。
想田: 先ほど申し上げたように、僕だけの力ではそういう風にいかなくて、やはり周りに協力者がいたというのが大きいと思います。特に山本先生が、撮影に対して不安を抱いた患者さんたちに、安心を届けて下さったんじゃないかなという気がしています。あとは、僕がカメラを持ってずーっと居るもんですから、段々友達になるんですよね。なかには僕に人生の相談をしてくる人もいたりとか、次第に深い交流も出てくるんです。
司会者: 無料相談ですか?
想田: そうです、無料相談です。(場内、笑い)
で、そうしていくうちに撮影が進んでいって。あとは、本当は、皆さん自分の気持ちをおっしゃりたいんだと思うんですよね。普段はあまり言えないことっていうのを、世間に向かって、カメラに向かって、言うんだと。例えば、今までは誰にも自分が病気だってことを言わなかったんだけれども、この映画をきっかけに言うようにする、というような決断をした人もいます。
司会者: 具体的に撮影期間はどれ位かかったんでしょうか?また、登場される方々とはどれくらい緊密に会われていたんでしょうか?
想田: 撮影は2回に渡ってやりました。2005年と2007年の2回の撮影で、合計だいたい一ヶ月位です。僕は患者さんとカメラを持たずに会う事はほとんどないです。必ずカメラを持って、「自分は撮影する人間だ」ということを示しながら、それでも受け入れてくれる方とどんどん撮影が進んでいったと思います。というのは、カメラを回す前に仲良くなって、それからおもむろにカメラを取り出して回すという手法の人もよくいるんですけども、僕はカメラを回している時と回してない時では人間が変わるんですね。だからカメラを回している時の人間を知ってもらうために、最初からカメラを回すというのが僕のやり方です。
司会者: たくさんの方の手が上がっているので、多くの人に回るように簡略に質問をお願いします。
想田: 僕も簡略に答えます。(場内、笑い)
質問者(男性):日本では精神病だということを言うことすら難しい、タブーだ、というお話がありましたが、そういったことを映画で撮ろうとしたきっかけを教えて下さい。
想田: 僕自身、色んなプレッシャーに負けそうになって、一度精神科に駆け込んだ事があります。その時、僕はすぐに回復したんですけれども、「ああ自分も病気になり得るんだな」と実感しました。でも、普段は全然関係ないものとして僕らは生活していて、まるで異星人を見るかのように、精神病患者は自分たちと違うっていう風に分けているような気がします。その状況はなにかおかしいと思ったので、ここは一つドキュメンタリーを撮りたいと。あとは、私の義理の母がこの診療所と一緒に仕事をしていて、たまたまこの診療所を知る事ができた。だからこれはいい機会なので、撮影を開始したということになります。
質問者(女性):この映画を撮られる前と撮られた後では、見方・考え方の変化はあったんでしょうか?映画の中で「カーテンで隔てられている」というような台詞が出てきますけれども、こういった精神疾患のある方々は、個人的に精神的な問題があるんだと思っていたのが、実はもっと社会的な問題もやはりあるんじゃないか、という風に考えが変わっていった点はあるんでしょうか?あと、スタッフの方々におうかがいいしたいんですけど、最初からずっと映画を観ながら、日本では以前秋葉原で無差別殺人などが起きましたけれども、現代社会では結婚しない人も増え、独り暮らしの人も増えている中で、社会的に孤立を感じて鬱病を抱えている人が増えているんではないかと思いますが、そういった方々とたくさん触れていく中で、私は映画を観て、逆に健常者よりもとても思慮深いという印象を患者さん方から受けました。スタッフの方々は、こういった患者さん方と色々接しながら、何が一番彼らを傷つけているのか、また最も彼らを見ていてもどかしい、または残念に思われるような点というのはどういったものなのでしょうか?
