Wednesday, December 24, 2008

HAPPY HOLIDAYS!


みなさん、よいお年を!
僕は年末年始も仕事…とほほ。
一年中寝正月みたいなニャンコがうらやましい!

想田和弘




Happy holidays, too you all!
But I'm working non-stop this holiday season.
I wish I was a cat...

Kazuhiro Soda

Thursday, December 18, 2008

MENTAL won Dubai! 『精神』がドバイ映画祭で最優秀賞!


MENTAL won the Best Documentary Award at Dubai International Film Festival (Muhr AsiaAfrica Documentary Award) ! I posed for a photo with the director of VACATION which won the Special Jury Prize in the fiction category. I thank again the patients who courageously appeared in the film.

『精神』が、中東で最大規模のドバイ国際映画祭で、アジア・アフリカ・ドキュメンタリー部門の最優秀賞をいただきました!写真でご一緒したのは、アジア・アフリカ・フィクション部門で審査員特別賞を獲られた門井肇監督(『休暇』)です。映画に出て下さった当事者の方々に、改めて感謝しています。

http://www.dubaifilmfest.com/en/media-center/press-room/press-releases/diff-honours-muhr-winners.html

バラエティ・ジャパンに記事が載りました。
http://www.varietyjapan.com/news/movie/2k1u7d00000h2nd0.html

こんな写真も。
http://www.zimbio.com/pictures/82DozqOfTKI/5th+Annual+Dubai+International+Film+Festival/KGjJxqj-__B/Kazuhiro+Soda

Wednesday, December 10, 2008

MENTAL in Berlinale! 『精神』がベルリン映画祭へ!


I'm excited to announce that MENTAL, my latest feature observational documentary shot at a mental clinic in Japan, is now invited to Berlin International Film Festival (Forum, February 5-10), just like my previous movie CAMPAIGN!

It is also invited to Dubai International Film Festival (December 11-18), MoMA's Documentary Fortnight (February 11-28), Buenos Aires Independent Film Festival (March 25 - April 5), Hong Kong International Film Festival (March 22 - April 13), and Visions du Reel (April 23-29). It was world-premiered at Pusan International Film Festival in October, and won the best documentary award (PIFF Mecenat Award) there.

MENTAL will be theatrically released in Japan in June 2009. For details, please check our website below.

MENTAL Website: http://www.laboratoryx.us/mental/



岡山の精神科診療所で撮った最新の観察ドキュメンタリー映画『精神』が、『選挙』に引き続きベルリン国際映画祭フォーラム部門(2月5日−10日)に正式招待されることになりましたのでお知らせします。

『精神』は他にも、ドバイ国際映画祭(12月11日−18日)、ニューヨーク近代美術館のドキュメンタリー・フォートナイト(2月11日−28日)、ブエノスアイレス国際映画祭(3月25日ー4月5日)、香港国際映画祭(3月22日ー4月13日)、ヴィジョン・ド・レアル(4月23日−29日)にも招待されています。今年10月に開かれた釜山国際映画祭で世界初公開され、最優秀ドキュメンタリー賞にあたるPIFF Mecenat賞を受賞しました。

また、日本では2009年6月に劇場公開の予定です。詳しくは公式サイトをご覧下さい。

『精神』公式サイト:http://www.laboratoryx.us/mentaljp/

Wednesday, November 26, 2008

『精神』関係者試写会をやりました

11月22日、岡山で『精神』の関係者向け試写会を行った。映画に登場してくれた患者さん、医師、スタッフ、ボランティアの方々に初めて作品を見せる会だったので、どんな反応が出るのか、正直言って、試写会をやろうと決めたその日から、いや、カメラを回し始めてからずっと不安だった。というよりも、恐怖を感じた。

特に今回は、普通ならモザイクがかけられてしまう精神科の患者さんが、大勢素顔で登場している。普段から自殺願望を抱えている人も少なくなく、映画を公開することで何が起こるか分からない、最悪の事態になったらどうしよう、というのが僕の偽らざる心境だった。

でも、もっと不安だったのは被写体の人々、特に病を抱える当事者の方々だったと思う。自分が出た映画を観たい、いや、どんな風に撮られてるのか不安だから観たくない、そういう揺れ動く心をみんなが経験したと聞いた。実際、「絶対行かない」と公言していた人が直前になって観ようと決意し、会場に来てくれたケースもあれば、その逆もあった。

診療所の患者さんと仕事をする義母は、そうなることを予め見越し「みんなの命を守らにゃいけん」と、試写会前後の支援体勢について色々な手配をしてくれた。診療所のスタッフの方々も、試写会に向けて万全の環境を整えてくれた。

それでも、当日が僕にとって一種のクライシス、危機的状況になるであろうことは、容易に想像できた。詳しいことは後で本にする予定だし、ここには書かないが、実際、これまでの人生でも最大級の修羅場になった。質疑応答の際に、とある患者さんに激しく問い詰められたときは、心底、気が動転したし、その場に立っているのがやっとだった。でも、僕は気を取り直して自分の考えや気持ちを正直に伝えた。他の参加者もそれぞれの意見や感想を述べた。そして、議論するうちに最後にはお互い分かり合えた気がするし、僕を問い詰めた患者さんの表情や言葉も明るくなった。一種のカタルシス。雨降って、地固まった。全身の力が抜けた。

23日には山本先生への3時間に渡るロング・インタビュー、映画に登場してくれた当事者5人の座談会、義母と義父へのインタビューを行った。先に触れた関連書籍に盛り込むためである。

映画を撮ってる最中にも、山本先生にはいろいろ聞きたいことがあったのだが、当事者中心の映画にしたかったから、敢えて聞かずにいた。それがやっと実現できて、いろんな発見もあって、嬉しかった。山本先生は、やっぱり偉大な人だと思う。

当事者の座談会は、試写会後の質疑応答とはうって変わって、和やかな雰囲気で進められた。前の日に僕を厳しく追及した患者さんも、時には泣きながら、時には笑いながら、自分の心境や境遇を改めて語ってくれた。僕は心からホッとした。この映画を撮って良かったと、改めて思った。

映画美学校で講座

12月2日(火)、映画美学校の公開講座「ノンフィクション講座」にゲスト講師として呼ばれています。僕がニューヨークのSVAという美大の映画学科で作った初期の劇映画や、テレビ用のドキュメンタリー作品等を上映しながら、観察映画に取り組むに至った動機や道筋などについて語ります。講座の主である代島治彦氏との対話の形で進行していきます。

一般にも公開されている講座ですので、ぜひご参加を!!!

http://www.eigabigakkou.com/public/index18.html

Tuesday, November 18, 2008

ロボット演劇『働く私』

大阪で平田オリザ氏の新作『働く私』の稽古を撮って、いま新幹線で帰京しているところです(イーモバイルっつーのを勧められて買ったんだけど、新幹線でもパソコンをネットにつなげてスゲー便利。トンネルではさすがに切れちゃうんだけどね)。

『働く私』は、なんとロボット2体と人間の俳優2人がお芝居をするという、世界初の試み。ロボットは三菱重工製のWakamaruというモデルなんだけど、動きや声の抑揚が細かくプログラミングできるので、平田さんの台詞を役者さんと一緒に「演じる」と、ホント、生きてるみたいだった。

http://fringe.jp/topics/2008/10/261.html

Tuesday, November 11, 2008

青年団の撮影、再び

昨日から青年団の撮影を再開した。昨日は、夏から稽古している『冒険王』の仕込み。アゴラ劇場が工事中で、もの凄い騒音の中、搬入やセット・会場作りが行われた。

今回の滞在では、『冒険王』の他、新作『サンタクロース会議』や、世界初のロボットを使った演劇『働く私』の舞台裏と本番を撮影させてもらう予定。

早目に終わったので、筑紫哲也さんの2時間追悼番組に間に合った。前日に見つかった筑紫さんの日記「残日録」を軸にした、凄い番組だった。見終わった後で、番組が出来る過程を後でご家族から聞いて、奇跡的に出来た番組だったんだなあと胸が震えた。改めて、惜しい人に逝かれてしまいました…。

Friday, November 07, 2008

筑紫哲也さん

7日の朝、筑紫哲也さんが亡くなった。
ショックで呆然とするしかない。
東大新聞に籍を置き、ジャーナリストを目指していた頃から、
尊敬し憧れていた。
僕にとってのヒーローだった。
いつかいい仕事をして、番組にゲストとして呼んでもらうんだと、
密かに自分の目標というか、夢にしていた。
もちろん、おこがましくてそんなことはこれまで誰にも言ったことはない。
ところが『選挙』がベルリン映画祭で公開されたとき、
ニュース23で取り上げてもらえた。
あのときは本当に驚いたし、ただならぬ感慨を憶えた。
スタジオには呼んでもらえなかったけど、
人生の新しい章が開いたような気がした。
結局、一度もお目にかかれなかった。
この喪失は大き過ぎる。
僕にとっても、日本にとっても。
明日東京へ向かうので、お別れを言いに行きたいです。

Wednesday, November 05, 2008

Obama Wins

歓喜というよりも、ホッとしました。マケインが勝ったら、本気でアメリカを引き揚げるつもりだったし。それにしても、8年間のダメージは大きかった…。二つの泥沼戦争、未曾有の経済危機、貧富の差の拡大、恐るべき赤字財政…。

アメリカ人、はっきり言って気付くの遅過ぎる。しかし、永遠に気付かないよりはずっといい。乾杯。

Tuesday, November 04, 2008

台湾にて In Taiwan









11月2日から、台湾国際ドキュメンタリー映画祭に出席するため、台湾第3の都市・台中に来ている。摂氏27度!未だにここは夏である。

3日の朝、さっそく他の審査員との顔合わせ。インターナショナル・長編映画コンペティション部門の審査員は僕を含め3人。映画監督のミカエル・ヴェッター氏(65歳のメキシコ在住オーストリア人)、映画監督で台湾国家文化芸術基金所長の黄明川氏(52歳の台湾人)、そして僕(38歳)である。3つの世代が集まったねえ〜と言いながら、朝食ミーティング。

14カ国から集まった15本の作品を4日間で観て、グランプリ1本と次席2本を選ぶ。この前のPBSの番組審査委員会でも思ったけど、他人の作品を審査するというのは、本当に難しい。映画を観た直後にちょっと話しただけでも、他の審査員とは意見が割れる。

結局は、映画を作った人の主観と、選ぶ側の主観が入り乱れ、火花を散らしてぶつかり、共倒れになった落ちどころで順位が決まるような感じ。いずれにせよ、好き嫌いが影響する極めて主観的な作業であり、絶対に科学的ではない。しかし、どの映画を選ぶかで、その映画の運命を左右してしまうようなこともあるから、いい加減には決められない。

その一方で、3日には『精神』の上映があった。釜山での受賞がニュースとして流れていたせいか、上映前から長い行列ができ、場内は満員。
http://www.tidf.org.tw/2008/ch/news_detail.php?&uid=28

上映後もお客さんのほとんどが残ってくれ、白熱した質疑応答が展開された。出された質問は、「あのような診療所は日本では典型的なのか?」「どうやって撮影許可を得たのか?」「被写体にあれほど心を開いてもらえた秘訣は?」「音楽を使わない理由は?」などなど。

観客の主流は、20代らしき若者。とくに女性が多い印象を受けた。質疑応答が時間切れで打ち切られた後も、ロビーでお客さんに取り囲まれ、美術館の閉館で追い出されるまで延々と議論を続けた。『選挙』の上映ときは、ガハハと笑ってハイ解散、という感じが多かったけれど、『精神』はいつまでも議論が尽きない傾向にある気がした。それは正に僕の望むところであるから、時間が許す限りとことん語り合おうと思う。

http://www.tidf.org.tw/2008/ch/news_detail.php?&uid=45

4日には、SVA映画学科時代の盟友で今は台湾に帰っている撮影監督のルーク・チェンとその家族が、僕に会いにわざわざ台北から来てくれた。ルークは僕が学生時代に撮った作品のほとんどで撮影監督(カメラマン)をやってくれた、いわば同じ釜の飯を食った仲である。もうすぐ2歳になる娘さんに初めて会った。ルークは「俺、コイツが幸せなら何がどうなっても全然かまわない」とか言って、娘にメロメロ…。あのルークがねえ、と、彼の髭に白髪が交じっているのをマジマジと見つめながら、深い感慨に包まれた。なんにせよ、親子三人でホントに幸せそうで、心から良かったなあと、僕は感動せずにはおられなかったのである。

Saturday, November 01, 2008

Taiwan Int, Documentary Film Festival

So, I'm heading to Taiwan International Documentary Festival (Oct 31 - Nov 9, 2008). MENTAL will be screened twice, and I'll be at the Q&A session each time. I'll be a jury member for the competition section as well. I'm looking forward to seeing Luke Chen, my pal and DP from film school in NY.
http://www.tidf.org.tw/2008/en/programone.php?&uid=102&fcid=7
Asian Network of Documentary Section
Screening dates: Nov 3 at 19:30 and Nov 5 at 18:30

明日から台湾へ行きます。台湾国際ドキュメンタリー映画祭に出席するためです。『精神』の上映は2回あり、質疑応答もあります。
11月3日(19時半)および11月5日(18時半)。僕はコンペ部門の審査員も務めます。NYの映画学校で一緒だった、相棒で撮影監督のルーク・チェンに久々に会えるのが楽しみです。
http://www.tidf.org.tw/2008/en/programone.php?&uid=102&fcid=7

Wednesday, October 29, 2008

Festival Updates for MENTAL

MENTAL will be invited to the following festivals.
I'm attending Taiwan and Dubai for sure. I'll serve as a jury member in Taiwan, too.

