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Thursday, October 07, 2010

「小沢問題」に思うこと

最近、つくづく思うのですが、マスコミやネットを含めたメディアは僕らのリアリティの大きな部分を形成しつつあります。つまり直接この世界から五感を通じて世界を把握するよりも、僕らはメディアの情報を通して世界を把握している。

例えば、僕は小沢一郎さんに会ったこともないし、イラクに行ったこともない。でも小沢さんがどんな政治家なのか、なんとなく分かったつもりでいるし、イラクで何が起きているのか、知っている気になっている。しかしそれはすべてメディアを通して「知って」いるだけの話です。

逆に言うと、少なくとも僕が有する小沢観やイラク戦争観は、メディアを通して醸造されたものだといえます。いや、世の中の社会問題といわれる事象のほとんどはそうでしょう。つまり、それほどメディアが僕の世界像に及ぼす影響は甚大だということです。

そういう意味では、僕ら現代人は虚構の中に生きているのだと思います。映画という虚構を作る人間からすると、それは極めて危険な状態だとも思います。なぜなら、虚構の内容は作り手によって簡単に操作できるからです。

例えば、「『小沢氏はけじめを』という声が69%」であると、朝日新聞緊急世論調査には出てる。世論調査の読み方としてよく言われることですけど、これだって「科学的な客観的な事実」として受け取ってしまうと間違ってしまう。なぜなら、質問項目をよく読んでみると、小沢問題だけで3項目も割いたり、「小沢さんは、民主党を離党するなどのけじめをつけるべきだと思いますか」という訊き方をしたりすること自体、かなり誘導的なわけです。つまり問題設定をすること自体が世論を形成します。

ちょっと分かりにくければ、比較のために別の例を出しましょう。朝日新聞は官房機密費を使ったメディアの買収問題で世論調査をしたこと、ありますか?たぶんしてないか、ほぼ皆無でしょう。つまり、問題として取り上げてない。だから問題自体が消えてしまうのだと思います。逆に小沢問題はことあるごとに、取り上げている。そのこと自体が世論を誘導する機能を担ってしまうと思います。

ちなみに、それは官房機密費問題が小沢問題よりも問題として小さいからではないでしょう。僕からすれば遥かに大きな問題だと思います。しかしマスコミは取り上げない。取り上げても申し訳程度。だから世論は問題視しません。これが小沢問題並みに取り上げてたら、世の中変わりますよ。

面白いのは、ツイッターなどではこの辺の問題についての意見が逆転することです。僕をフォローしたり、僕がフォローしたりする人々の間では、小沢さんは辞めなくてもいいし、官房機密費の方がはるかに大きな問題だという意見が強いし、それがほぼ常識となっている。なぜか?それが真理だからか?いやいや、そういう意見を持つ人が同じ界隈に集まっていて、そういう意見をみんなが書き、かつそれらに各人が影響されているからです。そしてその界隈にいると、それこそが人々の標準的な意見であると錯覚をしてしまう。

つまりツイッターも虚構=メディアの一部だということですね。「マスコミには真実がないけど、ツイッターにはある」という「ツイッター救世主論」みたいなのも散見されますけど、それは明らかに錯覚だと思います。ツイッターもメディアである以上、虚構なのです。マスコミだけしかない世の中よりは、随分とマシだと思いますけどね。

ああ、何が言いたいのか分からなくなってきたな(笑)。まあ、とにかく、小沢さんを巡る問題を眺めながら、そんなことを思いました。みなさん気を付けましょう、冷静になりましょう、ということかな。いや、僕も冷静にならないとな。僕の頭の中も、虚構によって支配されているのです。
ーーー



あっ、もうひとつ書くの忘れた。虚構の中に生きているのは、マスコミの一員としてニュースを作っている人々も同じだ、という点です。よく、「マスコミはこのように世論を操作しようとしている」という陰謀論的な意見を見かけますけど、それだけでマスコミが動いているわけではない。

つまり、マスコミでニュースを書く人も、自分(たち)が書くニュースに影響されて世界像を結んでいて、それに基づいて新たなニュースを書いているのです。この点は案外重要です。

