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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Wednesday, February 24, 2010

「精神」自主上映会

この週末、いくつか『精神』の自主上映会があるようですので、お知らせ致します。

日時:2010年2月27日(土)午後12:30(受付は11:30) 
開場:横浜都筑公会堂
入場料:一般1000円(施設利用者・学生500円)  
講演:中川正俊氏(田園調布学園大学教授・精神科医)
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000151002240002

日時:2010年2月27日(土) 14:00
会場:伊達市・伊達信用金庫コスモスホール
  (梅本町39-1 TEL 0142-25-2129)
入場料:一般 前売1200円(当日1500円)、シニア 前売1000円(同1200円)学生・障害者800円(当日のみ)
お問合せ:TEL 090-9750-0620(堀岡)
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/eventdata/84573.php

日時:2010年2月28日(日)
午前の部10:00〜12:30/午後の部4:00〜16:25
会場:那須塩原市黒磯文化会館
参加費:無料(事前申し込みの整理券が必要です)
お申し込み:NPO法人那須フロンティア
0287-63-7777(火〜土曜10:00〜19:00)
http://www.nasu-f.com/jyoueikai2009/index.html

Tuesday, February 23, 2010

『精神』の自主上映について

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『精神』の自主上映について
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『精神』は、自主上映会への貸し出しも行っております。
地域や学校のイベントで『精神』の上映会を開催しませんか?
実施をご希望される方はお気軽に下記、アステアまで、お問合せ下さい。
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〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町42-3 T&Kビル4F
TEL. 03-5459-1173
FAX. 03-5459-1174
E-mail. info@astaire.co.jp
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自主上映の流れや時期について、作品についてなどなど、
ぜひお気軽にお電話・メールにてご相談ください。

ツイッター Twitter

I'm now on Twitter to follow Dalai Lama. I'm a bit afraid that I might sink deeper and deeper into the world of internet.
ダライ・ラマをフォローしたくてツイッターに入ってしまいました。またネットの深みに入ってしまいそうで怖い。

http://twitter.com/KazuhiroSoda

Wednesday, February 10, 2010

Special Lecture at UC Berkley UCバークレー校で特別講義

Tomorrow (Feb 11), I'll be at UC Berkley to discuss CAMPAIGN and Japanese politics. I'll also join a class of film studies to discuss MENTAL at 2:00 PM.

明日(2月11日)、カリフォルニア大学・バークレー校にお邪魔します。『選挙』の上映と日本の政治についてのディスカッションがメインですが、映画の授業にもお邪魔して、『精神』についてお話します。

DATE: Thursday, February 11, 2010
TIME: 7:00 PM to 9:00 PM
PLACE: Nesdrick Room, 142 Dwinelle Hall
FORMAT: Film screening
SPONSORS: Center for Japanese Studies, Department of Film Studies

http://ieas.berkeley.edu/events/2010.02.11b.html

Wednesday, February 03, 2010

『母の友』連載最終回


『母の友』の巻頭エッセイ、今月号(3月号)が連載の最終回です。タイトルは「苦と楽の比率」。よかったらお読み下さいませ。

http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=20942

Saturday, January 30, 2010

『Atプラス』に寄稿


『Atプラス』(第3号)という硬派で面白い雑誌に文章を寄せました。今号のテーマは「アートと活動」だそうです。そこで僕は「ドキュメンタリーにメッセージは必要か?」と題して、ドキュメンタリーとプロパガンダについて書きました。よかったらお読み下さいませ。