Taiwan International Documentary Film Festival (Oct 31 - Nov 9, 2008)
http://www.tidf.org.tw/2008/en/programone.php?&uid=102&fcid=7
Asian Network of Documentary Section
Screening dates: Nov 3 at 19:30 and Nov 5 at 18:30

Dubai International Film Festival (Dec 11 - 18, 2008)
http://www.dubaifilmfest.com/
Competition Section
Screening dates: TBA

Jogjakarta Indonesia Documentary Film Festival (Dec 7 - 14, 2008)
http://festivalfilmdokumenter.org/
Screening dates: TBA

Buenos Aires Independent Film Festival (Mar 25 - Apr 5, 2009)
http://www.bafici.gov.ar/inscripcion.php
Screening dates: TBA

『精神』がこれから参加することが決まっている映画祭です。台湾とドバイには僕も参加します。台湾では、審査員も務める予定です。

台湾国際ドキュメンタリー映画祭 (Oct 31 - Nov 9, 2008)
http://www.tidf.org.tw/2008/en/programone.php?&uid=102&fcid=7
Asian Network of Documentary Section
上映日程: 11月3日19時30分 5日18時30分

ドバイ国際映画祭 (Dec 11 - 18, 2008)
http://www.dubaifilmfest.com/
コンペティション部門
上映日程:未定

ジョグジャカルタ・インドネシア国際ドキュメンタリー映画祭 (Dec 7 - 14, 2008)
http://festivalfilmdokumenter.org/
上映日程:未定

ブエノスアイレス国際映画祭 (Mar 25 - Apr 5, 2009)
http://www.bafici.gov.ar/inscripcion.php
上映日程:未定

Tuesday, October 28, 2008

共同通信とB&H



昨日(27日)はNYの3番街にある共同通信社で『精神』についてのインタビューを受けた。映画の話をしているうちに、話題は僕が左翼的な学生新聞の編集長だった時代や、思いつきでNYに渡った経緯などにまでさかのぼり、時間にして1時間半に及んだ(写真)。

最後の方で記者のK氏が、「これだけ話を詳しく聞いても、どれだけ紙面に載せれるかは分からないんですよ。新聞社は短い記事を好むので、長いとなかなか載らない。かといって短いと内容が伝わらない。そういうジレンマがあります」と言われた。

ドキュメンタリーと一緒だなと思った。『選挙』も120分フルバージョンはテレビで流れないので、52分バージョンを作った。映画を半分以下にするのには抵抗があったけど、フルバージョンをちゃんとキープするという前提なら、決して悪いことではないと思った。記事もいろんなバージョンを作れたらいいのかもしれないなあ。

インタビューの後、歩いてB&Hまで行き、MacBook Proを買った。実は最新型を買おうかと思っていたんだけど、Firewere400のポートがないし、ディスプレイがGlossyしか選べないので、ひとつ前の型を買った。しかも新型が発売されたお陰で、先週から数百ドルも値段が下がったそうで、めちゃくちゃお得な気がした。

B&Hでは仲の良い友達AがAppleの技術者として働いているので、あれこれ雑談しながら買い物できて面白い。僕があれもこれもとアクセサリーを買おうとすると、「それはXXがよくない」「そんなのOOで代替できる」となかなか買わせてくれない。増設メモリーも、「自分でやればタダだよ。オレが後で教えるから自分でやれよ」と言いはる。お前さん、この店の売上げに貢献しなくていいの?と思い途中から笑えてきた。友達とは、有り難いものである。

Friday, October 24, 2008

CaMPAIGN at MIT - cool japan!






MIT(マサチューセッツ工科大学)とハーバードのジョイント企画「Cool Japan」の一環として、MITで『選挙』の上映と質疑応答をしてきた。

僕とカミさんを呼んでくれたのは、MITの准教授で文化人類学者のイアン・コンドリー氏。ヒップホップやアニメを素材に日本文化を研究している面白い学者さんである。日本語も達者!どうしたらそんなことまで知ってるの?といぶかしくなるくらい、日本のポップカルチャーに精通しておられるので舌を巻いた。でもホントに気さくなお兄さんで、すぐに打ち解けた。

実は、『選挙』をベストコメディに選んでくれたライムスターの宇多丸さんや放送作家の古川さんともマブダチだそうで、世の中の狭さを実感したなあ。
http://playlog.jp/rhymester/blog/archive/200610

イアンさんのアニメのクラスにも参上し、一席ぶった(笑)。

また、軽い夕食を囲んで行われた学生さんとのレセプションでも、一席ぶった(笑)。みんな理系の学生さんだけど、質問も矢継ぎ早に出て、結構盛り上がった。

2泊3日のゆったりとしたスケジュールだったので、夫婦でボストンも堪能できた。真っ先に出掛けたボストン美術館で目をひいたのは、ゴッホの絵だった。『精神』の世界とめちゃくちゃ重なる。こんな所で知らぬ間に繋がっていたのかと、ちょっと驚いた。

そして、同じ部屋にあったドガのバレエ・シリーズは、僕が青年団を描こうとしているのと同じ発想だなと思った。いや、あっちが先だから、僕が知らぬ間に影響を受けていたということなんだろう。

意識しようとしまいと、芸術のジャンルは形を変えて何度も繰り返される。本当のオリジナルなんて、ないのかもしれない。そのことを人ごとのように実感させられた。

Monday, October 20, 2008

CAMPAIGN at MIT

Tomorrow (Oct 21), we're going to MIT in Boston to attend a screening of CAMPAIGN as a part of Cool Japan event. See you there!

明日10月21日は、ボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)で、『選挙』の上映と質疑応答をします。『選挙』のイベントに行くのは久しぶり!

Date: Tuesday October 21, 2008
Time: 7:00-10:00 PM
Location:
MIT 32-141 (Stata Center)
32 Vassar Street
Cambridge, MA
02139

http://web.mit.edu/cooljapan/events.html#1

Tuesday, October 14, 2008

予告編映画祭で4位! 4th Place at Trailer Festival

『精神』の予告編が、新作映画の予告編ばかりを集め横浜で行われた「予告編ZEN映画祭」で、35作品中、第4位に輝きました。
http://www.trailerfes.jp/pg56.html

以下、予告編映画祭による講評です。「本来、硬派で、とっつきにくい印象を与えがちですが、「精神」は小気味よい米国映画的な編集手法で、観る者をいつのまにか作品に引き込みます。2008年釜山国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。」

『精神』の予告編はこちら。
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/trailer.html

Friday, October 10, 2008

バラエティ・ジャパン Variety Japan

受賞について、バラエティ・ジャパンに記事が載りました!
An article about the award is on Variety Japan (in Japanese)

http://www.varietyjapan.com/news/movie/2k1u7d00000ehb78.html

受賞についてのプレスリリース

日本の配給を担当するアステア社からのリリースです。

ーーーーー

ドキュメンタリー映画『選挙』(観察映画第1弾)で話題を呼んだ想田和弘監督の観察映画第2弾『精神』(135分、カラー、2008年、ラボラトリーX社製作、英語題名:MENTAL)が、10月2日から10日まで開かれているアジア最大規模の第13回釜山国際映画祭で、最優秀ドキュメンタリー賞(PIFF Mecenat Award)を受賞。想田監督には、賞金1千万ウォンが贈られました。

本作は、アジア発のドキュメンタリー製作を支援する釜山国際映画祭AND基金の助成を受け、この秋完成。同映画祭のワイド・アングル・セクションのドキュメンタリー・コンペティション部門に正式出品され、世界初公開を遂げていました。3日と6日に行われた上映はいずれもチケットが完売。上映後の質疑応答では、観客から質問や意見が殺到し、予定していた40分間を大幅に超過し90分間に延長されるほど、白熱しました。

『精神』は、岡山県岡山市にある精神科の診療所を舞台に、患者や医師、スタッフ、ヘルパーなどが織りなす複雑な世界を赤裸々に描いた長編ドキュメンタリー映画。『選挙』同様、ナレーションやテロップなどによる説明や音楽を一切使わず、心の病に苦しむ人々の素顔や彼らを取り巻く世界に肉薄しました。

想田監督は受賞について、「全く期待していなかったので驚きましたが、大変光栄です。勇気を持って素顔で映画に出てくれた患者さんたちや、撮影に全面協力してくれたスタッフの皆さんに感謝しています。」と話しています。

日本での公開は、2009年の初夏を予定。『選挙』も手がけたアステアが配給・宣伝を担当し、東京のイメージ・フォーラムを皮切りに全国の劇場で順次公開する予定です。

MENTAL won at Pusan 釜山で最優秀ドキュメンタリー賞!




『精神』が釜山映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞(PIFF Mecenat Award)をいただきました。すごく嬉しいです。

実は今日の閉会式に出るため、釜山に舞い戻りました。
明日、日本へ帰る予定です。

審査員による受賞理由の説明は、次の通りです。

<「正常」と「『正常』によって『異常』と呼ばれるもの」の間に幕を引くのがこの映画の趣旨である。しかし、それだけではない。山本医師の診療所という美しい劇場の幕があき、喜びと悲しみを湛えた美しい人物たちがゆっくりと世界を膨らます。>

MENTAL won the best documentary award (PIFF Mecenat Award) at Pusan International Film Festival! I'm so happy.

I returned to Pusan to attend the closing ceremony tonight.
I'll return to Tokyo tomorrow.

NOTE by Jury:
To draw the curtain between normality and what normality calls abnormality is the purpose of this film. But more than that, the curtain is drawn upon a beautiful theater, Yamamoto’s office, where beautiful characters slowly enlarge the world with their joyful sadness

Photos by PIFF

Wednesday, October 08, 2008

World-Premiere at Pusan




We're back from Pusan Film Festival after a busy, fruitful 5-day-trip.

The main event for me was the screenings of MENTAL on Oct 3 and Oct 6. It was the world-premiere. Both screenings were sold-out with lots of young audience in 20's. The Q&A session after the screening on 3rd was remarkable - it was supposed to be 40 minutes, but it lasted for an hour and a half with lots of questions and comments until people almost missed their last train. It was joined by some staff members of Chorale Okayama Clinic and Kicchako, the organizations where the film was shot.

Unlike Q&A of CAMPAIGN where I and Yama-san spoke like stand-up comedians, the Q&A session of MENTAL was more serious with some tears in the audience. Every question was so deep and heavy that I felt I cannot answer lightly. Especially, I was moved when one of the audience members said crying in tears, "I'm suffering from depression, and have not been able to go outside for a long time. But my doctor suggested that I try to attend Pusan Film Festival everyday to watch films. The first ticket I bought was of MENTAL, and I'm glad I did that because it was really touching and enjoyable as I expected. I want many people to see your movie."

There was no Q&A after the 2nd screening, but a lot of viewers came up to me crying in the lobby and thanked me for making the movie. Many of them confessed to me that they suffer from mental illnesses. I was really surprised and thrilled because I was most worried about the reactions of people who are ill. A young girl crying in tears said to me that she had never seen such a film and would never forget about today, which made me cry, too.

One of the ladies said that she suffers from illness for 20 years now, and tried to kill herself for so many times. She seemed to love the film so much and thanked me so many times, so I thanked her back many times. Using her mobile phone, she called her sister living in Japan and let me speak to her as well. She said she is also suffering from illness explaining their hardships in their childhood, and promised me that she will watch MENTAL when released in Japan.

To be honest, I was a bit worried that viewers who are ill may end up feeling worse if they watched this film. I was also worried that some people may criticize me that I'm exploiting sick people by showing the film. But I got the feeling that the audience who enjoyed and appreciated the film most were patients. Now I finally feel that I'm glad that I made this movie.

By the way, MENTAL is in Documentary Competition. They will announce the winners in the closing ceremony on October 10th.


釜山国際映画祭から帰って来た。駆け足の釜山滞在だったが、実り多かった。

メイン・イベントは、10月3日と6日に行われた『精神』の上映。世界で初めての公開である。幸い2日ともチケットは完売。釜山映画祭らしく、20代らしき若い層が多かった。3日の上映後に行われた質疑応答は、観客からの質問が矢継ぎ早に出て来て、予定の40分を大幅に超過。終わってみれば終電ギリギリまで1時間半も続いた。映画の舞台となったこらーる診療所や喫茶去のスタッフも駆けつけてくれて、本当に白熱した。

『選挙』のときは、上映後の質疑応答は僕と山さんの漫才のごとく進んだが、『精神』は内容が内容なだけに、笑いながらも涙ぐむ人が多かった。どの質問も深く重い内容で、「答える方もいい加減なことは言えない」と背筋がピンとなる思いだった。特に、とある若いお客さんが「鬱病でずっと家の外に出られない状態でしたが、医師と相談して、釜山映画祭に一週間通い続けることを目標にしました。そして最初に買ったのが『精神』のチケットでした。期待通りの映画で、感動しました。大勢の人に見てほしいです」と涙ながらに言ってくれたのが、印象的だった。

2回目の上映後は、質疑応答の予定はなかった。でも、ロビーで大勢のお客さんが僕に近づいて来て、目に涙を浮かべて「この映画を作ってくれてありがとう」と言ってくれた。その多くは、心の病を患っておられることを僕に告白した。僕は患者さんたちの反応が一番心配だったので、びっくりするやら嬉しいやら。「こんな映画は初めてです。今日のことを一生忘れません」と、止まらない涙に胸を詰まらせながら話してくれる人もいて、僕も思わず涙ぐんでしまった。

ある女性は20年間も心の病気を患っており、何度も自殺未遂を繰り返したという。よほど映画を気に入ってくれたようで、僕に何度もお礼を言うので、僕は「こちらこそ感謝しています」と繰り返した。彼女は日本に住んでいるお姉さんにその場で国際電話をかけ、僕にも代わってくれた。お姉さんも鬱病だそうで、電話口で、苦しかった家庭環境など病気になった経緯を教えてくれ、「日本で公開されたら絶対に観ます」と言ってくれた。

実は、病気の人がこの映画を観たら、病気がもっと重くなってしまうのではないか、と僕は密かに心配していた。また、「お前は病人を晒し者にするのか」という反発を受けるのではないか、という懸念も抱いていた。しかし実際には、一番この映画を熱心に、熱烈に観てくれたのは、患者さんたち当事者だったのではないか。この映画を作って良かったと、心の底から初めて思えた瞬間だった。

ところで、『精神』はドキュメンタリー部門のコンペに入っている。賞の発表は10日の閉会式で。

Wednesday, September 10, 2008

MENTAL at Pusan Film Festival


I'm excited to announce that my newly completed observational documentary MENTAL (Original title: SEISHIN, 2008, 135 minutes, color) has been officially invited to the competition of "Wide Angle" section of Pusan International Film Festival to be held from October 2nd until 10th. It's going to be a world premiere. I will attend the festival and my screenings.

http://www.piff.org/eng/html/program/prog_view.asp?idx=13166&target=&c_idx=16&m_entry_year=2008#

MENTAL is a feature-length documentary that observes the complex world of an outpatient mental health clinic in Japan, interwoven with patients, doctors, staff, volunteers, and home-helpers, in cinema-verite style, without using narration, super-imposed titles, or music. The film breaks a major taboo against discussing mental illness prevalent in Japanese society, and captures the candid lives of people coping with suicidal tendencies, poverty, a sense of shame, apprehension, and fear of society.

