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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Wednesday, September 10, 2008

MENTAL at Pusan Film Festival


I'm excited to announce that my newly completed observational documentary MENTAL (Original title: SEISHIN, 2008, 135 minutes, color) has been officially invited to the competition of "Wide Angle" section of Pusan International Film Festival to be held from October 2nd until 10th. It's going to be a world premiere. I will attend the festival and my screenings.

http://www.piff.org/eng/html/program/prog_view.asp?idx=13166&target=&c_idx=16&m_entry_year=2008#

MENTAL is a feature-length documentary that observes the complex world of an outpatient mental health clinic in Japan, interwoven with patients, doctors, staff, volunteers, and home-helpers, in cinema-verite style, without using narration, super-imposed titles, or music. The film breaks a major taboo against discussing mental illness prevalent in Japanese society, and captures the candid lives of people coping with suicidal tendencies, poverty, a sense of shame, apprehension, and fear of society.

The film has received some grant from Asian Network of Documentary (AND) fund managed by Pusan International Film Festival. I will attend the award ceremony to be held during the festival.

The official website for MENTAL will be uploaded soon.

If you have any questions, please e-mail me at soda@laboratoryx.us.

Thank you!

Kazuhiro Soda

SCREENING SCHEDULE AT PUSAN FILM FESTIVAL

Friday, Oct 3 at 8 PM
Monday, Oct 6 at 1:30 PM

COMMENTS ON MENTAL

This observational film by Soda really questions the conventional boundary that separates the mentally ill and healthy people.
- Naomi Kawase, Film Director

The uncontrollable nature of our SEISHIN, or mind, is depicted in its raw form.
- Yuna Chikushi, Artist

Watching MENTAL, I smiled every 5 minutes, and cried 3 times. Without a doubt, it is a masterpiece. It is meant for people who can't help revering the human soul that is formless and mysterious.
- Dr. Shuhei Oyama, Psychiatrist

The handling of the subjects in this documentary requires tremendous sensitivity from the filmmaker. Even using the style of cinema verite, the director successfully presented his subjects without exploitation.
- AND Fund, Pusan International Film Festival


『選挙』に続く観察映画第2弾として監督した『精神』(英語題名:MENTAL、2008年、135分、カラー) が、10月2日から10日まで行われる釜山国際映画祭に正式招待されることが決定しましたのでお知らせします。ワイドアングル・セクションのコンペ部門に出品されます。今回が世界で初めての上映になります。私も2日に現地入りし、舞台挨拶等を行います。

http://www.piff.org/eng/html/program/prog_view.asp?idx=13166&target=&c_idx=16&m_entry_year=2008#

『精神』は、岡山県にある精神科の診療所を舞台にした長編ドキュメンタリー映画。『選挙』同様、ナレーションやテロップによる説明、音楽を一切使わないスタイルで、心の病を患う当事者、医者、スタッフ、作業所、ホームヘルパー、ボランティア等が織りなす複雑な世界を描きました。心の病に関するタブーに敢えて挑戦し、自殺願望や幻覚や生活苦に悩む当事者の素顔に虚心坦懐に迫ったつもりです。

同作は、アジアのドキュメンタリー制作と流通を支援する、2008年釜山国際映画祭AND(Asian Network of Documentary)助成金を授与され、製作されました。来る釜山国際映画祭では、その授与式も開催されます。
http://and.piff.org/eng/html/projects/documentary_view.asp?section=AND&column=&searchString=&this_year=2008&gotoPage=1&idx=76

『精神』公式サイトは近日中に完成予定です。

お問い合わせ等はメールにていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

想田和弘
soda@laboratoryx.us

<釜山での『精神』上映日程>

10月3日(金) 20時〜
10月6日(月) 13時30分〜

<『精神』に寄せられたコメント>

精神病患者と健常者の境がわからない。その境のありように疑いを持つのは、想田観察映画の特性だ。
ー 河瀬直美(映画監督)

精神とは心、若しくは心の持ち方とあるけども、その収拾のつかなさがそのまま映し出されている。様々な対象を身に遠く近く感じつつ、時折横切る野良猫が風穴のようにも見えてくる。
ー 筑紫ゆうな(アーティスト)

同じ題材を扱った映画のうちこの映画は三指に入る。いや正確に言えば二指である。一本はワイズマンによって四十年前に作られた。どちらも限りない人間の精神の地平線を目指した傑作だと断言できる。ワイズマンの映画同様一度見たら決して夢に見ることはあっても忘れることは出来ない。しかしワイズマンの映画には感心し笑うことしかできなかったが、この映画のなかでは5分おきににやっと笑い、三度涙を禁じえなかった。あえて言うが、この映画は精神を病んだもののために作られたものではない。まして人の精神を裁く者のためにも作られてもいない。ただ人間の無形の心とその不思議に対し畏敬の念を禁じえないもののために捧げられた映画なのである。
ー 大山修平(精神科医)

