図書文化資源課 石綿主査さま
はじめまして。ドキュメンタリー映画『選挙』の監督で映画作家の想田和弘と申します。
明日7/2(火)、18時15分から千代田区立・日比谷図書館で映画『選挙』を上映し、私と主人公の山内和彦さんとのトークイベントを開催します。
ご承知の通り、当初この企画は、日比谷図書館の指定管理会社のひとつであるTRC(図書館流通センター)と東風(配給会社)の共催で行われる予定でした。しかし、TRCからの説明によれば、石綿主査が映画の内容と上映時期に懸念を示したために、TRCがいったん中止を決めました。その後、TRCは私たち(想田と東風)の抗議を受け、東風の単独主催で上映を実施することを受け入れましたが、私たちはこの事態に至った経緯を看過できないものと受け止めています。
その詳しい理由は、下に貼付けたように、6/28付けの私のブログで表明いたしました。
石綿主査は、複数の新聞社の取材に対して「映画の内容に懸念を示したことはない」と仰ったそうですが、それならばなぜ、TRCは上映の中止を決定したのでしょうか。中止決定の当初、TRCは東風の単独主催でも開催は不可能だと仰っていました。つまり、共催・単独いかんに関わらず、上映そのものが好ましくないとの判断でした。それはすなわち、「映画の内容に問題がある」ことを意味しませんか?
TRCからは、石綿主査が「上映するのをやめろ」とTRCにはっきり仰ったわけではなく、懸念を示しただけだと聞いております。しかし、いつでも区との契約を打ち切られかねない弱い立場の存在であるTRCの事情を考えれば、懸念を示したこと自体が、事実上の検閲ではないかと私たちは疑念を抱いております。その点、どのようにお考えなのでしょうか。
私たちは、石綿主査からの直接の説明を要求するものであります。大変お忙しいとは存じますが、明日の上映会後のトークではこの問題についてオープンに議論する所存ですので、ぜひ石綿主査にもおいでいただき、ご意見を述べていただけませんでしょうか。
いずれにせよ、石綿主査による懸念の表明を発端として、映画『選挙』はいったん上映中止になりました。それは厳然たる事実です。そして私たちは、その一連の経緯は、日本国憲法第21条で保障された私たちの「表現の自由」を脅かす重大な問題であると認識するとともに、千代田区に対して厳重に抗議するものであります。
なお、この文章は私のブログに「公開質問状と上映後トークへの参加要請、そして抗議文」として掲載させていただきますので、ご留意下さい。
2013年7月1日
想田和弘
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日比谷図書館での『選挙』上映が一時中止された件について
Friday, June 28, 2013
http://documentary-campaign.blogspot.jp/2013/06/blog-post_28.html
明日から渋谷のシアター・イメージフォーラムで『選挙』の再上映が始まる。DVDも出てるし、日本のみならず世界中でTV放映もされた作品だ。それなのに、まだまだこの映画にタブー感を抱く人たちがいる。そのことを痛感する出来事に遭遇したので、勇気を出して紹介したい。
7/2(火)に予定されている千代田区立・日比谷図書館での『選挙』上映と山さんとのトーク、実は開催を危ぶまれていた。なぜか?先週の金曜日(6/21)、千代田区図書・文化資源課が上映に懸念を示し、図書館を運営する指定管理会社が中止を一方的に決定したからだ。
すでにチラシは刷り上がり、告知も済んでいた。にもかかわらず、共催である配給会社・東風に一言の相談もなく、中止は決定された。説明を求め、一昨日(6/26)午前中に指定管理会社の担当者の方々に面会した。その時点で、中止は決定済みで変更できないと言われた。
彼らの説明によれば、千代田区の懸念の内容はこうだ。「参院選の前にセンシティブな内容の映画を上映することは難しいところがある。怖い。映画が選挙制度そのものについて一石を投じる内容になってしまっている。議論が起きること自体が好ましくない。過去に苦情等のトラブルが生じたこともある」
しかし、映画『選挙』は特定の政党や候補者を応援したりするものではないので、公職選挙法に触れたりはしない。その点は区も承知しているという。では、何が問題なのか。違法でもないのに、なぜ上映を中止するのか。僕らは疑問を表明し、抗議した。また、中止するなら中止の理由を公表すると伝えた。
