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Latest documentary "Oyster Factory" has been officially invited to Locarno International Film Festival 2015! 最新作『牡蠣工場』がロカルノ国際映画祭へ正式招待されました!

Saturday, August 25, 2012

横浜借景とneoneoイベント

8/23は篠崎由紀子さんとハイネ君が企画し出演している「横浜借景」を観た。めちゃくちゃ面白かった。「借景」というだけに横浜の実際のモールを舞台にしてしまうのだが、虚と実の入り交じり方がハンパなく、極めてドキュメンタリー!終始ニヤニヤしてしまった。26日まで1日8回公演。おススメです。

普通の通行人と出演者が入り乱れて「横浜借景」は進む。出演者には独特のテンションがあるのですぐに「演者だな」と分かるんだけど、通行人にもそういうテンションを持ってる人が多くて、だんだんみんなが出演者に見えてくる。僕ら見学者も含めて(笑)。日常生活の演劇性を実感させられたな〜。

途中、出演者がちょっと奇妙なことをしているのを、たぶん本物の警備員らしき人が咎めるハプニングがあったりして、でももしかしたらそれも仕込んであるのかな、なんて思ったりして、ホント、虚と実が入り乱れる。こういう趣旨の企画は昔からあったとは思うけど、作り方が洗練されていて心地よかった。

僕ら観客は無線のヘッドフォンを付けて鑑賞するんだが、そこから流れる効果音、音楽、柴幸男さんのテキストが面白さを増幅している。「百年前、ここは海だった。建物の寿命は80年なので百年後にこの建物はない」という趣旨の言葉が、いまそこに自分がいることの不思議さを実感させて印象的だった。

夜は雑誌『neoneo』創刊記念で上映された小川紳介監督『どっこい!人間節 寿・自由労働者の街』を観た。最初の1分くらい遅れてしまったけど、素晴らしい映画だった。厳しい状況を描いているはずなんだけど、僕には人々が活き活きと見えたし楽観的に思えた。

小川プロのプロデューサーだった伏屋博雄さんに打ち上げでお聞きしたところ、小川監督は三里塚の映画等を撮りながらも、ご本人は左翼思想に興味がなかったらしい。彼の映画が政治的題材を扱ってはいるけど、全然政治的ではなく、そこから横溢するものに溢れているのはそのせいかもしれない。 

石川直樹×諏訪敦彦のトークも面白かった。いわゆる「ドキュメンタリー映画」のど真ん中にいるわけではないお二人にトークを依頼したことに、ドキュメンタリーという概念・手法そのものを問うていこうという『neoneo』の編集方針と気概を感じる。大いに刺激的である。

それにしても、昨晩の『neoneo』の上映+トークがほぼ満席だったことは、とても頼もしく嬉しい現象であった。遅れて入ったので、暗闇のなか席を見つけるのに苦労したけどね笑。
(ツイートを再構成しました)

Sunday, August 19, 2012

尖閣諸島を巡る対立について

尖閣諸島を巡る負の連鎖が恐ろしい。「毅然とした態度」を示したり「領有権を堂々と主張」したりすればするほど、火に油を注ぐ。普段の人間関係に置き換えてみれば当たり前だろう。その単純な原理を理解せず、ガキの喧嘩を煽る政治家やメディアや人々が、日中双方に多過ぎる。甚だ危険だ。

この負の連鎖を加速させたのは石原慎太郎による尖閣購入計画であることは間違いない。野田政権も国有化を宣言して更に事態を悪化させた。この負の連鎖の「原因」を、打開に向けた「ソリューション」だと勘違いする人が多過ぎる。

山谷えり子参院議員や長尾敬衆院議員も尖閣に上陸したらしいが、彼らはそれが解決策であり、中国側が「参りました」と降参すると本気で思っているのだろうか?普通に考えれば、中国側はますます反発を強め、上陸する議員も増えるだろう。すると日本側も同じことをする。その先に何が待つのか?

このまま日中双方の上陸合戦が続けば、逮捕者や小競り合いも増えるだろう。双方の国民の熱狂は高まり、軍事衝突が起きるかもしれない。戦争も起きかねない。日本にミサイルが撃ち込まれるかもしれない。しかしそれでも、いわゆる「愛国者」は「我々は正しいことを主張した。仕方がない」で済ますのか?

