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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Tuesday, June 24, 2008

『人間の條件』と仲代達矢

NYのフィルム・フォーラムで『人間の條件(第三部)』(小林正樹監督)のプレス用試写会に誘われたので、カミさんと二人で参上した。仲代特集の一環である。

『人間の條件』(1959−61)は、日本軍の中国大陸への侵略戦争を描いた超大作で、三部合わせて10時間近い。第三部だけでも3時間半ある。

全く未見だった僕は、一部と二部を観ずに三部を観ることにためらいを感じながらも、再び仲代さんが来られると聞いて出掛けていったのだが、これが大、大、大傑作。茫然自失した。上映時間の長さなど、全く気にならない。10時間一気に観るのも苦にならないだろうと思った。

こんな映画はもう二度と、世界中の誰にも作れないのではないか。日本映画の黄金時代に、小林正樹がいて、仲代達矢がいて、あらゆる好条件が重なって、初めて可能になった奇跡だと思う。前の日に観た仲代主演の『他人の顔』(勅使河原宏監督)も凄かったし、僕は最近、映画の神様に抱擁されっぱなしである。

しかも今日の試写では、僕とカミさんが並んで座っていたら、「ここ、いいですか?」とカミさんの隣に座ってこられたのが、なんと仲代さんご本人!仲代さんも20年ぶりにご覧になったそうだ。

映画にはインターミッションがあったのだが、映画に入り込みすぎて僕らはしばらく声もあげられなかったし、拍手もできなかった。仲代さんはそれを気にしたのか、「長い映画でしょう」とおっしゃったので、僕らは「いえいえ、全然長いなんて感じません。素晴らしい映画です。こんな映画はもう誰にも撮れないでしょう」と慌てて打ち消した。世界のナカダイも、観客の反応は気になるんだなあと、不思議な親近感を感じた瞬間だった。

それにしても、恐るべきは仲代達矢の演技力と集中力である。3時間半の長編の中、一度として、仲代達矢が「演じている」ことを意識しなかった。仲代達矢は、主人公の「梶」にしかみえなかった。僕は映画を観ている事をいつの間にか忘れ、あたかも自分が戦争を体験しているかのように引き込まれた。ちなみに、『人間の條件』の壮絶なラストを撮る時、小林監督は仲代さんに3日間の絶食と不眠を要求し、仲代さんはそれを実行したそうである。

仲代さんは『人間の條件』を撮る合間に、黒澤の『用心棒』と『椿三十郎』に出たという。日本映画の黄金時代は、掛け値無しの黄金色だった。

Monday, June 23, 2008

キムタクと山さん

キムタク主演のドラマ『CHANGE』の第一回目を、近くの日系レンタル屋で借りてようやく観たんだけど、僕が作った『選挙』と酷似した部分が目白押しで、カミさんと何度も腹を抱えて笑ってしまった。『CHANGE』を作った人は、きっと『選挙』を参考にしていると思う。そう考えないと不自然なほど、似たようなシーンがこれでもか、これでもかと出てくる。そう思うのは僕だけかなあ。

そもそも、ひょんなことから大政党に担がれて補欠選挙に立候補という設定が酷似。キムタクが「若さで改革」と同じキャッチフレーズを繰り返すのなんか、山さんと同じじゃん(笑)。「はい、握手して」とか「走れ」とか選対の人に命令されるとことか、「政策なんかどうでもいい、キャッチフレーズが大事だ」「政策について語りすぎると墓穴を掘るからサワリだけにしろ」とブレーンが言うこととか、組織票を固めながら浮動票を狙うこととか、朝と晩に駅立ちすることとか、キムタクが疲れて昼寝するとことか、似てる場面は枚挙にいとまがない。キムタクが選挙運動から逃避してプラネタリウムを観に行くのは、山さんが独り車ん中で「鉄道ジャーナル」を読むシーンとダブるし、キムタクが地元のバレーボールに参加するのは、山さんが町内の運動会でラジオ体操をするのと重なる。街頭演説してるキムタクからカメラが引いていくと、演説に関心のない通行人がわらわら歩いてるショットなんて、『選挙』の最初の場面とそっくりじゃん!開票状況の報告を電話で受けるとこなんか、白い電話機まで似てる(笑)。他にも挙げ出したらきりがない。

これが全部、偶然だとは思えないんだけどなあ。もちろんそれもあり得るんだろうけど。いや、参考にされてたとしたら、それは光栄なことです。それにしても、キムタクと山さん…(笑)。

Sunday, June 22, 2008

RAN by Kurosawa


昨晩、NYのジャパン・ソサエティで黒澤明の『乱』を観た。

既に映画館も含め4、5回観てたし、あまり好きではなかったので、正直、今回観ようかどうか迷ったくらいだったが、仲代達矢さんが来られるというので観に行った。そして観て良かった!とにかく今回観た感想は、凄まじくも素晴らしい、の一言であった。こんなに自分の中で印象が変わった映画はない。僕がやっと映画に追いついたということか。

