I'm so happy to announce that CAMPAIGN will be screened at MoMA, the Museum of Modern Art in New York!!
It is scheduled to be screened from April 7th until 13th, 2008.
Today, I and my wife went to MoMA to have a meeting. A publicist from POV (which will air CAMPAIGN this summer on PBS) also attended the meeting. It was a combination of a Danish curator, an Irish publicist of the film department, a New York born publicist of POV, and a Japanese filmmaker (and his Japanese wife). Only in New York!
MoMA and POV will cooperate in our publicity efforts.
To be honest, I had nothing to do with art or film until I moved to New York in 1993. But when I became a film student at School of Visual Arts, I took an advantage of free admission and commuted to MoMA on a regular basis - watching films, paintings, sculptures, and photographs. It was in MoMA where I absorbed all the basics and the newest crops in modern art, like a sponge. It's just too good to be true that they are showing my film there. I'm so honored.
近現代美術の殿堂、ニューヨーク近代美術館 (MoMA)で『選挙』を上映することが決まった!
期間は、4月7日から一週間(火曜を除く)。
今日はその打ち合わせにMoMAへ出向いた。夏に放映予定の公共放送局PBSの担当者も出席し、初顔合わせ。学芸員はデンマーク人、プレス担当者はアイルランド人、PBSの担当者はニューヨーク出身、映画を作ったのは日本人という、いかにもニューヨークらしいコスモポリタンな顔ぶれである。今後は、MoMAとPBSが連携して映画のPRをしてくれることになる。
僕は1993年にニューヨークに渡るまで、アートや映画とは全く関係ない世界にいた。芸術に関する知識や経験は皆無に近かったといっていい。そんな僕が、近現代美術の基本と最先端を同時に、水を吸い取るスポンジのように吸収したのは、他ならぬMoMAにおいてであった。ここの映画プログラムに足繁く通って来たのはもちろん、絵画や彫刻、写真の展覧会にもたびたび通って勉強した。学生は入場無料なのが有り難かった。そのMoMAで自分の映画を上映してくれる日が来るとは、正直考えたこともなかった。信じられないくらい光栄である。
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Tuesday, February 26, 2008
Thursday, February 21, 2008
Punto de Vista Doc Film Fest, Spain
From Feb 15 till 19, I attended Punto de Vista Documentary Film Festival in Pamplona, Spain. I had so much fun!! A local newspaper GARA did an interview with me. Read it here.
2月15日から19日まで、スペインのパンプローナで開かれた「Punto de Vistaドキュメンタリー映画祭」に参加した。パンプローナは、首都マドリッドからプロペラ機で約1時間。ヘミングウェイが愛した「牛追い祭り」で有名な、人口20万人の小都市である。(地元の人の話では、祭りでは牛を人が追うのではなく、人が牛に追われるそうなので、ホントは「牛追われ祭り」とでも呼んだ方がいいね)。
旧市街が大事に残された、美しい街並み。映画祭の会場に行ったら、外で子供達がドッヂボールをしていた。それだけでこの街が好きになるに十分である。
さて、映画祭の窓口で登録の手続きをしていたら、受付の学生さんの背後に見慣れた写真が…。なんと、僕のオヤジが猫と一緒に昼寝している、あの写真である!
映画祭の公式サイトに『選挙』の場面写真と間違えてこの写真が使われたことは前に書いたが、まさか会場にまで使われていたとは…。思わず爆笑していたら、学生さんがいぶかしげにしているので、ことの顛末を説明した。そしたら彼女は何を勘違いしたのか、「お父さんもアーティストなんですか?」と言うので、「いや、オヤジは昼寝してるだけ」と答えたらお腹を抱えて笑ってくれた。そんなにウケてくれてありがとう。
しかし、話はそれだけではない。会場を見渡すと、作品の上映日程を大きく張り出している。もしや、と思って近づいたら、やっぱり!ここにも昼寝しているオヤジが…。
そして、まさかと思いながら、もらったばかりの映画祭の公式カタログを手に取る。そしたら案の定、ここにも昼寝しているオヤジが…。なんちゅうこっちゃ。
