すぐさま撮影を申し込み、『ニューヨーカーズ』というNHK衛星第1の番組で取り上げさせてもらった。20分の軽めのミニ・ドキュメンタリー・シリーズに無理矢理押し込んだので、編集段階でNHKと物凄く揉めた。尺も短いし十分なことはできなかったけれど、僕にとっては入魂の一作である。
ベアテさんの父親はレオ・シロタという世界的なピアニスト。ベアテさんは子供のころ家族で日本に住んでいた。だがアメリカに留学中に太平洋戦争が勃発。ベアテさんは、日本に残してきた音信不通の両親に会いたい一心で、敗戦後GHQにスタッフとして志願した。それが唯一、日本に入る手段だった。
GHQの一員として来日したベアテさんは、やがて日本国憲法の草案を書くチームに配属された。当時彼女は22歳。唯一の女性。戦前の日本で女性が虐げられているのを目の当たりにしていたため、女性の権利を憲法に盛り込もうと奮闘した。それは両性の本質的平等を定めた憲法第24条として結実した。
日本語が堪能なベアテさんは、GHQ草案を日本語に訳す作業や、日本政府との折衝での通訳としても活躍した。草案は1つ1つ日本側と協議され、両性の本質的平等を定めた第24条については日本側から「日本文化に合わない」と激しい抵抗を受けたそうだ。
紛糾の末、最後はケーディス大佐が「この条文はベアテが書いた。彼女に免じて受け入れないか?」と日本側に提案した。ベアテさんと緊密な交流があった日本側は、結局はそのひと言が決め手になって受け入れたそうだ。因みに両性の本質的平等という概念は、合衆国憲法にもない先進的なアイデアである。
「日本国憲法はアメリカに押し付けられた憲法だから改憲が必要だ」という声が高まっているが、僕は押し付けられて良かったと思っている。少なくとも「婚姻における両性の本質的平等」は無理にでもネジ込んでもらって良かった。あれがなかったら、日本の女性は今よりも不利な立場に置かれただろう。
そもそも、GHQが草案を書くことになったのも、最初に日本側が出して来た新憲法案が大日本帝国憲法とほぼ同じだったからである。GHQが日本の草案をそのまま受け入れていたら、戦後の日本の民主主義はあり得なかった。
無論、GHQに圧力を受けず、最初から日本政府が自主的に民主的な憲法を書けたのなら、それほど素晴らしいことはないだろう。だが、押し付けられた日本国憲法と、自主的に書いた「大日本帝国憲法モドキ」のどちらが望ましいかといえば、圧倒的に前者であろう。
ベアテさんのご冥福をお祈りするとともに、「日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしい」という遺言を、重く受け止めている。
1999年、『ニューヨーカーズ』撮影時に映したスナップ。左から、あの伝説的舞踏家の大野一雄さん、ベアテ・シロタ・ゴードンさん、そして僕。 まだ29歳か30歳。大野さんをNYのダンス界に最初に紹介したのは、ベアテさんだった。撮影期間中にちょうど大野さんがNYに公演でこられていて、他界したベアテさんのお母さんのために踊ってくださった。今考えると奇跡的な番組だ。 |