「尖閣を守れ」と行動するいわゆる「愛国者」たちは、もしかしたら「大義のためには戦争もやむなし」と考えているのかもしれない。しかし、それが本当に愛国的な態度であろうか?本当に日本や日本人を愛するなら、何が何でも戦争を避けるための行動をとるのではないか?

尖閣諸島問題で強硬論を唱える人は、上陸して逮捕された香港の活動家や政治家たちの、あの怒りと倒錯した「愛国心」で奇妙に歪んだ顔を思い浮かべた方がよい。それは、強硬論者みなさんの鏡像である。

(以上、ツイートをまとめたものです)

ーーー

お詫びと訂正:「山谷えり子参院議員や長尾敬衆院議員も尖閣に上陸したらしい」とツイートしましたが、続報によれば、実際に上陸したのは地方議員5名と民間人5名だったようです。山谷氏らは船上での慰霊には参加しましたが、上陸はしなかったようです。http://bit.ly/NSEOHi

チェルフィッチュの岡田利規さんと対談


8/14、『女優の魂』(8/17〜)を横浜で稽古中の岡田利規さんのところへ押し掛け、『演劇』2部作や演じること、演劇について語り合った。これまた面白かった〜。『演劇vs映画』に収録します。撮影は東風の向坪さん。

Sunday, August 12, 2012

青年団俳優と座談会 Discussion with Actors of Seinendan

青年団の俳優さんたちと座談会をした。参加者は山内健司、島田曜蔵、松田弘子、志賀廣太郎、古舘寛治、能島瑞穂、近藤強の各氏(順不同)。岩波書店から刊行予定『演劇vs映画 ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』に収録予定。

絶えず爆笑しながらも、虚構とは、リアルとは、とますます考えさせられる面白い話がたくさん聞けた。

写真は『演劇』配給会社の社長・木下繁貴さん。最後のだけ僕がカメラをお借りしてパチリ。


志賀廣太郎さん

島田曜蔵さんと能島瑞穂さん

山内健司さん

近藤強さん

松田弘子さん

古舘寛治さん





Saturday, August 11, 2012

平田オリザ氏との対談 Discussion with Oriza Hirata

岩波書店から刊行予定『演劇vs映画 ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』と『世界』に収録予定。あんだけ密着してたのに、オリザさんと差しでちゃんと話したのは初めてかも。めっちゃ楽しかった〜。写真は『演劇』配給会社の社長・木下繁貴さん。うまいっす。







Friday, August 10, 2012

『演劇vs映画 ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』

岩波書店から10月に刊行予定の映画『演劇』本のタイトルが決定した。題して、『演劇vs映画 ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』。挑戦的でしょ?

この本の半分は僕の書き下ろしの文章。あとの半分は、様々な方々との対談や鼎談、座談会を収録する。

今日はライムスター宇多丸さんとの対談、そして青年団の照明家・岩城保さん、舞台美術家(セノグラファー)・杉山至さんとの鼎談を行った。明日は平田オリザさんとの「サシ」での勝負〜(笑)。台本無しのぶっつけ本番は、観察映画と一緒!

ライムスター宇多丸さんと。映画『演劇』から80年代半ば以降のアイドルやお笑いまで、脱線のようで脱線でない話が展開した。

照明家・岩城保さん、美術(セノグラファー)・杉山至さん。二人とも、めちゃシブい!

Thursday, August 09, 2012

逆取材第2弾:演劇な人々 in 大阪 People who interviewed me on Theatre in Osaka

『演劇』2部作を取材して下さった方々を逆取材 in 大阪(まだまだ続きます)。取材して下さったみなさん、ありがとうございました。To be continued!!!!

FM千里

イグザミナ

日本経済新聞

さくらFM

朝日新聞&産經新聞

ラジオ関西

コープ自然派情報誌&神戸新聞&ジャーナリストネット

ラジオの街で逢いましょう

キネプレ&シネルフレ&田辺祐貴さん&ぴあ


カジカジ

大阪日日新聞&毎日新聞

FMあまがさき

中村一成さん

Tuesday, August 07, 2012

逆取材第1弾:演劇な人々 in 東京 People who interviewed me on Theatre 1 & 2

今回も『演劇』2部作を取材して下さった方々を逆取材。その第1弾(まだまだ続きます)。取材して下さったみなさん、ありがとうございました。To be continued!!!!