The film has received some grant from Asian Network of Documentary (AND) fund managed by Pusan International Film Festival. I will attend the award ceremony to be held during the festival.

The official website for MENTAL will be uploaded soon.

If you have any questions, please e-mail me at soda@laboratoryx.us.

Thank you!

Kazuhiro Soda

SCREENING SCHEDULE AT PUSAN FILM FESTIVAL

Friday, Oct 3 at 8 PM
Monday, Oct 6 at 1:30 PM

COMMENTS ON MENTAL

This observational film by Soda really questions the conventional boundary that separates the mentally ill and healthy people.
- Naomi Kawase, Film Director

The uncontrollable nature of our SEISHIN, or mind, is depicted in its raw form.
- Yuna Chikushi, Artist

Watching MENTAL, I smiled every 5 minutes, and cried 3 times. Without a doubt, it is a masterpiece. It is meant for people who can't help revering the human soul that is formless and mysterious.
- Dr. Shuhei Oyama, Psychiatrist

The handling of the subjects in this documentary requires tremendous sensitivity from the filmmaker. Even using the style of cinema verite, the director successfully presented his subjects without exploitation.
- AND Fund, Pusan International Film Festival


『選挙』に続く観察映画第2弾として監督した『精神』(英語題名:MENTAL、2008年、135分、カラー) が、10月2日から10日まで行われる釜山国際映画祭に正式招待されることが決定しましたのでお知らせします。ワイドアングル・セクションのコンペ部門に出品されます。今回が世界で初めての上映になります。私も2日に現地入りし、舞台挨拶等を行います。

http://www.piff.org/eng/html/program/prog_view.asp?idx=13166&target=&c_idx=16&m_entry_year=2008#

『精神』は、岡山県にある精神科の診療所を舞台にした長編ドキュメンタリー映画。『選挙』同様、ナレーションやテロップによる説明、音楽を一切使わないスタイルで、心の病を患う当事者、医者、スタッフ、作業所、ホームヘルパー、ボランティア等が織りなす複雑な世界を描きました。心の病に関するタブーに敢えて挑戦し、自殺願望や幻覚や生活苦に悩む当事者の素顔に虚心坦懐に迫ったつもりです。

同作は、アジアのドキュメンタリー制作と流通を支援する、2008年釜山国際映画祭AND(Asian Network of Documentary)助成金を授与され、製作されました。来る釜山国際映画祭では、その授与式も開催されます。
http://and.piff.org/eng/html/projects/documentary_view.asp?section=AND&column=&searchString=&this_year=2008&gotoPage=1&idx=76

『精神』公式サイトは近日中に完成予定です。

お問い合わせ等はメールにていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

想田和弘
soda@laboratoryx.us

<釜山での『精神』上映日程>

10月3日(金) 20時〜
10月6日(月) 13時30分〜

<『精神』に寄せられたコメント>

精神病患者と健常者の境がわからない。その境のありように疑いを持つのは、想田観察映画の特性だ。
ー 河瀬直美(映画監督)

精神とは心、若しくは心の持ち方とあるけども、その収拾のつかなさがそのまま映し出されている。様々な対象を身に遠く近く感じつつ、時折横切る野良猫が風穴のようにも見えてくる。
ー 筑紫ゆうな(アーティスト)

同じ題材を扱った映画のうちこの映画は三指に入る。いや正確に言えば二指である。一本はワイズマンによって四十年前に作られた。どちらも限りない人間の精神の地平線を目指した傑作だと断言できる。ワイズマンの映画同様一度見たら決して夢に見ることはあっても忘れることは出来ない。しかしワイズマンの映画には感心し笑うことしかできなかったが、この映画のなかでは5分おきににやっと笑い、三度涙を禁じえなかった。あえて言うが、この映画は精神を病んだもののために作られたものではない。まして人の精神を裁く者のためにも作られてもいない。ただ人間の無形の心とその不思議に対し畏敬の念を禁じえないもののために捧げられた映画なのである。
ー 大山修平(精神科医)

Tuesday, September 09, 2008

観察映画の日々

7月から、平田オリザ氏と青年団の撮影が続いている。

比較的順調に進んでいるのであるが、にもかかわらず、つくづく撮影とは難しいものだと、思い知らされる毎日である。

僕の観察映画の方法は、構成表と呼ばれる台本を書かずに、行き当たりばったりで撮影することにその基本がある。だからといって、次に起きるであろうことを全く予想せずにカメラを回すことは不可能である。

例えば今回の撮影なら、何時からどこどこでXXの稽古がある、というくらいの情報がなければ、僕はその場に居合わすことすらできない。だから、最低限の予測は必要である。かといって、あまり事前に予測しすぎると、目の前で起きている予想外の面白さに気づくのが遅れ、撮り損なってしまう。例えば、これから稽古を撮るんだと身構えていると、稽古以外の興味深い事件が目の前で起きても、一瞬反応が遅れる。それで事件の始まり部分を撮り逃がし、あとで地団駄を踏む憂き目にあう。

これがナレーションのある普通のドキュメンタリーなら、たとえ事件の発端を撮れなかったとしても、言葉でいくらでも説明できるので問題ない。しかし観察映画ではナレーションを使わないのが大前提なので、最初を逃したら途中から撮ってもシーンの文脈が分かりづらくなり、結局使えないのが常である。

予測しないのも駄目。予測しすぎても駄目。それは、野球のバッティングにも似ている。ヒットを打つために、次の球種やコースを読むのは大事だけれど、山をかけすぎると予想外の球に空振りさせられる。そして天を仰ぐことになる。取り返しのつかない過ちを激しく後悔しながら。だから、凡打が続いた後にクリーンヒットが出たときには、計り知れない快感を覚える。

ちなみに、野球と違って映画には編集作業という強力な武器があるので、僕はヒットばかりをつなぎ合わせて作品に仕立て上げる。あたかも凡打など打たなかったかのような顔をして。それが映画のマジックである。

Monday, September 08, 2008

働く日本人

日本に住んでる人は感じないのかもしれないけれど、たまに帰ってくると、日本人はなんてよく働くんだろうと感心させられる。いや、外国の人だって働く人は働くんだけど、日本人は報酬の高そうな人も低そうな人も、同じように一生懸命働くという印象がある。

例えば昨晩入ったうどん屋の店員さん。全部で20人くらいしか座れない小さなお店だけど、満員だとかなり忙しい。注文を聞いたり、料理を運んだり、会計をしたり、領収書を切ったり、盛りつけしたり、後片付けをしたり、料理を作る以外の仕事を彼女がすべて独りでこなしている。僕はカウンターに座ったので、彼女の一挙手一投足を観察できるのであるが、高度なマルチ・タスクをてきぱきと効率よく、パニックにも陥らずに、しかも丁寧にやってのける姿は感動的でさえあった。でも、店構えや値段から察するに、たぶん彼女はそう高い時給はもらっていないと思う。そして彼女のような働き手は、この国では別に珍しくもなんともない。

これがアメリカだったら、人は時給に応じた仕事しかしないのが普通だ。つまり時給700円の人は700円分しか仕事をしようとしないし、それが当然であるという姿勢。昨晩のうどん屋がアメリカにあったとしたら、あと二人は雇わないと普通に機能しないと思う。あるいは、「あと二人雇え」と現場が文句を言い、それが叶わなければ3人分の時給を要求するか、さっさと辞めていく。また、昨晩の店員さんのように仕事の出来る人は、すぐにもっと責任の重いポジションを与えられ昇給する。要するに純粋な資本主義では、仕事の内容と報酬の額は、基本的に一致するのである。

日本の場合は違う。報酬が低い人も、高い人と同じくらいの仕事の量と質を要求される。逆に言うと、いくら現場で一生懸命働いても、それがなかなか地位や給料に反映されない。雇う側や、お客さんにとっては天国のような仕組みだけれど、現場の労働者にかかる負担は並大抵ではない。

ここまで考えて、ニートと呼ばれる働きたくない人達が問題になっているのは、こういう風土に原因があるのではないかと思い至った。安い報酬でも一生懸命、長時間働くことを要求され、なかなか昇進も叶わない。もうすでにある程度の地位にある人ならいいのかもしれないけど、これから働き始めようという人には相当に厳しい現実だ。だから最初から働く気が失せてしまうのではないか。

まあ、だからといってアメリカ式が理想的かというと全然そうでもないから、難しい。時給が安いんだからと言わんばかりの横柄な態度で、全く働く気を感じさせない末端の労働者を毎日目にしていると、カネがすべてのこの社会は絶対におかしいと思わされる。

なかなかうまくはいかないものですね。

Saturday, September 06, 2008

あれから一年

ドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんが亡くなって、一年が経った。

佐藤さんとの出会いは奇縁である。というのも、佐藤さんの奥さんと僕の姉貴が同じ産院で出産したのがきっかけで、個人的に知り合った。ドキュメンタリー映画など観ない姉貴が「同室の人の旦那さんも映画撮る人みたいだよ」というので、「なんて名前?」と聞いたら、「さとうまことさんっていうみたい」というので、絶句した覚えがある。僕にとって『阿賀に生きる』の記憶は鮮烈だったからである。

しかし、僕が本当に深い影響を受けたのは、後に出版された佐藤さんの名著『ドキュメンタリー映画の地平』である。ちょうどテレビ・ドキュメンタリーの仕事に行き詰まりを感じていた僕は、この本を読んだのがきっかけで、自主制作で主体的にドキュメンタリー映画を撮りたいと思い始めた。そして『選挙』を撮った。『選挙』は佐藤さんに気に入ってもらい、世に出る後押しをしてもらった。その佐藤さんに突然逝かれてしまったことは、本当にショックだった。

でも、佐藤真の肉体は失われても、佐藤真という存在は僕の身辺から消えていない。

実は、今年5月、平田オリザさんに撮影の申し込みに行ったとき、このプロジェクトを本当にやるのかどうか、言い出しっぺのくせに100%確信が持てずにいた。いや、この企画に限らず、『選挙』のときも、『精神』のときも、やるかどうかの迷いはあった。ドキュメンタリー映画を撮るということは、相当なコミットメントだから、迷うのは当たり前なのである。

ところが、平田さんにお会いした際、「実は佐藤真さんが想田さんと同じような趣旨の映画を企画してたんですよ」と切り出されたとき、僕は強い衝撃を受けると同時に、これは決定的だと思った。ここにも奇縁が生きていた。やらねばならぬ映画だと思った。

というわけで、佐藤真は死んでいないのです。


佐藤真監督の懐古上映も実施中。
■ユーロスペース:2008年9月6日(土)〜9月12日(金)
■アテネ・フランセ文化センター:2008年9月16日(火)〜9月20日(土)、9月24日(水)〜9月27日(土)、9月29日(月)〜30日(火)
http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=108

Friday, September 05, 2008

広島の横町で

青年団の撮影で広島に来ている。

今日は夜10時頃撮影が終わり、広島駅前のホテルに帰ってから近場で夕飯を食おうとレストランを探した。ところが広島の夜は案外早く、どこも早々と店じまいをしている。

何軒もの店に断られ途方にくれ、ふらふらと小便臭い暗い横道にさまよい入っていったら、赤提灯を下げた店が一軒、営業していた。店内をのぞくと、お好み焼き用の巨大な鉄板が付いたカウンターにサラリーマンがワラワラと陣取り、にぎやかに宴会をしている。店主らしいオジさんが僕に気づき「にいちゃん、ひとり?いいよ」と言うので、カウンターの席に着いた。

「にいちゃん」と呼ばれたのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。無礼だなとムッとする気持ち半分、他人同士の垣根を軽々と一発で超えられた快感半分の複雑な気持ちで、席に着いた。「じゃ、野菜とソバが入ったお好み焼きを肉ぬきでお願いします」と注文すると、「にいちゃん、肉嫌いなん?」と怪訝な顔ですかさず聞かれ、その複雑な感じは否応無く増幅した。

「にいちゃん」と呼ばれたのが初めてなら、実は広島でお好み焼きを食べるのも初めてである。広島には『選挙』のプロモーションで一日だけ訪れたことがあったが、あのときは忙し過ぎてお好み焼きどころではなかった。店主が目の前の鉄板で僕の「野菜ソバお好み焼き」を作ってくれるのだが、その作り方の独特で魅力的な様子に思わず目を見張った。「広島風」のお好み焼きは何度も食べたことがあったのだけれど、これが「風」と「本物」の違いか、などと感心しながら出来上がりを待った。

その妙な視線を感じたのか、僕の食べ方があまりに下手クソだったのか、お好み焼きが出来上がって僕が食べ始めると、店主はすぐにこう言いながら食べ方を指南した。「にいちゃん、食べるの初めて?それじゃグチャグチャになる。こうやって切るんじゃ(広島弁はいい加減です)」。

すると隣に座っていたサラリーマンが、「いや、そうじゃない。こうじゃ」とか店主の説にケチをつけ、実演し始める。それにまた店主が応酬する。たちまち狭い店内はお好み焼きの食べ方で喧々諤々の議論になってしまった。

どう食おうとオレの勝手だろう、放っておいてくれ、という気もしたのだが、僕はその展開が妙に懐かしい感じがした。ムッとするより、快感が勝った。そして広島が好きになった。。

よくよく観察してみれば、店主はお客さん一人一人とよほどの顔なじみらしく、会社の上司の悪口を言い合う会話にも普通に入って自分の意見を言ったりしている。それに、生ビールの追加を貰おうと店の「にいちゃん」を探したら、暇だったのか、お客と一緒に席について飲み食いしながらだべっている。ここはお店というより、社交場なのだ。

近代はこういう煩わしくも魅惑的な場をどんどん削ぎ落として来た。ニューヨークにも、東京にも、こういう空間は滅多にない。広島の小便臭い横町でそれに不意に出会い、僕はこの店を天然記念物に指定して欲しいと不覚にも願うのであった。

Wednesday, September 03, 2008

『選挙』@ポレポレ東中野

お知らせです。9月9日(火)12:20〜、東京のポレポレ東中野で『選挙』の上映があります。2003−08年に日本で公開されたドキュメンタリー映画の話題作を集めた「Jドキュメント」の一環です。
http://www.mmjp.or.jp/pole2/5years-jdoc.html

Monday, September 01, 2008

MENTAL poster



The poster of MENTAL for outside Japan has been done. It is designed by an artist Yoshio Itagaki, my long time friend. He also designed CAMPAIGN's poster.