想田: この映画を撮る直前まで、僕は自民党という政党の選挙運動を撮っていました。その直後に精神科の人達に会って色々撮っていて、「ああ、こっちの人達の方が自分にずっと近い」と、思いました。自民党の人達は、色々ルールがあるんですが、そのルールに従って選挙運動をしていき、そのルールがどうしてそういう風に存在するのかってことをあんまり考えないんです。でも、患者さん達と話していると、その部分「どうしてなんだ?」というところにすごく引っかかっていて、その疑問をすごく突き詰めているような気がしました。また、撮る前の僕は、患者さんは弱い人たちなんだろうと、何となく思ってました。でも、撮ってみて必ずしも弱いという風には言えないなと、実感しました。もちろん病気で押し潰されそうになって、中には命を絶ってしまう方も居るんですけど、一方、その病気を肥やしにして、より人生を輝かせる要素にしている人もいるなあ、という風に感じました。そういう点は、撮る前、僕は全く予想もしていなかったので、自分で考え方、見方が非常に変わった点です。あとは、病気だからといって、ずうーっと暗く沈んでる訳じゃなくて、楽しいこともあれば冗談も飛ばすし、すごく明るい面もある訳ですね。だから、「病気の患者さん」と言う風に、一色に塗りつぶすのは、映画として非常によくないなあと思いました。実際、映画に登場する人が患者さんなのか患者さんでないのか、かなり曖昧に見える場面も多いんじゃないかと思います。大事なのは、病気かどうかということではなくて、人間として描かしてもらうということだと思います。大体僕はそんなところです。あの、さっきの質問にどなたが答えてくれるのか…?
山本真也: このような重く暗いテーマの映画を、一体どんな人が観にくるのかと思って今日は来ました。見ていると、すごく若い人達が多いことに非常に驚いています。で、今の方の質問に一つ答えるとすると、僕が毎日生活している場所には圧倒的に精神障害者という人の方が多く、健常者の方が少ない世界で、そういう世界にずっと長く居ると、僕自身も、誰もが精神障害者と言われる人達の価値観にどんどん引っぱられる。そりゃあもう誰でもそうだと思うんですよ。だから、彼女が言われたように、彼らの何が残念だと思うかと言われても、僕にはもう分からなくなってる、ということですね。残念と思わなくなっている。彼らは障害を負ってるんだけど、その彼らの日常を残念とはもう見れなくなっている、ということです。だから逆にこういった映画を観る、とりわけ若い人達、こういった世界と縁遠かった若い人達が答えを教えて欲しいっていうくらいの気持ちがします。
質問者(女性):映画をとても印象的に観させていただきました。普段、やはり劇映画に慣れてしまっているせいか、このドキュメンタリーを観ていて所々登場する、ぶら下がっているような落ち葉が気になったんですけども、あれは何か意図して写されたものなのでしょうか?また二つ目の質問は、お名前が分からないんですが、虫歯で困ってらっしゃる患者さんが出てらっしゃいますが、彼の台詞の中に「包帯を巻いてあげることだ」という言葉が出てきますが、この映画を通じて監督は彼らに包帯を巻いてあげたと思いますか、または彼らに包帯を巻いてもらったと思いますか?