僕が『乱』を好きでなかった理由は、望遠レンズを多用した平面的なカメラワークだとか、大げさな演技や台詞回し、メークアップだとか、主に映画のスタイルに関することであった。そのスタイルは、もちろん今もそのままなのだが、そんなことはどうでもいいほど、描かれている世界が映画というジャンルを超越していた。要するに僕の見方が変わったのである。

敢えて一言で総括するならば、それは「因果応報」の映画であった。原因があれば、その結果がある。その当たり前すぎる命題を、冷徹に描ききった映画であった。しかもそれは、良いことをすれば報われ、悪いことをすると罰せられるというような、甘ったるい勧善懲悪ではない。人間の存在や喜怒哀楽など、砂粒のごとく小さく見えるような、もっと大きい宇宙の原理を描いている。

黒澤は「人類への遺言」としてこの映画を撮ったそうだが、僕は初めて、彼の遺言に耳を傾けられたような気がする。

ちなみに、仲代達矢さんは『乱』を演じたときに50歳だったそうで、メークに毎日3時間半かかったそうである。現在75歳だが、映画で観るよりも断然お若いので、不思議な気がした。フィルム・フォーラムでは大規模な仲代特集が始まっている。

Saturday, June 14, 2008

秋葉原とテロリズム

東浩紀氏は朝日新聞への寄稿で、秋葉原事件は幼稚なテロリズムであると指摘した。「社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒り」を背景に、しかし怒りの対象が曖昧で、首相官邸でもなく経団連でもなく、秋葉原へ突っ込んでしまった。そのような分析である。

この指摘は極めて鋭い。事実、この事件に触発されて殺人や爆破を予告する事件が相次ぎ、警察は厳重警戒態勢をしいた。

 携帯電話の会員制掲示板サイトに「明日、九州のある駅で歴史に残る大量殺人する」と書き込まれていることが14日分かり、九州管区警察局は九州の各県警に、JRや私鉄の駅などの警戒と警備強化を指示した。福岡県警は威力業務妨害容疑などにあたる可能性があるとみて捜査を始めた。
 管区によると、14日午前、書き込みを見た複数のサイト利用者から福岡県警などに通報があった。書き込みは同日午前7時19分で、「大量殺人する」とした上で「俺(おれ)も加藤と同じなんだ 加藤に共感したんだ 俺、死刑になる 加藤よりも多い人数を殺す」と書かれていた。加藤は東京・秋葉原の通り魔事件で逮捕された加藤智大容疑者を指すとみられる。(6月14日、毎日新聞)

 インターネット掲示板に和歌山市のテーマパークを爆破すると書き込んだとして、和歌山県警和歌山西署は14日、兵庫県西脇市小坂町、アルバイト鉄工員、前田尚希容疑者(23)を威力業務妨害容疑で逮捕した。容疑を認め「本気ではなかった」などと供述しているという。
 調べでは、前田容疑者は12日午後2時50分ごろ、携帯電話でネット掲示板に和歌山マリーナシティ(和歌山市毛見)を「14日に爆破する」などと書き込み、業務を妨害した疑い。
 12日午後8時ごろに掲示板を見た男性が警察に通報。連絡を受けたマリーナシティは13日に各施設を点検し、異常がなかったことから通常通り営業した。 (6月14日、毎日新聞)


この図には、どこかで見覚えがある。そう、イスラム急進派によるテロ情報と、それに右往左往させられる警察、そして市民社会の構図である。イスラムと日本の「テロリスト」たちとの違いは、行為の背景に理論と組織があるかどうか、だけである。

ここで忘れてならないのは、テロリズムはアイデアであり、属性ではないということである。テロリストを一人残らず検挙したとしても、そこにアイデアが残っていれば、それに共感する人間にたやすく感染し得る。

秋葉原事件でもそうだった。犯人は少し前に起きた大量無差別殺人事件という「アイデア」に共感し、感染し、テロリストになった。そして彼がそのアイデアに共感するためには、閉塞感に覆われた社会状況が不可欠だった。のっぴきならぬ不満と怒りが身体と精神に充満していない限り、人はテロリストにはなり得ない。

力による「テロ撲滅運動」は、果てしのないイタチゴッコに他ならない。テロリストは、その温床となる社会的状況がある限り、増殖し続けるからである。また、力に頼ると、権力による市民の監視が強まるなどの副作用も強く、決して望ましい対応法ではない。

テロリズムを抑えようと思うなら、「アイデア」がもはや共感を呼ばぬよう、古くさく感じられるよう、温床となる社会状況を改善することこそが必要であり、近道である。

Wednesday, June 11, 2008

秋葉原事件について

秋葉原事件の犯人が、6月3日から事件前日の7日まで、携帯からネットに書き込んでいた独白を読んだ。

読みながら、犯行に至るまでの彼の心の動きが手に取るように分かり、戦慄を憶えた。

容姿に強いコンプレックスを抱き、友達もいなくて、ネットに書き込んでも無視されるか馬鹿にされ、派遣先からはリストラされそうになり、彼はどんどん袋小路へ入って行く。思考が、身体が、感情が、弾力性を失い硬直化していく。周りの人間が全員敵に見える。殺意が芽生える。

