NEWS

Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Friday, May 24, 2013

『選挙2』逆取材 "Campaign 2" Reversed Photos

『選挙2』のキャンペーン、始まりました。恒例の逆取材、敢行中。

東京新聞

アクティオ

朝日新聞

共同通信

アースガーデン

Realtokyo

アエラ

アエラ

日本経済新聞

創(土屋豊監督との対談)

北海道新聞

毎日新聞

マガジン9(鈴木邦男さんとの対談)

週刊金曜日

クロワッサン

BLOGOS
世界(宇都宮健児さんとの対談)

時事通信
中日新聞

C2

mid FM

FM 千里

図書新聞

読売新聞(大阪)

京都新聞 毎日新聞(大阪) 産經新聞(大阪)

ラジオ関西

キネプレ ジャーナリストネット ぴあ

ビッグ・イシュー

シネルフレ 大阪日日新聞

関西テレビ

神戸新聞

朝日新聞(大阪)

毎日放送 Voice

佐々木敦さん

日経BP

フライデー

ドキュメンタリストの穴

読売新聞

日刊サイゾー
ニッポン放送

毎日新聞

神奈川新聞

ハフィントンポスト

朝日ウィークリー
ミシマ社

東京MXテレビ「ニッポン・ダンディ」

愛媛新聞

愛媛CATV

J-Wave Jam the World

FM富士

TBSテレビ

朝日新聞

日経新聞

TBSラジオ ウィークエンドシャッフル

人権情報ネットワーク ふらっと

Tokyo FM Timeline
 スポーツ報知

タウン情報おかやま

毎日新聞(岡山)

山陽新聞

中国放送

IWJ

デモクラTV

Wowow

ラジオフォーラム


全国革新懇ニュース

瀬戸内海放送

山陽放送

山陽放送

レディオ・モモ

テレビせとうち

テレビせとうち

中国新聞

ニュースの深層

ヴィンセントラジオ

NHK日曜討論

Thursday, May 16, 2013

「慰安婦=性風俗」という認識の橋下徹

昨日からの橋下の発言修正に騙されてはならない。

橋下は「慰安婦には強制性の証拠はない」と言った。ということは、彼の認識では慰安婦=性風俗。その文脈で橋下は米軍に性風俗の活用を奨励した。つまり橋下は今も昔も軍に慰安婦は必要だという認識。批判を受けていろいろと釈明しているが、誤摩化されてはならない。

その証拠に、橋下は去年8/24にこうツイート。

「強制がないのであれば、当時の社会状況からして慰安所をどう捉えるか。軍人の秩序を保つためいわゆる慰安所が存在したのは日本だけではないし、風俗業は今でも世界各国に存在する。慰安婦と同形態の風俗業も存することは確かだ。問題は慰安婦が国家によって強制連行されたかどうか。」

「現代社会にあっても風俗店についてはきちんと公が監督している。慰安所について公が監督するのは衛生管理・秩序維持の観点から当然だ。問題は慰安婦が、その意思に反して強制されたかどうか。ここが一番のポイント。しかし日本側にはそれを裏付ける証拠がない。」

これらは、彼が慰安婦=風俗と認識してる証拠。

つまり橋下が慰安婦は必要だと言った論理は単純で、次のように要約できる。

「慰安婦に強制性の証拠はないから、要するにはあれは風俗だ。風俗の何が悪い。米軍だって活用すべきだ。戦地では兵士のための風俗が必要だ」

今回の橋下発言が炎上している主な要因は、外国メディアや米軍から反発をくらったことにある。彼らの批判がなかったらここまで炎上していない。橋下はこれまでにも様々な暴言を繰り返してきているが、外圧の助けを借りずに国内メディアや世論が炎上させられないのは本当に情けない限り。

YouTubeにある橋下の「慰安婦は必要だった」発言を観ると、約15分間もの間、記者たちが何も突っ込みを入れずひたすら筆記だけしている。恐らく記者たちは橋下の逆襲を恐れ「聞くだけ」に徹して久しい。だからこそ橋下には歯止めと緊張感がなくなり今回暴走したのでは。因果応報とは恐ろしい。

(ツイートをまとめました)

Friday, May 03, 2013

ピエール・テヴァニアン 来日講演

一橋大学・森千香子先生からのご案内:

ーーー

このたびフランスから反差別の活動家であり、人種差別や性差別をテーマに幅広い執筆活動を展開しているピエール・テヴァニアン氏を招聘し、ヨーロッパにおける排外主義の現状と、これに対する市民団体の取り組みをテーマにした一連の講演会を企画しております。また講演とあわせて、フランスの移民排斥の現状を描いたドキュメンタリー映画の上映もおこないます。

日本でも、新大久保での反韓デモなど、草の根の排外主義が強まる一方、町田や福生での動きなど、行政による上からの排外主義的な措置も顕在化するようになりました。グローバリゼーションに伴い、階層格差や雇用不安などが拡大するなか、排外主義や人種差別もグローバル化する兆しを見せています。

日本とフランスでは、歴史的な文脈こそ異なりますが、近年における排外主義の高揚という点では、驚くほど多くの共通点が存在しています。ピエール・テヴァニアン氏の来日は、グローバル化する排外主義や人種差別について考える貴重な機会ですので、どうぞふるってご参加ください。

----------------------------------------------------------------
ピエール・テヴァニアン 来日講演日程

●5月6日(月) 14時−17時30分 大阪大学(吹田キャンパス)人間科学部 51番教室
上映会&講演会「多文化教育の危機~苦悩するフランス公立学校の現在~」
http://www.respect.osaka-u.ac.jp/activities/events/respect_seminar20130506/
討論者 池田賢市(中央大学) 

●5月7日(火) 17時−20時 同志社大学(烏丸キャンパス)志高館 SK101教室
上映会&講演会「フランス共和国とイスラーム――共生は可能か?」
http://global-studies.doshisha.ac.jp/images/pdf/2013-05-07.pdf

●5月8日(水) 18時—20時30分 東京日仏会館 601号室  
上映会&ディスカッション 「スカーフ論争――メディアがつくった虚構」
http://www.mfj.gr.jp/agenda/2013/05/08/index_ja.php
討論者 森千香子 

●5月10日(金) 16時30分—19時 一橋大学(東キャンパス)2号館 2301 
講演&討論 排外主義を煽るのはだれか? ―― 政治家、マスコミ、学者がうみだすゼノフォビアの合意
討論者 安田浩一(ジャーナリスト)
http://www.law.hit-u.ac.jp/home/pdf/tevanian%20hitotsubashi2.pdf

●5月11日(土) 14時—17時 東京外国語大学 (府中キャンパス) 研究講義棟2F 227教室
上映会&講演会「スカーフ論争―植民地主義によるジェンダー差別か、共生のための原理か」
討論者 徐阿貴(お茶の水大学)