http://www.ohtabooks.com/publish/2010/02/06112237.html

以下は、本稿の出だしを抜粋したものです。

ドキュメンタリーにメッセージは必要か?
想田和弘

 「この映画に込めたメッセージは何ですか?」
自民党候補者による選挙運動の内幕を追った『選挙』や、岡山市にある精神科診療所の世界を描いた『精神』を公開する過程で、このような質問をジャーナリストや観客から何度も受けてきた。
 彼らの質問からは、『選挙』や『精神』のごとき“社会派”のドキュメンタリーには、当然、作者の高邁なる主義主張や啓蒙的なメッセージが込められているハズだろうという、暗黙の前提のようなものが透けてみえる。
 いや、もしかしたら、彼らはそれが社会派の映画だからメッセージを期待したわけではないのかもしれない。それが恋愛映画であろうが、小説だろうが、演劇だろうが、舞踊だろうが、およそ表現と名のつくものには作者の「メッセージ=言いたいこと、伝えたいこと」があるはずだと、信じ込んでいるだけなのかもしれない。
 いずれにせよ、彼らは目をキラキラさせて、唾をごくりと飲み込んで、あたかも問題の核心に触れるがごとく、作者からの決定的な答えを期待する。「さあ、要するに言いたいことは何ですか?正解は何ですか?」と。
 けれども、僕は彼らの期待に応えることができないし、応えたくない。いや、実を言えば、作品がメッセージを発することを注意深く回避しながら映画を作っている。作品にメッセージを込めるのは、危険だとさえ思っている。だから僕の返答は決まっている。
 「僕の映画にメッセージはないですよ。言いたいことも、結論もありません」

 ドキュメンタリー作家=活動家説

 すると質問者は、かすかな狼狽を顔に表す。それまで一歩一歩登ってきた梯子をいきなり外され、身体が宙にふわっと浮いてしまったときのような、頼りない、裏切られたような表情である。
 確かにドキュメンタリー映画には、歴史的にも、今日的にも、メッセージ性の強いものが多い。
 実際、僕が住むアメリカなどでは特に、ドキュメンタリーの作り手は、作品によって世の中の矛盾や不正、不公平を告発し、“社会的正義”を希求して闘わなければならないと、多くの作り手が考えているようにみえる。ドキュメンタリー作家=活動家説である。
 この説を採用する作り手たちは、自らの作品を社会運動の手段として考える。革命家が銃を手に取るように、カメラを武器として使う。したがって、作品の完成度や芸術性などよりも、それがどのようなメッセージを持ち、いかに観客を啓蒙し、目覚めさせ、政治的・社会的目標に近づけるかということが、重要視されるのである。
 そのような作品の最大の特徴は、作品に使われるあらゆる映像や音声が、単純で明快なメッセージの正しさを立証し、観客に印象づけるために使われていることである。だから、映画を観終わった観客は、作品の趣旨を一言か二言で総括できてしまうし、作品が訴えかけるものが何であるかは明白すぎて、作者に改めて尋ねる必要もない。
 例えば、マイケル・ムーアの『華氏九一一』(〇四年、アメリカ)を観て、「ジョージ・W・ブッシュはやっぱり凄い人だなあ」と思う人は、たぶんほとんどいないだろうし、そういう人が大勢いたとしたら、ムーアは作品の目的を達成できなかったことになる。同作は、ブッシュを徹底的にこき下ろして、大統領選での再選を阻むためにこそ作られた作品だからである。
 同様に、アル・ゴアの『不都合な真実』(〇六年、アメリカ)を観て、「地球温暖化とか言ってるけど、この映画を見る限り大丈夫そうじゃん」と思う人は少ないだろうし、モーガン・スパーロックの『スーパーサイズ・ミー』(〇四年、アメリカ)を観て、ビッグ・マックを食べたくなる人は稀だろう。また、ルイ・サホイヤスの『ザ・コーヴ』(〇九年、アメリカ)を観て、和歌山県で行われているイルカ漁を「素晴らしい日本の伝統文化だ」と思う人も、たぶんいない。いや、いたら作者としては困るのである。
 これらの作品の最上位には、作り手が考えるところの「メッセージ」や「正しさ」が鎮座している。そして、映像はそれを観客の頭に叩き込み、注入するための道具として、利用されるのである。

…以下は『At プラス』誌でお読み下さい

Thursday, January 21, 2010

『精神』@尾道シネマ

1/23(土)から広島の尾道シネマで『精神』の上映が始まります。
24日(日)の午前10時の回には、山本先生もトークに駆けつけてくださる予定です!(山本先生は以前、尾道の精神科病院に勤務されていました)
http://www.cinema-onomichi.com/lineup.html

鼻血ものの2本

『演劇(仮題)』のロギング作業でカンヅメの日々だが、今日は久々に映画を2本ハシゴした。しかも歴史に残る傑作を2本!