まあ、オヤジの話はそのくらいにして(笑)。このドキュメンタリー映画祭、日本から来ていた懐かしい面々に期せずしてお会いできたのも嬉しかったけど、とにかく映画のラインナップが凄かった。伝統的なスタイルから、実験的なものまで幅が広く、かつクオリティが高かった。集客力もなかなかのものだった。まだ始まって数年だからあまり知名度がないけど、そのうち有名な映画祭に成長する予感がした。そう思って映画祭のサイトをよく読んだら、今年は世界70カ国から804本の応募があり、その中から『選挙』を含むコンペ25作品を選んだのだそう。もうすでに定評がある証拠である。
映画鑑賞の合間に、暇を見つけてはパンプローナの街を歩いた。フランスのナントやマノスクでも思ったことだが、街に歩行者が多いのが素晴らしい。「ヤマグチ公園」という公園があるので由来を聞いたら、パンプローナ出身の宣教師フランシスコ・ザビエルがかつて山口市を訪れたご縁で、両市は姉妹都市になったのだそうである。
ところで、スペインの日程には面食らった。まず、昼食は2時から始まるのがスタンダード。もちろん、日本式に10分くらいでかき込むのではなく、おしゃべりをしながら、2時間くらいかけてゆっくりと食べる。そして夕食は10時か11時から! 夜中の12時頃バーに行くと、まだ時間が早いとかで人がほとんどいない。夜遊びのピークは朝の3時から6時なんだそうで、スペインには1日36時間くらいあるに違いない。
最後になるが、去年急逝された佐藤真監督が、2006年の映画祭審査員を務められていたことを知った。カタログの巻頭に追悼文が載せられていて、しばし物想いに耽った。
ローカル紙「GARA」のインタビュー記事を読む
Wednesday, February 20, 2008
Screening in Austin
On Feb 13, I went to Austin, Texas to attend a screening there. Read a long article published on AUSTIN CHRONICLE. It begins by saying, "Those feeling sensory-overloaded by our own presidential campaign might feel a little better after watching how the Japanese do democracy. Kazuhiro Soda's Campaign, a hilarious film about a relatively insignificant City Council race in Kawasaki, reveals that the Japanese have a different, more in-your-face – certainly more within-your-earshot – style of electioneering than we do."
2月13日、テキサス州のオースティンで『選挙』の上映会があり、僕も出席した。主催はオースティン・フィルム・ソサエティ。今回僕を招いてくれたチャーリー・ネイフスや、地元の映画監督リチャード・リンクレイターなどが中心になって80年代に設立した映画愛好会だが、年々その規模は大きくなり、今では空港の跡地を利用した巨大な映画撮影所!まで持っている大集団である。撮影所は20エーカーもあり、見学するのにゴルフカートがいるほど広大で、地元のインディー映画のみならず、ロバート・ロドリゲスの『Spy Kids』などハリウッド映画までここで撮られている。アメリカンな大きい話である。
『選挙』の上映は、アラモ・ドラフトハウスという町中の映画館で行われた。客席の前にテーブルがあって、食べ物や飲み物を食べながら映画を鑑賞できる。これまた、いかにもテキサスらしいアイデアである。上映後、テキサス州議員の人が近寄ってきて、映画を褒めてくれた。彼はジョージ・W・ブッシュが州知事だったときにも議員だったそうで、「僕はリベラルだから、ブッシュにメチャクチャ嫌われてたんだ」と言っていた。ちなみに、テキサスというと保守的なイメージがあるが、オースティンはリベラル派の牙城である。
余談だが、僕が初めてオースティンにやってきたのは、2004年の夏。日本のテレビ局に雇われてマイケル・ムーアの密着取材をしていたのだが、ムーアがブッシュのお膝元・クロフォードで『華氏911』を上映するというので、僕もオースティン経由で乗り込んだのだった。そのときブッシュの私邸も撮っておこうと思っていろいろ探したのだが、誰もが目をそらすようにして「どこにあるか知らない」と答えたのが印象的だった。中には「私邸の場所を教えてもいいが、屋敷の前で絶対に車を止めるなよ。警備員に撃たれるぞ」と忠告する人もいて、背筋がゾッとした。また、よくテレビのレポーターが「ブッシュ大統領の私邸前から」と言いながら立ちレポする現場が、実は屋外セットであったことも衝撃的だった。実際に現場に行ってみたら、各テレビ局のサテライト車が常駐していて、ニセの私邸を背景に何食わぬ顔をして立ちレポをしていた。肝心の『華氏911』の方は、地元の上映反対運動が激しく、混乱を恐れたムーアはついに会場に現れなかった。
最後に、オースティン・クロニクルに長いインタビューが載ったので紹介しておく。
Monday, February 11, 2008
Screenings this week 今週の上映
This week, I'm going to Austin, Texas and Pamplona, Spain to attend screenings.
See you there!
AUSTIN FILM SOCIETY (Austin, Texas, USA)
Wednesday, Feb 13, 7pm at the Alamo Ritz on 6th St
PUNTO DE VISTA (Spain, 2/15-23)
Friday Feb 15 @ 10:30 (only for Press)
Saturday Feb 16 @ 17:00
See you there!