想田: あの葉っぱですね。葉っぱは、撮っている時にはさほどなんてことなく、あまり意味なく撮ったんですけれど、編集の時に「ああ、この葉っぱはいいな」と思ったんですね。
(会場笑い)
で、何かのメタファーにもなり得るなと思いました。僕の解釈はあるんですが、それを言うと面白くないので言いませんが、自分の中では意味はあります。映画自体も、僕はメッセージを伝えることではなくて、現実を描く事に徹しようと思っているので、多分観て色んな感想が起きるんじゃないかと思うんです。だから多分人によって違うところに反応する、というか、違うところに違う印象を持つんじゃないかと思うんです。そして、それでいいと思っています。僕としては、ある意味ボールを投げて、それを受け取ってもらうんじゃなくて、打ち返して欲しいと思っています。で、その打ち返した玉が、「あっ、あっちに行った、こっちに行った」っていう風に観てるのが楽しい。それが僕の映画を作る喜びです。あと、包帯のことですが、僕が皆さんに包帯を巻けたかどうかは訊いてみないと分からないんですが、僕の方には巻いてくれたと思います。
質問者(女性):私は釜山の精神障害者達のリハビリを助ける病院に勤務しているスタッフです。そういった意味で、この映画にとても関心を持っていました。この映画に登場されるスタッフの働いている姿とか、また精神障害者の方々の話している様子を見て、非常に多くの部分は共感を持って映画を観終えたんですけれども、こういった映画がもっと世の中に出て行って、精神障害に対する理解が深まって欲しいと言うことを感じました。日本もタブーだという話をされましたけれども、韓国もやはり同じような環境に置かれていて、非常に多くの偏見がまだ残っています。ですから、こういった映画がもっともっと出てきて、そういった方々の力になって欲しいなと思いました。で、質問は、映画の中で診療所は、患者さんたちを診療するだけではなく、職業リハビリにも繋がって行われているような場所でした。それはこの病院ならではの特色なのか、それとも日本ではああいったシステムを持つ病院が普遍化しているのでしょうか?監督は、敢えて映画の撮影にふさわしい特殊な診療所を選んだのでしょうか。
想田: この診療所はあまり一般的ではないと思います。この病院を建てられた山本先生は、それまで県の精神福祉保健センターにずっと勤務されてたんですけれども、希望退職した後、この診療所を自分で立ち上げられました。山本先生は、精神科病院に勤務されていた時にも病棟から鍵をはずす運動の草分け的な存在、パイオニアで、医療スタッフではなく患者さんの側に立っての医療ってものをずっと目指してこられた方です。ですから、この診療所にも普通だと入院させられてしまうような患者さんもいらっしゃるんですけれども、その人達も皆家から通うことを奨励されて家から通っていらっしゃいます。なるべく病院に隔離されるんではなくて、地域で生活できるようにということでああいう仕事場、「作業所」を作っている。一つの理念に基づいてああいう形になっていると。で、それは日本ではそれほど一般的ではなく、かなり珍しいと思います。でも、僕は色んなものをリサーチした上で、その中から選んだという訳ではなく、たまたま僕の義理の母がそこと仕事をしているということで関係があった。そして色々見聞きしているうちに、「ああ、ここは凄く面白いなあ」ということになり撮影を始めたので、それが典型的かどうかということはあまり考えずに撮影を始めました。
質問者(男性):映画の全体を通して観ると、患者の方々も一般の人々と変わらなかったり、また、その患者の方々の為に一生懸命働いているスタッフの方々を見て、とても心があたたまる感じがしました。しかし、私がちょっと理解不足かも知れないのですが、最後の方の場面で、患者さんが電話をしている時ずっと不平不満を言ってますよね。で、カメラは彼のせいで家に帰れないスタッフを追いかけています。そしてその様子で映画が終わっているので、少し当惑したんですけれど、こういった終わり方をしたのは監督の意図があるのでしょうか?
想田: 僕の中であのラストは、「このエンディングしかない」というくらい、強く信じている終わり方です。あの場面で何が起こっているのかは、僕もよく分かっていません。僕の理解をすり抜けることが何か行われている。で、色々想像はするんですけれど、そのどれが当たってるのかもよく分かりません。でも、それこそが、僕がこの題材を扱った時に感じていた印象で、「何か分かったかな」と思うとそれを裏切るようなことを見聞きするんですね。「分かったかなあ」と思った瞬間に、「ああ、やっぱり違った」っていうことの繰り返しだったんです。皆で楽しく詩を読んだシーンで終われば、Feel Good Movieというか、ホッとする映画になるかもしれないんですけれども、それだけではない気がしたんですね。だから最後にもう一回、分からないというか、そういうシーンを入れたいと思いました。そういう意味で、あのシーンを入れることによって、やっと自分の見た印象と映画が合わさったという感じがしています。
質問者(男性):質問は三つあります。精神の病を患っているということで、映像を撮っている時に見辛いという映像もやはりあったと思うんですね。でも、敢えてそういう映像を省略されているというのに何か意図はあるんでしょうか?二つ目に、映画の中で野党の日本共産党のポスターが映し出されているですけれども、何か社会の必要悪のような、この社会に必要な存在だということで患者を提起しているんではないか、というような印象も受けました。その辺の意図もお聞かせ下さい。また三つ目に、山本先生は本当に見ているだけで尊敬の念が湧いてきますが、日本ですごく有名な方なんでしょうか?
