去年の秋から、ひとりコツコツと、次回作『精神(仮題)』の編集作業を進めている。とある精神科の診療所を舞台にしたドキュメンタリー映画である。
編集作業のことを、アメリカの映画人は「切る(cut)」と呼ぶ。「君の映画は、誰が切っているんだい?」というように。逆に日本の人は「つなぐ」と呼ぶ。「もうあのシーン、つないだ?」というように。
このことは、編集についての考え方の違いをよく言い表していて面白い。
すなわち、「切る」と呼ぶことからは、編集の極意は引き算、つまり無駄なものを省くことにあるという思想が感じられる。逆に「つなぐ」と呼ぶことには、編集の醍醐味は足し算、撮ってきた映像の断片と断片の間に、何らかの関係性を見出すことにこそあるという姿勢が現れている。
では、僕は「切る」のか、「つなぐ」のか。足し算なのか、引き算なのか。
結論から言うと、色即是空、空即是色ではないけれど、切ることがつなぐことであり、つなぐことが切ることであると思う。例えば、あるシーンの最後の台詞を切ってみると、次のシーンの冒頭との意外な関係性が見えてきたりする。また、ショットAとショットCをつなぐために、間にあるBを切ったりする。「切る」と「つなぐ」は相反するものではなく、同一か、もしくは相互補完の関係にあるのである。
切って、つないで、つないで、切って。引いて、足して、足して、引いて。リズム良く、しなやかに、粘土で立体を造るように。タルコフスキーは、映画は時間の彫刻だと言った。
でも、言うは易しである。とにかく、切るにせよ、つなぐにせよ、編集というのは一筋縄ではいかない。あんなに面白く見えたラッシュ(未編集の映像)が、切ってみたら全くつまらなくなることがある。かと思えば、ラッシュではつまらないと思っていたシーンが、切ってみたら異様な輝きを放ちだすこともある。
切って、つないで、つないで、切って。
いや、実際の僕の生活は、切って、珈琲を飲んで、つないで、風呂に入って、ビールを飲んで、漫画を読んで、切って、散歩して、昼寝して、つないで。っていう感じである。
映画でも人生でも、余計なものは切りたいけれど、切りすぎるとうまくいかないんだよなあ。
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