*上映作品は、ジェローム・オスト監督『スカーフ論争——隠れたレイシズム(Un racisme à peine voilé)』(2004年、フランス、カラー、77分、日本語字幕付き)。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
○ピエール・テヴァニアン氏の略歴
1970年生まれ、エコール・ノルマル卒業、哲学アグレガシオン取得。現在は、パリ郊外のドランシーにあるウージェーヌ・ドラクロワ高校教員。リセで哲学を教える傍ら、人種差別や植民地主義をテーマに幅広い執筆活動を展開している。また2000年以来、反差別団体Les mots sont importants(http://Imsi.net/)の共同代表を務める。2003年にフランスで起きたイスラム・スカーフ論争の際には、スカーフ禁止法の制定に反対する市民団体「皆のための学校を」(Une école pour toutes et tous)の設立に関わるなど、人権活動家としても知られている。著書に、Chronique du Racisme Républicain, (Editions Syllepse, 2013);La haine de la religion. Le nouvel opium du peuple de gauche ? (La Découverte, 2013);La mécanique raciste (Editions Dilecta, 2008);La République du mépris. Les métamorphose du racisme dans la France des années Sarkozy (La Découverte, 2007);Le voile médiatique. Un faux débat : L’affaire du « foulard islamique » (Raison d’agir, 2005) など。

Monday, April 15, 2013

橋下徹の96条改定論の欺瞞

橋下徹が96条改定についてトンチンカンな連投ツイート。「絶対に憲法改正が不可能な96条」というが、嘘を言ってはいけない。両院の2/3以上での発議と国民投票の過半数で憲法は改定できる。改定できないのは、そこまでの国民的な合意がないから。「国民の判断を信じる」というなら正々堂々と合意を作ればよい。

橋下は「96条改正は憲法観の問題ではない」とも言うが、詭弁を使ってはいけない。96条の改正要件が厳しいのは、「憲法とは権力を縛るもの」という立憲主義的憲法観を具現化するため。このハードルを緩くすることは立憲主義を弱める行為。つまり96条は「憲法とは何か」という憲法観そのものの問題。

96条で改正要件が厳しく設定されてるのは、橋下みたいな権力者が現れて好き放題に憲法を変えられたら民主主義が終了してしまうから。つまり96条は権力暴走を防ぐ安全装置。それを橋下が解除しようというのは、実は自然な話だ。彼は暴走したい人間なので。

橋下の詭弁に騙されて96条の改正要件のハードルを下げたらどうなるか。橋下が大阪で条例を好き勝手に変えるように、権力者が自分らの都合の悪い事情に出くわすたびに改憲発議をするようになる。1/2なら普通の法律改正と同じだから改憲発議は頻発する。そのたびに国民投票することになる。

そしてそのたびに、憲法の条文は改定の危機に晒される。これでは立憲主義は危うくなる。そうした事態を防ぐためにこそ、96条の改正要件は厳しく設定されているのだ。そういう筋論や理念を全部無視して、単なる形式論に貶めようとするのは橋下徹のいつもの手口。

絶対に騙されてはならない。

(ツイートをまとめました)

Wednesday, April 03, 2013

言葉が「支配」するもの 橋下支持の「謎」を追う


数日前、橋下徹大阪市長率いる日本維新の会が、綱領を発表した。その「基本となる考え方」の第1番目には、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」とある。この夏の参院選では、改憲勢力として自民と合わせ参議院の3分の2を獲ることを目標としているという。

橋下氏の人気には一時の勢いはないと言われているものの、日本維新の会が日本の政治のキャスティングボードを握る可能性はある。僕はそのことに危惧を抱いている。

岩波書店『世界』の編集部から許可を得て、去年の7月号に寄稿した拙稿の全文を掲載する。


ーーー

言葉が「支配」するもの 橋下支持の「謎」を追う
想田和弘(映画作家)

 『世界』編集部から、「なぜ、これほどまでに橋下徹氏が支持されるのか」というお題をいただき、原稿の依頼を受けました。

 僕は大阪出身でもなければ、府民でもありません。日本に住んでさえいません。1993年からニューヨークに住み、あまり売れているとはいえないドキュメンタリー映画ばかりを細々と作っています。仕事上でも、橋下氏を直接取材したこともなければ、お会いしたこともありません。ある意味、「橋下問題」とはかなり遠いところにいる人間です。

 そんな僕にそういう依頼がきたのは、僕がここ数か月、「橋下問題」を気にかけ、ウォッチし、毎日のようにツイッター上で橋下氏の発言や行動を分析したり、批判したりしているからでしょう。そして、橋下氏を支持する人々や、批判する人々と、かなり盛んに意見交換しているからではないかと思います。

 でも、正直申し上げて、「なぜ、これほどまでに橋下徹氏が支持されるのか」という疑問に対する明確な答えを、僕は持っていません。その最大の理由は、明白です。僕が橋下徹氏に政治家として可能性や魅力を感じないばかりか、危険だとさえ思っているので、支持する人の気持ちが分からないのです。

 もちろん、橋下人気の背景に、既成政党の無能・無策ぶりや、行き詰まった経済や福祉制度、原発政策などに対する、人々の鬱積した不満や怒りがあるのは明白でしょう。現状があまりに酷過ぎて、誰かを救世主に仕立てたくなる気持ちも分からないではありません。しかし、威勢はよいけど強権的で大した実績もなく、遵法意識が低く、発言内容がコロコロ変わり、ビジョンも稚拙といわざるをえない橋下氏を、なぜ救い主であると信じられるのか。僕は理解に苦しむのです。

 では、橋下氏を支持する人に聞けば、それが明解になるのでしょうか。僕は、橋下氏を支持する人々とネットを中心にずいぶんやり取りし、彼らの発言をかなりたくさん読み込んできました。しかし、今のところ残念ながら、腑に落ちる、共感できるような見解には出会えていません。むしろ、読めば読むほど、議論すればするほど、謎は深まるばかりなのです。

 とはいえ、そうした作業を進めるうちに、橋下氏を支持する言説に、ひとつの気になる傾向があることに気づきました。そしてその傾向には、「なぜ、これほどまでに橋下徹氏が支持されるのか」というお題について考えるための、重要な糸口があるような気がしてならないのです。

 その、ひとつの「気になる傾向」とは何か。

 それは、多くの橋下支持者は、橋下氏が使う言葉を九官鳥のようにそっくりそのまま使用するということです。例えば、今年2月に起きた大阪市職員に対する「強制アンケート調査」の一件では、アンケート調査の当事者である大阪市役所労働組合のブログに、以下のような書き込みが寄せられていました。

 「普通は社長に反抗すればクビ。大阪市の社長は市民が決めた橋下さん。市長や知事を決めたのは大阪府民、大阪市民です。あなたたちの給料は市民からでてます。大阪市民が橋下さんに全て託したんやから橋下さんに従いなさいよ」
 「業務命令というなら従いましょう。嫌なら辞めましょう」
 「市長が調査に乗り出すと憲法違反を持ち出して公然と批判。調査の原因である自分達がこれまで勤務時間内にやってきたことは完全に棚上げ。既得権益ってこうやって守るんですよというお手本みたいな行動ですね。勉強になります」
 「違憲と思うなら裁判でもすればいい。回答しなかったら処分されるまで。もっとわめいて大騒ぎすればいい。大騒ぎすればするほどいい意味でも悪い意味でも注目を浴びるから。今まで絶対的身分保障の名の下に好き放題してきたことも白日の下にさらされる。私は大阪市民!じっと見ているぞ!」