Tuesday, September 09, 2008

観察映画の日々

7月から、平田オリザ氏と青年団の撮影が続いている。

比較的順調に進んでいるのであるが、にもかかわらず、つくづく撮影とは難しいものだと、思い知らされる毎日である。

僕の観察映画の方法は、構成表と呼ばれる台本を書かずに、行き当たりばったりで撮影することにその基本がある。だからといって、次に起きるであろうことを全く予想せずにカメラを回すことは不可能である。

例えば今回の撮影なら、何時からどこどこでXXの稽古がある、というくらいの情報がなければ、僕はその場に居合わすことすらできない。だから、最低限の予測は必要である。かといって、あまり事前に予測しすぎると、目の前で起きている予想外の面白さに気づくのが遅れ、撮り損なってしまう。例えば、これから稽古を撮るんだと身構えていると、稽古以外の興味深い事件が目の前で起きても、一瞬反応が遅れる。それで事件の始まり部分を撮り逃がし、あとで地団駄を踏む憂き目にあう。

これがナレーションのある普通のドキュメンタリーなら、たとえ事件の発端を撮れなかったとしても、言葉でいくらでも説明できるので問題ない。しかし観察映画ではナレーションを使わないのが大前提なので、最初を逃したら途中から撮ってもシーンの文脈が分かりづらくなり、結局使えないのが常である。

予測しないのも駄目。予測しすぎても駄目。それは、野球のバッティングにも似ている。ヒットを打つために、次の球種やコースを読むのは大事だけれど、山をかけすぎると予想外の球に空振りさせられる。そして天を仰ぐことになる。取り返しのつかない過ちを激しく後悔しながら。だから、凡打が続いた後にクリーンヒットが出たときには、計り知れない快感を覚える。

ちなみに、野球と違って映画には編集作業という強力な武器があるので、僕はヒットばかりをつなぎ合わせて作品に仕立て上げる。あたかも凡打など打たなかったかのような顔をして。それが映画のマジックである。

Monday, September 08, 2008

働く日本人

日本に住んでる人は感じないのかもしれないけれど、たまに帰ってくると、日本人はなんてよく働くんだろうと感心させられる。いや、外国の人だって働く人は働くんだけど、日本人は報酬の高そうな人も低そうな人も、同じように一生懸命働くという印象がある。

例えば昨晩入ったうどん屋の店員さん。全部で20人くらいしか座れない小さなお店だけど、満員だとかなり忙しい。注文を聞いたり、料理を運んだり、会計をしたり、領収書を切ったり、盛りつけしたり、後片付けをしたり、料理を作る以外の仕事を彼女がすべて独りでこなしている。僕はカウンターに座ったので、彼女の一挙手一投足を観察できるのであるが、高度なマルチ・タスクをてきぱきと効率よく、パニックにも陥らずに、しかも丁寧にやってのける姿は感動的でさえあった。でも、店構えや値段から察するに、たぶん彼女はそう高い時給はもらっていないと思う。そして彼女のような働き手は、この国では別に珍しくもなんともない。

これがアメリカだったら、人は時給に応じた仕事しかしないのが普通だ。つまり時給700円の人は700円分しか仕事をしようとしないし、それが当然であるという姿勢。昨晩のうどん屋がアメリカにあったとしたら、あと二人は雇わないと普通に機能しないと思う。あるいは、「あと二人雇え」と現場が文句を言い、それが叶わなければ3人分の時給を要求するか、さっさと辞めていく。また、昨晩の店員さんのように仕事の出来る人は、すぐにもっと責任の重いポジションを与えられ昇給する。要するに純粋な資本主義では、仕事の内容と報酬の額は、基本的に一致するのである。

日本の場合は違う。報酬が低い人も、高い人と同じくらいの仕事の量と質を要求される。逆に言うと、いくら現場で一生懸命働いても、それがなかなか地位や給料に反映されない。雇う側や、お客さんにとっては天国のような仕組みだけれど、現場の労働者にかかる負担は並大抵ではない。

ここまで考えて、ニートと呼ばれる働きたくない人達が問題になっているのは、こういう風土に原因があるのではないかと思い至った。安い報酬でも一生懸命、長時間働くことを要求され、なかなか昇進も叶わない。もうすでにある程度の地位にある人ならいいのかもしれないけど、これから働き始めようという人には相当に厳しい現実だ。だから最初から働く気が失せてしまうのではないか。

まあ、だからといってアメリカ式が理想的かというと全然そうでもないから、難しい。時給が安いんだからと言わんばかりの横柄な態度で、全く働く気を感じさせない末端の労働者を毎日目にしていると、カネがすべてのこの社会は絶対におかしいと思わされる。

なかなかうまくはいかないものですね。

Saturday, September 06, 2008

あれから一年

ドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんが亡くなって、一年が経った。

佐藤さんとの出会いは奇縁である。というのも、佐藤さんの奥さんと僕の姉貴が同じ産院で出産したのがきっかけで、個人的に知り合った。ドキュメンタリー映画など観ない姉貴が「同室の人の旦那さんも映画撮る人みたいだよ」というので、「なんて名前?」と聞いたら、「さとうまことさんっていうみたい」というので、絶句した覚えがある。僕にとって『阿賀に生きる』の記憶は鮮烈だったからである。

