「偏見を持ち込まず色眼鏡をかけず、ありのままを映し出す観察映画の視点から日本の精神医療の現場に斬(き)り込んだルポルタージュの秀作だ。」(書評より)
ウェッブでも読めます。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090712/acd0907120811003-n1.htm
以下、全文掲載します。
■観察映画の視点から斬る
異色の映像クリエーターが異色のルポルタージュに挑んだ。著者の想田はドキュメンタリー監督。と言っても“普通”のノンフィクションは撮らない。ナレーションもテロップもBGMも一切使わず、ありのままの映像を一本の作品に編集する“観察映画”という新ジャンルを開拓した。
この手法で岡山市にある精神科診療所の患者や医師らを撮影した観察映画「精神」が公開され話題を集めている。この本ではもともと、劇映画の監督志望だった想田が、なぜノンフィクション、それも観察映画という特殊なジャンルに進むに至ったか、また、なぜ精神障害をテーマに撮ろうと決意したのかが赤裸々に綴(つづ)られる。個人的な人生経験や監督として被写体にアプローチする過程で得た体験から「精神病とは何か、人間の正気と狂気の間とは何か」を分析、浮き彫りにしていく。
「健常者と精神障害者を隔てる見えないカーテン」に興味を持つことで、想田は観察映画にのめり込む。
自身、これまでに2度、精神的に追い込まれ、「カーテンの向こう」を見かけたと明かす。1度目は東大に合格後、医者から「燃え尽き症候群」と診断されたとき。2度目はプロの映像作家として、あるテレビドキュメンタリーの編集作業をしていたとき。
1度目のとき、自分から精神科に診療に行った想田を知人はこう笑った。「精神科は自分から行く所ではない。誰かに強制的に連れて行かれる所だろう」と。なぜ? 歯が痛めば歯医者へ行く。社会が精神障害を普通の病気と認めない現実に疑問を持った。2度目はテレビ番組の制作を請け負い、東京で2カ月間、昼夜逆転の労働が続いたとき。連日、プロデューサーに大声で罵倒(ばとう)される理不尽な現場で精神を病みかけた。このとき、想田は「過労死」や「ひきこもり」が多い日本は文化全体が精神的に病んでいるのではないかと疑問を持つ。そして「精神」を撮る決意を固めた。
偏見を持ち込まず色眼鏡をかけず、ありのままを映し出す観察映画の視点から日本の精神医療の現場に斬(き)り込んだルポルタージュの秀作だ。(中央法規出版・1470円)
評・戸津井康之(文化部)
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