AUSTIN FILM SOCIETY (Austin, Texas, USA)
Wednesday, Feb 13, 7pm at the Alamo Ritz on 6th St
PUNTO DE VISTA (Spain, 2/15-23)
Friday Feb 15 @ 10:30 (only for Press)
Saturday Feb 16 @ 17:00
Tuesday, February 05, 2008
一生の不覚
一生の不覚、というには大げさかもしれないが、それに近い思いを味わった。
フランスのマノスク映画祭からニューヨークに帰り、カミさんと一緒に昼飯のチャイニーズを囲んでいたときのことである。カミさんが「マノスクって何が名物?」と聞くので、「名物といっていいのかどうか分からんけど、Jean Gionoという作家の生家があった」と答えた瞬間に、あっ!と思った。口に含んだ麻婆豆腐を飲み込む間もなく本棚に駆け寄り、不朽の名作『木を植えた男』を手に取ったとき、思わず豆腐を吹き出しそうになった。
そう、『木を植えた男』の著者こそが、Jean Giono、つまりジャン・ジオノであり、そのことにその瞬間まで、僕は全く思いが及ばなかったのである。
『木を植えた男』は、幼なじみの友人に勧められて読んで以来、僕にとっての座右の書といえるくらい特別な思いのこもった本である。一人の老人が荒れた大地に人知れず木を植え続け、砂漠のようだった土地が蘇るという、何度読んでも感動せずにはいられない話で、フレデリック・バックによって素晴らしいアニメーションにもなっている。人生の方向性を見失いそうになったとき、僕は必ず『木を植えた男』を読んだり観たりして、バランスを取り戻そうとしてきた。その著者であるジャン・ジオノと、マノスクで読んだ観光案内パンフレットにあったJean Gionoとが、なぜだか分からないが僕の中で全く重ならなかった!だから生家があると知っても訪れなかったし、そういう視点でマノスクをいっぺんも眺めることなく、みすみすニューヨークに帰ってしまったのである。何たる失態。
訳者のあとがきによれば、ジャン・ジオノは1895年、靴屋の息子としてマノスクで生まれ、第一次大戦に出征。第二次大戦では徴兵を拒否して投獄されたが、それ以外のほとんどをマノスクで過ごし、1970年、当地で亡くなっている。『木を植えた男』の舞台も、マノスクを流れているデュランス川流域である。そういえば、フレデリック・バックの描いた絵は、どことなくマノスクの街を彷彿とさせる…。マノスクが不思議に僕の性にあったのも、当然といえば当然…。そう思ったときは、後の祭りである。
僕は『木を植えた男』を手に、2度も悔恨の叫び声を上げ、3度も地団駄を踏んだ。僕の『木を植えた男』好きを良く知るカミさんは「私を連れていかずに一人でいい思いをした罰なんじゃないの」とケラケラ笑った。僕は死ぬまでにもう一度、何としてもマノスクを訪れなければならない、と心に誓った。
Obama, Hilary, and Iraq
フランスからNYに戻った。そしたら、全米でオバマ支持が急伸しているという、このニュース。
実はフランス滞在中、時差ぼけで眠れずにテレビをつけたら、たまたまCNNでオバマとヒラリーの一騎打ちディベート生中継が始まるところだった。思わず時を忘れ、最後まで食い入るように見た。1時間半にわたる論戦だったが、医療問題や経済問題等、重要政策で二人の主張はほとんど大差ない。ところが、唯一二人の立場が鮮明に別れる場面があった。それはイラク問題である。
オバマは上院で、イラク戦争開戦に反対票を投じた。ヒラリーは逆に賛成票を投じた。これは過去の事実だから、今さらどんなに頑張っても変えようがない。そして、まさにこのことが、今ヒラリーの足を引っ張っているように見えた。彼女は、「もし今ある情報をあのとき持っていたら、反対票を投じていた」と懸命に弁解するが、それは戦争という最重要問題に関する判断力の鈍さを物語るに過ぎない。弁解すれば弁解するほど、オバマの判断の正しさと、ヒラリーの判断の誤りを再認識させられるだけだ。僕は、人種問題よりも何よりも、このことがオバマ急伸の理由なのではないかと考えている。いや、そうであって欲しいとすら思う。
もちろん、イラク戦争はおろか、アフガン戦争にも大反対だった僕から言わせれば、何を今更、という感はある。しかし、アメリカ人がやっと間違いに気づき始めていることに、かすかな希望を感じてもいるのである。