書き込みから受ける印象は、大量無差別殺人鬼のそれというよりも、愛に飢え、自信を失い、疲弊し切った青年のそれである。

いや、多かれ少なかれ、彼のような気持ちを、誰もが経験したことがあるのではないか。「人を殺したい」と思ったことはないけど、それ以外の感情は、僕には憶えがある。僕と彼とは地続きである。だからこそ、戦慄せずにはおれない。

彼のそばに一人でも親身に話せる良き友人が、家族がいたなら、彼はあのような犯罪を犯すこともなかっただろうし、人は死なずに済んだであろう。そのことを僕らは、明確に認識するべきだと思う。

Monday, June 02, 2008

横尾X糸井

横尾忠則氏の展覧会の件は既に何度か書きましたが、横尾氏と糸井重里氏の対談が面白いです。絵画の見方がちょっと変わるかもしれないよ〜。連載10回だって。ご覧あれ〜。そして展覧会を観に行くべし! 6月15日まで。

Friday, May 30, 2008

インタビューと会話



近年のアメリカのドキュメンタリーの多くは、Talking Head(直訳すると「しゃべる頭」)と呼ばれるインタビューを多用する(もちろん例外はある)。その頻繁な使われ方を観ていると、ドキュメンタリーを撮ることは、インタビューを撮ることであると考えられている節すらあるほどである。

事実、アメリカの多くのドキュメンタリストは、インタビューを主軸に据え、その隙間にB-Rollと呼ばれるインタビュー以外の映像を差し挟むことで作品を構成する。そもそも、インタビュー以外の映像をB-rollと呼ぶこと自体に、彼らのドキュメンタリー観が窺える。B-Movie(B級映画)という言葉があるように、Bはあくまでも脇役を表すのであり、主役はあくまでもA-Rollとしてのインタビューであることを示唆しているからである(もちろん、アメリカ人すべてがそう考えているわけではない)。

確かにインタビューは、ドキュメンタリーにとって強力な武器である。きちんとした戦略と哲学と技能を持ってやれば、作品を豊かにもしうる。特に被写体に密着する時間的・予算的な余裕がない場合には、頼りになる。被写体が状況や気持ちの要点をうまくまとめて喋ってくれれば、それだけで作品が成り立ち得るからである。それは、どんなに凡庸な映像しか撮れなくても、気の利いたナレーションをかぶせてしまえば、それなりに作品として成立してしまうことにもよく似ている。

しかし、便利なだけに、インタビューはドキュメンタリーを堕落させる要因にもなりうる。被写体の発言を制作者の都合のいいように繋ぎ合わせると、作品自体が身勝手になってしまうし、インタビューを論理だけでつなぎすぎると、コトが極度に単純化され、現実が持つ複雑で両義的な豊かさが失われてしまう。また、被写体がインタビューで心境を吐露すると、観客はそれだけで何かを理解した気になってしまう嫌いもある。たとえそのインタビューが、アリバイ的に被写体によって語られ、アリバイ的に制作者によって使われたものであっても、である。

そういう理由もあって、僕は『選挙』を撮るときに、インタビューを極力行わない方針で臨んだ。完成した作品のなかにも、ほとんど盛り込まないですんだし、そのことにかなり満足もした。だから、いま編集している『精神』を撮るときも、同じようにインタビューは行わず、ガラスで隔てられた傍観者に徹しようという心づもりでいた。

ところが、実際に撮影を始めてみると、精神科の患者さんたちは、僕を単なる傍観者として放っておいてはくれなかった。いくら僕が存在感を消そうと息をひそめても、カメラを回している僕に話しかけてくる。みんながあたかも僕がそこにいないかのように放っておいてくれた『選挙』の時とは大違いだ。しかも、患者さんたちがしてくれる話がすこぶる面白い。僕は困ったなあとは思いながらも、ある程度自然のなりゆきに身を任せながらカメラを回し続けた。そして、自分のスタイルを優先すべきなのか、撮れた素材の面白さを優先すべきなのか、自問自答しながら、第一回目の撮影期間を終えた。

そんな僕に、ある大きなヒントを与えてくれたドキュメンタリー映画がある。トロントの映画祭Hot Docsで観た、巨匠・エディ・ホニグマンの『Forever』である。この映画は、ショパンやプルーストなどが眠るパリの有名な墓地に訪れる人々にホニグマンがカメラを向け、インタビューするだけのシンプルな作りである。しかし、このインタビューがとにかく味わい深く、時に感動的であり、僕のインタビュー観を根本から変えた。

その特徴は、第一に、登場人物が極めてリラックスしていて、自然体である。カメラに向ってしゃべるときの独特のテンションが感じられない。

第二に、普通のインタビューなら真っ先にトリムされてしまいそうな、彼らが言い淀んだり、考えあぐねたりする「間」もカットされずにたっぷりと残されている。そのため、語り手の思考や感情の微妙な流れがリアルタイムで伝わってくる。話の内容=情報よりも、時間の流れそのものを感じる。