産經新聞

シアターガイド

東京カレンダー


すばる

デイリースポーツ

シアター・テレビジョン

Choice!

Mammo TV

マガジン9

Real Tokyo

読売新聞

日本経済新聞

キネマ旬報

Sunday, August 05, 2012

近々参加予定のイベント

8/8(水)18時半〜20時半
内田樹先生 × 小暮宣雄先生 x 想田和弘
「異色の顔あわせ3人による“究極の文化論”―オリンピックを凌ぐ意外性―」
@大阪市立「住まいの情報センター」
〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋6-4-20 3F
最寄り駅大阪市営谷町線 天神橋筋六丁目 3号出口 直結 大阪環状線 天満 徒歩 7分
協力券1500円。
→チケットぴあ
http://ticket.pia.jp/pia/event.do?eventCd=1234039&afid=700&__from=twitter
チケットピアでの取り扱いは7日の23時59分までです。お早めにどうぞ。

8/11(土)ドキュメンタリー映画『眠れぬ夜の仕事図鑑』トーク
18:30の回上映後、渋谷のシアター・イメージフォーラム。
http://www.imageforum.co.jp/theatre/

8/12(日)
ドキュメンタリー映画『死刑弁護人』トーク
19時の回上映終了後、ポレポレ東中野。
http://shikeibengonin.jp/news.html

8/14(火)
ドキュメンタリー映画祭「青の映画祭 ~ゆとり世代は止まらない!~」トークゲスト
僕が参加するのは18時半から1時間くらい。
チケットの購入は hanakichigai@gmail.com にお名前、購入枚数をご連絡ください。
http://hanakichigai.info/menu.html

Friday, August 03, 2012

官邸デモに参加して

原発とは暴力であるから、それを否定する脱原発運動は非暴力でなければならない。だから官邸前デモが極めて平和的であること、素晴らしいと思う。それだけに警察の市民を分断するやり方には違和感を抱く。暴力的だとすら思う。

しかし、それでも脱原発運動は非暴力・平和的な手段と雰囲気を粘り強く維持する必要がある。これは運動の根幹に関わる。それにしても、僕が知る限りずっとノンポリだった日本人が、これほどまでに政治的存在として覚醒しつつあること自体、特筆すべきではないか。

また、「人が集まる」ということをあれほど警察が警戒し「集まれなくする」のは、逆に言えば「人が集まる」ことに脅威を感じている証拠であり、デモに意味がある証拠。やはり人間は本能的に群れをなす動物なのであり、群れることで力を発揮する。変な話、僕らは「いかに群れるか」を考えるべき。

そして、今回デモに参加して感じたのは、日本人は元々「群れること」に長けているということだ。強力なリーダーがないなか秩序を保つためには、互いが互いの動きを参照しながら自らの動きを微細に調節していく必要があるが、それは満員電車もサバイブできる日本人のお家芸。決して皮肉ではなく。

この「群れることに長けている」という気質は、下手をするとファシズムの基盤にもなり注意も必要だが、脱原発という目標に向かって集団で恊働するには必要な気質でもある。運動の成否は、この気質をいかに平和的に発揮し、ファシズムに陥ることなく持続できるかということなのではないか。

(ツイッターでのつぶやきをまとめました)

Sunday, July 22, 2012

Peace DVD 7/28にリリース! Peace DVD to be released on July 28


『Peace』のDVDが7月28日にリリースされます。アマゾン等で予約受付中!ライムスター宇多丸さんと想田の撮りおろしロング対談ほか、合計138分の特典映像!本編(75分)の2倍近くあるじゃん汗。日本語(岡山弁)、英語、スペイン語、フランス語字幕付き。

Peace DVD is to be released on July 28th! You can order now on Amazon.co.jo. The main movie comes with Japanese, English, Spanish, and French subtitles!



Thursday, July 19, 2012

8/8鼎談 in 大阪のお知らせ

8月8日 18時半〜20時半
内田樹先生 × 小暮宣雄先生 x 想田和弘
「異色の顔あわせ3人による“究極の文化論”―オリンピックを凌ぐ意外性―」
@大阪市立「住まいの情報センター」
〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋6-4-20 3F
最寄り駅大阪市営谷町線 天神橋筋六丁目 3号出口 直結 大阪環状線 天満 徒歩 7分
協力券1500円。

ちょっと考えただけでも、めっちゃ緊張するわ〜。大丈夫か、オレ???