すると午後になって再び面会を求められた。中止ではなく、参院選後に延期してもらえないか。それが彼らの「お願い」だった。しかしそれは僕らには受け入れられない。選挙前だからこそ映画を観て語りたいのだ。適法なのだから、今こそ堂々と上映し語るべきなのだ。逆に上映できない理由はないはずだ。
結局、指定管理会社との「共催」ではなく、東風の単独主催で上映することに落ち着いた。したがって会場費は東風が負担し、チラシも東風が刷り直す。大きな負担だ。しかし上映が、そして我々の表現の自由がギリギリで守れたことは成果だ。
「選挙直前に選挙について語るのはダメ」などという不条理を許容しないで済んだことも良かった。だいたい、選挙期間になると、選挙について、政治について語れなくなくなることこそが、ニッポンの民主主義の本質的な問題なのだ。
とはいえ、腑に落ちない点がある。ある新聞社の記者が千代田区図書・文化資源課の担当者に取材したところ、「映画の内容に懸念を示したことはない」と言ったというのだ。だとしたら、指定管理会社が僕らに嘘を付いていたというのか?そんなわけはないだろう。
そもそも、この上映&トーク企画を率先して提案してくれたのは、映画『選挙』を好いてくれた指定管理会社のスタッフである。その有志が勤務外にボランティアで準備を進めてくれていた。僕はそれがとても嬉しかった。そんな彼らが、自分から中止を決めるわけがない。
僕の想像はこうだ。区の仕事を請け負う指定管理会社は、とても立場が弱い存在である。何か問題が起これば、契約を切られ雇用も失われる。だから区の意向には逆らいにくい。だからちょっとした懸念にも敏感に反応し忖度(そんたく)する。
区はそういう指定管理会社の弱い立場につけ込み、すべての責任を押し付けようとしているのではないか?そんなことが許されていいのか?指定管理者制度は、何か問題が起きた時に役所が民間に責任を押し付けるための装置なのか?それこそ、無責任ニッポン社会の典型ではないか?
僕はこの事実を公表することに、ためらいを感じた。指定管理会社の立場が、更に弱くなることを恐れたからである。下手をすると次の契約更改時に不当に切られる可能性がある。すると社員の仕事も失われる。それは僕の望む所ではない。彼らは一生懸命仕事をしている。
しかし、区がシラを切り通そうとしているならば、それを伏せたままでよいのだろうか?このまま「何事もなかったかのように」上映をしていいのだろうか?だいたい、区は「表現の自由」を軽く考え過ぎているのではないか?実はこのようなことは、これまで公にならないだけで、頻繁にあったのではないか?
中島岳志さんが「「リベラル保守」宣言」の印刷直前に、NTT出版から橋下徹大阪市長について書いた章の削除を求められ、新潮社に出版社を引っ越したというツイートを読んだ。同じようなことが、あちらこちらで起きているのではないか?
『選挙2』の中で、路上で選挙運動をする自民党議員から撮影拒否を受けたことも思い出した。僕は撮影を続行したが、川崎市連の弁護士からは「映像を使うな」という通知書が届いた。だが、もちろん映像は使った。これらの出来事は、すべて根っ子で繋がっているように思う。
ものを言いにくい雰囲気。これが社会の隅々にまで充満している。その雰囲気を打破する唯一の方法は何か?タブーなく語ることである。逆に、語ることを自主規制すれば、ものを言いにくい雰囲気に加担することになる。
僕は問題の所在を明らかにし、オープンな議論を巻き起こすためにも、今回の経緯を公表する必要があると判断した。その決断に東風も賛意を示した。指定管理会社の皆さんには申し訳ないという気持ちもある。しかし、彼らも一度は中止の決定をした主体だ。一定の責任は感じてもらいたい。
7/2の日比谷図書館での上映後のトークでも、この問題について語りたいと思う。個人の責任を追及するつもりは一切ない。そんなことより、問題提起をしたい。語ることはタブーだという雰囲気があるが、そのタブーこそが問題だと思うのだ。
現時点で、区の担当者とは僕らは一度も話していないし、面会もしていない。僕の申し上げていることが間違っているなら、区はトークの場に出てきて反論して欲しい。僕は誰かを糾弾するつもりはない。僕が求めているのは、対話であり、率直な議論である。
想田和弘
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