しかし、僕が本当に深い影響を受けたのは、後に出版された佐藤さんの名著『ドキュメンタリー映画の地平』である。ちょうどテレビ・ドキュメンタリーの仕事に行き詰まりを感じていた僕は、この本を読んだのがきっかけで、自主制作で主体的にドキュメンタリー映画を撮りたいと思い始めた。そして『選挙』を撮った。『選挙』は佐藤さんに気に入ってもらい、世に出る後押しをしてもらった。その佐藤さんに突然逝かれてしまったことは、本当にショックだった。

でも、佐藤真の肉体は失われても、佐藤真という存在は僕の身辺から消えていない。

実は、今年5月、平田オリザさんに撮影の申し込みに行ったとき、このプロジェクトを本当にやるのかどうか、言い出しっぺのくせに100%確信が持てずにいた。いや、この企画に限らず、『選挙』のときも、『精神』のときも、やるかどうかの迷いはあった。ドキュメンタリー映画を撮るということは、相当なコミットメントだから、迷うのは当たり前なのである。

ところが、平田さんにお会いした際、「実は佐藤真さんが想田さんと同じような趣旨の映画を企画してたんですよ」と切り出されたとき、僕は強い衝撃を受けると同時に、これは決定的だと思った。ここにも奇縁が生きていた。やらねばならぬ映画だと思った。

というわけで、佐藤真は死んでいないのです。


佐藤真監督の懐古上映も実施中。
■ユーロスペース:2008年9月6日(土)〜9月12日(金)
■アテネ・フランセ文化センター:2008年9月16日(火)〜9月20日(土)、9月24日(水)〜9月27日(土)、9月29日(月)〜30日(火)
http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=108

Friday, September 05, 2008

広島の横町で

青年団の撮影で広島に来ている。

今日は夜10時頃撮影が終わり、広島駅前のホテルに帰ってから近場で夕飯を食おうとレストランを探した。ところが広島の夜は案外早く、どこも早々と店じまいをしている。

何軒もの店に断られ途方にくれ、ふらふらと小便臭い暗い横道にさまよい入っていったら、赤提灯を下げた店が一軒、営業していた。店内をのぞくと、お好み焼き用の巨大な鉄板が付いたカウンターにサラリーマンがワラワラと陣取り、にぎやかに宴会をしている。店主らしいオジさんが僕に気づき「にいちゃん、ひとり?いいよ」と言うので、カウンターの席に着いた。

「にいちゃん」と呼ばれたのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。無礼だなとムッとする気持ち半分、他人同士の垣根を軽々と一発で超えられた快感半分の複雑な気持ちで、席に着いた。「じゃ、野菜とソバが入ったお好み焼きを肉ぬきでお願いします」と注文すると、「にいちゃん、肉嫌いなん?」と怪訝な顔ですかさず聞かれ、その複雑な感じは否応無く増幅した。

「にいちゃん」と呼ばれたのが初めてなら、実は広島でお好み焼きを食べるのも初めてである。広島には『選挙』のプロモーションで一日だけ訪れたことがあったが、あのときは忙し過ぎてお好み焼きどころではなかった。店主が目の前の鉄板で僕の「野菜ソバお好み焼き」を作ってくれるのだが、その作り方の独特で魅力的な様子に思わず目を見張った。「広島風」のお好み焼きは何度も食べたことがあったのだけれど、これが「風」と「本物」の違いか、などと感心しながら出来上がりを待った。

その妙な視線を感じたのか、僕の食べ方があまりに下手クソだったのか、お好み焼きが出来上がって僕が食べ始めると、店主はすぐにこう言いながら食べ方を指南した。「にいちゃん、食べるの初めて?それじゃグチャグチャになる。こうやって切るんじゃ(広島弁はいい加減です)」。

すると隣に座っていたサラリーマンが、「いや、そうじゃない。こうじゃ」とか店主の説にケチをつけ、実演し始める。それにまた店主が応酬する。たちまち狭い店内はお好み焼きの食べ方で喧々諤々の議論になってしまった。

どう食おうとオレの勝手だろう、放っておいてくれ、という気もしたのだが、僕はその展開が妙に懐かしい感じがした。ムッとするより、快感が勝った。そして広島が好きになった。。

よくよく観察してみれば、店主はお客さん一人一人とよほどの顔なじみらしく、会社の上司の悪口を言い合う会話にも普通に入って自分の意見を言ったりしている。それに、生ビールの追加を貰おうと店の「にいちゃん」を探したら、暇だったのか、お客と一緒に席について飲み食いしながらだべっている。ここはお店というより、社交場なのだ。

近代はこういう煩わしくも魅惑的な場をどんどん削ぎ落として来た。ニューヨークにも、東京にも、こういう空間は滅多にない。広島の小便臭い横町でそれに不意に出会い、僕はこの店を天然記念物に指定して欲しいと不覚にも願うのであった。

Wednesday, September 03, 2008

『選挙』@ポレポレ東中野

お知らせです。9月9日(火)12:20〜、東京のポレポレ東中野で『選挙』の上映があります。2003−08年に日本で公開されたドキュメンタリー映画の話題作を集めた「Jドキュメント」の一環です。
http://www.mmjp.or.jp/pole2/5years-jdoc.html

Monday, September 01, 2008

MENTAL poster



The poster of MENTAL for outside Japan has been done. It is designed by an artist Yoshio Itagaki, my long time friend. He also designed CAMPAIGN's poster.