第三に、インタビューをした場所や文脈から離れて、それだけが切り離され独立して恣意的に使われることがない。

第四に、話の内容が説明的でなく、ときに意味することが曖昧で、両義的である。

僕は、登場人物の語りの面白さに圧倒されながら、映画を観終えた。そして、ホテルのロビーで見かけたホニグマンをつかまえ、彼女の映画が、とりわけインタビューがどれだけ素晴らしいか、興奮気味に伝えた。

巨匠は僕に「ありがとう」と言い、「私は登場人物の語りを"インタビュー"というよりも、私との"会話"であると考えている」と静かに付け加えた。この言葉は決定的だった。僕はそのとき、彼女のインタビュー、いや、会話がなぜ面白いのか、その秘密を一気に理解した。すなわち、ホニグマンが登場人物の語りを「インタビュー」ではなく「会話」と呼ぶことそのものに、彼女の姿勢や哲学、方法論が凝縮しているように思えたのである。

このことは、迷っていた『精神』の制作方針に自然な解答を与えてくれた。インタビューではなく、会話をするつもりで患者さんたちの話に耳を傾ければいいのである。

具体的に言えば、撮影のときには、インタビューでなければ訊かないような、純粋に取材者としての問いはなるべく避け、カメラを持っていなくてもそこにいる人間として訊くであろうと思われる質問だけをするよう心がけた。もちろん、実際にはカメラを持って回しているわけだから、あくまでも基本的な姿勢、僕の心構え、あるいは方法論としての話だが。そして、アリバイ的に何かを訊いておこう、という気持ちをグッと抑え、本当に訊ねたいことだけを訊ねるという姿勢を徹底させた。

また、編集では会話が行われた状況や場所、文脈を極力再現し、会話をシーンとして構築するように心がけた。言い換えれば、あたかも観客がその場に居合わせたかのような臨場感を味わえるように苦心した。そして、登場人物が放つ言葉の内容のみならず、そこに流れる時間や息づかいに着目し、沈黙や「間」を可能な限り大事に残した。同時に、僕が撮影中、知らず知らずのうちに「会話」ではなく「インタビュー」してしまっているものを選別し、なるべく削ぎ落としていった。

したがって『精神』には、表面的にはインタビューにみえる、僕と登場人物との会話が、かなりふんだんに盛り込まれている。だから、僕が標榜している「観察映画」にはなっていないんじゃないかという批判も、きっと出てくるに違いない。観察映画の源流であるダイレクト・シネマでは、基本的にインタビューという手法を採用しないからである。

しかし、観察映画の精神の本質は、対象への先入観を極力排して虚心坦懐に観察すること、そして観察の結果としての作品を一義的なメッセージに還元せず、観客それぞれの観察眼にゆだね、解釈を迫ることにある。そういう意味で、『精神』に観察映画の精神は生きていると、僕は信じている。『選挙』のように、観察者と被観察者が、あたかもガラスで仕切られているかのような関係性を結ぶ場合もあるし、『精神』のように、時にガラスが取り払われてごちゃ混ぜになる関係性になる場合もある。それだけの話だと思っている。




写真上=『Forever』のポスター
写真下=エディ・ホニグマンと筆者(トロントにて)

Thursday, May 29, 2008

宝探し

観察映画第2弾『精神』の編集作業は、今、そのおおよそが固まり、仕上げの段階に入っている。あとは英語字幕を付け、整音し、マスターを作るだけである。

ところが、この時期になると「ホントにこれでいいのか?」という疑念が沸々と湧いてくるのが常だから、映画作りとは平坦な道のりではない。締め切りのない自主制作では、なまじ手直しも永遠にできてしまうものだから、始末に悪い。

実際、僕はここ数日間、既に落としたシーンに宝物は混じっていないか、未練がましく掘り起こす作業を始めてしまった。すると、結構あるのである、宝物らしきものが。困ったこと?に。

とはいえ、それを映画に入れようとすると、文脈が乱れたり、冗長になったり、リズムが悪くなったりと、いろいろ不具合も出てくる。出て来てから、ああ、だから入れてなかったんだなあ、と妙に納得したりする。要するに、シーンを落としたのはもう何ヶ月も前のことだったりするから、落とした理由を忘れてしまっているのだ。

それでも、そのようなシーンは、もしかしたら僕が適切な文脈を見つけ出せないからあぶれているだけで、そのうちポンっとどこかにハマり、映画を格段に面白くする可能性もある。その見極めが難しい。

もうしばらく、僕は頭を悩まされそうである。

Friday, May 16, 2008

Sid Bernstein Presents

友人でご近所さんで映画監督のジェイソンが、ビートルズやストーンズを世に送り出した伝説の興行師シッド・バーンステイン氏のドキュメンタリー「Sid Bernstein Presents」を撮った。このシッドさん、子供が日本に住んで日本人と結婚したりして、わが祖国との縁も深いらしい。

ところが、この作品には様々な名曲が出てくる。そりゃそうだ。音楽がテーマの映画だもんな。で、その使用権利を得るのに莫大な金がかかるという。ということで、寄付金を募っているそうです。この映画を観たいと思ったみなさん、じゃんじゃん寄付してください!