 橋下市長の発言によく触れている人なら、これらの発言が、語彙も論理も文体も、橋下氏とそっくりだということに気づくでしょう。

 「大阪市の社長は市民が決めた橋下さん」というのは、橋下氏が「民意」を持ち出して自らを正当化したり、市役所を「民間会社」になぞらえて語るときによく使うレトリックですし、「業務命令」「既得権益」「身分保障」などの語彙も、氏が好んで使うキーワードです。「嫌なら辞めろ」というのも、橋下氏の口からよく発せられるフレーズです。これらの文章の主語などを少しだけ書き換えて橋下氏のツイッターに転載したとしても、たぶんそのまま橋下氏の発言として通用してしまうほど、酷似しています。

 つい最近話題になった「毎日放送記者の糾弾事件」でも、同様のことが観察できました。橋下氏が記者会見で、教職員の君が代起立斉唱強制問題について質問した毎日放送の記者を「逆質問」で糾弾した、あの一件です。

 同事件では、その一部始終を記録した動画がユーチューブで広まり、橋下氏の尻馬に乗って記者を侮辱する言葉がネット上に溢れ返りましたが、彼らが多用したのは、「とんちんかん」「勉強不足」「新喜劇」といった言葉でした。動画を実際にご覧になった方なら分かると思いますが、これらはすべて、橋下氏自身が動画の中で発した言葉です。彼らは、「他人を罵る」という極めて個人的な作業にも、自ら言葉を紡ぐことなく、橋下氏の言葉をそっくりそのまま借用したのです。

 これはいったい、何を意味するのでしょうか。

 思考は、言葉です。思考の支配は、言葉を支配することによって成し遂げられます。橋下氏の言葉を進んで使う人々は、橋下氏の言葉によって思考を支配されているといえるのではないでしょうか。そして、思考を支配されているがゆえに、行動も支配されているのではないでしょうか。

 これは何も目新しい現象ではありません。

 僕が今ある種の戦慄を覚えながら思い出しているのは、2001年9月11日に起きた、あの事件です。

 あの日以来、ジョージ・W・ブッシュ米大統領や米政府高官は、「War on Terrorism(テロとの戦い)」というキャッチフレーズをことあるごとに使い始めました。するとどうでしょう。まずその言葉をアメリカのテレビのアナウンサーやコメンテイター、新聞記者たちが競うように使い始め、瞬く間に大多数のアメリカ人が口にし始めました。それはまるでアメリカ中の人々が、一斉にブッシュ大統領にのりうつられたような不吉な光景でした。そして、「War on Terrorism」という言葉に支配され、怯え憤ったアメリカ社会は、合計90万人とも推計される犠牲者が出ることになる、二つの無意味な戦争に突き進んでいったのです。

 いや、アメリカ社会だけではありません。僕は太平洋を隔てた日本の報道機関や政治家、一般市民までもが「テロとの戦い」という翻訳語を当たり前のように使っているのを聞いて、とても奇妙に感じたのを憶えています。

 「テロとの戦い」というスローガンは、明らかにアメリカ側から世界を眺めた、決して政治的に中立ではない言葉です。少なくとも、それを合い言葉に爆撃されたアフガニスタンの一般市民は、米軍の行為を「テロとの戦い」と呼ぶことには釈然としないでしょう。たぶん、彼らにとっての現実を正確に差し示すフレーズは、「米軍による軍事侵略」といった言葉であるはずです。

 しかし、日本人の大半は、米国が打ち出した「テロとの戦い」という言葉を、おそらくほとんど無意識に採用した。同時に、それがかたどる政治的な枠組みに思考や世界観を支配されたのです。そして、行動までを支配された。日本政府が「国際貢献」というもう一つのキャッチフレーズとともに、米軍支援のために自衛隊を差し出したことは、みなさんの記憶にも新しいことでしょう。

 そう考えると、同様の例はいくらでも見つかることに気づかされます。いや、社会が大きく動かされる際には、人々がそれによって思考を支配されるような、キーワードとなる言葉が必ずあるともいえるでしょう。

 最近日本社会を席巻した言葉の例を挙げれば、「構造改革」「抵抗勢力」「規制緩和」「政権交代」「政治主導」…。

 大事なポイントは、これらの言葉は為政者が民衆を羽交い締めにして、無理矢理言わせたものではない、ということです。それらは、たしかに政治家たちによって考案され、社会に投じられた言葉かもしれません。しかし、それらを進んで唱和したのは、わたしたち民衆なのです。

 いや、もちろん、唱和するのを拒んだ人も多数いたでしょう。僕自身のことを申し上げれば、「政権交代」以外の言葉は唱える気になりませんでした。けれども、唱える人の勢いや数がそうでない人を上回っていたからこそ、社会全体がそれらの言葉に動かされたことは否めないのです。

 では、なぜ大多数の人は、好き好んでそれらの言葉を合唱したのか。

 僕は、それらの言葉がそのときどきで、ある種の「リアリティ」を持って人々の心に響くと同時に、感情を動かしたからだと思います。

 例えば、「テロとの戦い」という言葉が2000年代前半に特に効力を持ちえたのは、9月11日の事件が起きたからにほかなりません。それは、「もしブッシュ大統領が9月10日に同じ言葉を発していたら」と想像すれば容易に分かります。おそらくアメリカ人のほとんどがピンとこなくて、「はあ?」と首を傾げたことでしょう。アメリカ人が9月11日以降、「テロとの戦い」に首を傾げるどころか、それを合い言葉に戦争を始めたのは、「祖国がテロリストの魔の手に晒されている」という信憑が(それが正確な状況把握かどうかは別にして)十分成り立ち、恐れと怒りという感情に支配されていたからなのです。

 去年から日本の社会で急速に人々のスローガンとなりつつある「脱原発」という言葉もそうですね。僕は80年代から「脱原発派」の一人ですが、2011年3月10日までは、「脱原発」という言葉を日本で発しても、「ああ、左翼がまた非現実的なことを言ってるな」というレッテルを貼られ、軽蔑の眼差しで見られる場合がほとんどでした。ところがどうでしょう。福島で破滅的な原発事故が起きて以来、この言葉は急激に市民権と力を得ました。言葉そのものは、昔からずっと「脱原発」であるにもかかわらず、まるでそれが別の言葉に生まれ変わったかのように、突然「化けた」のです。そしてその豹変ぶりは、別に脱原発派が急に運動や宣伝がうまくなったことに起因しているわけではありません。原発事故による甚大な被害が実際に起き、急激にリアリティを得て日本人の感情を動かした。だからこそ、「脱原発」という言葉は一夜にして、多くの人々が唱和するスローガンに変貌したのです。