『精神』海外向けポスターが仕上がりました。デザインはアーティストの板垣由雄氏。長年の友人でもあります。『選挙』のポスターも、この人のデザイン。

Saturday, August 30, 2008

Director's Statement on MENTAL


観察映画第2弾『精神』について

僕の前作『選挙』(観察映画第1弾)に、ボランティアたちが選挙事務所でチラシを折りながら、事務所の外に立っている「頭の狂った女」について噂話をして、奇妙に盛り上がるシーンがある。

「あそこに立ってる人、ほら。気が触れちゃってるの」「正気なころはさ、こんな髪の毛でこんなボインでね、土橋のマリリン・モンローだなんて、気取ってこの坂上がってた」

この噂話にみられるように、「頭の狂った人たち」は、健康な人たちによってしばしば、好奇と興奮と軽蔑を交えて語られる。「狂った人たち」は時折自分たちの世界にふと顔を出す異界の存在であり、同じ空気を吸っている人間とは見られていない。健常者と精神障害者たちの間は透明なカーテンで遮られており、多くの健常者たちは、カーテンの向こう側にいる精神障害者たちの世界を、自分たちには関係のないものとして処理してしまっている。

しかし、僕はかねてから、このような状況に違和感を感じ続けて来た。僕自身も大学時代、精神的に追いつめられて自ら精神科に飛び込み、燃え尽き症候群と診断されたことがあるし、それから回復した後も、過度のストレスから幾度となく病気すれすれの状態に陥ったことがある。自分の周辺を見渡してみても、実際に心の病気になってしまった友人や、それが元で自殺してしまった友人や恩人がいる。そもそも、現代社会は閉塞感や孤独感、プレッシャーやストレスに満ちており、われわれは誰もが心の病になる危険性と隣り合わせで生活しているいるような気がしてならない。にもかかわらず、一般社会にとって心の病気がタブーであり続け、健康な人々が目をそらし続けている状況に、僕は一種の危うさを感じている。

したがって、僕が『精神』で行ったのは、この見えざるカーテンを取り払う作業である。固定概念や先入観を極力捨てて、患者や障害者を「弱者」とも「危険な存在」とも決めつけず、かといって賛美もせず、虚心坦懐に彼らの世界を見つめることを第一義とした。そのため、『選挙』のときと同様、撮影前にシノプシスや構成表を一切書かず、事前のリサーチも最小限にとどめた。また、撮影前に極力セットアップをせず、行き当たりばったりでカメラを回す手法に徹した。

編集では、ナレーションやテロップによる説明、音楽を一切使わず、複雑怪奇な現実をなるべく複雑なまま提示し、紋切り型の単純化を避けるよう努力した。また、構築した映画世界が観客の能動性と観察眼を刺激し、それぞれが自分なりの解釈を自由に行えるよう、余白を残すよう努めた。同時に、映画を観ることで、あたかも診療所を訪れ、そこにいる人々と出会い、言葉を交わしたかのような臨場感を得られるよう、時間の流れと空間の再現に腐心した。

『精神』にはいわゆる「言いたいこと=メッセージ」も、明確な結論もない。むしろ、映画を単純なメッセージに還元するプロパガンダ的な姿勢から、最も遠いところで作品を作ることを目指した。観客が作品を通じて、なるべく「す」の状態で精神科の世界を観察し、あれこれ考えたり疑問を持ったり刺激を受けたりできれば、作者として幸せである。

想田和弘

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DIRECTOR'S STATEMENT ON MENTAL

In my previous documentary film CAMPAIGN, there is a scene where volunteers gossip about a “crazy woman” standing right outside the election campaign headquarters in Kawasaki, Japan.

“See that woman standing across the street? She’s psychotic. When she was still sane, she had long hair and big tits. She called herself the Marilyn Monroe of Kawasaki,” they say.

As seen in this conversation, “crazy people” are often the subject of curiosity, excitement, and ridicule, among healthy people. They are not considered to be fellow human beings but some kind of creatures from another world who occasionally appear in front of us. There seems to be a transparent curtain that divides healthy and mentally ill people. Most healthy people see the world of mental illness as irrelevant to their lives.

But I have been feeling that there’s something wrong about this situation. When I was a college student, I myself felt sick and decided to go to a mental clinic, where I was diagnosed with “burnout syndrome*.” Even after I recovered from the syndrome, there were several times when I almost became sick because of too much stress. I also have some friends and colleagues who actually became mentally ill and even committed suicide. In fact, because modern society is filled with pressure, stress, and the sense of solitude, nobody is immune to mental illness. Thus, it is quite dangerous that mental illness remains a taboo and that most people turn their eyes away from the subject.

Therefore, in my documentary MENTAL, my aim is to get rid of this invisible curtain, not by sending political messages, but simply by observing. The most important attitude for me as a filmmaker was to look straight with my own eyes and my camera at the world of patients without any preconceived or fixed ideas, without labeling them as “the weak,” “the dangerous,” or even as “the great.” In order to do that, just like in my previous film CAMPAIGN, I tried to shoot as freely and spontaneously as possible without preparing anything beforehand.

In the editing, I did not use any narration, super-imposed titles, or music, so that I can show the complex reality as it is, avoiding stereotypical simplification. I also tried to stimulate the audience’s active observation, leaving lots of room for them to freely interpret what they see on the screen. In addition, I tried to recreate the time and space I experienced so that the audience will feel as if they visited the clinic and saw these patients themselves.

MENTAL has no “message” nor “statement” nor “conclusions.” Rather, I want it to be as far away as possible from propaganda. It would be an immense pleasure for me if the viewers could come up with their own observations, thoughts, and questions, while they watch MENTAL, and afterwards.

* burnout syndrome: physical or mental collapse caused by overwork or stress: high levels of professionalism that may result in burnout. (Oxford Dictionary)

Kazuhiro Soda

Friday, August 29, 2008

Comments on MENTAL


『精神』を観て下さった方々からコメントが集まり始めたので、掲載します。

精神病患者と健常者の境がわからない。その境のありように疑いを持つのは、想田観察映画の特性だ。
ー 河瀬直美(映画監督)

精神とは心、若しくは心の持ち方とあるけども、その収拾のつかなさがそのまま映し出されている。様々な対象を身に遠く近く感じつつ、時折横切る野良猫が風穴のようにも見えてくる。
ー 筑紫ゆうな(アーティスト)

同じ題材を扱った映画のうちこの映画は三指に入る。いや正確に言えば二指である。一本はワイズマンによって四十年前に作られた。どちらも限りない人間の精神の地平線を目指した傑作だと断言できる。ワイズマンの映画同様一度見たら決して夢に見ることはあっても忘れることは出来ない。しかしワイズマンの映画には感心し笑うことしかできなかったが、この映画のなかでは5分おきににやっと笑い、三度涙を禁じえなかった。あえて言うが、この映画は精神を病んだもののために作られたものではない。まして人の精神を裁く者のためにも作られてもいない。ただ人間の無形の心とその不思議に対し畏敬の念を禁じえないもののために捧げられた映画なのである。
ー 大山修平(精神科医)

A few comments on my new documentary, MENTAL.

This observational film by Soda really questions the conventional boundary that separates the mentally ill and healthy people.
- Naomi Kawase, Film Director

The uncontrollable nature of our SEISHIN, or mind, is depicted in its raw form.
- Yuna Chikushi, Artist

Watching MENTAL, I smiled every 5 minutes, and cried 3 times. Without a doubt, it is a masterpiece. It is meant for people who can't help revering the human soul that is formless and mysterious.
- Dr. Shuhei Oyama, Psychiatrist

Thursday, August 21, 2008

AND grant for MENTAL 助成金獲得!

Now, it's official. MENTAL, my new observational documentary about mentally ill patients, is receiving a grant of about US$10,000 from AND (Asian Network of Documentary), Pusan International Film Festival. I'm using the money to complete the film. What an honor! I'm attending the award ceremony at Pusan International Film Festival (Oct 2-10, 2008). I'd like to thank everybody who helped me making this movie!

心の病を患う人々が主人公のドキュメンタリー映画『精神』(観察映画第2弾)が、釜山国際映画祭AND助成金(約100万円)をいただけることになりました。大変光栄です。助成金は、『精神』の仕上げに使わせていただきます。釜山映画祭(10月2〜10日)で開かれる授与式には参加する予定です。映画の製作に協力してくださったみなさん、ありがとうございました!

http://and.piff.org/eng/html/projects/documentary_list.asp?section=AND&this_year=2008

Monday, August 18, 2008

演劇とお盆



7月末から平田オリザさんと青年団を撮影させていただいているが、オリザさんが海外へ行かれたので、その合間に足利市の実家へ帰省した。ちょうど時期がお盆と重なり、20数年ぶりに生まれ故郷で盆を過ごした。

ウチの地方では、13日に先祖の霊を墓まで迎えに行き(迎え盆)、16日にまた墓まで霊を送りに行く(送り盆)。霊がいる4日間、親戚たちが集まって酒を飲んで騒いだり、線香を上げにきてくれたりする。

改めて眺めていて面白いのは、みんながあたかもそこに霊がいるかのように振る舞うことである。僕がコーヒーをいれていると、オフクロが「おばあちゃんにもコーヒー上げて来て。意外に好きなんだから」とか言うのは、その典型である。迎え盆のとき、「お迎えに上がりましたよ〜」などと言いながら墓へ挨拶するのも、そう。

演劇の創作過程を撮影しているせいか、お盆という行事そのものが演劇的であることに気がついた。先祖を迎えたり送ったり親戚で騒いだりするという、だいたいの台本もある。台詞だって、即興も多いけれど、「ちょいとお線香を上げに来ました」とか、だいたい決まっている。そして、みんなまるでそこに先祖がいるかのように、演じるのである。

ひとたびそう思うと、「先祖の魂を運ぶという提灯は、なかなか粋な小道具だな」とか、「いまオヤジが言った台詞はなかなか気がきいている」とか、「いまオジさんが居間に入って来たタイミングは絶妙だ」とか、すべてが演劇に見えてくる。いや、僕らは普段から何かを演じながら生きているのかもしれない。

(写真は以前撮ったものです)

Thursday, August 07, 2008

苦と楽の比率

赤塚不二夫さんが亡くなった。葬儀でタモリ氏が述べたという弔辞が心に残った。

「あなたは生活のすべてがギャグでした。あるがままを肯定し、受け入れ、人間を重苦しい陰の世界から解放しました。すなわち『これでいいのだ』と。」

人生からつらいこと、苦しいことを完全に消し去ることはできない。しかし、それをギャグにすることによって、何とか受け入れられるのではないか。これは赤塚さんの人生観なのか、タモリさんのそれなのか、僕には判らないけれど、そういう考え方には素直に共感できる。実際、赤塚さんの漫画にはそういう力があった。いや、作品は残っているから、今でもあるのである。

僕なんぞは子供のころから、人生は苦であるという感覚に親しんできた。もちろん楽しいこともあるけど、苦と楽の割合は9対1くらいで、日々の生活の実感として、圧倒的に苦が優勢であると思ってきた。だから、仏教の思想に初めて触れたときは、我が意を得たりというのも変だが、奇妙な安堵を感じたものである。

ところが以前カミさんにそう話したとき、彼女にとっては苦と楽が1対9の割合くらいだというので、天地がひっくり返るほど驚いた。なんてハッピーな人なんだと思って、親しい友人にそのことを話したら、彼も同じように1対9だと言うので二度驚いた。もしかしたら俺の方が少数派なのか…。

いずれにせよ、同じ世界で同じ空気を吸っていながら、こうも人生観が違うのは驚愕に値する。ウィトゲンシュタインじゃないけど、同じ言葉を喋っていても、決して判り合えていないのではないかなどと、ちょっと不安にもなる。赤塚さんにとっての比率はどうだったんだろう。

Sunday, July 27, 2008

PBS broadcast on July 29!

I'd like to let you know that 60-minute version of CAMPAIGN will be broadcast nationally on PBS's POV series at prime time on July 29th (10PM). Please check it out!