Thursday, May 15, 2008

世田谷美術館が熱い!

一時帰国中に出掛けた世田谷美術館「横尾忠則展」を巡って、火種がくすぶっているようだ。

前にも書いた通り、これは東大時代の同級生で学芸員の塚田さんが担当した展覧会。横尾ワールド全開の痛快かつ質の高い大展覧会だった。区内の小・中学校22校が、展覧会ツアーを企画していたのも頷ける。

ところが、事前に下見をした教育委員会が「こんなもの子供に見せられん!」と中止を決定し、各学校に通達したらしい。情けないこと甚だしい。

当の横尾さんも当然ご立腹で、ついにご自身の公式サイトで反撃開始!

さて、どうなることやら?

ーーー
追記:Anonymous さんに教えてもらったのですが、東京新聞夕刊に記事が載りました。

Sunday, May 11, 2008

ドキュメンタリーはフィクションか

ドキュメンタリー映画も作り物である以上、本当のことを映し出すわけではなく、一種のフィクションだという言い方が、最近よく聞かれる。森達也の好著『ドキュメンタリーは嘘をつく』はそれがメインテーマであったし、佐藤真が『現代思想』に寄せた遺稿「ドキュメンタリーもフィクションである」などは、題名からしてそのものズバリである。

たしかに、ドキュメンタリー映画も作り手による創作物である。作家がある現実を前にしたとき、カメラを回すのか、回さないのか、回すとしたらどの角度からどう撮るのか、撮った素材のうち何を使って何を使わないのか、シーンの順番はどうするのか、などと無数の決定を下す過程で、撮られた「現実」はバラバラに解体され、検討され、再構成されていく。同じ現実を10人の作家が別々に撮ったとしたら10通りの別々の作品が出来上がることは必然だし、ドキュメンタリー映画を作るという行為が極めて主観的かつ作為的であることは自明の理である。

それは「観察映画」を標榜する僕の映画でも全く変わらない。ナレーションや音楽を使わないことから、僕の映画には作為がなく、客観的であると思われがちだが、とんでもない誤解である。観察映画も、あくまでも観察の主体である僕の視点を通して描かれた主観的なものであり、究極的には、僕の作為によって練り上げられた創作物である。観察映画は、なるべく先入観を排して現実から虚心坦懐に学ぶ姿勢で撮られるが、撮る主体はあくまでも僕であり、僕の視点を通した観察の結果が映画になる。また、映画を観た観客が様々なことを考え、感じられるように作られているが、それは解釈の余地が広く開かれていることを意味するだけであり、映画が客観的真実を映し出しているわけではない。

観察映画を含めたドキュメンタリーのこのような性質は、論理的に考えてみれば当然すぎることであり、本来ならばわざわざ指摘するほどのことでもない。にもかかわらず、森や佐藤が熱心に語らなければならないのは、ドキュメンタリーといえば剥き出しの真実を映し出すものだと素朴に信じている人々があまりにも多いからである。それは、客観主義と「中立・公正」を標榜する、NHKをはじめとしたテレビ・ドキュメンタリーの悪しき影響でもある。だから、その信仰を打ち砕くための行為には意義があると思うし、異論を挟むつもりはない。

しかし、である。僕が懸念するのは、そういう議論に拍車がかかるあまり、ドキュメンタリーとフィクションを同一視しすぎる傾向が、特に作り手や専門家の間で強まっていることである。例えば、フィリピンのラーヤ・マーティンによる『オートヒステリア』などは、出てくる人物がすべて俳優で、すべてが演技である。僕に言わせれば、これは完全なフィクション映画だから、僕はそれをスペインのドキュメンタリー映画祭「プント・デ・ビスタ」で観るとは思わなかった。森達也の前掲書でも、イスラエルのアヴィ・モグラビによる『ハッピー・バースデー Mr.モグラビ』などを例に挙げ、たとえプロの役者が混じって演技している作品でも、ドキュメンタリーであると言いたげである。

けれども、プロの俳優を使った映画もドキュメンタリーと呼べるのなら、いったいドキュメンタリーとフィクションは何が違うのか。もしかしたら、「プント・デ・ビスタ」の主催者や森は、「違いは無い」と答えたいのかもしれない。しかし、もしそうなら、なぜわざわざ「プント・デ・ビスタ」は「ドキュメンタリー映画祭」を名乗り、森達也は自らを「ドキュメンタリー作家」と呼ぶのか。ドキュメンタリーとフィクションには、本当に何の違いも無いのか。あるいは、「無い」と考えてしまって、ドキュメンタリーは先細りしないのか。