想田: 最初の質問の意味がよく分からなかったんですけど。見辛い映像というのはどういうのですか?
同じ質問者:例えば、自殺を試みているとか。
想田: まあ、そういう時にカメラが回ってなかったということだと思います。そういうことはそうないんだと思います。もちろんあるんですけれども。実際、僕が撮り始めてから5人も亡くなっているんですね。そのぐらいやっぱり病気と闘って、その闘いというのは本当に大変だということを実感するんですけれども、その場面に僕が居合わせるってことはなかなか無いと思います。だから、これはまずいとか、これは出さないという形で、僕が自主規制したものは基本的にはないです。あと日本共産党のポスターですけれども、もちろんあそこに入れた僕なりの意図はあります。ただその意図をここで説明すると野暮なんで、皆さん考えて下さい。
(会場、笑い)
あと山本先生ですが、知る人ぞ知る名医ということで、患者さん達の間ではかなり有名だと思います。でも、テレビに出てきて何かをコメントするとか、そういうことはあまりないと思います。
質問者(女性):映画とても楽しく観させていただきました。監督のお話では、日本ではまだ精神病というのがタブーだというお話でしたけれども、実はそういうことで言えば、タブーでもっと厳格な目で見られているのは韓国の方で、はるかにすごい状況に置かれています。で、なぜそんなことを申し上げるかというと、私は現在鬱病を患っています。そのせいで家に5ヶ月間閉じこもって出れない生活が続いていて、ようやく最近リハビリを始めたんですけれど、先生と話し合った結果、今回初めて釜山映画祭に一週間一人で行ってみるということを先生と相談して決めました。そして、その釜山映画祭に参加する中で、私が最も先に前売りを予約した作品が正にこの作品で、それだけ楽しみにしていて、何か私の力になってくれるんではないかと思って来ました。そして、実際に映画を観て、とても励まされました。日本ではタブーだというお話でしたが、韓国ではそれ以上にタブーだということはご存じでいらっしゃったんでしょうか?また二つ目に、韓国が初めての映画公開ということですが、果たして海外の観客にどのように受けとめられるのか、また、韓国の観客にどのように受けとめられるのか、映画を上映するにあたって緊張されませんでしたか?