 ここで、橋下徹市長の問題に戻ります。

 なぜ、橋下氏の支持者は、橋下氏が発する言葉を自ら進んで唱和するのか。
 これまでの議論から、おそらく橋下氏が発する言葉が、「テロとの戦い」「脱原発」などの言葉と同様に、ある一定のリアリティを持って人々の心に響いているからだと推論できます。そして、大勢の人々が単純なキーワードによって思考を支配されるような現象は、別に橋下氏周辺に特有なわけではなくて、世界的に頻繁に観察できる「病態」であることが分かります。

 とはいえ、「だから橋下徹という政治家を特別視する必要はない」という結論に至るのは早計でしょう。

 橋下氏が大阪府知事選に当選し、政治家としてデビューしたのは2008年。わずか4年前です。国会議員でいえば、橋下氏は未だに「一年生議員」のようなものです。その彼が、いまでは大阪府市を制圧し、国政進出を狙い、一部では首相候補とさえささやかれている。

 この急速な勢力の伸びは、決して尋常ではありません。このような躍進が可能になったのは、橋下氏が発する言葉に特別な「感染力」があるからこそだと、僕は見ています。

 事実、橋下徹という政治家は、いま日本に存在する他のどの政治家よりも、キャッチフレーズやコピーとなる言葉を数多く発しているように思われます。

 その例を挙げましょう。

 「民意」「選挙で選ばれた代表」「決定できる政治」「既得権益」「二重行政」「大阪都構想」「対案を出せ」「文句があるならお前がやってみろ」「身分保障の公務員」「公務員は上司の命令に従え」「税金で飯を食う官僚」「トップ」「職務命令」「自称インテリ」「学者論議」「マネージメント」「リセット」などなど…。

 これらは、橋下氏が好んで繰り返し使う言葉やフレーズです。そして橋下氏の支持者たちが、あたかも橋下氏になりきったかのように、プロパガンダ・マシーンよろしく連呼している言葉です。みなさんも、少なくともこのうちのいくつかは聞き覚えがあるのではないでしょうか。

 もちろん、これらのほとんどは、橋下氏が一から作り上げた言葉ではありません。むしろ、ありふれた言葉です。しかしこの際、オリジナリティがあるかどうかは、あまり重要ではありません。重要なのは、橋下氏がこれらの言葉を繰り返し発することによって、事実上の専売特許にしてしまっていることです。そして、彼の支持者たちがこれらの「橋下市長の言葉」を、声高に輪唱している。その事実こそが、問題なのです(そういえば、「維新」という言葉も周知の通り橋下氏のオリジナルではありませんが、いまや「維新」といえば「大阪維新の会」を差す場合が多くなってしまいました)。

 僕は野田総理が好んで使う言葉をいますぐ思い出そうとしても、ひと言も思いつくことができません。そして、野田総理の言葉を彼の支持者が合唱する現場を、一度も目撃したことがありません。つまり一国の総理が使う言葉よりも、一地方自治体の首長が使う言葉の方が、世の中に伝染し唱和されている。そういう、かなり特殊な事態がいま日本に生じつつあるのだと思います。

 では、なぜ橋下徹の言葉には「感染力」があるのか。

 橋下氏お得意のフレーズを並べてみると、人々が社会に対して抱いている不満や懸念を掬い上げるようなものであることに気づかされます。しかもそこに、人々の(理性ではなく)感情を煽り立てる何かを感じます。

 例えば「民意」という言葉の裏には、「われわれ民衆の意志が政治に反映されていない」という漠然とした不満が匂いますし、「決定できる政治」というコピーの背景には、「今の政治は何も決定できず無能だ」という恨み節が存在します。「身分保障の公務員」というフレーズの背後にも、「身分保障なんて、俺たち派遣社員には関係ねえよ、チクショー」といった怨念のような感情が基調低音のように鳴り響いています。

 逆に言うと、橋下徹という政治家は、そのような人々の感情の鉱脈のありかを察知し、言葉で探り当てることに長けているのです。そしてそこにこそ、彼の言葉の感染力の強さの秘密があるのだと思います。

 例えば彼が「民主主義」という言葉よりも「民意」という言葉を愛用するのは、前者が政治制度をクールに描写する言葉であるのに対して、後者が有権者の感情に直結している言葉だからではないでしょうか。

 いや、もちろん「民主主義」という言葉も、軍国主義の時代が終わり、新しい時代が始まる予感に満ち満ちていた敗戦直後の日本人にとっては、きわめてダイレクトに感情にアクセスできた言葉であったのではないかと推察されます。だからこそ、「民主主義」という言葉は当時の日本で強力なスローガンとして機能し、社会全体を180度引っくり返す力を持ちえたのだと思います。

 しかし、物心ついた頃から民主主義があたり前の、21世紀に生きる現代人、特に若い世代にとってはどうでしょうか。「民主主義」という言葉は、単に政治制度を指し示すか、使い古された、お題目的な言葉に変質してしまっているような気がします。無論だからといって、民主主義そのものの価値が下落したわけでは決してありません。けれども、少なくとも若い世代の多くが「民意」という言葉の方に、より自己を投影し、当事者となり、感情移入しやすいように感じるとしても、そう不思議ではないのです。

 そして、橋下氏はこのことをたぶん極めて冷徹に理解し、意識的に操作している。それを僕がなかば確信させられたのは、今年の5月10日の橋下氏自身のツイートによってです。彼は放射性廃棄物の処理方法に関する池田信夫氏のツイートに答えて、次のように述べています。

池田「「海洋投棄はけしからん」という感情論が多いが、1万mの日本海溝に沈める技術は確立しており、地層処分より安全」
橋下「こういう技術論を国民コンセンサスに高めるには膨大な政治エネルギーが必要。それをやらずに論を言うのは言うだけの世界。民主主義は感情統治」

 僕はこの短いつぶやきにこそ、橋下氏が考える政治のイメージが集約されているように思います。つまり彼は、「民主主義は国民のコンセンサスを得るための制度だが、そのコンセンサスは、論理や科学的正しさではなく、感情によって成し遂げられるものだ」と言っているのです。

 こうした橋下氏独特の民主主義観は、僕を次のような推論に導きます。

 橋下氏は、人々の「感情を統治」するためにこそ、言葉を発しているのではないか。そして、橋下氏を支持する人々は、彼の言葉を自ら進んで輪唱することによって、「感情を統治」されているのではないか。

 そう考えると、橋下氏がしばしば論理的にめちゃくちゃなことを述べたり、発言内容がコロコロ変わったりしても、ほとんど政治的なダメージを受けない(支持者が離れない)ことにも納得がいきます。そうした論理的ほころびは、彼を支持しない者(感情を統治されていない者)にとっては重大な瑕疵に見えますが、感情を支配された人々にとっては、大して問題になりません。なぜなら、いくら論理的には矛盾しても、感情的な流れにおいては完璧につじつまが合っているからです。

 先述した「毎日放送記者の糾弾事件」はその好例です。この30分近くにわたる女性の記者と橋下市長とのやりとりでは、記者は一貫して、「君が代起立斉唱条例」を立案した張本人である橋下氏に対して、府立高校校長によるいわゆる「口元チェック」の是非を問い質しています。