1本目は黒澤明の『生きる』(1952年)である。Film Forumで組まれた黒澤特集の一環。久々に観たけれども、もし人類が200年後も存続していれば、必ずその中に古典として残っていることは間違いない。今観ても全く古くない。むしろ輝きを増している。胃がんを病む志村喬の視点から、残された者の視点に180度回転する構成は、天才的かつ奇跡的と呼ぶほかはない。
http://www.filmforum.org/films/kurosawa.html#121

2本目はMOMA(NY近代美術館)で、敬愛するフレデリック・ワイズマンの『基礎訓練(Basic Training)』(1970年)を観た。ベトナム戦争の最中の米国陸軍の新兵訓練の様子をドキュメントした傑作。キューブリックの『フルメタル・ジャケット』はこの作品を参考にして作られた(実際、ワイズマンから1年もプリントを借りていたそうだ)。本作も、制作から40年たった今でも、全く古くなっていないどころか、いよいよ重要性と批評性を増している。人類は悲しいほど進歩しないのだ。
http://www.moma.org/visit/calendar/films/1028

この度MOMAはワイズマンの映画36本をまとめて購入したそうで、今日から1年間にわたり(!)、月に3本ずつ上映していくそうだ。今夜はその大特集の記念すべきオープニングだった。それだけでも鼻血が出そうだが、今晩はワイズマン氏ご本人も開場を訪れ、トークをされた。凄くお元気そうで、その姿を拝見するだけで感無量だった。

しかしまあ、この間80歳になられたというのに、ワイズマン氏の制作意欲は全く衰えない。最新作は『ボクシング』だそうである。40歳も若いオイラが「疲れた〜」とか言ってちゃ恥ずかしい。

やはり、ワイズマンは「我が永遠のアイドル」なのであった。

Tuesday, January 12, 2010

「グラフィカ」第3号にインタビュー


「グラフィカ」第3号に僕のインタビューが掲載されています。超硬派で面白い本です〜。

http://www.graficamag.com/grafica.html

以下、インタビューのほんの一部の抜粋です。

ー作為を排するということですか?

 いや、作品ですから作為はあります。「この映画を撮ろう」と思うこと自体が作為ですから。作品のために行うあらゆる行動に作為があるわけです。
 編集のときもそうです。例えば『精神』でいうと、70時間の映像素材を2時間15分にまとめたわけですから、68時間は捨ててるわけです。凄まじい選別作業です。
 で、どうやっているかというと、まず自分が興味のあるシーンからどんどん繋いでいきます。そうするといくつもシーンができあがります。それを一本にまとめます。でも、まとめた時点ではこれはシーンの羅列でしかない。映画にならないんです。で、ここからパズルがはじまるんです。シーンを入れたり出したり、順序を入れ替えたり。そのうちに、「実はこの映画のテーマはこういうことだったのか!」などという“気づき”が、編集し始めて4、5ヶ月目位にやっと出始めて来る。そしたらその視点を先鋭化するために、また順序を入れ替えたり、ショットの順番を調整していく。これが編集の技術なんですね。作為以外の何物でもない。
 ただし、それは自分の考えに現実を無理矢理当てはめるための作為ではなくて、自分が対象を観ることで徐々に獲得していった視点を表現するための作為であるわけです。それで僕は編集に10ヶ月かかるんですよ。

Saturday, January 02, 2010

『母の友』連載第2回目


『母の友』2月号に、巻頭エッセイ連載第2回目(全3回)を寄稿しました。今回の題名は「猫薬」です。

http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=20910

Friday, January 01, 2010

謹賀新年 Happy New Year!


あけましておめでとうございます。
今年も猫年ではないようですが、寅は猫の仲間ですし、どうぞよろしくお願い致します。
想田和弘

HAPPY NEW YEAR!
2010 is the year of tiger... which belongs to the cat family!