The website below will be expanded with lots of features and interviews right before the air.

http://www.pbs.org/pov/pov2008/campaign/preview.html

お知らせです。

7月29日(火)、アメリカの公共放送PBSで『選挙』短縮60分版が全米でプライムタイム(午後10時)に放送されます(POVシリーズの一環)。
下記のサイトは、放送直前に拡充され、山さんや僕のインタビュー、教材などが掲載される予定。アメリカ在住のみなさん、よかったらご覧下さいませ。

http://www.pbs.org/pov/pov2008/campaign/preview.html

Sunday, July 20, 2008

ラブホテル街に居を構える

昨晩、東京に着いた。この前日本からNYに帰ったのが五月上旬だったから、あれからたったの2ヶ月しか経っていない。しかし全然そんな気がしない。

今回の被写体である平田オリザさんの青年団/アゴラ劇場は、井の頭線の駒場東大前が本拠地なので、僕は駒場から一つ目の駅である神泉に近い場所にマンスリーマンションを借り、入居した。神泉近辺はラブホテルが林立する地区で、マンションの目の前も横もラブホテル!という凄いところである。何年も前、NHKの番組を編集するために長期滞在したホテルも、同じエリアにあった。僕はよくよく、ここと縁があるらしい。

今朝は例によって時差ぼけで早起きしてしまい、腹も減ったので朝飯を食おうと外出したら、カップルやその筋のお兄いさん達が、幽霊みたいに脱力した感じでゾロゾロと帰途についている。夕べさぞやハッスルしたのだろう(笑)。昨日までニューヨークに居たことが嘘であったかのような、シュールな気分。

今日は青年団の若手の人の作品を観たり、撮影の打ち合わせをしたりする予定。そして明日から本格的に撮影だ。

Saturday, July 19, 2008

人間の條件 第一部

明日東京へ出発するのだというのに、今日からフィルムフォーラムで小林正樹監督の『人間の條件 第一部』をやるというので、観に行った。第一部だけで三時間半、三部合わせると10時間近い超大作。前の日記に書いた通り、第三部は先日主演の仲代達矢氏と並んで鑑賞した。

第三部も凄かったが、第一部も凄まじかった。無理して観て、本当に良かった。第二部はまだ観てないが、もしかするとこの映画は、これまでに僕が観た映画の中で、最も偉大な作品かもしれない。いや、人類にとって最も重要な作品かもしれない。とにかく圧倒された。一瞬たりとも緊張感が途切れない。三時間半が、あっという間に過ぎた。こんな映画は、二度と、世界中の誰にも撮れないだろう。

複雑な現実を複雑なまま提示しているこの映画を、一言で総括するのはあまりにも乱暴だが、敢えて言うならば、これは倫理を貫くことについての映画であると思う。断っておくが、ここで言う倫理とは、道徳とは全く異なる。

道徳とは、社会から強制されるルールを差し、時と場所によってコロコロ変わりうる。例えば、『人間の條件』の時代の道徳的行いとは、天皇のために死ぬことであり、どんな理不尽な命令でも上官や上司に従うことであり、中国人の首を平気で切り落とせることである。それが日本の敗戦と同時に、一夜にして180度ひっくり返ったことは、誰もが知っている。

それに対し倫理的行いとは、自らの良心に従った行いであり、主体性を有する者だけが獲得できるものである。つまり、人間の内面から出てくる規範。したがって、場所や時代が変わってもそう簡単に変わるものではなく、普遍的である。

戦時下の満州で、自らの良心に耳を傾け、非暴力と博愛という倫理を貫こうとする仲代達矢は、当時の日本人としての道徳とことごとく齟齬をきたし、徹底的な迫害を受ける。普通の人間なら、自分の身が危なくなれば道徳の側に寝返り、自らの倫理を捨て去ってしまうのだろうが、仲代扮する梶は、苦悩にのたうちながらも、頑強に倫理を捨てない。彼にとっては、それを保持することが、人間であるための条件なのである。

その闘いぶりが、あまりにも凄まじく、痛ましく、しかし力強く、美しい。魂を揺すぶられる。強大な力に比して梶はあまりに非力で、翻弄され、痛めつけられ、負け続けていくのであるが、彼が自らの倫理に従う限り、本当に負けているのは道徳の側なのである。

ぜひご覧下さい。

http://www.filmforum.org/films/human.html

Thursday, July 17, 2008

東京の前に、鍼

ロンドンから帰ってきたのもつかの間、あさって19日、東京へ出発する。観察映画第三弾『青年団(仮題)』の撮影のためである。撮影は、とりあえず9月半ばまでの長丁場。そのためにマンスリーマンションを借りた。今度も独りで撮影の予定だが、体力がもつかどうか…。

と案じていたら、カミさんが「鍼に行くべし」と言うので、今日は中国人の名医・ヤン先生のところへ行って来た。ヤン先生には、夫婦ともども14、5年お世話になっている。

いつものことだが、鍼を打ってもらうと、刺したまま、3、40分放っておかれる。その間、ツボをさされているせいか、標本の昆虫になったみたいに、身動きができなくなる。しかしそれがなぜか心地よい。知らぬ間に眠りに落ちる。そして眠りから覚めようというころ、ヤン先生が鍼を抜きに来て、治療が終わる。これまたいつものことだが、何となく頭も体もすっきりして、気力が湧いてくるのを感じる。

東京では、イメージフォーラムで1日だけ講師もします。
http://www.imageforum.co.jp/school/summerschool/documentary.html

Wednesday, July 09, 2008

ロンドンへ行きます

お知らせです。

明日(10日)からロンドンに行きます。
川喜多かしこさん生誕100年記念のイベントで、日本映画をテーマにしたシンポジウムがあり、それに参加します。
日本からは映画評論家の佐藤忠男さんが参加されます。
橋口亮輔監督も来られる予定だったのですが、体調が悪くキャンセルされたとのこと。残念です。英国側からは、トニー・レインズさん等が参加されます。
また、『選挙』の上映と質疑応答も行います。

http://www.jpf.org.uk/whatson.html

I'm flying to London tomorrow (10th) to attend an event to commemorate the 100th anniversary of Kashiko Kawakita. I'll speak at a symposium on Japanese Cinema along with renowned critics Tadao Sato and Tony Raynes.

CAMPAIGN will be also screened. I'll be at the Q&A.

http://www.jpf.org.uk/whatson.html

Tuesday, July 01, 2008

Kawase @ Japan Society

いきなり決まったんですが、7月3日、NYのジャパン・ソサエティで河瀬直美監督のドキュメンタリー作品上映後、監督ご本人を招いての質疑応答を僕が仕切ることになりました。

http://www.japansociety.org/content.cfm/event_detail?eid=6a558025

河瀬さんとは既に二度も対談をしているので、今回で三回目の顔合わせ。ただならぬ因縁を感じます。なんと入場無料だそうです。NYのみなさん、ぜひご来場ください。劇場ではなく、小さい部屋でやるそうなので、どしどし質問しちゃってくださいませ。

質疑応答があるのは8時からの回ですが、6時15分からの『につつまれて』『きゃからばあ』の上映も見逃せませんぞ。

On July 3rd at Japan Society in New York, I'll be the host of Q&A with Naomi Kawase after the screenings of her documentaries.

http://www.japansociety.org/content.cfm/event_detail?eid=6a558025

This is the 3rd time I meet with her to speak in public. The admission is for free. And the room that takes place is pretty small, so it will be an intimate session. The Q&A session is after the 8:00 PM screening, but don't miss the screening from 6:15 PM, too!

Tuesday, June 24, 2008

『人間の條件』と仲代達矢

NYのフィルム・フォーラムで『人間の條件(第三部)』(小林正樹監督)のプレス用試写会に誘われたので、カミさんと二人で参上した。仲代特集の一環である。

『人間の條件』(1959−61)は、日本軍の中国大陸への侵略戦争を描いた超大作で、三部合わせて10時間近い。第三部だけでも3時間半ある。

全く未見だった僕は、一部と二部を観ずに三部を観ることにためらいを感じながらも、再び仲代さんが来られると聞いて出掛けていったのだが、これが大、大、大傑作。茫然自失した。上映時間の長さなど、全く気にならない。10時間一気に観るのも苦にならないだろうと思った。

こんな映画はもう二度と、世界中の誰にも作れないのではないか。日本映画の黄金時代に、小林正樹がいて、仲代達矢がいて、あらゆる好条件が重なって、初めて可能になった奇跡だと思う。前の日に観た仲代主演の『他人の顔』(勅使河原宏監督)も凄かったし、僕は最近、映画の神様に抱擁されっぱなしである。

しかも今日の試写では、僕とカミさんが並んで座っていたら、「ここ、いいですか?」とカミさんの隣に座ってこられたのが、なんと仲代さんご本人!仲代さんも20年ぶりにご覧になったそうだ。

映画にはインターミッションがあったのだが、映画に入り込みすぎて僕らはしばらく声もあげられなかったし、拍手もできなかった。仲代さんはそれを気にしたのか、「長い映画でしょう」とおっしゃったので、僕らは「いえいえ、全然長いなんて感じません。素晴らしい映画です。こんな映画はもう誰にも撮れないでしょう」と慌てて打ち消した。世界のナカダイも、観客の反応は気になるんだなあと、不思議な親近感を感じた瞬間だった。

それにしても、恐るべきは仲代達矢の演技力と集中力である。3時間半の長編の中、一度として、仲代達矢が「演じている」ことを意識しなかった。仲代達矢は、主人公の「梶」にしかみえなかった。僕は映画を観ている事をいつの間にか忘れ、あたかも自分が戦争を体験しているかのように引き込まれた。ちなみに、『人間の條件』の壮絶なラストを撮る時、小林監督は仲代さんに3日間の絶食と不眠を要求し、仲代さんはそれを実行したそうである。

仲代さんは『人間の條件』を撮る合間に、黒澤の『用心棒』と『椿三十郎』に出たという。日本映画の黄金時代は、掛け値無しの黄金色だった。

Monday, June 23, 2008

キムタクと山さん

キムタク主演のドラマ『CHANGE』の第一回目を、近くの日系レンタル屋で借りてようやく観たんだけど、僕が作った『選挙』と酷似した部分が目白押しで、カミさんと何度も腹を抱えて笑ってしまった。『CHANGE』を作った人は、きっと『選挙』を参考にしていると思う。そう考えないと不自然なほど、似たようなシーンがこれでもか、これでもかと出てくる。そう思うのは僕だけかなあ。

そもそも、ひょんなことから大政党に担がれて補欠選挙に立候補という設定が酷似。キムタクが「若さで改革」と同じキャッチフレーズを繰り返すのなんか、山さんと同じじゃん(笑)。「はい、握手して」とか「走れ」とか選対の人に命令されるとことか、「政策なんかどうでもいい、キャッチフレーズが大事だ」「政策について語りすぎると墓穴を掘るからサワリだけにしろ」とブレーンが言うこととか、組織票を固めながら浮動票を狙うこととか、朝と晩に駅立ちすることとか、キムタクが疲れて昼寝するとことか、似てる場面は枚挙にいとまがない。キムタクが選挙運動から逃避してプラネタリウムを観に行くのは、山さんが独り車ん中で「鉄道ジャーナル」を読むシーンとダブるし、キムタクが地元のバレーボールに参加するのは、山さんが町内の運動会でラジオ体操をするのと重なる。街頭演説してるキムタクからカメラが引いていくと、演説に関心のない通行人がわらわら歩いてるショットなんて、『選挙』の最初の場面とそっくりじゃん!開票状況の報告を電話で受けるとこなんか、白い電話機まで似てる(笑)。他にも挙げ出したらきりがない。

これが全部、偶然だとは思えないんだけどなあ。もちろんそれもあり得るんだろうけど。いや、参考にされてたとしたら、それは光栄なことです。それにしても、キムタクと山さん…(笑)。

Sunday, June 22, 2008

RAN by Kurosawa


昨晩、NYのジャパン・ソサエティで黒澤明の『乱』を観た。

既に映画館も含め4、5回観てたし、あまり好きではなかったので、正直、今回観ようかどうか迷ったくらいだったが、仲代達矢さんが来られるというので観に行った。そして観て良かった!とにかく今回観た感想は、凄まじくも素晴らしい、の一言であった。こんなに自分の中で印象が変わった映画はない。僕がやっと映画に追いついたということか。

僕が『乱』を好きでなかった理由は、望遠レンズを多用した平面的なカメラワークだとか、大げさな演技や台詞回し、メークアップだとか、主に映画のスタイルに関することであった。そのスタイルは、もちろん今もそのままなのだが、そんなことはどうでもいいほど、描かれている世界が映画というジャンルを超越していた。要するに僕の見方が変わったのである。

敢えて一言で総括するならば、それは「因果応報」の映画であった。原因があれば、その結果がある。その当たり前すぎる命題を、冷徹に描ききった映画であった。しかもそれは、良いことをすれば報われ、悪いことをすると罰せられるというような、甘ったるい勧善懲悪ではない。人間の存在や喜怒哀楽など、砂粒のごとく小さく見えるような、もっと大きい宇宙の原理を描いている。

黒澤は「人類への遺言」としてこの映画を撮ったそうだが、僕は初めて、彼の遺言に耳を傾けられたような気がする。

ちなみに、仲代達矢さんは『乱』を演じたときに50歳だったそうで、メークに毎日3時間半かかったそうである。現在75歳だが、映画で観るよりも断然お若いので、不思議な気がした。フィルム・フォーラムでは大規模な仲代特集が始まっている。

Saturday, June 14, 2008

秋葉原とテロリズム

東浩紀氏は朝日新聞への寄稿で、秋葉原事件は幼稚なテロリズムであると指摘した。「社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒り」を背景に、しかし怒りの対象が曖昧で、首相官邸でもなく経団連でもなく、秋葉原へ突っ込んでしまった。そのような分析である。