『精神』海外向けポスターが仕上がりました。デザインはアーティストの板垣由雄氏。長年の友人でもあります。『選挙』のポスターも、この人のデザイン。

Saturday, August 30, 2008

Director's Statement on MENTAL


観察映画第2弾『精神』について

僕の前作『選挙』(観察映画第1弾)に、ボランティアたちが選挙事務所でチラシを折りながら、事務所の外に立っている「頭の狂った女」について噂話をして、奇妙に盛り上がるシーンがある。

「あそこに立ってる人、ほら。気が触れちゃってるの」「正気なころはさ、こんな髪の毛でこんなボインでね、土橋のマリリン・モンローだなんて、気取ってこの坂上がってた」

この噂話にみられるように、「頭の狂った人たち」は、健康な人たちによってしばしば、好奇と興奮と軽蔑を交えて語られる。「狂った人たち」は時折自分たちの世界にふと顔を出す異界の存在であり、同じ空気を吸っている人間とは見られていない。健常者と精神障害者たちの間は透明なカーテンで遮られており、多くの健常者たちは、カーテンの向こう側にいる精神障害者たちの世界を、自分たちには関係のないものとして処理してしまっている。

しかし、僕はかねてから、このような状況に違和感を感じ続けて来た。僕自身も大学時代、精神的に追いつめられて自ら精神科に飛び込み、燃え尽き症候群と診断されたことがあるし、それから回復した後も、過度のストレスから幾度となく病気すれすれの状態に陥ったことがある。自分の周辺を見渡してみても、実際に心の病気になってしまった友人や、それが元で自殺してしまった友人や恩人がいる。そもそも、現代社会は閉塞感や孤独感、プレッシャーやストレスに満ちており、われわれは誰もが心の病になる危険性と隣り合わせで生活しているいるような気がしてならない。にもかかわらず、一般社会にとって心の病気がタブーであり続け、健康な人々が目をそらし続けている状況に、僕は一種の危うさを感じている。

したがって、僕が『精神』で行ったのは、この見えざるカーテンを取り払う作業である。固定概念や先入観を極力捨てて、患者や障害者を「弱者」とも「危険な存在」とも決めつけず、かといって賛美もせず、虚心坦懐に彼らの世界を見つめることを第一義とした。そのため、『選挙』のときと同様、撮影前にシノプシスや構成表を一切書かず、事前のリサーチも最小限にとどめた。また、撮影前に極力セットアップをせず、行き当たりばったりでカメラを回す手法に徹した。

編集では、ナレーションやテロップによる説明、音楽を一切使わず、複雑怪奇な現実をなるべく複雑なまま提示し、紋切り型の単純化を避けるよう努力した。また、構築した映画世界が観客の能動性と観察眼を刺激し、それぞれが自分なりの解釈を自由に行えるよう、余白を残すよう努めた。同時に、映画を観ることで、あたかも診療所を訪れ、そこにいる人々と出会い、言葉を交わしたかのような臨場感を得られるよう、時間の流れと空間の再現に腐心した。

『精神』にはいわゆる「言いたいこと=メッセージ」も、明確な結論もない。むしろ、映画を単純なメッセージに還元するプロパガンダ的な姿勢から、最も遠いところで作品を作ることを目指した。観客が作品を通じて、なるべく「す」の状態で精神科の世界を観察し、あれこれ考えたり疑問を持ったり刺激を受けたりできれば、作者として幸せである。

想田和弘

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DIRECTOR'S STATEMENT ON MENTAL

In my previous documentary film CAMPAIGN, there is a scene where volunteers gossip about a “crazy woman” standing right outside the election campaign headquarters in Kawasaki, Japan.

“See that woman standing across the street? She’s psychotic. When she was still sane, she had long hair and big tits. She called herself the Marilyn Monroe of Kawasaki,” they say.

As seen in this conversation, “crazy people” are often the subject of curiosity, excitement, and ridicule, among healthy people. They are not considered to be fellow human beings but some kind of creatures from another world who occasionally appear in front of us. There seems to be a transparent curtain that divides healthy and mentally ill people. Most healthy people see the world of mental illness as irrelevant to their lives.