→チケットぴあ

Monday, July 16, 2012

原発に関するパブコメ提出

エネルギー政策に関するパブコメ(パブリックコメント)を出した。もちろん「2030年までに原発ゼロにする」を選択。本来、全原発の廃炉の作業に即刻着手すべきであり、「2030年までに」というのには不満があるが、他の選択肢を選んだ人が多くて原発を残されちゃかなわない。提出期限は8月12日まで。

原発に関するパブリックコメントを書こうという人は、このサイトを参考にするとよい。ガイドや皆のコメント例もついてて分かり易い。投稿する前に読んどくんだった汗。
http://bit.ly/Lu4KKj

因みに、僕が書き込んだ意見は下記。

2030年までに原発をゼロにする。ゼロになるのが早ければ早い程よい。政治は今こそ決断すべきである。
原発を15%や20−25%に減らしても、原発事故が起きるリスクは多少は低くなっても、ゼロにはならない。特にいま日本は地震の活動期に入ったといわれている。その中で原発を残すことは自殺行為である。福島のような事故がもう一度起きたら、日本は壊滅する。 
また、10万年から100万年は厳重に管理せねばならないといわれる放射性廃棄物の処理方法も全く解決されていない。地層が不安定な日本のいったいどこにどのように埋めるというのか。「トイレのないマンション」のまま、これ以上、放射性廃棄物を作ることは未来の世代に対する犯罪である。普通の原発以上に危険でトラブル続きの「もんじゅ」をあてにした核燃料再処理システムも、実現できる見込みは極めて低く、絵空事といえる。 
以上の理由から、日本は原発ときっぱりと手を切るべきである。原発を無くすことは理想論ではない。それこそが最も現実的な選択である。

Saturday, July 07, 2012

『演劇』2部作について

東京で『演劇1』『演劇2』(観察映画第3弾、第4弾)のマスコミ試写が始まりました。7月中に大阪でも試写をします。僕は8月にキャンペーンで日本に行きます。この秋から、シアター・イメージフォーラムなどで全国順次公開です。合計5時間42分の大長編です。

この映画について書いた文章をここに載せます。

『演劇』2部作について
想田和弘

劇作家・演出家である平田オリザ率いる青年団の演劇を初めて観たのは、2000年10月のニューヨーク公演である。その際上演された、平田の岸田戯曲賞受賞作『東京ノート』(1994年初演)に、強い衝撃を受けた。

ひとことで言えば、それは現実世界を原寸大で再現した、精密モデルのような演劇だった。即興かと思われるほど、リアルな台詞。俳優たちの自然な発話、動作。いわゆる芝居臭さや、押し付けがましいメッセージ性は皆無。演劇にとって枝葉末節な要素を徹底的に削ぎ落としつつ、真に演劇的であるものだけを残したような骨太さ。限りなく無色透明に思えるのに、同時に作者の強い世界観も感じられる不思議な感覚。

観たままの世界をそのまま切り取ることは、現実にカメラを向けるドキュメンタリーですら困難な仕事だが、平田作品はそれを舞台上で難なくやってのけているように見えた。そんなことがどうして可能なのか。何かとてつもない作品を観たような気がした。ただ、目前の作品が、たまたま出来あがった偶然の傑作なのか、それとも作り手の確固たる思想と方法論に基づくものなのか、その時点では判別しがたかった。

2006年3月、青年団は再びニューヨークにやってきた。上演された『ヤルタ会談』と『忠臣蔵・OL編』を観た瞬間、僕は遅まきながら確信した。

「これは絶対に偶然ではない!」

直感の正しさを確かめるため、上演会場で売っていた平田の著書を数冊買い込み、むさぼるように読んだ。そして読みながら、戦慄で鳥肌が立ったのを昨日のことのように憶えている。平田作品に即興はなく、僕が観たどの作品も、稽古場から生まれて確立した方法論と組織論、そして平田独特の世界観に基づいて、極めて精密に構築されていたのである。しかもその創造的実験は80年代後半からたゆまなく続けられていた。僕は呆れるほど遅れて彼らに出会ったに過ぎない。自らの不明を恥じた。僕は演劇については全くの素人だが、表現にたずさわる人間の端くれとして、平田オリザという芸術家に強烈に惹かれた。