 記者としては当たり前の発想です。橋下氏が条例を作ったからこそ、教育委員会が起立斉唱命令を出し、校長が「口元チェック」をした。だから、立案者の橋下氏にそのことについて質問する。極めて自然なロジックです。ところが、橋下氏は「自分は条例を作っただけであり、命令を出したのは教育委員会だから、その問いに答えるのは自分の仕事ではない。だから教育委員会に聞け」と言いはり、記者を「勉強不足だ」と責めたてます。

 冷静に考えれば、橋下氏の言うことは論理的に破綻しています。直接命令を出したのは教育委員会かもしれませんが、その元になる条例を作ったのは橋下氏なのですから、彼には記者の質問に答える責任があるはずです。少なくとも、質問をする記者が「とんちんかん」などと口汚くなじられる筋合いはありません。

 しかし、動画を観た多くの人々が、橋下氏に対して拍手喝采を送りました。なぜなら、橋下氏が繰り出す言葉には、一貫して「ふざけんなよ、マスゴミのオンナ記者!」という感情が込められていたからです。論理的には矛盾していても、感情的には一本筋が通っていたのです。

 だから日頃からマスコミに不満を抱いていたり、ミソジニー(女性嫌悪)的な暗い思いを抱いていたり、あるいは単に誰かをいじめたい気分に駆られていた人々は、彼の演出する感情に波長を合わせ易かったし、合わせることができた。そして彼が発した「とんちんかん」などという言葉をそのまま借用して、自らの感情をネット上などでぶちまけた。これは、橋下氏の目指している「感情を統治する民主主義」が典型的に機能した例だと言えるでしょう。

 とはいえ、橋下氏の言葉がいくら感情を喚起し、したがって強い感染力があるとしても、それを流通させる手段がなければ、世の中に広く伝播することはできません。しかしこの点でも、橋下氏は非常に抜け目のない戦略家であると言わざるをえません。

 実際、ツイッター上で橋下批判に本腰を入れてまもなく、僕は本当に驚かされました。例えばある日、君が代問題で橋下氏が物議をかもしたニュースについて1日かけてあれこれ論じていると、翌日には職員の入れ墨の件がニュースとして浮上するのでそれについて僕も論じる。ところが次の日には、橋下氏が知識人の誰かをツイッター上で罵倒して、それが問題になる。そして次の日は文楽潰しの問題、次の日は原発、次の日は維新八策…という具合に、ほとんど毎日、日替わり定食のように、何かしら問題、つまりニュースが起きるのです。

 これを逐一取り上げると、どうなるか。僕は毎日毎日、橋下さんのことばかりを論評するはめになります。実際、実に忌々しいことですが、僕はここ数か月、「映画作家」というよりも、「橋下評論家」のようになっています。そしてこれこそが、僕だけではなく、関西のマスメディアが多かれ少なかれ陥っている状況なのです。

 事実、橋下氏は毎朝30分間もの「ぶら下がり取材」と、週に1回2時間にも及ぶ記者会見を行っています。そして関西テレビ報道局デスクの迫川緑氏からシンポジウムの壇上で聞いた話によると、橋下氏は会見を短く切り上げたりせずに、記者の方が根負けするくらい、とことん最後まで付き合うそうです。

 しかも橋下氏は毎日のように新しいネタを提供する。それもたいていは、物議をかもすような過激なネタです。テレビ局としては取り上げざるをえません。しかし迫川氏によれば、ネタがあまりに多すぎるので詳しい取材が追いつかず、とりあえず橋下氏のコメントを主体としたニュースを流す。気がつけば、30分のニュース番組に橋下氏が何度も登場する。そういうサイクルになりがちだそうです。つまり公共の電波で流れるニュース番組が、知らず知らずのうちに「橋下徹ショー」になっているわけです。

 だからといって、メディアは橋下関連の報道をやめることができるでしょうか。彼の政治姿勢や政策が大阪市民や、ゆくゆくは日本国民に重大な影響を与えかねない以上、報道機関には報じる責任があります。しかし報じれば報じるほど、橋下氏の言葉は世の中に伝染して影響力を増し、だからこそ更に報じなくてはならなくなる。そういうジレンマと悪循環が生じているのです。

 ついでに申し添えておくならば、取材者の立場からすれば、これは同時に「ネタに困っても大阪市役所に行きさえすれば、新しいニュースがある」という状況でもあります。ニュースを常に探し求めている者にとっては、これはある種の楽園です(僕もかつてテレビ・ニュースの現場をかじったことがあるので、実感としてそう思います)。つまり橋下氏は、報道機関にとって「おいしいネタ元」になりつつある。そうなれば記者たちも、できれば橋下氏と仲良くしていたいでしょう。険悪になれば、最高の「情報ソース兼タレント」へのアクセスを失いかねないからです。彼に対して報道機関が厳しい批判を加えにくい背景には、ときおり見せしめのように行われる「記者のつるし上げ」の恐怖もあるでしょうが、そういう現場の心理も働いていると思うのです。

 さて、そろそろ紙幅も尽きてまいりましたので、最後に、橋下氏の批判勢力側の言葉の問題について触れたいと思います。

 僕はこの数か月、橋下氏を支持する人々と議論しながら、ある種の虚しさを感じ続けてきました。それは馬の耳に念仏を唱えているような、そういう空虚さです。自分の言葉が、驚くほどまったく相手に響かないのです。

 しかし橋下氏の言葉の感染力とその原因について考察してみると、僕を含めた批判勢力が繰り出す言葉が、氏の支持者に対して「のれんに腕押し」状態であることにも、理由があるのだなという気がしています。

 というのも、僕らが繰り出す言葉も、実はだいたい語彙が決まっているのです。

 「民主主義への挑戦」「独裁」「ヒトラー」「マッカーシー」「戦前への回帰」「憲法違反」「思想良心の自由」「人権を守れ」「恐怖政治」「強権政治」などなど…。

 こうした言葉は、それらを好んで発する人間にとっては、強い感情を喚起しうる強力な言葉です。これらの言葉を橋下氏やその支持者に投げかけるとき、僕らはまるで最強のミサイルを撃ち込むかのように、「どうだ、参ったか〜」という気持ちで発するのです(『世界』を愛読する方の多くはそうではないでしょうか)。実際、たぶん1970年代くらいまでは、例えば「思想良心の自由」という言葉は、まるで水戸黄門の印籠のように、それを発しさえすれば誰もが条件反射的にひれ伏してしまうような、強力な殺し文句でありえたのではないか。(といっても僕は1970年に生まれたので、実際のところはよく分かりませんが)。

 しかし時代は変わり、橋下氏とその支持者に「思想良心の自由を守れ」とか「恐怖政治だ」などという言葉を浴びせても、彼らはびくともしません。「だからなに?」という調子で、面白いくらいに効き目がありません。コミュニケーションが成立しないのです。そして、様々な世論調査で橋下氏の支持率が過半数である以上、かなり多くの日本人が、僕らが繰り出す「黄門様の印籠」には反応しなくなっていると推定できるでしょう。

