NEWS

Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Monday, June 01, 2009

「ドキュメンタリー映画の最前線」メルマガに掲載

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 125号(2009.6.1)に、拙文「自作を語る 観察映画『精神』について」が掲載されました。ご一読ください。

ちなみに、ドキュメンタリー好きのみなさん、このメルマガは必読です!

http://www.melma.com/backnumber_98339_4497665/

以下、全文掲載。

┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃02┃□自作を語る
┃ ┃■観察映画『精神』について
┃ ┃■想田 和弘
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

岡山市にある精神科診療所「こらーる岡山」で繰り広げられる複雑な世界を描いた拙作『精神』(観察映画第2弾)が、6月13日(土)から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか、全国で順次劇場公開される。

前作『選挙』(観察映画第1段)に続き、なぜ僕は自分のドキュメンタリー映画を「観察映画」と呼ぶのか。それには、二重の意味を込めている。一つは、作り手(=僕)による観察。できるだけ先入観を排し、目の前の世界を虚心坦懐に観察して、その結果を映画にする。もう一つは、観客による観察。観客それぞれが映画の中で起きることを主体的に観察し、感じ、解釈できるよう、作品に多義性を残す。そのために、僕は次のような方法論を実践している。

第一に、事前のリサーチや打ち合わせをしない。例えば、『精神』を撮るに当たって、精神疾患について予め勉強しなかった。事前に病気の知識を仕入れてしまうと、その特徴に合うことばかりにカメラを向け、それ以外の側面を見落としかねないからである。対象に関する知識は、往々にして先入観や固定概念となって、現実を「す」の状態で観察することを妨げる。

第二に、構成表やシノプシス等を書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。

第三に、少人数で撮る。基本的には、僕がカメラマンと録音を兼ねる。

第四に、ナレーション、説明テロップ、音楽を放棄する。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう。

第五に、編集作業に時間をかける。予め設定したテーマに合わせて画を切っていくのではなく、撮れた映像素材が語りかけるものに耳を傾け、観察し、その過程で発見した視点を作品として結実させていく。

第六に、観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。

最後に、制作費は自分で出す。もしくは、作品の独立性が保たれ得るような資金を利用する。

これらの方法論から、観察映画がプロパガンダ的な政治主義やテーマ主義を否定するものであることは、明らかであろう。もっと言えば、作品にメッセージは込めない。『精神』でいえば、「精神障害者の地域での生活を支援しよう」とか、逆に「病院に隔離すべき」とか、一切主張することはない。観察映画は、世界を作者の視点で描写することに徹するのであり、映像や音声を「言いたいこと=メッセージ」に従属させないのである。

また、観察映画は客観主義にも組しない。それは、観察の主体=制作者がカメラを通して観たり体験したことを綴る主観的な表現方法である。例えば、客観主義の作品が「東京の人口はX万人」と三人称的に記述するところを、観察映画は「東京に行ったら大勢の人がいた」という具合に一人称で描く。そもそも、僕は客観的なドキュメンタリーなど、原理的に存在し得ないと考えている。

以上のような方針と方法論に加え、『精神』では、人の顔にモザイクをかけないというポリシーを貫いた。そのため、撮影許可を得る作業は難航し、声をかけた10人のうち8、9人には撮影を断られた。

しかし、モザイクをかけると、精神病患者への偏見や固定概念を助長しかねず、先入観を取り外して「よく観る」ことを本義とする観察映画の精神に反する。また、モザイクは「被写体のプライバシーを守る」という大義名分のもとに使われるが、実は作り手や興行側を訴訟やクレームから守るために使われている。結局それは、被写体や観客に対する責任放棄であり、表現を堕落させる。加えて、モザイクで顔を覆うと、被写体の表情を観察することが不可能になり、観察映画になり得ない。だからこの点には最後までこだわった。

総じて、『精神』では、世間と精神科の世界の境界にかけられた見えざるカーテンを、カメラの力で取り払い、じっくりと観察する映画になったと思う。その開け放たれた世界をどう観るのか。それは、観客ひとりひとりにゆだねようと思う。

☆『精神』(2008年、135分、米国/日本)
監督・撮影・録音・編集・製作:想田和弘 製作補佐:柏木規与子 出演:こらーる岡山の皆さん、ほか。配給・宣伝:アステア。6月13日からシアター・イメージフォーラム等全国順次公開。受賞歴:釜山国際映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞/ドバイ国際映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞/マイアミ国際映画祭・審査員特別賞/香港国際映画祭・優秀ドキュメンタリー賞/ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭・宗教を超えた審査員賞
公式サイト: http://www.laboratoryx.us/mentaljp/

☆6月13日よりシアター・イメージフォーラム(東京)での上映を
皮切りに、各地で順次公開します。詳細は上記のサイトをご覧ください。

■想田 和弘(そうだ・かずひろ):映画作家。1970年栃木県足利市生まれ。ニューヨーク在住。『選挙』(07年)は7月4日から復活ロードショー。『精神』(08年)は釜山国際映画祭等で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。09年、初の著書『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』(中央法規出版)を刊行。

No comments:

Post a Comment

Note: Only a member of this blog may post a comment.