私見では、一貫した方法論と哲学に基づいて作品を作り出すという意味で、平田演劇はモダンダンスの巨匠・マース・カニングハムを思わせた。また、盤石の方法論とスタイルで組織を描き続けるドキュメンタリー映画界の怪物・フレデリック・ワイズマンをも想起させた。いずれも僕がこよなく尊敬する偉大な芸術家である。平田オリザが、いかなるメッセージにも奉仕せず世界の描写に徹している姿勢や、多作である点も、両巨匠に似ていると思う。

僕は青年団と平田オリザの活動に並々ならぬ関心を寄せた。許されるなら、彼らの創作現場をつぶさに観察してみたい。そう、思うようになった。そして2008年、友人で俳優の近藤強氏が青年団に入団した事実を知ったのをきっかけに、僕は平田オリザ氏にコンタクトを取り、本企画が実現したわけである。

撮影は、2008年7月から、2009年3月まで、断続的に行われた。撮影の延べ日数は約60日。この間に撮影された演目は合計9本に及び、約307時間の映像素材を得た。1日に最高9時間もカメラが回ったこともある。

撮影は、基本的に僕が一人で行った。これまでの観察映画の方法論通り、台本を作らず、事前の打ち合わせを最小限にして、即興的にカメラを回した。撮影をすることが決まってからは平田の著書を読むことを自らに禁じ、なるべく内容も忘れて、目の前に展開する現実から虚心に学ぶことを心がけた。

膨大な映像素材を編集するのに、これも断続的に約2年間かかった。その過程で、とても1本の作品にはまとめられないことが分かった。最終的には、それぞれ3時間近い、2本の長い映画になった。

『演劇1』では、平田演劇の哲学や方法論を描くことに専念した。平田はどのような演劇観に基づき、いかにして戯曲を量産するのか。演劇を精密に構築するために、平田は稽古場で俳優に何を要求し、俳優はどういう技術を用いて、どう応えるのか。ともに演劇世界を作り出す、照明や舞台美術はどうか。そして、作品を継続的に作って世の中に送り出す装置としての劇団を、平田はどのようにデザインし、どう運営しているのか。約80人が所属する芸術家集団としての青年団をひとつの生き物のようにとらえながら、「平田オリザの世界」を徹底解剖しようとしたわけである。

リアルな演劇を作る方法論を描くことは、必然的に「リアルとは何か」を問い直すことでもある。そしてその裏生地として「虚構とは何か」「演劇とは何か」「演じることとは何か」を問う作業でもある。そもそも、人類はその誕生以来、少なくとも古代ギリシャ時代から、演劇という営みを続けてきたわけだが、それはなぜだろうか。青年団の活動を描くことを通じて、演劇の本質、演劇の原初的な形態に少しでも迫りたいと思った。

『演劇1』で描いたのが「平田オリザの世界」だとすれば、『演劇2』は「平田オリザと世界」と要約できるだろう。青年団は観客の鑑賞体験を最大化するため、基本的に200席以上の劇場では公演を打たない。観客動員が期待できるスターシステムも採用しない。約60人の俳優と約20人のスタッフを抱えながら、そうした禁欲的な制約を自らに課すことは経済的には茨の道であるはずだ。その折り合いを、平田オリザと青年団はどのようにつけ、どのような生き残り戦略を持っているのか。平田は、政界や行政、教育現場に積極的に関わることでも知られているが、そうしたいわば、平田いわく「自分の作品のみならず演劇界を支えるための活動」の現場では、どんなことが起きつつあるのか。

『2』では、演劇と社会、いや、究極的には芸術と社会の関係を問うことになった。それはとりもなおさず、演劇を通して現代社会を見つめ直す作業でもあり、拙作『選挙』や『精神』ともオーバーラップする世界が垣間見えたと思う。そういう意味では、『選挙』『精神』『演劇』は3部作として観ることができるだろう。