Wednesday, December 30, 2009

『精神』の自主上映について

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『精神』の自主上映について
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『精神』は、自主上映会への貸し出しも行っております。
地域や学校のイベントで『精神』の上映会を開催しませんか?
実施をご希望される方はお気軽に下記、アステアまで、お問合せ下さい。
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〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町42-3 T&Kビル4F
TEL. 03-5459-1173
FAX. 03-5459-1174
E-mail. info@astaire.co.jp
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自主上映の流れや時期について、作品についてなどなど、
ぜひお気軽にお電話・メールにてご相談ください。

Tuesday, December 15, 2009

『社会福祉セミナー』に番組抄録


NHK出版『社会福祉セミナー』(09年12月−10年3月)に教育テレビ『福祉ネットワーク:「精神」を撮る』の番組抄録が掲載されています。

https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=69107162009

Friday, December 11, 2009

『キネマ旬報』12月下旬号に寄稿


雑誌『キネマ旬報』12月下旬号に、自分の方法論についての文章を書きました。「ドキュメンタリー、ドキュメンタリー作家の多様性」と題する特集の一環です。

http://www.kinejun.com/kinema/index.html

以下は、本稿の出だし部分の抜粋です。

 「観察映画シリーズ」と銘打って、ドキュメンタリー映画を作っている。これまでに、選挙運動を観察した『選挙』(07年公開、観察映画第一弾)と、精神科診療所の世界を描いた『精神』(09年公開、同第二弾)を発表した。現在、平田オリザ氏と青年団を被写体にした『演劇(仮題)』(同第三弾)を製作中である。
 観察映画の方法論的特徴として、撮影する前にテーマ設定をしないことが挙げられる。リサーチを最小限にとどめ、構成台本も書かず、目の前の現実をつぶさに観察しながら、行き当たりばったりで撮影をする。事前にいろいろ決めると、それが先入観や足枷となって、予定調和的な作品になってしまうからである。編集の際にも、先にテーマを決めない。映像素材を何度も観察し、試行錯誤を繰り返しながら、自らの視点を定めて行く。そして、その結果を映画にしていく。

酔いが醒める

ノーベル平和賞の演説で、受賞者が必ずしも平和の担い手ではないことを認識させられるとは、全く皮肉なものである。

前任者があまりにも酷かったので、僕はオバマ氏に過大な期待を抱いていたのかもしれない。さっと酔いが醒めた。

そういえば、オバマ氏は選挙戦中から、イラク戦争は否定するけどアフガン戦争は肯定していた。氏の主張は最初から一貫していたのであり、それを勝手に直視しないようにしていたのは、僕の方だったのかもしれない。世界最強の権力者の意図と行動を、もっとクリティカルに冷静に観ないといけない。

日本の新政権に対しても同じことがいえる。僕も含めた多くの日本人は、民主党政権に対して大きな期待を抱くがために、彼らの不祥事や欠陥に対して目をつぶろうとしていないか?

オバマ氏、戦争の正当性強調
【オスロ時事】2009年のノーベル平和賞授賞式が10日午後(日本時間同日夜)、ノルウェーのオスロ市庁舎で開かれ、「核兵器なき世界」の理念追求や米外交の変革を評価されたオバマ米大統領が、同賞を正式に受賞した。大統領は記念演説で「深い感謝と大いなる謙虚の念」を表す一方、アフガニスタン戦争など自衛や人道目的の武力行使を正当化、国際社会の平和と安定の達成を主導していく決意を表明した。
現職の米大統領がノーベル平和賞を授与されたのは、1906年のセオドア・ルーズベルト、19年のウッドロー・ウィルソンに続き90年ぶり3人目。イラクとアフガニスタンで戦争を進める「戦時」大統領でありながら、約9カ月という最短在任期間で受賞した点でも極めて異例で、論議を呼ぶ平和賞となった。
オバマ大統領は演説で「二つの戦争のさなかにある国家の最高司令官」として、「世界に悪は存在する。時に武力は必要だ」と指摘。平和維持における戦争の役割を認識した上で、「世界の安全保障に対する米国の決意が揺らぐことはない」と宣言した。また、「米国単独では行動できない」として、アフガン戦争に対する国際社会の支持と貢献を求めた。
一方、「核兵器なき世界」の実現追求と核不拡散の取り組みの緊急性を強調。米国が核軍縮を先導することを約束する一方、イランや北朝鮮のような国が不拡散体制を欺くことのないよう国際社会に対処を訴えた。さらに、スーダン・ダルフールの虐殺やミャンマーの抑圧には「相応の結果を伴わなければならない」と警告。イランの民主化弾圧も非難した。

Thursday, December 10, 2009

Tuesday, December 08, 2009

『母の友』にエッセイ連載開始


雑誌『母の友』09年1月号に「風景が変わるとき」と題した短いエッセイを書きました。連載第1回目(全3回)です。

http://www.fukuinkan.co.jp/detail_page/haha201001.html

Monday, December 07, 2009

2009年の映画3本に入る!