この指摘は極めて鋭い。事実、この事件に触発されて殺人や爆破を予告する事件が相次ぎ、警察は厳重警戒態勢をしいた。

 携帯電話の会員制掲示板サイトに「明日、九州のある駅で歴史に残る大量殺人する」と書き込まれていることが14日分かり、九州管区警察局は九州の各県警に、JRや私鉄の駅などの警戒と警備強化を指示した。福岡県警は威力業務妨害容疑などにあたる可能性があるとみて捜査を始めた。
 管区によると、14日午前、書き込みを見た複数のサイト利用者から福岡県警などに通報があった。書き込みは同日午前7時19分で、「大量殺人する」とした上で「俺(おれ)も加藤と同じなんだ 加藤に共感したんだ 俺、死刑になる 加藤よりも多い人数を殺す」と書かれていた。加藤は東京・秋葉原の通り魔事件で逮捕された加藤智大容疑者を指すとみられる。(6月14日、毎日新聞)

 インターネット掲示板に和歌山市のテーマパークを爆破すると書き込んだとして、和歌山県警和歌山西署は14日、兵庫県西脇市小坂町、アルバイト鉄工員、前田尚希容疑者(23)を威力業務妨害容疑で逮捕した。容疑を認め「本気ではなかった」などと供述しているという。
 調べでは、前田容疑者は12日午後2時50分ごろ、携帯電話でネット掲示板に和歌山マリーナシティ(和歌山市毛見)を「14日に爆破する」などと書き込み、業務を妨害した疑い。
 12日午後8時ごろに掲示板を見た男性が警察に通報。連絡を受けたマリーナシティは13日に各施設を点検し、異常がなかったことから通常通り営業した。 (6月14日、毎日新聞)


この図には、どこかで見覚えがある。そう、イスラム急進派によるテロ情報と、それに右往左往させられる警察、そして市民社会の構図である。イスラムと日本の「テロリスト」たちとの違いは、行為の背景に理論と組織があるかどうか、だけである。

ここで忘れてならないのは、テロリズムはアイデアであり、属性ではないということである。テロリストを一人残らず検挙したとしても、そこにアイデアが残っていれば、それに共感する人間にたやすく感染し得る。

秋葉原事件でもそうだった。犯人は少し前に起きた大量無差別殺人事件という「アイデア」に共感し、感染し、テロリストになった。そして彼がそのアイデアに共感するためには、閉塞感に覆われた社会状況が不可欠だった。のっぴきならぬ不満と怒りが身体と精神に充満していない限り、人はテロリストにはなり得ない。

力による「テロ撲滅運動」は、果てしのないイタチゴッコに他ならない。テロリストは、その温床となる社会的状況がある限り、増殖し続けるからである。また、力に頼ると、権力による市民の監視が強まるなどの副作用も強く、決して望ましい対応法ではない。

テロリズムを抑えようと思うなら、「アイデア」がもはや共感を呼ばぬよう、古くさく感じられるよう、温床となる社会状況を改善することこそが必要であり、近道である。

Wednesday, June 11, 2008

秋葉原事件について

秋葉原事件の犯人が、6月3日から事件前日の7日まで、携帯からネットに書き込んでいた独白を読んだ。

読みながら、犯行に至るまでの彼の心の動きが手に取るように分かり、戦慄を憶えた。

容姿に強いコンプレックスを抱き、友達もいなくて、ネットに書き込んでも無視されるか馬鹿にされ、派遣先からはリストラされそうになり、彼はどんどん袋小路へ入って行く。思考が、身体が、感情が、弾力性を失い硬直化していく。周りの人間が全員敵に見える。殺意が芽生える。

書き込みから受ける印象は、大量無差別殺人鬼のそれというよりも、愛に飢え、自信を失い、疲弊し切った青年のそれである。

いや、多かれ少なかれ、彼のような気持ちを、誰もが経験したことがあるのではないか。「人を殺したい」と思ったことはないけど、それ以外の感情は、僕には憶えがある。僕と彼とは地続きである。だからこそ、戦慄せずにはおれない。

彼のそばに一人でも親身に話せる良き友人が、家族がいたなら、彼はあのような犯罪を犯すこともなかっただろうし、人は死なずに済んだであろう。そのことを僕らは、明確に認識するべきだと思う。

Monday, June 02, 2008

横尾X糸井

横尾忠則氏の展覧会の件は既に何度か書きましたが、横尾氏と糸井重里氏の対談が面白いです。絵画の見方がちょっと変わるかもしれないよ〜。連載10回だって。ご覧あれ〜。そして展覧会を観に行くべし! 6月15日まで。

Friday, May 30, 2008

インタビューと会話



近年のアメリカのドキュメンタリーの多くは、Talking Head(直訳すると「しゃべる頭」)と呼ばれるインタビューを多用する(もちろん例外はある)。その頻繁な使われ方を観ていると、ドキュメンタリーを撮ることは、インタビューを撮ることであると考えられている節すらあるほどである。

事実、アメリカの多くのドキュメンタリストは、インタビューを主軸に据え、その隙間にB-Rollと呼ばれるインタビュー以外の映像を差し挟むことで作品を構成する。そもそも、インタビュー以外の映像をB-rollと呼ぶこと自体に、彼らのドキュメンタリー観が窺える。B-Movie(B級映画)という言葉があるように、Bはあくまでも脇役を表すのであり、主役はあくまでもA-Rollとしてのインタビューであることを示唆しているからである(もちろん、アメリカ人すべてがそう考えているわけではない)。

確かにインタビューは、ドキュメンタリーにとって強力な武器である。きちんとした戦略と哲学と技能を持ってやれば、作品を豊かにもしうる。特に被写体に密着する時間的・予算的な余裕がない場合には、頼りになる。被写体が状況や気持ちの要点をうまくまとめて喋ってくれれば、それだけで作品が成り立ち得るからである。それは、どんなに凡庸な映像しか撮れなくても、気の利いたナレーションをかぶせてしまえば、それなりに作品として成立してしまうことにもよく似ている。

しかし、便利なだけに、インタビューはドキュメンタリーを堕落させる要因にもなりうる。被写体の発言を制作者の都合のいいように繋ぎ合わせると、作品自体が身勝手になってしまうし、インタビューを論理だけでつなぎすぎると、コトが極度に単純化され、現実が持つ複雑で両義的な豊かさが失われてしまう。また、被写体がインタビューで心境を吐露すると、観客はそれだけで何かを理解した気になってしまう嫌いもある。たとえそのインタビューが、アリバイ的に被写体によって語られ、アリバイ的に制作者によって使われたものであっても、である。

そういう理由もあって、僕は『選挙』を撮るときに、インタビューを極力行わない方針で臨んだ。完成した作品のなかにも、ほとんど盛り込まないですんだし、そのことにかなり満足もした。だから、いま編集している『精神』を撮るときも、同じようにインタビューは行わず、ガラスで隔てられた傍観者に徹しようという心づもりでいた。

ところが、実際に撮影を始めてみると、精神科の患者さんたちは、僕を単なる傍観者として放っておいてはくれなかった。いくら僕が存在感を消そうと息をひそめても、カメラを回している僕に話しかけてくる。みんながあたかも僕がそこにいないかのように放っておいてくれた『選挙』の時とは大違いだ。しかも、患者さんたちがしてくれる話がすこぶる面白い。僕は困ったなあとは思いながらも、ある程度自然のなりゆきに身を任せながらカメラを回し続けた。そして、自分のスタイルを優先すべきなのか、撮れた素材の面白さを優先すべきなのか、自問自答しながら、第一回目の撮影期間を終えた。

そんな僕に、ある大きなヒントを与えてくれたドキュメンタリー映画がある。トロントの映画祭Hot Docsで観た、巨匠・エディ・ホニグマンの『Forever』である。この映画は、ショパンやプルーストなどが眠るパリの有名な墓地に訪れる人々にホニグマンがカメラを向け、インタビューするだけのシンプルな作りである。しかし、このインタビューがとにかく味わい深く、時に感動的であり、僕のインタビュー観を根本から変えた。

その特徴は、第一に、登場人物が極めてリラックスしていて、自然体である。カメラに向ってしゃべるときの独特のテンションが感じられない。

第二に、普通のインタビューなら真っ先にトリムされてしまいそうな、彼らが言い淀んだり、考えあぐねたりする「間」もカットされずにたっぷりと残されている。そのため、語り手の思考や感情の微妙な流れがリアルタイムで伝わってくる。話の内容=情報よりも、時間の流れそのものを感じる。

第三に、インタビューをした場所や文脈から離れて、それだけが切り離され独立して恣意的に使われることがない。

第四に、話の内容が説明的でなく、ときに意味することが曖昧で、両義的である。

僕は、登場人物の語りの面白さに圧倒されながら、映画を観終えた。そして、ホテルのロビーで見かけたホニグマンをつかまえ、彼女の映画が、とりわけインタビューがどれだけ素晴らしいか、興奮気味に伝えた。

巨匠は僕に「ありがとう」と言い、「私は登場人物の語りを"インタビュー"というよりも、私との"会話"であると考えている」と静かに付け加えた。この言葉は決定的だった。僕はそのとき、彼女のインタビュー、いや、会話がなぜ面白いのか、その秘密を一気に理解した。すなわち、ホニグマンが登場人物の語りを「インタビュー」ではなく「会話」と呼ぶことそのものに、彼女の姿勢や哲学、方法論が凝縮しているように思えたのである。

このことは、迷っていた『精神』の制作方針に自然な解答を与えてくれた。インタビューではなく、会話をするつもりで患者さんたちの話に耳を傾ければいいのである。

具体的に言えば、撮影のときには、インタビューでなければ訊かないような、純粋に取材者としての問いはなるべく避け、カメラを持っていなくてもそこにいる人間として訊くであろうと思われる質問だけをするよう心がけた。もちろん、実際にはカメラを持って回しているわけだから、あくまでも基本的な姿勢、僕の心構え、あるいは方法論としての話だが。そして、アリバイ的に何かを訊いておこう、という気持ちをグッと抑え、本当に訊ねたいことだけを訊ねるという姿勢を徹底させた。

また、編集では会話が行われた状況や場所、文脈を極力再現し、会話をシーンとして構築するように心がけた。言い換えれば、あたかも観客がその場に居合わせたかのような臨場感を味わえるように苦心した。そして、登場人物が放つ言葉の内容のみならず、そこに流れる時間や息づかいに着目し、沈黙や「間」を可能な限り大事に残した。同時に、僕が撮影中、知らず知らずのうちに「会話」ではなく「インタビュー」してしまっているものを選別し、なるべく削ぎ落としていった。

したがって『精神』には、表面的にはインタビューにみえる、僕と登場人物との会話が、かなりふんだんに盛り込まれている。だから、僕が標榜している「観察映画」にはなっていないんじゃないかという批判も、きっと出てくるに違いない。観察映画の源流であるダイレクト・シネマでは、基本的にインタビューという手法を採用しないからである。

しかし、観察映画の精神の本質は、対象への先入観を極力排して虚心坦懐に観察すること、そして観察の結果としての作品を一義的なメッセージに還元せず、観客それぞれの観察眼にゆだね、解釈を迫ることにある。そういう意味で、『精神』に観察映画の精神は生きていると、僕は信じている。『選挙』のように、観察者と被観察者が、あたかもガラスで仕切られているかのような関係性を結ぶ場合もあるし、『精神』のように、時にガラスが取り払われてごちゃ混ぜになる関係性になる場合もある。それだけの話だと思っている。




写真上=『Forever』のポスター
写真下=エディ・ホニグマンと筆者(トロントにて)

Thursday, May 29, 2008

宝探し

観察映画第2弾『精神』の編集作業は、今、そのおおよそが固まり、仕上げの段階に入っている。あとは英語字幕を付け、整音し、マスターを作るだけである。

ところが、この時期になると「ホントにこれでいいのか?」という疑念が沸々と湧いてくるのが常だから、映画作りとは平坦な道のりではない。締め切りのない自主制作では、なまじ手直しも永遠にできてしまうものだから、始末に悪い。

実際、僕はここ数日間、既に落としたシーンに宝物は混じっていないか、未練がましく掘り起こす作業を始めてしまった。すると、結構あるのである、宝物らしきものが。困ったこと?に。

とはいえ、それを映画に入れようとすると、文脈が乱れたり、冗長になったり、リズムが悪くなったりと、いろいろ不具合も出てくる。出て来てから、ああ、だから入れてなかったんだなあ、と妙に納得したりする。要するに、シーンを落としたのはもう何ヶ月も前のことだったりするから、落とした理由を忘れてしまっているのだ。

それでも、そのようなシーンは、もしかしたら僕が適切な文脈を見つけ出せないからあぶれているだけで、そのうちポンっとどこかにハマり、映画を格段に面白くする可能性もある。その見極めが難しい。

もうしばらく、僕は頭を悩まされそうである。

Friday, May 16, 2008

Sid Bernstein Presents

友人でご近所さんで映画監督のジェイソンが、ビートルズやストーンズを世に送り出した伝説の興行師シッド・バーンステイン氏のドキュメンタリー「Sid Bernstein Presents」を撮った。このシッドさん、子供が日本に住んで日本人と結婚したりして、わが祖国との縁も深いらしい。

ところが、この作品には様々な名曲が出てくる。そりゃそうだ。音楽がテーマの映画だもんな。で、その使用権利を得るのに莫大な金がかかるという。ということで、寄付金を募っているそうです。この映画を観たいと思ったみなさん、じゃんじゃん寄付してください!

Thursday, May 15, 2008

世田谷美術館が熱い!

