「愛は4年で冷める」説、徹底検証
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かねてから「恋」と「愛」は分けて考えた方が良いと思ってきた。というのも、それらを混同することで、妙な出来事もよく起きるからだ。
例えば、子供もいて仲の良さそうな夫婦が突然別れるケース。聞いてみると、お互いこれといった不満はないんだけど、異性として何も感じなくなった、だから友達に戻ろうと思う、などと言う。まあ、それはそれでひとつの選択として尊重はするけれども、ドキドキ感が薄らぐのはどのカップルにも(たぶん)例外なく起きることだから、他のパートナーを見つけてもきっと同じことが起きるだろうなあと思うのだ。要するに際限がない。
そういうケースは周りのアメリカ人に比較的多いんだけれども、と書きながら、ああ、そういえば英語には「恋」と「愛」を分ける言い方がなくて、全部「love」なんだな、と気がついた。「恋に落ちる」のも「Fall in love」だし、「愛してる」も「I love you」だ。だから、時間が経ったら恋が冷めるという、いわば自然現象を、愛が欠乏することだと勘違いし易いのではないか。
そういう意味では、「恋」と「愛」という二つのコンセプトを発明したのは、いかにも万物の移ろい易さに敏感な日本人(もしくは中国人?)らしいといえようか。しかし、二つをくっつけて「恋愛」とひとつの単語として使う場合も多いところを観ると、それらをどこかで混同したがる気持ちも働いているのだろうと思う。
というのも、二つをはっきりと分けると、確かに身も蓋もない感じがする場合があるからだ。
僕などは両者をはっきりと分け、「恋」を「発情」と読み替えて人間社会を眺めはじめてから、いわゆる「恋愛もの」といわれる芸術ジャンルに酔えなくなってしまった。例えば、「ロミオとジュリエット」は「発情したティーネージャーが勘違いで死んじゃう話」にしか思えないし、こないだユーチューブで観てしまった「101回目のプロポーズ」は、「冴えない中年男が美人のチェリストに発情して押しまくる話」にしか見えないからだ。「恋の予感」は「発情の予感」だし、「恋の悩み」は「発情の悩み」、「一目惚れ」は「一目で発情」というわけで、ひたすら動物的なのだ。
いすれにせよ、フェニルエチルアミンに頼りすぎるのは危ない賭けだなあと、つくづく思うのである。


