尊敬する映画評論家の佐藤忠男氏が、2009年の映画3本に『精神』を選んでくださいました!
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912070105.html

毎日新聞の「映画:この1年」でも触れていただきました。
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20091201dde012200007000c.html

事業仕分けに異議あり

音楽関係者8人が仕分けに反論(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20091208k0000m040021000c.html
 政府の行政刷新会議の事業仕分けに対し、クラシック音楽関係者8人が7日、東京都内で記者会見して「緊急アピール」を行った。「友愛の精神は芸術から」と銘打って、「明確な文化立国のビジョンを示さないまま(日本芸術文化振興会の予算などを)大幅に縮減したことを危惧(きぐ)する」などとしている。
 ピアニストの中村紘子さんは「芸術文化は人間そのものを育てること。人間を育てるには時間がかかる。1、2年で効果が出るものとは違う」。指揮者の外山雄三さんは「少しずつ我慢してなんとかなるなら我慢したいが、オーケストラはもう限界」と述べ、作曲家の三枝成彰さんは「助成が削減されると、地方のオーケストラは存在できなくなる可能性がある。そういう意味がわかっていたのか、非常に疑問を感じる」と語った。【油井雅和】


音楽家たちが声を上げたのに関連して、事業仕分けの人選と方法について根本的な疑問を呈したい。

まず、何が無駄で、何が無駄でないかを判断するためには、その分野についての造詣と理解(=リテラシー)が絶対に必要だ。例えば、僕には医療についてのリテラシーはないから、どの研究が必要で、不必要なのか、全く判断できない。知識がなければ、価値判断はできない。当たり前だ。

ところが、この事業仕分けでは、どのように選ばれたのかもよく分からない仕分け人たちが、彼らの専門分野とは関係なく、バッサバッサと予算を削りまくっている。それがどんなに恐ろしい暴挙なのか。その魔の手が芸術・文化予算に及ぶまで、僕は恥ずかしながらよく認識していなかった。芸術・文化以外に、僕にリテラシーがないからだ。

けれども、芸術分野の仕分け結果や仕分け人のコメントを読むと、彼らにこの分野についてあれこれいう資格がないことは明らかだ。第一、仕分け人には芸術家がひとりも混じっていない。平田オリザ氏の『芸術立国論』を読んだ人がいるとも思えない。正直言って、音楽も演劇も絵画も映画もほとんど鑑賞しない人たちが、芸術なんて所詮無駄なんだよという先入観とルサンチマンに任せて、感情的に削減したとしか思えないのである。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm

積み上げるのに何十年かかっても、それを壊すのには一瞬しかかからない。それがいま起きようとしている。

そして、芸術分野がこの有様なら、たぶん他分野にも同じことが言えるのだろう。つまり、事業仕分け全体に対して、根本的な不信感を抱かざるを得ない。立花隆氏が科学技術予算の削減について「仕分け人は野蛮人。日本を潰す気か」と怒りの記者会見を開いていたが、全く同じ思いである。

「無駄を切る」というキャッチフレーズに、日本国民は騙されている。

無駄を切ることが必要なのは当たり前だ。大事なのは、何が無駄で何が無駄でないのかを見極める力とシステムだ。事業仕分けをするなら、専門分野ごとにその道のエキスパートを集め、その中で侃々諤々の十分な議論をすべきであり、今回のような人民裁判のごときプロセスは百害あって一利無しである。

Tuesday, December 01, 2009

WAMに寄稿

福祉医療機構が発行している「WAM」という雑誌(09年12月号)に、短いエッセイを寄稿しました。
http://www.wam.go.jp/wam/sitemap/index.html