かくいう僕もかつて、NHKの「ニューヨーカーズ」というドキュメンタリー番組を作り始めた頃、自分が作った番組を見ながら、自分で取り上げた主人公について「この人、凄いなあ」なんて思う自分に気づいて、ビックリした経験があります。実際に会った感じでは、あまり凄い人だとは思っていなかったからです。

「作られたリアリティ」は一人歩きして、その作り手をも騙すのです。虚構の再生産です。

それは今僕が映画を作っていても感じることです。映画『選挙』で結ばれた山さんの像は、僕がいま山さんに対して抱いている感情や見方に大きく影響していると思います。もはや、どこからどこまでが映画の影響なのか分からないくらい。

そういうことが、実はメディアの中でも起きているのだと思います。

6 comments:

  1. おっしゃるとおりですね

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  2. Hiroさん
    ご賛同ありがとうございます。

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  3. 想田さん 同感です。

    日本のマスコミから発信されているであろう流行の言葉も虚構でチープなのが最近 特に多い気もします。「アラフォー、アラサー」「婚活」「草食系男子」「イクメン」「KY」「ロスジェネ」等々 一部はマーケティングが関わっていると思うのですが、本来 個人のライフスタイルの選択の自由である領域が簡単に「 」でくくられるているような気もします。テレビ以外 実際の会話で使われている頻度は少ないような気がしますが、、、

    そういえば大昔「新人類」も流行したなあ
    自ら「私 新人類」と言う人はいなかったけど

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  4. 関さん

    たしかに流行語もマスコミ発ですね。普段の生活から出て来たものをマスコミが取り上げるわけではない。面白いご指摘です。

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  5. コメント ありがとうございます 想田さま

    漢字はよくできていて虚構は空虚にもつながるのではなかろうかと、、、

    話は少し変わりますが NHKの「無縁社会」
    のドキュメンタリ-の反響がネットを中心にすごいという番組や記事をよく最近 見ますが、全く僕の個人的な意見ですが無縁や孤独死が絶対悪というとらえ方に僕は少し違和感を感じています。すべてを「 」でくくるやり方は番組をすべて真実だと受けてしまう視聴者をすごく不安にさせていると思います。
    (http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/100403.html とか)

    最初からシナリオありきで誘導質問もしているのではなかろうかと。これは上から目線で 死 または番組の被写体の方々への冒涜かもしれません。人間 生きていれば 絶望的な不安を持つときもあれば 希望があり明るく笑う時もあると思います。「無縁死」は哲学、宗教も含む大テーマだと思います。 そもそも「無縁死」とは何か?と私 自身 考えれば考えるほど分からないのですが、、、

    「無縁社会」はヤバイくらい絶望的に暗い番組で全く笑いがなく、よく考えればこれも「虚構」じゃないかなあと。
    ひょっとして この番組の製作者たちも病んでるのではないかもと考えたり、、、、ネットで大反響というのもくせもので、虚構の虚構で、、、NHKがそれで社会現象化するのも、、、、

    今の日本社会では 尖閣問題も含め、視聴者を不安にさせることが反響、反応、評価 つまり 利益をよぶことを各メディアまたは一部の政治家は知っているのではなかろうかと、、、

    反面 最近 民放では「大家族スペシャル」類のドキュメンタリーが異様に多いことに気がつきました。気がつけばゴールデンタイムによくやっています。無縁社会の対。これからますますテレビでは虚構、空虚の再生産が始まる気がします。

    「病は気から」ではなく「テレビ」「メディア」からとも言えるかもです。ひょっとしたら日本で一番 働いて病んでいる人たちかもしれません。

    躍らせれてはいけないためにも僕は想田さんの視点に注目しています。Peace 楽しみにしています! 乱文にて失礼いたします

    p.s このテーマについて吉田鈴香さんという方がうまく整理した文章を書いていました。http://www.yoshidasuzuka.com/policy_0504.html
     

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  6. 関さん

    「無縁社会」という番組は観ておりませんが、関さんのご指摘はとても興味深いです。同時に、関さんのおっしゃることは『PEACE』とも非常に深い関係があるように思えるので、少々びっくりしております。ご覧いただいた際には、ご感想をお待ちしております。

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