青年団の撮影で広島に来ている。
今日は夜10時頃撮影が終わり、広島駅前のホテルに帰ってから近場で夕飯を食おうとレストランを探した。ところが広島の夜は案外早く、どこも早々と店じまいをしている。
何軒もの店に断られ途方にくれ、ふらふらと小便臭い暗い横道にさまよい入っていったら、赤提灯を下げた店が一軒、営業していた。店内をのぞくと、お好み焼き用の巨大な鉄板が付いたカウンターにサラリーマンがワラワラと陣取り、にぎやかに宴会をしている。店主らしいオジさんが僕に気づき「にいちゃん、ひとり?いいよ」と言うので、カウンターの席に着いた。
「にいちゃん」と呼ばれたのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。無礼だなとムッとする気持ち半分、他人同士の垣根を軽々と一発で超えられた快感半分の複雑な気持ちで、席に着いた。「じゃ、野菜とソバが入ったお好み焼きを肉ぬきでお願いします」と注文すると、「にいちゃん、肉嫌いなん?」と怪訝な顔ですかさず聞かれ、その複雑な感じは否応無く増幅した。
「にいちゃん」と呼ばれたのが初めてなら、実は広島でお好み焼きを食べるのも初めてである。広島には『選挙』のプロモーションで一日だけ訪れたことがあったが、あのときは忙し過ぎてお好み焼きどころではなかった。店主が目の前の鉄板で僕の「野菜ソバお好み焼き」を作ってくれるのだが、その作り方の独特で魅力的な様子に思わず目を見張った。「広島風」のお好み焼きは何度も食べたことがあったのだけれど、これが「風」と「本物」の違いか、などと感心しながら出来上がりを待った。
その妙な視線を感じたのか、僕の食べ方があまりに下手クソだったのか、お好み焼きが出来上がって僕が食べ始めると、店主はすぐにこう言いながら食べ方を指南した。「にいちゃん、食べるの初めて?それじゃグチャグチャになる。こうやって切るんじゃ(広島弁はいい加減です)」。
すると隣に座っていたサラリーマンが、「いや、そうじゃない。こうじゃ」とか店主の説にケチをつけ、実演し始める。それにまた店主が応酬する。たちまち狭い店内はお好み焼きの食べ方で喧々諤々の議論になってしまった。
どう食おうとオレの勝手だろう、放っておいてくれ、という気もしたのだが、僕はその展開が妙に懐かしい感じがした。ムッとするより、快感が勝った。そして広島が好きになった。。
よくよく観察してみれば、店主はお客さん一人一人とよほどの顔なじみらしく、会社の上司の悪口を言い合う会話にも普通に入って自分の意見を言ったりしている。それに、生ビールの追加を貰おうと店の「にいちゃん」を探したら、暇だったのか、お客と一緒に席について飲み食いしながらだべっている。ここはお店というより、社交場なのだ。
近代はこういう煩わしくも魅惑的な場をどんどん削ぎ落として来た。ニューヨークにも、東京にも、こういう空間は滅多にない。広島の小便臭い横町でそれに不意に出会い、僕はこの店を天然記念物に指定して欲しいと不覚にも願うのであった。
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