But I have been feeling that there’s something wrong about this situation. When I was a college student, I myself felt sick and decided to go to a mental clinic, where I was diagnosed with “burnout syndrome*.” Even after I recovered from the syndrome, there were several times when I almost became sick because of too much stress. I also have some friends and colleagues who actually became mentally ill and even committed suicide. In fact, because modern society is filled with pressure, stress, and the sense of solitude, nobody is immune to mental illness. Thus, it is quite dangerous that mental illness remains a taboo and that most people turn their eyes away from the subject.

Therefore, in my documentary MENTAL, my aim is to get rid of this invisible curtain, not by sending political messages, but simply by observing. The most important attitude for me as a filmmaker was to look straight with my own eyes and my camera at the world of patients without any preconceived or fixed ideas, without labeling them as “the weak,” “the dangerous,” or even as “the great.” In order to do that, just like in my previous film CAMPAIGN, I tried to shoot as freely and spontaneously as possible without preparing anything beforehand.

In the editing, I did not use any narration, super-imposed titles, or music, so that I can show the complex reality as it is, avoiding stereotypical simplification. I also tried to stimulate the audience’s active observation, leaving lots of room for them to freely interpret what they see on the screen. In addition, I tried to recreate the time and space I experienced so that the audience will feel as if they visited the clinic and saw these patients themselves.

MENTAL has no “message” nor “statement” nor “conclusions.” Rather, I want it to be as far away as possible from propaganda. It would be an immense pleasure for me if the viewers could come up with their own observations, thoughts, and questions, while they watch MENTAL, and afterwards.

* burnout syndrome: physical or mental collapse caused by overwork or stress: high levels of professionalism that may result in burnout. (Oxford Dictionary)

Kazuhiro Soda

Friday, August 29, 2008

Comments on MENTAL


『精神』を観て下さった方々からコメントが集まり始めたので、掲載します。

精神病患者と健常者の境がわからない。その境のありように疑いを持つのは、想田観察映画の特性だ。
ー 河瀬直美(映画監督)

精神とは心、若しくは心の持ち方とあるけども、その収拾のつかなさがそのまま映し出されている。様々な対象を身に遠く近く感じつつ、時折横切る野良猫が風穴のようにも見えてくる。
ー 筑紫ゆうな(アーティスト)

同じ題材を扱った映画のうちこの映画は三指に入る。いや正確に言えば二指である。一本はワイズマンによって四十年前に作られた。どちらも限りない人間の精神の地平線を目指した傑作だと断言できる。ワイズマンの映画同様一度見たら決して夢に見ることはあっても忘れることは出来ない。しかしワイズマンの映画には感心し笑うことしかできなかったが、この映画のなかでは5分おきににやっと笑い、三度涙を禁じえなかった。あえて言うが、この映画は精神を病んだもののために作られたものではない。まして人の精神を裁く者のためにも作られてもいない。ただ人間の無形の心とその不思議に対し畏敬の念を禁じえないもののために捧げられた映画なのである。
ー 大山修平(精神科医)

A few comments on my new documentary, MENTAL.

This observational film by Soda really questions the conventional boundary that separates the mentally ill and healthy people.
- Naomi Kawase, Film Director

The uncontrollable nature of our SEISHIN, or mind, is depicted in its raw form.
- Yuna Chikushi, Artist

Watching MENTAL, I smiled every 5 minutes, and cried 3 times. Without a doubt, it is a masterpiece. It is meant for people who can't help revering the human soul that is formless and mysterious.
- Dr. Shuhei Oyama, Psychiatrist

Thursday, August 21, 2008

AND grant for MENTAL 助成金獲得!

Now, it's official. MENTAL, my new observational documentary about mentally ill patients, is receiving a grant of about US$10,000 from AND (Asian Network of Documentary), Pusan International Film Festival. I'm using the money to complete the film. What an honor! I'm attending the award ceremony at Pusan International Film Festival (Oct 2-10, 2008). I'd like to thank everybody who helped me making this movie!

心の病を患う人々が主人公のドキュメンタリー映画『精神』(観察映画第2弾)が、釜山国際映画祭AND助成金(約100万円)をいただけることになりました。大変光栄です。助成金は、『精神』の仕上げに使わせていただきます。釜山映画祭(10月2〜10日)で開かれる授与式には参加する予定です。映画の製作に協力してくださったみなさん、ありがとうございました!

http://and.piff.org/eng/html/projects/documentary_list.asp?section=AND&this_year=2008

Monday, August 18, 2008

演劇とお盆



7月末から平田オリザさんと青年団を撮影させていただいているが、オリザさんが海外へ行かれたので、その合間に足利市の実家へ帰省した。ちょうど時期がお盆と重なり、20数年ぶりに生まれ故郷で盆を過ごした。

ウチの地方では、13日に先祖の霊を墓まで迎えに行き(迎え盆)、16日にまた墓まで霊を送りに行く(送り盆)。霊がいる4日間、親戚たちが集まって酒を飲んで騒いだり、線香を上げにきてくれたりする。