 おそらく彼らにとっては、これらの言葉はすでにリアリティを失い、賞味期限が切れてしまっているのです。したがって感情を動かしたりはしないのです。彼らは、例えば君が代の問題を語る際にも、「思想良心の自由を守れ」よりも、「公務員は上司の命令に従え」というフレーズの方に、よほど心を動かすのです。僕個人としては、極めて由々しき事態であると思います。

 とはいえ、彼らを責めてばかりもいられません。

 考えてみれば、実は僕らにも戦後民主主義的な殺し文句に感染し、むやみに頼りすぎ、何も考えずに唱和してきた側面があるのではないでしょうか。つまり橋下氏の支持者たちと、同型の怠慢をおかしてきた可能性はないでしょうか。そして橋下氏の支持者たちは、僕らが繰り出す言葉からそのような臭いを敏感に嗅ぎ取っているからこそ、コミュニケーションを無意識に拒絶している。僕にはそんな気がしてなりません。

 もちろん、民主主義的な価値そのものを捨て去る必要はありません。むしろ、ある意味形骸化してしまった民主主義的諸価値を丹念に点検し、ほころびをつくろい、栄養を与え、鍛え直していく必要があるのです。

 そのためには、まず手始めに、紋切り型ではない、豊かでみずみずしい、新たな言葉を紡いでいかなくてはなりません。守るべき諸価値を、先人の言葉に頼らず、われわれの言葉で編み直していくのです。それは必然的に、「人権」や「民主主義」といった、この国ではしばらく当然視されてきた価値そのものの価値を問い直し、再定義していく作業にもなるでしょう。

 橋下氏や彼を支持する人々をコミュニケーションの場に引きずり出し、真に有益な言葉を交わし合うためには、おそらくそういう営みが必要不可欠なのだと思います。

(岩波書店『世界』2012年7月号)

Monday, April 01, 2013

4/2(火)〜『演劇1・2』@下高井戸シネマ

『演劇1・2』下高井戸シネマで明日(4/2 火)から再上映!この後東京で上映する予定は今のところありませんので、どうぞお見逃しなく。

演劇1
4/2(火)〜4/7(日) PM7:25〜(終10:22)
4/6(土)〜4/9(火) PM12:50〜(終3:47)

演劇2
4/8(月)〜4/13(土) PM7:35〜(終10:30)
4/10(水)〜4/13(土) PM12:50〜(終3:45)

※演劇1・2それぞれ別料金となります。
一般1300円 / 学生1100円 / シニア・火曜日みなさま1000円 / 会員900円

Sunday, March 24, 2013

堀潤アナの排除と公共放送

NHKが組織として堀潤アナの排除に向かったことは、番組キャンセルなどの事実から動かしようがない。そしてその背景に原発問題と氏の発言や行動があることは、一連の経緯からしてたぶん間違いないだろう。堀アナの存在はNHKの評価を上げていたと思うが、これで一気に下がると思う。

堀さんがNHKの報道姿勢を批判したり原発問題の映画を作ったりしても、それをNHKの公式見解だと思う人はいない。仮に堀さんが原発に批判的な姿勢で番組を作ったとしても、その姿勢がおかしいと思う局内の作り手は異なる番組を作ればよい。要は堀アナはNHKを揺るがす存在ではなかったはずだ。いや、揺るがすどころか組織の活性化に貢献していたと思う。

そういう堀さんを「NHKを揺るがす存在」として誤って認定し免疫機能を発揮してしまうところに、NHKの本当の病態があるように思う。免疫機能で排除すべきは堀さんではなく、彼を排除しようとした細胞であるはずだ。あべこべだ。

しかしこの病態は今に始まったことではない。僕のささやかな番組制作経験では、局側との試写では僕が面白いと思う場面ほど物言いがつき、削られそうになることが多かった。面白いってことは物議を醸しかねないってことだ。しかしそれが最も嫌われた。面白いことより、平穏であることが好まれた。

今回の堀さん排除の動きは、組織として「平穏であること」を望んだ結果なのだと思う。皮肉なのは、実はその排除の行為は全く平穏ではなく、公共放送としてのNHKにとって大きなリスクを孕んでいるということだ。そしてたぶん排除した側は、そのリスクの大きさに気がついていないということだ。

なぜそんな倒錯が起きるのか。NHKの組織を構成する人々が、「公共」の意味をはき違えていることに根本の原因があるように思う。

NHKの公共性は、政府や党や業界から独立し自由な報道を行うことによって担保される。つまり堀アナのような人が活躍できることが、NHKの公共性そのものである。ところがNHK上層部は「公共=政府見解に寄り添うこと」だと勘違いしているようだ。でないと、堀さんを排除したりはしないはずだ。

普通に考えれば分かる筈なのだが、本来「公共性」の重要な要素は、包容力であるはずだ。なぜなら、世の中にはいろんな考えの、いろんな事情を持った、いろんな人がいる。そのすべてを包摂するのが「公共」だからである。つまり異分子を排除するような動きは、まったくもって、反・公共なのである。

街の広場は公共の場である。誰でも入れるのが基本だ。それが「公共」の概念だからだ。ところが広場の入り口で入れる者と入れない者を選別し始めたらどうか。当然、広場の公共性は薄まる。

NHKは受信料で運営される公共放送である。だから本来、誰でも入れる広場を目指すべきなのである。

(ツイートをまとめました)

Saturday, March 16, 2013

TPPと農業と新自由主義

くどいようですけど、北海道の農業の7割が廃業に追い込まれ、沖縄のコメやサトウキビが100%全滅し、日本の農林水産物全体の4割が壊滅する(つまり農家や漁師や林業の4割が失業する)という試算が出ているのに、それでもTPPを推進する「国益」って、いったいなんですか?

「道の試算では関税撤廃の例外が実現しなかった場合、道内農家の7割が営農を続けられなくなる」(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/449610.html

「県内の農水産業も壊滅的な打撃を受けることになる。県の試算によると、農産物のサトウキビ、乳製品、コメは輸入品などに100%取って代わられる。産業そのものが消滅してしまう事態である。パイナップルや牛肉、豚肉も生産減少率が80~70%と高い。水産物ではカツオ・マグロ、車エビ、イカなどが90%。産業として立ちゆかなくなる恐れが出てくる。農産物と水産物を合わせると、生産減少率は53・1%(580億円)となる。波及効果まで勘案すると、影響額は1422億円に上る。県内のサトウキビ生産農家約1万7千戸、工場従事者約1300人の雇用に深刻な影響を及ぼす。特にサトウキビが基幹産業の離島は経済活動が成り立たなくなり、島が存続するかどうかの岐路に立たされると言っても過言ではない。」(沖縄タイムス)
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-03-16_46591

「海外から安い輸入品が増えるため、農林水産物の生産額が現在の約4割に相当する3.0兆円減るが、輸出増加や消費拡大が補うとした。」(毎日新聞)
http://sp.mainichi.jp/m/news.html?cid=20130316k0000m010058000c&inb=sns

TPPで農林水産物の生産力、今の四割減だよ、四割減!