僕は平田演劇に魅せられたファンである。だからこそ、撮影と編集の過程を通じて常に念じていたことがある。

「青年団や平田オリザを礼賛するだけのPR映画にはしない」 

それを避けるためには、平田オリザという強烈な個性を持った芸術家と、青年団という芸術家集団を、いったん解体し、僕なりに再構成する必要があった。撮影や編集を始めた当初は、被写体にねじ伏せられるばかりで、それがほとんどできずに苦しんだ。最終的に成功したかどうかの判断は観客にゆだねるが、極めて困難かつスリリングな作業であったことを最後に記しておく。

Thursday, July 05, 2012

多数派と少数派

最近つくづく感じるのは、社会の多数派が動くには「みんながそう言っているかどうか」が決定的に重要で、言われている内容は関係がないということ。例えばマスコミ一社がまともな主張をしても動かない。だけど全社が言い出したら、内容はどうあれ途端に多数派は動きだす。それが多数派の行動基準。

つまり多数派は、自分が多数派に属するように、マイノリティにならないように、自らの意見や行動を形作る。ということは、少数意見がどんなに真っ当でも、それを採用したりはしない。すくなくとも採用したことを公にはしない。自分がマイノリティになってしまうから。

マイノリティになること。これは多数派が最も恐れることかもしれない。なぜなら、多数派は多数派であることをアイデンティティにしているところがある。あるいはニッチ(住処)にしている。逆もまた真なりで、僕みたいに万年マイノリティの人間は、自分が多数派になることを警戒している。

こうした行動基準は、たぶん群れを作る動物としての本能と関わりがある。だから多数派が多数であることに、そして少数派が少数であることにニッチを見出すことは、基本的には未来永劫、変わらないような気がしている。

じゃあ社会の主流の価値観も永久に変わらないのかといえば、そうではない。多数派は多数であることを行動基準にするわけだから、少数派の意見だったものが、何かの拍子に多数派の意見になることはあり得る。というか、人類の歴史はつねにそうであり続けたのではないか。

「民主主義」という価値観だって、最初はものすごく少数派だったはずだ。しかしそれが様々な出来事の積み重ねを経て、そして何かのはずみで「みんな民主主義が良いって言ってるから民主主義でいこうよ」という風に、人間社会がターンをした。その変化の潮目がなんだったのか。個人的に、とても興味がある。


(ツイッターのつぶやきを再構成しました)

Tuesday, July 03, 2012

「夜」というコンセプト

さっき「文明社会の中では季節の変化に対する感性が鈍くなって一年が均質化する」ことについて書いたが、実はそれは「夜」についてもいえる。近日公開される映画『眠れぬ夜の仕事図鑑』(ニコラス・ゲイハルター監督)を観て思った。いま日本でこのツイートを読んでる人はみんなそうですが、現代人は「夜」も侵蝕されているんですよ。

「夜」は長い人類の歴史の中で、ずっと「休む時間」だったんですね。というか、休む以外になかった。真っ暗なんだもん笑。夜と昼は、全然異質な時間だったはずなんです。しかし今はどうか。あんまり関係ないですね、夜か昼かなんて。だからずっと昼間のように振るまっている。「夜」の侵蝕です。

思えば、僕は「本当の闇」というものをほとんど経験していません。唯一経験したのは、バリ島の村祭りに、現地で知り合った人に連れていってもらったときですね。道中、電気がなく月も出てないので、真っ暗闇。信じられないでしょうが、ホントに何も見えない。物凄く怖かったです。これが「闇」なのかと、初めて思った。それまで僕は「闇」のなんたるかを、知らなかったんです。

そしてそのとき初めて、僕は「妖怪」とか「魔物」にリアリティを感じました。この「真っ暗闇」の中なら、得体の知れない何かがうようよしていても全然おかしくない。むしろ想像力があれこれ膨らんでしまうわけです。

だから闇が消えたと同時に、妖怪も消えたんですよ。すべてが人間のコントロール下におかれた。

(ツイッターのつぶやきを再構成しました)

「夏休み」というコンセプト

ここ数日NYは猛暑なので寝不足。仕事の能率も悪い…と書きながら、「夏休み」というコンセプトは偉大だと思った。休めるなら休むのが一番だよね、夏は。こんな中、無理して仕事しようとするから冷房が必要になる。だから原発が必要だっていう人もでてくる。来年からは夏は休もうかな、強制的に。いや、本当に。