改めて眺めていて面白いのは、みんながあたかもそこに霊がいるかのように振る舞うことである。僕がコーヒーをいれていると、オフクロが「おばあちゃんにもコーヒー上げて来て。意外に好きなんだから」とか言うのは、その典型である。迎え盆のとき、「お迎えに上がりましたよ〜」などと言いながら墓へ挨拶するのも、そう。

演劇の創作過程を撮影しているせいか、お盆という行事そのものが演劇的であることに気がついた。先祖を迎えたり送ったり親戚で騒いだりするという、だいたいの台本もある。台詞だって、即興も多いけれど、「ちょいとお線香を上げに来ました」とか、だいたい決まっている。そして、みんなまるでそこに先祖がいるかのように、演じるのである。

ひとたびそう思うと、「先祖の魂を運ぶという提灯は、なかなか粋な小道具だな」とか、「いまオヤジが言った台詞はなかなか気がきいている」とか、「いまオジさんが居間に入って来たタイミングは絶妙だ」とか、すべてが演劇に見えてくる。いや、僕らは普段から何かを演じながら生きているのかもしれない。

(写真は以前撮ったものです)

Thursday, August 07, 2008

苦と楽の比率

赤塚不二夫さんが亡くなった。葬儀でタモリ氏が述べたという弔辞が心に残った。

「あなたは生活のすべてがギャグでした。あるがままを肯定し、受け入れ、人間を重苦しい陰の世界から解放しました。すなわち『これでいいのだ』と。」

人生からつらいこと、苦しいことを完全に消し去ることはできない。しかし、それをギャグにすることによって、何とか受け入れられるのではないか。これは赤塚さんの人生観なのか、タモリさんのそれなのか、僕には判らないけれど、そういう考え方には素直に共感できる。実際、赤塚さんの漫画にはそういう力があった。いや、作品は残っているから、今でもあるのである。

僕なんぞは子供のころから、人生は苦であるという感覚に親しんできた。もちろん楽しいこともあるけど、苦と楽の割合は9対1くらいで、日々の生活の実感として、圧倒的に苦が優勢であると思ってきた。だから、仏教の思想に初めて触れたときは、我が意を得たりというのも変だが、奇妙な安堵を感じたものである。

ところが以前カミさんにそう話したとき、彼女にとっては苦と楽が1対9の割合くらいだというので、天地がひっくり返るほど驚いた。なんてハッピーな人なんだと思って、親しい友人にそのことを話したら、彼も同じように1対9だと言うので二度驚いた。もしかしたら俺の方が少数派なのか…。

いずれにせよ、同じ世界で同じ空気を吸っていながら、こうも人生観が違うのは驚愕に値する。ウィトゲンシュタインじゃないけど、同じ言葉を喋っていても、決して判り合えていないのではないかなどと、ちょっと不安にもなる。赤塚さんにとっての比率はどうだったんだろう。

Sunday, July 27, 2008

PBS broadcast on July 29!

I'd like to let you know that 60-minute version of CAMPAIGN will be broadcast nationally on PBS's POV series at prime time on July 29th (10PM). Please check it out!

The website below will be expanded with lots of features and interviews right before the air.

http://www.pbs.org/pov/pov2008/campaign/preview.html

お知らせです。

7月29日(火)、アメリカの公共放送PBSで『選挙』短縮60分版が全米でプライムタイム(午後10時)に放送されます(POVシリーズの一環)。
下記のサイトは、放送直前に拡充され、山さんや僕のインタビュー、教材などが掲載される予定。アメリカ在住のみなさん、よかったらご覧下さいませ。

http://www.pbs.org/pov/pov2008/campaign/preview.html

Sunday, July 20, 2008

ラブホテル街に居を構える

昨晩、東京に着いた。この前日本からNYに帰ったのが五月上旬だったから、あれからたったの2ヶ月しか経っていない。しかし全然そんな気がしない。

今回の被写体である平田オリザさんの青年団/アゴラ劇場は、井の頭線の駒場東大前が本拠地なので、僕は駒場から一つ目の駅である神泉に近い場所にマンスリーマンションを借り、入居した。神泉近辺はラブホテルが林立する地区で、マンションの目の前も横もラブホテル!という凄いところである。何年も前、NHKの番組を編集するために長期滞在したホテルも、同じエリアにあった。僕はよくよく、ここと縁があるらしい。

今朝は例によって時差ぼけで早起きしてしまい、腹も減ったので朝飯を食おうと外出したら、カップルやその筋のお兄いさん達が、幽霊みたいに脱力した感じでゾロゾロと帰途についている。夕べさぞやハッスルしたのだろう(笑)。昨日までニューヨークに居たことが嘘であったかのような、シュールな気分。

今日は青年団の若手の人の作品を観たり、撮影の打ち合わせをしたりする予定。そして明日から本格的に撮影だ。

Saturday, July 19, 2008

人間の條件 第一部

明日東京へ出発するのだというのに、今日からフィルムフォーラムで小林正樹監督の『人間の條件 第一部』をやるというので、観に行った。第一部だけで三時間半、三部合わせると10時間近い超大作。前の日記に書いた通り、第三部は先日主演の仲代達矢氏と並んで鑑賞した。