みんな、ホントに分かってんの?!「攻めの農業」で農業を復活させるというなら、なんで四割も減るんだよ。完全に矛盾している。

自国の農林水産業の生産力が四割も減ると試算を自ら出しながら、なおかつTPPに参加する首相。それを支持してしまうメディアや日本人。

これ、単純に考えて農地の4割が荒廃するってことです。

そしてそれをみんなで許容しちゃうってことです。

日本という国は、自国で食べ物を作ることを放棄した、っていうことです。

想像しにくいかもしれないけど、TPPに入れば、政府の試算ですら少なくとも国産品の4割は店頭から消えるんだよ。

日本人はそのことをイメージできているのだろうか?

たぶん、「農林水産業は四割減るけど、輸出増加等で全体的には0.66%(!)GDPが増える」という説明を聞いて、「ああ、全体的には微増するのか、それならいいや」と数字だけ見て納得しちゃう人が多いのだろう。

数字だけで判断すると本質を見誤ることの見本のような例。

そもそも、TPP推進派などの新自由主義者が金科玉条のように言う「自由競争」ってのも、物凄くいかがわしい。だってその自由競争とやらの結果としてリーマンショックが起きたときに、自由に好き勝手やってた会社は潰れたんですか?

潰れたのはリーマンだけでしょう。他は税金で救済ですよ。

僕はあれを見て唖然としたよ。だって全然自由競争じゃないじゃん。

どころか、普段連中がダニみたいに毛嫌いしている「税金に寄生している貧乏人」の何倍の税金を使ったのか。しかも経営者はボーナスを何億円ももらう。

あんなのの、どこが自由競争なんですか。

いいですか、資本家の連中が「自由競争」と言うとき、その弱肉強食的な圧力に晒されるのは、彼らではないんですよ。彼らはその枠外にある。困ったら税金で助けてもらえるんだから。

本当に弱肉強食的な圧力に晒されるのは、99%の一般人です。それを1%が「自由競争」と呼んでいるんですよ。

そもそも、TPPがその典型例であるように、「自由競争」とやらのルールは1%が決める。99%はルールを決めるプロセスには入れてもらえない。

それで「自由に競争しようぜ」って言ったって、誰が有利かなんて最初から分かってるだろ!

興味深いのは、新自由主義的な政治家は「既得権益」という言葉を使って労組や公務員、生活保護者(!)などを攻撃するくせに、絶対に1%の富裕層へは矛先を向けないことです。なぜなら、新自由主義者は1%の究極の「既得権益」のために働いているからですよ。

それにしても、こないだの衆院選で当選した自民党議員295人のうち、205人はTPPに反対を公約してたわけで。それなのにこうなっちゃったってことは、ホントに選びようがないってことだよな。

こうなると、次の選挙では「反TPPの候補に投票しよう」ってことすら虚しくて言えなくなる。だってそうでしょう。反対議員を205人も当選させ、しかもそれで自民が与党になったっていうのに、結果は「TPP参加」なんだからさ。

つまりブレーキを踏んだらアクセルだったってことです。

Saturday, March 09, 2013

TPPと資本主義と民主主義 <その2>

つまり、誰でも加入できる公的保険を導入しようとしたオバマの医療改革が保険業界などからの激しい抵抗にあって骨抜きにされたのは、資本主義が民主主義を屈服させた現象としてとらえるべきなんだ。原発事故が起きても脱原発が進まないのも、同じ現象。

そう考えると、ゴリゴリの新自由主義者である橋下徹が民主主義の破壊者であることは自然だし、与野党問わず新自由主義者が政治家や政府に多数(首相すらも!)紛れ込んでいる状況は、民主主義がトロイの木馬を抱えているようなもので、きわめてマズい状況なのである。

この流れでいくと、たぶん国家も解体もしくは弱体化していく。なぜなら、これまで民主主義は国家という制度を使って発展・成熟してきたわけだけど、民主主義を新自由主義者が攻撃し骨抜きにしていけば、国家もその巻き添えを食わざるを得ないからだ。おそらく。

少なくともTPPはその流れにある。グローバル資本は民主主義が邪魔なので、その器である国家の法律や権限や裁量や境界線を切り崩そうとしている。これを徹底させていけば文字通り国家は亡くなる。その作業を担おうとしているのが、国家主義者であるはずの安倍晋三であることは、なんとも皮肉だ。

つまり今や国家は、国内では政治システムに入り込んだ新自由主義者(=資本の代弁者)から侵蝕され、外からも国際協定などで攻撃を受けている。いや、正確には資本主義の敵は民主主義なので本当は国家などどうでもよいのだが、民主主義を実行する枠組みが国家なので国家を弱体化させようとしている。

最悪なのは、新自由主義者たちが、国家の機能のうち人々を抑圧する機能だけを残し、資本の傭兵のように使い始めるであろうこと。いや、たぶん確実にそうなっていく。

米国ではカネを出せば逮捕権のある非番警官を雇える。以前、アメリカの不動産王が、所有する古いビルを建て替えるため、住民を追い出そうとして対立した事件を取材したことがある。そのとき大家は警官を雇って警備させ、住民側に逮捕者が多数出た。

すでに資本による権力の乗っ取りは進行している。

でもいま進行中の状況は、資本主義が強権を発動して民主主義をねじ伏せようとしているわけではない。そういう局面もたまにあるけど、基本は違う。むしろ人々は進んで民主主義を捨てようとしている。

ここのところを勘違いすると理解が浅くなる。民主主義を浸食している力は、民主主義の外部にあるのではない。民主主義とは人々によって構成されているわけだが、その人々自身が、資本主義の価値観に染められ、民主主義を放棄しようとしている。

その点を理解することが肝心だ。

例えば、各社のこれまでの世論調査ではTPPに賛成と反対が、拮抗しているか、賛成が上回る結果が出ている。世論調査自体が操作的だというのを考慮しても、賛成の人がこれだけいることは見逃せない。賛成する人にとっても、明らかに不利な国際協定であるにも関わらず、である。

もちろんその背景には、TPP=貿易協定と宣伝するメディアを単純に信じ、その本当の不利益を人々が知らないからだという面もあるだろう。でも、それでもTPPが国内の農業を破壊するであろうことは、たぶんみんな承知している。承知した上で賛成している。なぜか?儲かると思っているからだ。

いや、もちろん、ほとんどの人はTPPで儲かるわけがない。むしろ収奪される側である。だけど、 賛成する人は「儲かるんじゃないか」というスケベ心を抱いている。ここが肝心だ。このスケベ心のせいで、不利な契約書に判を捺そうとしている。

そしてこのスケベ心を醸造する背景には、資本主義的価値観が人々の骨の髄まで浸透している事実がある。橋下大阪市長による様々な新自由主義的横暴を社会が止められないのも、まさにその理由によるものだし、原発やTPPが一定の支持を得てしまうのも同根の現象だ。

そのことについては、少し詳しくこのインタビューで述べた。
http://www.magazine9.jp/interv/souda/index1.php

福祉の切り崩しも、文楽つぶしも、TPPも原発も、同じ現象の多様な発露として観た方がよい。

こう書くと「想田は資本主義を否定している」と短絡する人がいる。しかし僕は資本主義的なシステムを社会の基本に据えることには反対していない。それは上記のインタビューでも述べた。

僕が異議を唱えているのは、資本主義的尺度ですべてを測ることなのだ。

Thursday, March 07, 2013

TPPと資本主義と民主主義

「東京新聞」の報道によると、TPPに一旦交渉に参加したら自分の意志でやめれないらしい。それに、既に決まった条件は飲むしかないらしい。

これ、帰れない「ぼったくりバー」みたいだな。

こんなのになんで好き好んで参加すんの??