一時帰国中に出掛けた世田谷美術館「横尾忠則展」を巡って、火種がくすぶっているようだ。

前にも書いた通り、これは東大時代の同級生で学芸員の塚田さんが担当した展覧会。横尾ワールド全開の痛快かつ質の高い大展覧会だった。区内の小・中学校22校が、展覧会ツアーを企画していたのも頷ける。

ところが、事前に下見をした教育委員会が「こんなもの子供に見せられん!」と中止を決定し、各学校に通達したらしい。情けないこと甚だしい。

当の横尾さんも当然ご立腹で、ついにご自身の公式サイトで反撃開始!

さて、どうなることやら?

ーーー
追記:Anonymous さんに教えてもらったのですが、東京新聞夕刊に記事が載りました。

Sunday, May 11, 2008

ドキュメンタリーはフィクションか

ドキュメンタリー映画も作り物である以上、本当のことを映し出すわけではなく、一種のフィクションだという言い方が、最近よく聞かれる。森達也の好著『ドキュメンタリーは嘘をつく』はそれがメインテーマであったし、佐藤真が『現代思想』に寄せた遺稿「ドキュメンタリーもフィクションである」などは、題名からしてそのものズバリである。

たしかに、ドキュメンタリー映画も作り手による創作物である。作家がある現実を前にしたとき、カメラを回すのか、回さないのか、回すとしたらどの角度からどう撮るのか、撮った素材のうち何を使って何を使わないのか、シーンの順番はどうするのか、などと無数の決定を下す過程で、撮られた「現実」はバラバラに解体され、検討され、再構成されていく。同じ現実を10人の作家が別々に撮ったとしたら10通りの別々の作品が出来上がることは必然だし、ドキュメンタリー映画を作るという行為が極めて主観的かつ作為的であることは自明の理である。

それは「観察映画」を標榜する僕の映画でも全く変わらない。ナレーションや音楽を使わないことから、僕の映画には作為がなく、客観的であると思われがちだが、とんでもない誤解である。観察映画も、あくまでも観察の主体である僕の視点を通して描かれた主観的なものであり、究極的には、僕の作為によって練り上げられた創作物である。観察映画は、なるべく先入観を排して現実から虚心坦懐に学ぶ姿勢で撮られるが、撮る主体はあくまでも僕であり、僕の視点を通した観察の結果が映画になる。また、映画を観た観客が様々なことを考え、感じられるように作られているが、それは解釈の余地が広く開かれていることを意味するだけであり、映画が客観的真実を映し出しているわけではない。

観察映画を含めたドキュメンタリーのこのような性質は、論理的に考えてみれば当然すぎることであり、本来ならばわざわざ指摘するほどのことでもない。にもかかわらず、森や佐藤が熱心に語らなければならないのは、ドキュメンタリーといえば剥き出しの真実を映し出すものだと素朴に信じている人々があまりにも多いからである。それは、客観主義と「中立・公正」を標榜する、NHKをはじめとしたテレビ・ドキュメンタリーの悪しき影響でもある。だから、その信仰を打ち砕くための行為には意義があると思うし、異論を挟むつもりはない。

しかし、である。僕が懸念するのは、そういう議論に拍車がかかるあまり、ドキュメンタリーとフィクションを同一視しすぎる傾向が、特に作り手や専門家の間で強まっていることである。例えば、フィリピンのラーヤ・マーティンによる『オートヒステリア』などは、出てくる人物がすべて俳優で、すべてが演技である。僕に言わせれば、これは完全なフィクション映画だから、僕はそれをスペインのドキュメンタリー映画祭「プント・デ・ビスタ」で観るとは思わなかった。森達也の前掲書でも、イスラエルのアヴィ・モグラビによる『ハッピー・バースデー Mr.モグラビ』などを例に挙げ、たとえプロの役者が混じって演技している作品でも、ドキュメンタリーであると言いたげである。

けれども、プロの俳優を使った映画もドキュメンタリーと呼べるのなら、いったいドキュメンタリーとフィクションは何が違うのか。もしかしたら、「プント・デ・ビスタ」の主催者や森は、「違いは無い」と答えたいのかもしれない。しかし、もしそうなら、なぜわざわざ「プント・デ・ビスタ」は「ドキュメンタリー映画祭」を名乗り、森達也は自らを「ドキュメンタリー作家」と呼ぶのか。ドキュメンタリーとフィクションには、本当に何の違いも無いのか。あるいは、「無い」と考えてしまって、ドキュメンタリーは先細りしないのか。

ドキュメンタリーとフィクションの違いを考えるとき、いつも思い出すのが『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年、エドゥアルド・サンチェス、ダニエル・マイリック監督)というホラー映画である。この映画は、魔女伝説についての映画を撮ろうと森に入った学生3人が消息を絶ち、その後、彼らが撮影したビデオテープが発見された、というテロップで始まる。映画は、あたかも発見されたビデオテープをそのまま編集したかのように、つまり、ドキュメンタリーであるかのように展開される。実際には、それはすべて役者が演技したもので、ドキュメンタリーではないのだが、僕は何の前情報も無く映画館に入ったので、映画の中で起きる出来事のひとつひとつが恐ろしく、本気で怖かった。実際、配給会社はこれをフィクション映画であると意図的に公言せず、あたかもドキュメンタリーであるかのようにマーケティングを行ったため、僕も含めた観客は驚愕と戦慄に包まれ、全米興行収入1億4000万ドルという大ヒットを飛ばした。

ところが、この話には後日談がある。後に僕はこの映画がフィクション映画であったことを知り、もう一度ビデオで観たのだが、初見ではあれほど怖かった映画が、全く怖くも何ともなかったのである。むしろ、起きる出来事のひとつひとつがわざとらしくて安っぽく、こんなものに怖がらされたのかと思うと腹が立った。あれほどリアルに思えた役者の演技も、事実を知った上で観れば学生レベルの三流である。この経験には唖然とした。同じ映画を観ても、それをドキュメンタリーだと思って観るのと、フィクションだと思って観るのでは、こうも印象が違うものかということを痛感させられたのである。

要するに、『ブレア・ウィッチ』は、映し出された学生達が現実に存在し、彼らの身に降り掛かった出来事が実際に起きたものだという前提があってはじめて、観客を魅了することができた。そして実はこれは、ドキュメンタリー映画一般に当てはまる大原則なのである。

例えば、僕の『選挙』にしてみても、主人公の山内和彦や自民党の人々が、全くの架空の存在で、プロの役者であるとしたらどうか。作品としての魅力や意義は、おそらく限りなくゼロに近くなるだろう。第一、あれがフィクション映画だったら、あまりにもシーンが撮れてない。山さんのイジメられ方も、夫婦喧嘩も、あまりにも台詞や撮り方が控え目であり、脚本家や監督はいったい何をやっていたんだと思われるのがオチである。にもかかわらず、「あの夫婦喧嘩が面白かったねえ」と言う観客がいるのは、それが山内夫妻という実在の夫婦に、実際に起きた喧嘩を捉えたものであるという前提があるからに他ならない。『選挙』という作品や、その中で展開されるシーンのひとつひとつが、少しでも観客を惹き付けるとするならば、それは、山内和彦や小泉純一郎といった登場人物のすべてが実在し、撮られた出来事がノンフィクションであるからなのである。

その原理は、森達也の『A』でも、佐藤真の『阿賀に生きる』でも、全く同じことである。『A』に出てくるオウム信者やマスコミ関係者、『阿賀に生きる』のじっちゃんやばっちゃんたちが、すべてプロの俳優が演技する架空の人物であったことを想像してみればいい。それでも観客は、『A』や『阿賀に生きる』を同じように愛せるだろうか。

そもそも、ドキュメンタリー=フィクションでいいなら、ドキュメンタリーというジャンルがあることそのものがナンセンスである。ドキュメンタリーという分野が存在し、僕らを虜にするのは、実在する人物や状況を被写体とすることに、独特の面白さ、危うさ、残酷さがあるからである。また、自分の頭の中で脚本を創り上げるのではなく、作品の行く先を現実の流れにゆだねてしまうことによって、「事実は小説よりも奇なり」の正しさを証明するがごとく、作り手や観客の予想を超えた思いがけぬ展開が期待できるからである。

現実を素材にしながらも、そこに作り手の作為と世界観が入り込むことから、ドキュメンタリー作品は虚と実の間を振り子のごとく微妙に揺れ動く。ドキュメンタリーの在処が、単なる「虚」でも「実」でもなく、「虚と実の間」であることがミソである。その危ういバランスがいかにも怪しく、人を惹き付ける。そのことを忘れ、「虚」か「実」のどちらか一方に振り子が振り切ってしまった瞬間に、ドキュメンタリーは根本から崩壊しかねない。それに極めて自覚的になりながら、僕はドキュメンタリーを撮り続けていきたいと思う。

最後に断っておくが、これはドグマでも倫理観の表明でもない。面白い作品を作るための僕なりの戦略であり、方法論であると思っている。

Thursday, May 08, 2008

Back to New York




昨晩、日本からニューヨークに帰ってきた。 時差ぼけ真っ最中。 なんだか忙しかったなあ、今回の日本も。

このごろよく想うんだけど、 昨年2月に『選挙』をベルリン映画祭で公開して以来、 僕はずっとお祭りに参加しているような気がする。映画祭=お祭りのあるところに出向いてばかりなんだから、 当たり前っちゃ当たり前だ。

テンションが上がりっ放しの生活は楽しいし、 起きる出来事はどれもが一期一会的で特別な感じがするんだけど、 いかんせん脳のキャパが限られているのか、 あった出来事を次から次へと忘れていく自分に唖然とさせられる。

このままお祭りの飽和状態が続いたら、いったいどうなっちゃうんだろう。 お祭りがお祭りであるためには、平々凡々とした日常が必要だ。 それに飢えている自分がいる。

Friday, May 02, 2008

日本でのあれこれ

日本に一時帰国して以来思いのほか忙しく、ブログも書くヒマがなかった。ということで、いくつかの出来事を手短に。

4月16日は、世田谷美術館で開かれている横尾忠則展のオープニングに行った。大学時代の同級生・塚田美紀さんが担当学芸員!だからというわけではないけど、非常に見応えある展覧会だった。美術館の2フロアを使い、約500点を展示。ユーモアと茶目っ気と可愛らしさとシュールな不可解さがごった煮になった横尾ワールドに引き込まれた。とにかく面白い。6月15日まで。横尾さんご本人もおられたので、彼を背景に(!)、塚田さんと彼女の旦那さんの写真をパチリ。なんと豪華なバックグラウンド。それにしても、同級生が良い仕事をしていると、嬉しくなるし、刺激になる。

4月21日は、武蔵野美大で『選挙』の上映と特別講義を行った。映画監督で友人の高橋直治さんのお誘いで実現したのだが、こんなに好き勝手しゃべっていいのかなあというくらい、しゃべりまくってしまった。映像を学ぶ学生が相手だと、かなり専門的で難しい話もできるから、普段とは違う面白さがある。とにかく楽しかった。
家族と温泉にも行った。

4月24日は、川喜多財団の坂野さんにお会いした。ロンドンでの記念イベントの打ち合わせである。この日は、他にもいろんな方にお会いした。

4月26日は、河瀬直美さんのドキュメンタリー作品DVD Box 発売記念トークイベントにゲストとして呼ばれ、紀伊国屋ホールで河瀬さんと対談した。前の日に作品を観て臨んだせいか喋りに熱が入り、客席で観ていたカミさんに「あんた、しゃべりすぎ」と言われ冷や汗。

4月28日から、3日間だけ岡山へ出向いた。観察映画シリーズ第2弾『精神』の舞台となった診療所の先生やスタッフの方々、患者さんたちにお会いして、プロジェクトの進行状況などについて報告した。僕の姿を見るなり「映画、できたんですか?!」と駆け寄ってきた人もいた。また、僕が岡山に来たことをどこかで聞きつけた山陽新聞の記者さんからも取材され、関心の高さを実感した。本当にありがたいことである。

5月1日は、劇作家で演出家の平田オリザさんにお会いした。観察映画シリーズ第3弾『青年団(仮題)』の撮影許可を得るためである。ご快諾いただいたので、実現に向け大きく前進した。プロジェクトの趣旨を平田さんに説明したところ、「亡くなった佐藤真さんも同じような企画を考えておられたんですよ」と言われたのでビックリした。そして、深い因縁を感じた。これから撮影の日程をつめていく。

明日、5月3日は、足利映像祭で『選挙』が上映される。山さんも来場予定。楽しみである。
実家の猫・チビ

Sunday, April 20, 2008

Schedule in Japan

5月7日まで日本に滞在予定なんですが、今のところ、次のようなイベントを予定しております。

4月21日(月) 武蔵野美大映像学科で特別講義
http://eizou.musabi.ac.jp/

4月26日(土) 新宿の紀伊国屋で河瀬直美さんと対談(河瀬さんのDVD Box 発売記念イベント)
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/shinjukuseminar.htm#seminar_kawase

5月3日(土)  僕の地元・足利映像祭で『選挙』上映+質疑応答。山さんも来てくれます!
http://ashikaga.info/content/Friendship.php

Friday, April 11, 2008

MoMA screening continues

Screenings at MoMA still goes on.

POV's Cathy Fisher wrote a nice and witty article on the opening night at MoMA. ***Read the article

Also, A.O. Scott of New York Times wrote a great review on CAMPAIGN. ***Read the review

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
http://www.moma.org/calendar/films.php?id=8214&ref=calendar

Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

Tuesday, April 08, 2008

MoMA's screening started!




Thank you, everybody, for coming to the screening at MoMA last night!

I saw so many familiar but unexpected faces among the audience. It made me realize that NY is my home town, and there's nothing like my own home!

Thanks to Yama-san, and MoMA organizers Jytte, William, Paul, and, Aparna, the Q&A after screening was so much fun. I didn't realize that it lasted for an hour!

The projector of MoMA was state of the art, and my film looked so beautiful. It's a rare chance to see it in such a superb condition, so if you didn't make it last night, please come to see it! We still have 5 screenings left.


