MAKING "OBSERVATIONAL" DOCUMENTARY FILMS
『精神』見ました。お医者さんが素晴らしいからでしょう、いい雰囲気の所だなと感心して見てましたし、撮影も見事でした。ただ個人的に思うのは、あくまで素晴らしい先生のもと、例外的な場面に立ち会えたのではないかということ。私事で恐縮ですが、私は想田さんと大学と学部同期で、個人的に名前も存じ上げてました。私は入学2年目から失読症に近い状態になり、保健センター?(駒場キャンパスの隅にありましたよね)のすすめで精神科デイケアに通った経験がありますが、そこでは「健常者」と「患者」を医師やスタッフ自身が完全に分けており、それはショックを受けるほどでした(時代の違い?)。その個人的体験のせいでしょうか、映画レビューなどで、『「健常者」も「患者」も同じ』と少々安易に(失礼)論じていることには違和感あります。現代では、世間的に比較的容易に論じやすくなったとはいえ、いまだ根強い一線があるのだという認識も、前提として必要なのではと感じますし、その言葉にし難い一線(『現実が苦しいなんて「健常者」も「患者」も同じ』とか言われりゃ、その通りだが、そういう苦しさではないと思うし、そこでも一線ひかれるのかなと)を、今度は撮ってみては?とも思いました。
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『精神』見ました。お医者さんが素晴らしいからでしょう、いい雰囲気の所だなと感心して見てましたし、撮影も見事でした。
ReplyDeleteただ個人的に思うのは、あくまで素晴らしい先生のもと、例外的な場面に立ち会えたのではないかということ。
私事で恐縮ですが、私は想田さんと大学と学部同期で、個人的に名前も存じ上げてました。
私は入学2年目から失読症に近い状態になり、
保健センター?(駒場キャンパスの隅にありましたよね)のすすめで精神科デイケアに通った経験が
ありますが、そこでは「健常者」と「患者」を
医師やスタッフ自身が完全に分けており、それは
ショックを受けるほどでした(時代の違い?)。
その個人的体験のせいでしょうか、映画レビューなどで、『「健常者」も「患者」も同じ』と少々安易に(失礼)論じていることには違和感あります。
現代では、世間的に比較的容易に論じやすくなった
とはいえ、いまだ根強い一線があるのだという認識も、前提として必要なのではと感じますし、
その言葉にし難い一線(『現実が苦しいなんて
「健常者」も「患者」も同じ』とか言われりゃ、その
通りだが、そういう苦しさではないと思うし、そこでも一線ひかれるのかなと)を、今度は撮ってみては?とも思いました。