いったん交渉に参加したら日本の意志で抜けられない、詳しい内容すら不明の国際協定に、日本国民の判断を仰がず、首相が勝手に参加してしまうことは、憲法の国民主権に反すると思うんだけど、どうでしょう?

っていうか、交渉に参加を表明したら最後、日本の意志では抜けられないという極悪な条件を極秘にするって、その時点でTPPは非常にいかがわしいし、首相がその事実を日本国民に極秘にしているならば、首相も極めていかがわしい。

会社であれば、社の利益に反する背任行為でしょうに。

そもそも、交渉内容が極秘でリークでしか伝わってこないTPPという国際協定について、国民はどうやって判断すればよいというのか。「内容が分からないから参加しない」という判断以外ありえないだろう。

それとも皆さんは普段、「内容は極秘だけど悪いようにしないから押印して」って言われて契約書に判を捺すのだろうか?

ISDS条項が各国の憲法よりも上位に位置し、国民主権を侵すことはかなり知られてきた。しかし、各国の国民に交渉内容を極秘にしながら交渉が進められている国際協定であるTPPは、その交渉の仕方そのものが、国民主権に反している。

つまりTPPとは、企業が国民に優越する「企業主権」なのだ。

後世の歴史家は、TPPなどの現象を記述する際に「国民主権を大原則として発展してきた近代民主国家は、この頃から事実上の企業主権へと移行していった」と書くのではないだろうか。それをもしかしたら「表面上は民主主義にのっとって極秘裏に進められた無血革命」と呼ぶかもしれない。

国民主権が無力化された「企業主権」の世の中では、「国民」は解体されて「消費者」や「労働力」になる。実際、そういう変化はもう起きている。現在進行形の変化である。

TPPの草案に、企業の代表である顧問600名はアクセスできても、国民の代表であるアメリカの議員が閲覧できないのは、まさに「企業主権」そのもの。
http://yamachanblog.under.moo.jp/?eid=512

東西の冷戦構造の中で、西側では民主主義と資本主義を混同する言説がまかり通っていたが、そのすり込みは今頃になってボディブローのように効いている。みんなが混同している間に、だましだまし、資本主義が民主主義を飲み込みつつある。

資本主義にとって、民主主義はときに邪魔だからだ。

つまり、いま起きていることは、こうだ。

共産主義と言う強大な敵がいた時代には、資本主義は民主主義を味方にして手を組んだ。しかし共産主義が弱体化し敵でなくなったいま、資本主義は儲けるために民主主義が邪魔になりつつある。だから今度は民主主義を弱体化しようとしている。

「資本主義」の対立軸には、いままで「共産主義」や「社会主義」を想定してきたが、現代においては、それが対立するのは「民主主義」なのである。

民主主義が、資本主義をどのように邪魔するのか。たとえば、公的保険を作ってすべての人に健康保険を享受できる権利を与えようというのは、個人の生存権を重んじる民主主義の発想だが、健康保険に参入して儲けたい保険業界という資本主義勢力には邪魔でしかない。

あるいは、環境基準。資本主義は、本音では環境なんておかまい無しに工場を安く作って汚染水垂れ流しでバンバン生産したいだろうが、民主主義では個人の生存権を重視するので、環境基準を設けて企業の活動に一定の制限を課して縛る。邪魔だ。

あるいは、労働基準。資本主義勢力にとっては、労働力なんて安ければ安いほど良い。しかし、例えば時給50円だったら労働者の人権、生存権など守れない。だから民主主義では労働法を作り企業の活動を制限し、個人の人権を守ろうとする。これも資本主義にとっては、すんごく邪魔。

つまり、資本主義による民主主義への攻撃は、これまでもネチネチと進行してきて民主主義はいま病んで重症なんだが、TPPは民主主義が入院している病院を、今度はバズーカ砲で奇襲攻撃しようとしているわけだ。

これで民主主義は即死するかもしれないし、運良く生き延びても弱体化は避けられない。それは日本だけでなく、攻撃を仕掛けているようにみえている、アメリカだって同じなのである。

人類の歴史は、いまひとつの曲がり角に差し掛かっているのかもしれない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013030702000237.html?ref=rank


「東京新聞」TPP参加に極秘条件 後発国、再交渉できず
 2013年3月7日
 環太平洋連携協定(TPP)への交渉参加問題で、二〇一一年十一月に後れて交渉参加を表明したカナダとメキシコが、米国など既に交渉を始めていた九カ国から「交渉を打ち切る権利は九カ国のみにある」「既に現在の参加国間で合意した条文は原則として受け入れ、再交渉は要求できない」などと、極めて不利な追加条件を承諾した上で参加を認められていた。複数の外交関係筋への取材で七日分かった。
 各国は今年中の交渉妥結を目指しており、日本が後れて参加した場合もカナダなどと同様に交渉権を著しく制限されるのは必至だ。
 関係筋によると、カナダ、メキシコ両政府は交渉条件をのんだ念書(レター)を極秘扱いしている。交渉全体を遅らせないために、後から参加する国には不利な条件を要求する内容だ。後から入る国は参加表明した後に、先発の国とレターを取り交わす。
 カナダなどは交渉終結権を手放したことによって、新たなルールづくりの協議で先発九カ国が交渉をまとめようとした際に、拒否権を持てなくなる。
 交渉参加に前向きな安倍晋三首相は、「『聖域なき関税撤廃』が前提ではないことが明確になった」と繰り返しているが、政府はカナダとメキシコが突きつけられた厳しい条件を明らかにしていない。日本がこうした条件をのんで参加した場合、「聖域」の確保が保証されない懸念が生じる。
 カナダ、メキシコも一部の農産品を関税で守りたい立場で、日本と置かれた状況は似ている。国内農家の反対を押し切り、対等な交渉権を手放してまでTPPの交渉参加に踏み切ったのは、貿易相手国として魅力的な日本の参加とアジア市場の開拓を見据えているからとみられる。
 先にTPPに参加した米国など九カ国は交渉を期限どおり有利に進めるため、カナダなど後発の参加国を「最恵国待遇」が受けられない、不利な立場の扱いにしたとみられる。
 <TPP交渉参加国> 2006年、「P4」と呼ばれたシンガポールとニュージーランド、チリ、ブルネイによる4カ国の経済連携協定(EPA)が発効。これに米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが10年に加わり、9カ国に拡大した。その後、カナダとメキシコも参加を表明し、12年10月の協議から11カ国で交渉している。