ドキュメンタリーとフィクションの違いを考えるとき、いつも思い出すのが『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年、エドゥアルド・サンチェス、ダニエル・マイリック監督)というホラー映画である。この映画は、魔女伝説についての映画を撮ろうと森に入った学生3人が消息を絶ち、その後、彼らが撮影したビデオテープが発見された、というテロップで始まる。映画は、あたかも発見されたビデオテープをそのまま編集したかのように、つまり、ドキュメンタリーであるかのように展開される。実際には、それはすべて役者が演技したもので、ドキュメンタリーではないのだが、僕は何の前情報も無く映画館に入ったので、映画の中で起きる出来事のひとつひとつが恐ろしく、本気で怖かった。実際、配給会社はこれをフィクション映画であると意図的に公言せず、あたかもドキュメンタリーであるかのようにマーケティングを行ったため、僕も含めた観客は驚愕と戦慄に包まれ、全米興行収入1億4000万ドルという大ヒットを飛ばした。

ところが、この話には後日談がある。後に僕はこの映画がフィクション映画であったことを知り、もう一度ビデオで観たのだが、初見ではあれほど怖かった映画が、全く怖くも何ともなかったのである。むしろ、起きる出来事のひとつひとつがわざとらしくて安っぽく、こんなものに怖がらされたのかと思うと腹が立った。あれほどリアルに思えた役者の演技も、事実を知った上で観れば学生レベルの三流である。この経験には唖然とした。同じ映画を観ても、それをドキュメンタリーだと思って観るのと、フィクションだと思って観るのでは、こうも印象が違うものかということを痛感させられたのである。

要するに、『ブレア・ウィッチ』は、映し出された学生達が現実に存在し、彼らの身に降り掛かった出来事が実際に起きたものだという前提があってはじめて、観客を魅了することができた。そして実はこれは、ドキュメンタリー映画一般に当てはまる大原則なのである。

例えば、僕の『選挙』にしてみても、主人公の山内和彦や自民党の人々が、全くの架空の存在で、プロの役者であるとしたらどうか。作品としての魅力や意義は、おそらく限りなくゼロに近くなるだろう。第一、あれがフィクション映画だったら、あまりにもシーンが撮れてない。山さんのイジメられ方も、夫婦喧嘩も、あまりにも台詞や撮り方が控え目であり、脚本家や監督はいったい何をやっていたんだと思われるのがオチである。にもかかわらず、「あの夫婦喧嘩が面白かったねえ」と言う観客がいるのは、それが山内夫妻という実在の夫婦に、実際に起きた喧嘩を捉えたものであるという前提があるからに他ならない。『選挙』という作品や、その中で展開されるシーンのひとつひとつが、少しでも観客を惹き付けるとするならば、それは、山内和彦や小泉純一郎といった登場人物のすべてが実在し、撮られた出来事がノンフィクションであるからなのである。

その原理は、森達也の『A』でも、佐藤真の『阿賀に生きる』でも、全く同じことである。『A』に出てくるオウム信者やマスコミ関係者、『阿賀に生きる』のじっちゃんやばっちゃんたちが、すべてプロの俳優が演技する架空の人物であったことを想像してみればいい。それでも観客は、『A』や『阿賀に生きる』を同じように愛せるだろうか。

そもそも、ドキュメンタリー=フィクションでいいなら、ドキュメンタリーというジャンルがあることそのものがナンセンスである。ドキュメンタリーという分野が存在し、僕らを虜にするのは、実在する人物や状況を被写体とすることに、独特の面白さ、危うさ、残酷さがあるからである。また、自分の頭の中で脚本を創り上げるのではなく、作品の行く先を現実の流れにゆだねてしまうことによって、「事実は小説よりも奇なり」の正しさを証明するがごとく、作り手や観客の予想を超えた思いがけぬ展開が期待できるからである。

現実を素材にしながらも、そこに作り手の作為と世界観が入り込むことから、ドキュメンタリー作品は虚と実の間を振り子のごとく微妙に揺れ動く。ドキュメンタリーの在処が、単なる「虚」でも「実」でもなく、「虚と実の間」であることがミソである。その危ういバランスがいかにも怪しく、人を惹き付ける。そのことを忘れ、「虚」か「実」のどちらか一方に振り子が振り切ってしまった瞬間に、ドキュメンタリーは根本から崩壊しかねない。それに極めて自覚的になりながら、僕はドキュメンタリーを撮り続けていきたいと思う。

最後に断っておくが、これはドグマでも倫理観の表明でもない。面白い作品を作るための僕なりの戦略であり、方法論であると思っている。

Thursday, May 08, 2008

Back to New York




昨晩、日本からニューヨークに帰ってきた。 時差ぼけ真っ最中。 なんだか忙しかったなあ、今回の日本も。

このごろよく想うんだけど、 昨年2月に『選挙』をベルリン映画祭で公開して以来、 僕はずっとお祭りに参加しているような気がする。映画祭=お祭りのあるところに出向いてばかりなんだから、 当たり前っちゃ当たり前だ。