第三部も凄かったが、第一部も凄まじかった。無理して観て、本当に良かった。第二部はまだ観てないが、もしかするとこの映画は、これまでに僕が観た映画の中で、最も偉大な作品かもしれない。いや、人類にとって最も重要な作品かもしれない。とにかく圧倒された。一瞬たりとも緊張感が途切れない。三時間半が、あっという間に過ぎた。こんな映画は、二度と、世界中の誰にも撮れないだろう。

複雑な現実を複雑なまま提示しているこの映画を、一言で総括するのはあまりにも乱暴だが、敢えて言うならば、これは倫理を貫くことについての映画であると思う。断っておくが、ここで言う倫理とは、道徳とは全く異なる。

道徳とは、社会から強制されるルールを差し、時と場所によってコロコロ変わりうる。例えば、『人間の條件』の時代の道徳的行いとは、天皇のために死ぬことであり、どんな理不尽な命令でも上官や上司に従うことであり、中国人の首を平気で切り落とせることである。それが日本の敗戦と同時に、一夜にして180度ひっくり返ったことは、誰もが知っている。

それに対し倫理的行いとは、自らの良心に従った行いであり、主体性を有する者だけが獲得できるものである。つまり、人間の内面から出てくる規範。したがって、場所や時代が変わってもそう簡単に変わるものではなく、普遍的である。

戦時下の満州で、自らの良心に耳を傾け、非暴力と博愛という倫理を貫こうとする仲代達矢は、当時の日本人としての道徳とことごとく齟齬をきたし、徹底的な迫害を受ける。普通の人間なら、自分の身が危なくなれば道徳の側に寝返り、自らの倫理を捨て去ってしまうのだろうが、仲代扮する梶は、苦悩にのたうちながらも、頑強に倫理を捨てない。彼にとっては、それを保持することが、人間であるための条件なのである。

その闘いぶりが、あまりにも凄まじく、痛ましく、しかし力強く、美しい。魂を揺すぶられる。強大な力に比して梶はあまりに非力で、翻弄され、痛めつけられ、負け続けていくのであるが、彼が自らの倫理に従う限り、本当に負けているのは道徳の側なのである。

ぜひご覧下さい。

http://www.filmforum.org/films/human.html

Thursday, July 17, 2008

東京の前に、鍼

ロンドンから帰ってきたのもつかの間、あさって19日、東京へ出発する。観察映画第三弾『青年団(仮題)』の撮影のためである。撮影は、とりあえず9月半ばまでの長丁場。そのためにマンスリーマンションを借りた。今度も独りで撮影の予定だが、体力がもつかどうか…。

と案じていたら、カミさんが「鍼に行くべし」と言うので、今日は中国人の名医・ヤン先生のところへ行って来た。ヤン先生には、夫婦ともども14、5年お世話になっている。

いつものことだが、鍼を打ってもらうと、刺したまま、3、40分放っておかれる。その間、ツボをさされているせいか、標本の昆虫になったみたいに、身動きができなくなる。しかしそれがなぜか心地よい。知らぬ間に眠りに落ちる。そして眠りから覚めようというころ、ヤン先生が鍼を抜きに来て、治療が終わる。これまたいつものことだが、何となく頭も体もすっきりして、気力が湧いてくるのを感じる。

東京では、イメージフォーラムで1日だけ講師もします。
http://www.imageforum.co.jp/school/summerschool/documentary.html

Wednesday, July 09, 2008

ロンドンへ行きます

お知らせです。

明日(10日)からロンドンに行きます。
川喜多かしこさん生誕100年記念のイベントで、日本映画をテーマにしたシンポジウムがあり、それに参加します。
日本からは映画評論家の佐藤忠男さんが参加されます。
橋口亮輔監督も来られる予定だったのですが、体調が悪くキャンセルされたとのこと。残念です。英国側からは、トニー・レインズさん等が参加されます。
また、『選挙』の上映と質疑応答も行います。

http://www.jpf.org.uk/whatson.html

I'm flying to London tomorrow (10th) to attend an event to commemorate the 100th anniversary of Kashiko Kawakita. I'll speak at a symposium on Japanese Cinema along with renowned critics Tadao Sato and Tony Raynes.

CAMPAIGN will be also screened. I'll be at the Q&A.

http://www.jpf.org.uk/whatson.html

Tuesday, July 01, 2008

Kawase @ Japan Society

いきなり決まったんですが、7月3日、NYのジャパン・ソサエティで河瀬直美監督のドキュメンタリー作品上映後、監督ご本人を招いての質疑応答を僕が仕切ることになりました。

http://www.japansociety.org/content.cfm/event_detail?eid=6a558025

河瀬さんとは既に二度も対談をしているので、今回で三回目の顔合わせ。ただならぬ因縁を感じます。なんと入場無料だそうです。NYのみなさん、ぜひご来場ください。劇場ではなく、小さい部屋でやるそうなので、どしどし質問しちゃってくださいませ。

質疑応答があるのは8時からの回ですが、6時15分からの『につつまれて』『きゃからばあ』の上映も見逃せませんぞ。

On July 3rd at Japan Society in New York, I'll be the host of Q&A with Naomi Kawase after the screenings of her documentaries.

http://www.japansociety.org/content.cfm/event_detail?eid=6a558025

This is the 3rd time I meet with her to speak in public. The admission is for free. And the room that takes place is pretty small, so it will be an intimate session. The Q&A session is after the 8:00 PM screening, but don't miss the screening from 6:15 PM, too!