想田: まず、この映画がお力になれたということだったら、それは本当に嬉しいです。中には、こういう映画を撮ること自体が寧ろ不道徳というか、「病気の人を撮ってそれを世間にさらす」というような批判的な発想もあると思うんですね。ですから、そこは自分としてもすごく迷う部分があるんです。見せていいものなのかどうかとか。でも、僕は患者さんが「出していい」と言ったことを信頼していて、それなのに僕が「出さない」というのはすごく失礼な話だと思うんです。だから、作ったからにはたくさんの人に見てもらいたいと、そういう気持ちでやっています。だから、実際に病気を患っている方がそういう風に感じて下さったことは、自分にとって本当に嬉しいです。あと、韓国の状況については、僕は全く知りません。ですから、どんな反応がくるのか全く予想できませんでした。実は、日本でもまだ、と言うか、今回世界で初めての上映だったので、もちろん僕はすごくドキドキしました。まだ日本でもやっていないんです。だから、日本のお客さんがどういう反応をするのかというのもすごく楽しみだし、ドキドキすることろです。多分、来年映画館で公開することになると思います。
司会者: この映画が多くの人に観ていただけるといいですよね。皆さん拍手で声援をあげて下さい。
(満場の拍手)
質問者(男性):さっきご返答をいただいた部分と重なることかも知れませんが、映画の中で「カーテンを取り払う」という話が出てきますけれども、映画を観るという行為により、その過程でその考えをより逆に深めさせる、または固まらせてしまう側面があるような気がしました。先ほどそういった批判について意識したと話されていましたけれども、人々の考え方や枠とか偏見というものはそう簡単に変わるものではないので、隠されていたものをさらすことによって、逆にそのカーテンを二重三重に強固なものに、または違う色のカーテンに変えてしまう懸念をお持ちでなかったのかということと、もしその懸念があったとしたら、そのためにどんなことを考えられたのでしょうか。
想田: そうですね、僕の意図は「カーテンを取り払う」ということですけども、それが僕の意図と反して、カーテンをより強固にしてしまう可能性は否定できないとは思います。でも、僕は何かを作る時には、恐らく良いことも悪いことも両方起こると思うんですね。で、なるべく良いことの方が起こればいいなと期待しつつ、善意で何かをやることしかできないと思うんです。それは薬に副作用があるみたいなものだと思うんですね。だから、なるべく副作用が無いようにという風に思いつつ作ったわけです。そういう風に念じるしかないと思って作りました。で、気を付けたのは、単純化することを避けるために、なるべく複雑な現実を複雑なまま提示するという方針を貫こうと努力しました。そのために、ショットはなるべく長く使う。短くカットするとどうしても意味が限定されてしまって、見る人に一つのメッセージ性みたいなものを投げかけてしまうので、なるべく長いショットで、お客さんが自分の目で観察できる時間を作るように努力しました。だからワンシーンが普通の映画よりもちょっと長いと思うんです。情報を伝えるだけだったらもっと短く切れると思うんですけども、それはしたくなかったんです。
司会者:今後はどんな作品を作っていかれるお考えですか?
想田: 今、観察映画の第三弾を撮っています。これは平田オリザという劇作家と彼の劇団を観察する映画です。でも、それがどんな映画になるのかは、僕も今はまだ全然分かりません。僕は、テーマを決めずに、自分が分からないから撮るという、そういう姿勢で撮っているので今分かったら変なんです。
司会者:終電の時間が近づいてきて、皆さんハラハラされているようです。ということで、夜通しお話をした
いところなんですけれども、お別れの時間になってしまったようです。昨日の開幕式に参加されたのであれば話を聞かれたと思いますが、昨日韓国を代表する大女優が自殺をしました。韓国では40代の死亡理由の4位が自殺で、20代の1位が自殺だそうです。韓国でも、ようやくそういう話を公にする時期がきているんではないかということを感じます。そういった残念なことがこれ以上起きてほしくないという気持ちで映画を観られた方も多いとかと思うんですけれども、最後に監督の方から何か一言お願い致します。
想田: そうですね、僕が凄くお世話になっていた映画監督の人が去年自殺されたりとか、友達が自殺したりとか、僕の周りでもすごく身近な問題だと思います。この映画が、こういう問題について皆さんが考える材料に少しでもなってくれたらいいなあと思ってます。最後に、さっき紹介し忘れたんですけれど、僕の妻もこの映画の撮影時には大体立ち会って、僕の代わりに患者さんの話を聞いたりということもやってくれました。僕は一人でカメラを回しながら撮るので、本来なら患者さんはカメラの方を向いている筈なんですね。でも、たまに斜めの方を向いている人がいると思うんですけど、それは僕の妻に話しかけているんです。
(場内笑い)
で、妻は今そこでカメラを回してます。さっき紹介するのを忘れてごめん。
(場内笑い)
皆さん、どうも有り難うございました。
(場内、拍手)