テンションが上がりっ放しの生活は楽しいし、 起きる出来事はどれもが一期一会的で特別な感じがするんだけど、 いかんせん脳のキャパが限られているのか、 あった出来事を次から次へと忘れていく自分に唖然とさせられる。

このままお祭りの飽和状態が続いたら、いったいどうなっちゃうんだろう。 お祭りがお祭りであるためには、平々凡々とした日常が必要だ。 それに飢えている自分がいる。

Friday, May 02, 2008

日本でのあれこれ

日本に一時帰国して以来思いのほか忙しく、ブログも書くヒマがなかった。ということで、いくつかの出来事を手短に。

4月16日は、世田谷美術館で開かれている横尾忠則展のオープニングに行った。大学時代の同級生・塚田美紀さんが担当学芸員!だからというわけではないけど、非常に見応えある展覧会だった。美術館の2フロアを使い、約500点を展示。ユーモアと茶目っ気と可愛らしさとシュールな不可解さがごった煮になった横尾ワールドに引き込まれた。とにかく面白い。6月15日まで。横尾さんご本人もおられたので、彼を背景に(!)、塚田さんと彼女の旦那さんの写真をパチリ。なんと豪華なバックグラウンド。それにしても、同級生が良い仕事をしていると、嬉しくなるし、刺激になる。

4月21日は、武蔵野美大で『選挙』の上映と特別講義を行った。映画監督で友人の高橋直治さんのお誘いで実現したのだが、こんなに好き勝手しゃべっていいのかなあというくらい、しゃべりまくってしまった。映像を学ぶ学生が相手だと、かなり専門的で難しい話もできるから、普段とは違う面白さがある。とにかく楽しかった。
家族と温泉にも行った。

4月24日は、川喜多財団の坂野さんにお会いした。ロンドンでの記念イベントの打ち合わせである。この日は、他にもいろんな方にお会いした。

4月26日は、河瀬直美さんのドキュメンタリー作品DVD Box 発売記念トークイベントにゲストとして呼ばれ、紀伊国屋ホールで河瀬さんと対談した。前の日に作品を観て臨んだせいか喋りに熱が入り、客席で観ていたカミさんに「あんた、しゃべりすぎ」と言われ冷や汗。

4月28日から、3日間だけ岡山へ出向いた。観察映画シリーズ第2弾『精神』の舞台となった診療所の先生やスタッフの方々、患者さんたちにお会いして、プロジェクトの進行状況などについて報告した。僕の姿を見るなり「映画、できたんですか?!」と駆け寄ってきた人もいた。また、僕が岡山に来たことをどこかで聞きつけた山陽新聞の記者さんからも取材され、関心の高さを実感した。本当にありがたいことである。

5月1日は、劇作家で演出家の平田オリザさんにお会いした。観察映画シリーズ第3弾『青年団(仮題)』の撮影許可を得るためである。ご快諾いただいたので、実現に向け大きく前進した。プロジェクトの趣旨を平田さんに説明したところ、「亡くなった佐藤真さんも同じような企画を考えておられたんですよ」と言われたのでビックリした。そして、深い因縁を感じた。これから撮影の日程をつめていく。

明日、5月3日は、足利映像祭で『選挙』が上映される。山さんも来場予定。楽しみである。
実家の猫・チビ

Sunday, April 20, 2008

Schedule in Japan

5月7日まで日本に滞在予定なんですが、今のところ、次のようなイベントを予定しております。

4月21日(月) 武蔵野美大映像学科で特別講義
http://eizou.musabi.ac.jp/

4月26日(土) 新宿の紀伊国屋で河瀬直美さんと対談(河瀬さんのDVD Box 発売記念イベント)
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/shinjukuseminar.htm#seminar_kawase

5月3日(土)  僕の地元・足利映像祭で『選挙』上映+質疑応答。山さんも来てくれます!
http://ashikaga.info/content/Friendship.php

Friday, April 11, 2008

MoMA screening continues

Screenings at MoMA still goes on.

POV's Cathy Fisher wrote a nice and witty article on the opening night at MoMA. ***Read the article

Also, A.O. Scott of New York Times wrote a great review on CAMPAIGN. ***Read the review

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
http://www.moma.org/calendar/films.php?id=8214&ref=calendar

Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

Tuesday, April 08, 2008

MoMA's screening started!




Thank you, everybody, for coming to the screening at MoMA last night!

I saw so many familiar but unexpected faces among the audience. It made me realize that NY is my home town, and there's nothing like my own home!

Thanks to Yama-san, and MoMA organizers Jytte, William, Paul, and, Aparna, the Q&A after screening was so much fun. I didn't realize that it lasted for an hour!

The projector of MoMA was state of the art, and my film looked so beautiful. It's a rare chance to see it in such a superb condition, so if you didn't make it last night, please come to see it! We still have 5 screenings left.