Tuesday, June 24, 2008

『人間の條件』と仲代達矢

NYのフィルム・フォーラムで『人間の條件(第三部)』(小林正樹監督)のプレス用試写会に誘われたので、カミさんと二人で参上した。仲代特集の一環である。

『人間の條件』(1959−61)は、日本軍の中国大陸への侵略戦争を描いた超大作で、三部合わせて10時間近い。第三部だけでも3時間半ある。

全く未見だった僕は、一部と二部を観ずに三部を観ることにためらいを感じながらも、再び仲代さんが来られると聞いて出掛けていったのだが、これが大、大、大傑作。茫然自失した。上映時間の長さなど、全く気にならない。10時間一気に観るのも苦にならないだろうと思った。

こんな映画はもう二度と、世界中の誰にも作れないのではないか。日本映画の黄金時代に、小林正樹がいて、仲代達矢がいて、あらゆる好条件が重なって、初めて可能になった奇跡だと思う。前の日に観た仲代主演の『他人の顔』(勅使河原宏監督)も凄かったし、僕は最近、映画の神様に抱擁されっぱなしである。

しかも今日の試写では、僕とカミさんが並んで座っていたら、「ここ、いいですか?」とカミさんの隣に座ってこられたのが、なんと仲代さんご本人!仲代さんも20年ぶりにご覧になったそうだ。

映画にはインターミッションがあったのだが、映画に入り込みすぎて僕らはしばらく声もあげられなかったし、拍手もできなかった。仲代さんはそれを気にしたのか、「長い映画でしょう」とおっしゃったので、僕らは「いえいえ、全然長いなんて感じません。素晴らしい映画です。こんな映画はもう誰にも撮れないでしょう」と慌てて打ち消した。世界のナカダイも、観客の反応は気になるんだなあと、不思議な親近感を感じた瞬間だった。

それにしても、恐るべきは仲代達矢の演技力と集中力である。3時間半の長編の中、一度として、仲代達矢が「演じている」ことを意識しなかった。仲代達矢は、主人公の「梶」にしかみえなかった。僕は映画を観ている事をいつの間にか忘れ、あたかも自分が戦争を体験しているかのように引き込まれた。ちなみに、『人間の條件』の壮絶なラストを撮る時、小林監督は仲代さんに3日間の絶食と不眠を要求し、仲代さんはそれを実行したそうである。

仲代さんは『人間の條件』を撮る合間に、黒澤の『用心棒』と『椿三十郎』に出たという。日本映画の黄金時代は、掛け値無しの黄金色だった。

Monday, June 23, 2008

キムタクと山さん

キムタク主演のドラマ『CHANGE』の第一回目を、近くの日系レンタル屋で借りてようやく観たんだけど、僕が作った『選挙』と酷似した部分が目白押しで、カミさんと何度も腹を抱えて笑ってしまった。『CHANGE』を作った人は、きっと『選挙』を参考にしていると思う。そう考えないと不自然なほど、似たようなシーンがこれでもか、これでもかと出てくる。そう思うのは僕だけかなあ。

そもそも、ひょんなことから大政党に担がれて補欠選挙に立候補という設定が酷似。キムタクが「若さで改革」と同じキャッチフレーズを繰り返すのなんか、山さんと同じじゃん(笑)。「はい、握手して」とか「走れ」とか選対の人に命令されるとことか、「政策なんかどうでもいい、キャッチフレーズが大事だ」「政策について語りすぎると墓穴を掘るからサワリだけにしろ」とブレーンが言うこととか、組織票を固めながら浮動票を狙うこととか、朝と晩に駅立ちすることとか、キムタクが疲れて昼寝するとことか、似てる場面は枚挙にいとまがない。キムタクが選挙運動から逃避してプラネタリウムを観に行くのは、山さんが独り車ん中で「鉄道ジャーナル」を読むシーンとダブるし、キムタクが地元のバレーボールに参加するのは、山さんが町内の運動会でラジオ体操をするのと重なる。街頭演説してるキムタクからカメラが引いていくと、演説に関心のない通行人がわらわら歩いてるショットなんて、『選挙』の最初の場面とそっくりじゃん!開票状況の報告を電話で受けるとこなんか、白い電話機まで似てる(笑)。他にも挙げ出したらきりがない。

これが全部、偶然だとは思えないんだけどなあ。もちろんそれもあり得るんだろうけど。いや、参考にされてたとしたら、それは光栄なことです。それにしても、キムタクと山さん…(笑)。