実際、ヨーロッパ人とか夏は1か月くらい仕事しない人、多い。あれは徹底してる。メールの返事もぱたっと来なくなるもん笑。パリなんてみんなバカンスに出ちゃうからクーラー自体少ないし。仕事中毒の日本人からすると、どうやって社会が回ってるのか不思議だけど、本気で研究した方がいいと思う。

いずれにせよ、天候や気候に関係なく、いつでもどこでも同じ生活をしようとすること自体が人間の傲慢なんじゃないか。世界中のどこに行っても、昼夜関係なくパソコンに向かって仕事してる僕が言っても説得力ないんだけど笑。

正月のような年中行事の重大性が薄らいできたのも、「人間は自然のサイクルの中で生きている」という感覚が薄らいで、「いつでもどこでも同じ生活をするのが現代的生き方」という発想が根付いたからだと思う。僕もそれにどっぷり浸かっている。でもちょっと見直した方がいいよね、そういうの。

本来、日本人は四季の移り変わりに敏感であったし、だからこそ四季折々の快適な過ごし方とか、俳句などの洗練された芸術も生まれたわけだけど、そういう「自然」に対するセンサーそのものが鈍くなってきたというか、興味すらなくなりつつあるのではないか。原発問題は、そういうことも問いかけているように思う。

(ツイッター上でつぶやいたものを再構成しました)。

Thursday, June 14, 2012

マロの死



実家の猫・マロが車にひかれて亡くなったとの知らせが入った。猫も人も癒す力をもった、ほんとに気だてのいい猫だった。ひき逃げだったが、ひいた人は罪に問われない。ひかれたのが猫だからだ。世の中は不条理である。ちょっとショックが大き過ぎて茫然としている。下記は以前『母の友』に寄稿したエッセイである。

猫薬

 ウチの実家には7.5匹の猫がいる。「.5」は、エサだけ食べにぶらり立ち寄る地域のボス猫である。
 他の七匹は、公園で見て見ぬ振りできなくて拾われたり、生まれたてで誰かにウチの玄関先に置き去りされたりと、それぞれワケアリでウチの子になった元ノラ(元カノのニュアンス)だ。そして、新メンバーが加わる度に、実家における人間関係ならぬ「猫関係」に変化が生じる。
 二年ほど前、一気に子猫が四匹も増えた。すると、成猫で一番の古株・チビに異変が起きた。チビは子猫に出くわす度に激しい剣幕で「ハーッ」と威嚇し、毛を逆立てた。そのうち、子猫が近くにいなくても、虚空に向かってしきりにその動作を繰り返すようになり、しまいにはオヤジが日曜大工で建てた玄関脇の猫用ログハウスに一日中引きこもり、完全に孤立してしまったのだ。
 明らかにチビは精神を病んでいた。全身を剥き出しの神経のようにして、苦しんでいた。他の猫達は、チビを遠巻きに眺め始め、僕ら人間もどうしていいか分からず、オロオロするばかり。
 ところが、新入り子猫のマロだけは違った。マロは何度チビに威嚇され、攻撃されても、まるで「おっかさん、僕です」とでも言うように親密に寄り添っていく。他の猫が恐れをなして決して近寄ろうとしないチビのログハウスにも、平然と入っていっては追い出される。その繰り返しだ。
 そうしているうちに、チビはマロだけには心を開いていった。夜は、なんとログハウスの一つ屋根の下で一緒に寝るようになった。信じられない光景だったが、僕らはホッと胸を撫で下ろし、マロに感謝した。チビの精神状態も少しずつ回復していった。今では随分落ち着いていて、マロ以外の猫ともかなりうまくやっている。
 チビを病気にさせたのは猫関係の難しさだった。しかし、回復させたのも猫関係だった。そのことに、何か深い道理のようなものを感じる。人間の場合でも同じことではないか?映画『精神』の山本昌知医師が、精神病にはどんな最新の薬よりも「人薬」がよく効くと言われていたのを、思い出した。