昨日の上映会に来て下さった方々、ありがとうございました。

ずっとご無沙汰していた懐かしい、意外な方々にもお会いできて、なんだか感無量でした。やっぱりニューヨークは僕の第二のふるさとなんだなあと、今更ながらしみじみ思いました。

山さんやMoMAのスタッフのお陰で、上映後の質疑応答も多いに盛り上がりました。後で聞いたら1時間も続いたそうで、調子にのってベラベラしゃべってたんだなあ、みなさんに迷惑じゃなかったかなあ、とちょっと心配です。でも、楽しかった。

MoMAの上映環境もさすがに超一流で、あれほど高性能のプロジェクターを使ってハイビジョン(HD)で見られる機会は、そうないと思います。
まだ上映が5回残ってますので、まだの方、ぜひご覧下さいませ!

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
http://www.moma.org/calendar/films.php?id=8214&ref=calendar

Wed, April 9, 6:00 PM
Thu, April 10, 6:00 PM
Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

Saturday, April 05, 2008

Yama-san will be at MoMA!


The screenings at MoMA (The Museum of Modern Art) is starting from April 7th.
And the film's protagonist, Kazuhiko "Yama-san" Yamauchi will also be there!
Meet us at the Q&A after the screening on Monday, 7th. It will be a lot of fun.

New York Times' A.O.Scott wrote "“Campaign,” a fascinating Japanese documentary opening Monday at the Museum of Modern Art, is likely to challenge some very basic American assumptions about democracy. ""“Campaign” may invite a certain skepticism about democracy, but it will surely restore your faith in cinéma vérité."

ニューヨーク近代美術館での上映が、4月7日から始まります。主人公の山さんも、急遽、7日の質疑応答に駆けつけてくれることになりました。NYにいるみなさん、ぜひいらっしゃってください。

ニューヨークタイムズに非常に良い批評が載りました。

April 7 - 13, 2008
ONE WEEK ONLY!

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
http://www.moma.org/calendar/films.php?id=8214&ref=calendar

Mon, April 7, 7:00 PM (Q&A with the filmmaker and Yama-san)
Wed, April 9, 6:00 PM
Thu, April 10, 6:00 PM
Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

Friday, March 28, 2008

梅が開花 モロッコの映画祭へ




東京は桜が満開だというのに、ニューヨークはやっと梅が咲いたばかり。やっぱり寒いんだなあ、ここは。

それでも結構暖かくなってきたせいか、散歩をしてると近所の「なじみ猫」と出くわします。
思わず携帯でパチリ! 迷惑そうな顔が可愛いんだな、これが。

来週は一週間、モロッコの「テトゥアン映画祭」に出席します。『選挙』の上映があります。モロッコはおろか、アフリカに行くのは初めて!

でも、映画祭のサイトをチェックしてみたら、『選挙』に[DOC/FICTION]と書かれていました。しかも「CAMPAIGN」じゃなくて「CAMPING」だって!また何かを勘違いしているのでは…。先方にはメールしておきました。「フィクションじゃないよ!しかも題名はキャンピングじゃないよ!」って(笑)。とほほ。
http://www.festival-tetouan.com/carte.php

Sunday, March 23, 2008

編集に苦しくなると

『精神(仮題)』の編集に、頭を悩ませ、胃をきりきりさせる毎日である。

シーンとシーンをつなぎ合わせ、映画としての構造を構築する時期に入り、いつものことながら無限地獄のような苦しみを味わっている最中。ああでもない、こうでもない、妙案を思いついては試し、失望し、壊し、組み立て、また壊す。

『選挙』でもそうだったが、僕は『精神』を撮るときに、いわゆる台本やシノプシスを一切書かなかった。撮影する前に台本を書いてしまうと、自分の書いたこと=先入観にとらわれてしまい、目の前の現実を虚心坦懐に観察しにくくなるからである。

それなのに、編集に苦しくなってくると、「この人、この時もう少しこういう事を言ってくれてたら面白かったのになあ」とか、「もうちょっとこういう状況だったら良かったのに」とか、手前勝手な気持ちがつい頭をもたげてくる。知らず知らずの間に、僕が嫌っているはずの、予定調和でご都合主義的なドキュメンタリー作りに陥ろうとしていて、はっとする。

僕には子供はいないけど、ドキュメンタリー作りは子育てと似ているんじゃないかと、ふと思った。目の前の自分の子をよく観ずに、親としての勝手な理想に無理矢理当てはめようとすると、きっと子供は違和感を感じ、反抗したり、病気になったり、引きこもったりするだろう。

たぶん、子育てもドキュメンタリーも、子供=作品が伸びようとする方向を見極め、手助けをしてあげるくらいが丁度良い。決して無理強いしてはならない。苦しいときにこそ、そのことを忘れずにいたいものである。

Monday, March 10, 2008

Screening Schedule at MoMA


The schedule of screenings at MoMA (The Museum of Modern Art) has been determined!!
April 7 - 13, 2008
ONE WEEK ONLY!

MoMA @ Titus 2 Theater
11 West 53 Street, NYC
www.moma.org

Mon, April 7, 7:00 PM (Q&A with the filmmaker)
Wed, April 9, 6:00 PM
Thu, April 10, 6:00 PM
Fri, April 11, 8:00 PM
Sat, April 12, 3:00 PM
Sun, April 13, 2:00 PM

Screening is free with Museum admission and to MoMA members
Otherwise, Adults $10, Seniors $8 (65 and over with ID)
Students $6 (full-time with current ID)
Children (sixteen and under) Free, but a ticket is required

「切る」と「つなぐ」

去年の秋から、ひとりコツコツと、次回作『精神(仮題)』の編集作業を進めている。とある精神科の診療所を舞台にしたドキュメンタリー映画である。

編集作業のことを、アメリカの映画人は「切る(cut)」と呼ぶ。「君の映画は、誰が切っているんだい?」というように。逆に日本の人は「つなぐ」と呼ぶ。「もうあのシーン、つないだ?」というように。

このことは、編集についての考え方の違いをよく言い表していて面白い。

すなわち、「切る」と呼ぶことからは、編集の極意は引き算、つまり無駄なものを省くことにあるという思想が感じられる。逆に「つなぐ」と呼ぶことには、編集の醍醐味は足し算、撮ってきた映像の断片と断片の間に、何らかの関係性を見出すことにこそあるという姿勢が現れている。

では、僕は「切る」のか、「つなぐ」のか。足し算なのか、引き算なのか。

結論から言うと、色即是空、空即是色ではないけれど、切ることがつなぐことであり、つなぐことが切ることであると思う。例えば、あるシーンの最後の台詞を切ってみると、次のシーンの冒頭との意外な関係性が見えてきたりする。また、ショットAとショットCをつなぐために、間にあるBを切ったりする。「切る」と「つなぐ」は相反するものではなく、同一か、もしくは相互補完の関係にあるのである。

切って、つないで、つないで、切って。引いて、足して、足して、引いて。リズム良く、しなやかに、粘土で立体を造るように。タルコフスキーは、映画は時間の彫刻だと言った。

でも、言うは易しである。とにかく、切るにせよ、つなぐにせよ、編集というのは一筋縄ではいかない。あんなに面白く見えたラッシュ(未編集の映像)が、切ってみたら全くつまらなくなることがある。かと思えば、ラッシュではつまらないと思っていたシーンが、切ってみたら異様な輝きを放ちだすこともある。

切って、つないで、つないで、切って。

いや、実際の僕の生活は、切って、珈琲を飲んで、つないで、風呂に入って、ビールを飲んで、漫画を読んで、切って、散歩して、昼寝して、つないで。っていう感じである。

映画でも人生でも、余計なものは切りたいけれど、切りすぎるとうまくいかないんだよなあ。

Saturday, March 01, 2008

Wiseman Festival

もっと早く紹介すべきだったんですが、東京でフレデリック・ワイズマンの特集上映をしています。そのために飛んで帰りたいくらい、すばらしいラインナップです。ぜひお勧めします。

『チチカットフォリーズ』『肉』『霊長類』『臨死』『少年裁判所』『福祉』『DV』とか、はっきり言って、震えます。ワイズマンの本拠地アメリカでもなかなか観れない作品をこれだけ観れる日本は凄い!

Tuesday, February 26, 2008

CAMPAIGN at MoMA

I'm so happy to announce that CAMPAIGN will be screened at MoMA, the Museum of Modern Art in New York!!
It is scheduled to be screened from April 7th until 13th, 2008.

Today, I and my wife went to MoMA to have a meeting. A publicist from POV (which will air CAMPAIGN this summer on PBS) also attended the meeting. It was a combination of a Danish curator, an Irish publicist of the film department, a New York born publicist of POV, and a Japanese filmmaker (and his Japanese wife). Only in New York!
MoMA and POV will cooperate in our publicity efforts.

To be honest, I had nothing to do with art or film until I moved to New York in 1993. But when I became a film student at School of Visual Arts, I took an advantage of free admission and commuted to MoMA on a regular basis - watching films, paintings, sculptures, and photographs. It was in MoMA where I absorbed all the basics and the newest crops in modern art, like a sponge. It's just too good to be true that they are showing my film there. I'm so honored.

近現代美術の殿堂、ニューヨーク近代美術館 (MoMA)で『選挙』を上映することが決まった!
期間は、4月7日から一週間(火曜を除く)。
今日はその打ち合わせにMoMAへ出向いた。夏に放映予定の公共放送局PBSの担当者も出席し、初顔合わせ。学芸員はデンマーク人、プレス担当者はアイルランド人、PBSの担当者はニューヨーク出身、映画を作ったのは日本人という、いかにもニューヨークらしいコスモポリタンな顔ぶれである。今後は、MoMAとPBSが連携して映画のPRをしてくれることになる。

僕は1993年にニューヨークに渡るまで、アートや映画とは全く関係ない世界にいた。芸術に関する知識や経験は皆無に近かったといっていい。そんな僕が、近現代美術の基本と最先端を同時に、水を吸い取るスポンジのように吸収したのは、他ならぬMoMAにおいてであった。ここの映画プログラムに足繁く通って来たのはもちろん、絵画や彫刻、写真の展覧会にもたびたび通って勉強した。学生は入場無料なのが有り難かった。そのMoMAで自分の映画を上映してくれる日が来るとは、正直考えたこともなかった。信じられないくらい光栄である。

Thursday, February 21, 2008

Punto de Vista Doc Film Fest, Spain





From Feb 15 till 19, I attended Punto de Vista Documentary Film Festival in Pamplona, Spain. I had so much fun!! A local newspaper GARA did an interview with me. Read it here.

2月15日から19日まで、スペインのパンプローナで開かれた「Punto de Vistaドキュメンタリー映画祭」に参加した。パンプローナは、首都マドリッドからプロペラ機で約1時間。ヘミングウェイが愛した「牛追い祭り」で有名な、人口20万人の小都市である。(地元の人の話では、祭りでは牛を人が追うのではなく、人が牛に追われるそうなので、ホントは「牛追われ祭り」とでも呼んだ方がいいね)。

旧市街が大事に残された、美しい街並み。映画祭の会場に行ったら、外で子供達がドッヂボールをしていた。それだけでこの街が好きになるに十分である。

さて、映画祭の窓口で登録の手続きをしていたら、受付の学生さんの背後に見慣れた写真が…。なんと、僕のオヤジが猫と一緒に昼寝している、あの写真である!

映画祭の公式サイトに『選挙』の場面写真と間違えてこの写真が使われたことは前に書いたが、まさか会場にまで使われていたとは…。思わず爆笑していたら、学生さんがいぶかしげにしているので、ことの顛末を説明した。そしたら彼女は何を勘違いしたのか、「お父さんもアーティストなんですか?」と言うので、「いや、オヤジは昼寝してるだけ」と答えたらお腹を抱えて笑ってくれた。そんなにウケてくれてありがとう。

しかし、話はそれだけではない。会場を見渡すと、作品の上映日程を大きく張り出している。もしや、と思って近づいたら、やっぱり!ここにも昼寝しているオヤジが…。

そして、まさかと思いながら、もらったばかりの映画祭の公式カタログを手に取る。そしたら案の定、ここにも昼寝しているオヤジが…。なんちゅうこっちゃ。

まあ、オヤジの話はそのくらいにして(笑)。このドキュメンタリー映画祭、日本から来ていた懐かしい面々に期せずしてお会いできたのも嬉しかったけど、とにかく映画のラインナップが凄かった。伝統的なスタイルから、実験的なものまで幅が広く、かつクオリティが高かった。集客力もなかなかのものだった。まだ始まって数年だからあまり知名度がないけど、そのうち有名な映画祭に成長する予感がした。そう思って映画祭のサイトをよく読んだら、今年は世界70カ国から804本の応募があり、その中から『選挙』を含むコンペ25作品を選んだのだそう。もうすでに定評がある証拠である。

映画鑑賞の合間に、暇を見つけてはパンプローナの街を歩いた。フランスのナントやマノスクでも思ったことだが、街に歩行者が多いのが素晴らしい。「ヤマグチ公園」という公園があるので由来を聞いたら、パンプローナ出身の宣教師フランシスコ・ザビエルがかつて山口市を訪れたご縁で、両市は姉妹都市になったのだそうである。

ところで、スペインの日程には面食らった。まず、昼食は2時から始まるのがスタンダード。もちろん、日本式に10分くらいでかき込むのではなく、おしゃべりをしながら、2時間くらいかけてゆっくりと食べる。そして夕食は10時か11時から! 夜中の12時頃バーに行くと、まだ時間が早いとかで人がほとんどいない。夜遊びのピークは朝の3時から6時なんだそうで、スペインには1日36時間くらいあるに違いない。

最後になるが、去年急逝された佐藤真監督が、2006年の映画祭審査員を務められていたことを知った。カタログの巻頭に追悼文が載せられていて、しばし物想いに耽った。

ローカル紙「GARA」のインタビュー記事を読む