昨日の上映会に来て下さった方々、ありがとうございました。

ずっとご無沙汰していた懐かしい、意外な方々にもお会いできて、なんだか感無量でした。やっぱりニューヨークは僕の第二のふるさとなんだなあと、今更ながらしみじみ思いました。

山さんやMoMAのスタッフのお陰で、上映後の質疑応答も多いに盛り上がりました。後で聞いたら1時間も続いたそうで、調子にのってベラベラしゃべってたんだなあ、みなさんに迷惑じゃなかったかなあ、とちょっと心配です。でも、楽しかった。

MoMAの上映環境もさすがに超一流で、あれほど高性能のプロジェクターを使ってハイビジョン(HD)で見られる機会は、そうないと思います。
まだ上映が5回残ってますので、まだの方、ぜひご覧下さいませ!

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
http://www.moma.org/calendar/films.php?id=8214&ref=calendar

Wed, April 9, 6:00 PM
Thu, April 10, 6:00 PM
Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

Saturday, April 05, 2008

Yama-san will be at MoMA!


The screenings at MoMA (The Museum of Modern Art) is starting from April 7th.
And the film's protagonist, Kazuhiko "Yama-san" Yamauchi will also be there!
Meet us at the Q&A after the screening on Monday, 7th. It will be a lot of fun.

New York Times' A.O.Scott wrote "“Campaign,” a fascinating Japanese documentary opening Monday at the Museum of Modern Art, is likely to challenge some very basic American assumptions about democracy. ""“Campaign” may invite a certain skepticism about democracy, but it will surely restore your faith in cinéma vérité."

ニューヨーク近代美術館での上映が、4月7日から始まります。主人公の山さんも、急遽、7日の質疑応答に駆けつけてくれることになりました。NYにいるみなさん、ぜひいらっしゃってください。

ニューヨークタイムズに非常に良い批評が載りました。

April 7 - 13, 2008
ONE WEEK ONLY!

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
http://www.moma.org/calendar/films.php?id=8214&ref=calendar

Mon, April 7, 7:00 PM (Q&A with the filmmaker and Yama-san)
Wed, April 9, 6:00 PM
Thu, April 10, 6:00 PM
Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

Friday, March 28, 2008

梅が開花 モロッコの映画祭へ




東京は桜が満開だというのに、ニューヨークはやっと梅が咲いたばかり。やっぱり寒いんだなあ、ここは。

それでも結構暖かくなってきたせいか、散歩をしてると近所の「なじみ猫」と出くわします。
思わず携帯でパチリ! 迷惑そうな顔が可愛いんだな、これが。

来週は一週間、モロッコの「テトゥアン映画祭」に出席します。『選挙』の上映があります。モロッコはおろか、アフリカに行くのは初めて!

でも、映画祭のサイトをチェックしてみたら、『選挙』に[DOC/FICTION]と書かれていました。しかも「CAMPAIGN」じゃなくて「CAMPING」だって!また何かを勘違いしているのでは…。先方にはメールしておきました。「フィクションじゃないよ!しかも題名はキャンピングじゃないよ!」って(笑)。とほほ。
http://www.festival-tetouan.com/carte.php

Sunday, March 23, 2008

編集に苦しくなると

『精神(仮題)』の編集に、頭を悩ませ、胃をきりきりさせる毎日である。

シーンとシーンをつなぎ合わせ、映画としての構造を構築する時期に入り、いつものことながら無限地獄のような苦しみを味わっている最中。ああでもない、こうでもない、妙案を思いついては試し、失望し、壊し、組み立て、また壊す。

『選挙』でもそうだったが、僕は『精神』を撮るときに、いわゆる台本やシノプシスを一切書かなかった。撮影する前に台本を書いてしまうと、自分の書いたこと=先入観にとらわれてしまい、目の前の現実を虚心坦懐に観察しにくくなるからである。

それなのに、編集に苦しくなってくると、「この人、この時もう少しこういう事を言ってくれてたら面白かったのになあ」とか、「もうちょっとこういう状況だったら良かったのに」とか、手前勝手な気持ちがつい頭をもたげてくる。知らず知らずの間に、僕が嫌っているはずの、予定調和でご都合主義的なドキュメンタリー作りに陥ろうとしていて、はっとする。

僕には子供はいないけど、ドキュメンタリー作りは子育てと似ているんじゃないかと、ふと思った。目の前の自分の子をよく観ずに、親としての勝手な理想に無理矢理当てはめようとすると、きっと子供は違和感を感じ、反抗したり、病気になったり、引きこもったりするだろう。

たぶん、子育てもドキュメンタリーも、子供=作品が伸びようとする方向を見極め、手助けをしてあげるくらいが丁度良い。決して無理強いしてはならない。苦しいときにこそ、そのことを忘れずにいたいものである。

Monday, March 10, 2008

Screening Schedule at MoMA


The schedule of screenings at MoMA (The Museum of Modern Art) has been determined!!
April 7 - 13, 2008
ONE WEEK ONLY!

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
www.moma.org

Mon, April 7, 7:00 PM (Q&A with the filmmaker)
Wed, April 9, 6:00 PM
Thu, April 10, 6:00 PM
Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required