想田和弘

Monday, June 11, 2012

政治と感情

時事通信「死にたいなら自分で死ね」-松井大阪知事・大阪無差別殺害
大阪府の松井一郎知事は11日、大阪・ミナミで男女2人が無差別に殺害された事件で逮捕された容疑者について、「死にたい言うんやったら自分で死ね。自分で人を巻き込まずに自己完結してほしいですね。どうしても行政の支援も受けずにこの世からいなくなりたいなら止めようがない」と語った。府庁内で記者団の質問に答えた。容疑者は大阪府警の調べに対し、「人を殺してしまえば死刑になると思ってやった」などと供述しているという。(2012/06/11-13:46)
http://bit.ly/Leyyqe


松井氏の橋下・石原・片山化現象…。こういう感情を煽るような発言は、必ず一般受けするんですよ。でも、特に公人が言っちゃマズいです。

だって、この調子で政治家たちが感情を煽る発言で人気取りを始めたら、いったいどうなっちゃうんだよ、この社会。

「他人を巻き添えにしないで一人で死ねよ」と言いたくなるのは、普通の感情。でも、そこで「ちょっと待てよ」と立ち止まって、「なぜ彼はそんな行動に出たのだろう?」と考えるのが理性ある大人でしょう。そうしたら「一人で死ねよ」とは簡単には言えなくなるはず。ましてや政治家なら。

岩波の『世界』7月号にも書いたんですが、橋下氏は「民主主義は感情統治」だと発言しています。人々の感情を統治するためにこそ、感情を煽る言葉を意図的に発しているフシがあるんですね。松井知事は橋下氏の一番近くにいる人物ですから、そういう橋下氏のやり口を取り入れたんじゃないか。

「ああ、政治的に正しい冷静な言葉よりも、政治的に正しくない感情的な言葉の方が人気につながるんだ」と、松井氏に限らず、さまざまな政治家たちが模倣し始めているような気がする。それは禁断の果実ですよ、政治家のみなさん。

まあ、政治的に正しいことを地道にやっても評価されるのに時間がかかる一方で、政治的に正しくない放言をすれば一瞬で人気が高まっちゃうのなら、後者に頼りたくなるのも人情。要は、有権者が放言に対して厳しい態度をとらないとダメなんだよね。

映画も大ヒットだけを狙うなら、観客の感情移入のし易さを最優先して作ればいいんですよ。でも、感情移入のし易い映画が優れているかといえば、逆の方が多い。それは最近のハリウッド映画とか観れば分かるでしょう。

政治的に正しくない放言で人気を取るような行為は、政治家にとってはドラッグのようなものだと思う。一度成功するとやめられない。そのときは快感が得られるし。でもその先に待っているのは衆愚政治。退廃ですよ。それ以外にはありません。

ところで、橋下氏や石原氏、片山氏(そして今回の松井氏)ら煽動的な政治家が使う感情は「怒り」です。これが今の社会で効果的な原因は、怒りが必ずしも悪い感情ではないとされているからなんですね。だって、「不正に対してもっと怒った方がいい」などと平気で言ったりするでしょう。でも怒っちゃダメなんです。

いや、僕も修行が足りないのでついつい怒っちゃうし、「怒っちゃダメだ」というのも怒りなのでやめた方がいいわけですが、まずは「怒りには百害あって一利なし」という事実をよーく認識する必要があるんですね。その認識がないと、怒りを避けることは不可能です。

といっても、これはスマナサーラ長老の受け売りです。そして元々はブッダが言われたことなんですね。ブッダは人間の三大煩悩として「怒り」「貪り」「無智」を挙げました。そのくらい怒りは有害だと考えていたんですね。詳しくは長老の著書等をお読み下さい。http://t.co/cPftwdZa

僕はいわゆる仏教徒ではないんですが、ブッダの教えから学ぶことは非常に多いと思います。ちなみに、日本の仏教はインドから中国や朝鮮半島を経由して輸入された上に日本化されたものなので、ブッダから離れてしまった部分が多くて残念です。

なお、「どんなときにも怒るのはよくない」というブッダの教えは、日本社会だけでなく、たぶんあらゆる社会において異端の思想であり、普通は人々は「自分には怒る権利がある。怒るのは当たり前」と考えているので、たぶん簡単には飲み込めないと思います。これが最大の障壁ですね、たぶん。

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以上、ツイッターでの連投を再構成しました。

Monday, April 09, 2012

4/14から『Peace』in 沖縄

4/14(土)〜27(金)沖縄・桜坂劇場で『Peace』上映します。1日1回。この機会をお見逃しなく。