ーーー
【毎日新聞:ロサンゼルス國枝すみれ】米大統領選の候補指名争いで、民主党のバラク・オバマ上院議員(46)の全米支持率が急伸。ヒラリー・クリントン上院議員(60)を初めて抜いた。クリントン陣営がオバマ氏を「黒人の候補」などと人種差を強調する作戦をとったことへの不快感から、支持者が「クリントン離れ」を起こしたとの見方が浮上している。予備選・党員集会が集中するスーパーチューズデーが始まり、両候補の激戦が展開中だ。
識者が「潮目が変わった」と見るのが、先月26日に投開票されたサウスカロライナ州予備選。形勢不利と見たクリントン陣営は、夫のビル・クリントン前大統領らが人種に関する発言を繰り返した。例えば前大統領は「この州は(黒人指導者の)ジェシー・ジャクソン師が予備選で勝った州だ」と発言。白人に好感度が低い同師とオバマ氏を同列に並べた。「オバマ氏は黒人だけが支持する候補」との印象を与え、白人票を離反させる作戦だ。
この戦略は裏目に出た。ケネディ元大統領の実弟、エドワード・ケネディ上院議員がオバマ氏支持を表明したのも、クリントン陣営の「人種作戦」が原因とされる。米メディアは「ケネディ議員が前大統領に電話で警告したところ、言い訳され激怒した」と伝えた。
さらに、前大統領を「初の黒人大統領」と支持した黒人ノーベル賞作家トニ・モリスンさんがオバマ氏支持を表明。「くら替え」が注目された。
一般の民主党員も高学歴のリベラル派や黒人層を中心に「クリントン離れ」を起こしたとの見方がある。党員でロサンゼルスのCM制作者、フレッド・ルイスさん(36)は「クリントン夫婦は汚い手を使った。夫婦に献金を続けてきたが、もう縁を切る」と憤る。
著名人も次々とオバマ氏支持を表明。両候補激戦の一因となった。ケネディ元大統領の長女、キャロラインさん▽歌手のスティービー・ワンダーさん▽俳優のロバート・デニーロさん−−らがオバマ氏の集会に登場した。
一方、クリントン陣営は現在、人種差を強調する作戦は中止し、イメージ回復を図る。有名人では俳優のジャック・ニコルソンさんが支持を表明した。
パット・ブラウン公共政策研究所のハイミー・レガラード代表は「クリントン陣営は計算間違いをしたのではないか。メディアもオバマ寄りに変化したようだ」と分析した。
CNNテレビの4日発表の全米世論調査では、オバマ氏が49%でクリントン氏(46%)を初めて抜いた。
実はフランス滞在中、時差ぼけで眠れずにテレビをつけたら、たまたまCNNでオバマとヒラリーの一騎打ちディベート生中継が始まるところだった。思わず時を忘れ、最後まで食い入るように見た。1時間半にわたる論戦だったが、医療問題や経済問題等、重要政策で二人の主張はほとんど大差ない。ところが、唯一二人の立場が鮮明に別れる場面があった。それはイラク問題である。
オバマは上院で、イラク戦争開戦に反対票を投じた。ヒラリーは逆に賛成票を投じた。これは過去の事実だから、今さらどんなに頑張っても変えようがない。そして、まさにこのことが、今ヒラリーの足を引っ張っているように見えた。彼女は、「もし今ある情報をあのとき持っていたら、反対票を投じていた」と懸命に弁解するが、それは戦争という最重要問題に関する判断力の鈍さを物語るに過ぎない。弁解すれば弁解するほど、オバマの判断の正しさと、ヒラリーの判断の誤りを再認識させられるだけだ。僕は、人種問題よりも何よりも、このことがオバマ急伸の理由なのではないかと考えている。いや、そうであって欲しいとすら思う。
もちろん、イラク戦争はおろか、アフガン戦争にも大反対だった僕から言わせれば、何を今更、という感はある。しかし、アメリカ人がやっと間違いに気づき始めていることに、かすかな希望を感じてもいるのである。
ーーー
【毎日新聞:ロサンゼルス國枝すみれ】米大統領選の候補指名争いで、民主党のバラク・オバマ上院議員(46)の全米支持率が急伸。ヒラリー・クリントン上院議員(60)を初めて抜いた。クリントン陣営がオバマ氏を「黒人の候補」などと人種差を強調する作戦をとったことへの不快感から、支持者が「クリントン離れ」を起こしたとの見方が浮上している。予備選・党員集会が集中するスーパーチューズデーが始まり、両候補の激戦が展開中だ。
識者が「潮目が変わった」と見るのが、先月26日に投開票されたサウスカロライナ州予備選。形勢不利と見たクリントン陣営は、夫のビル・クリントン前大統領らが人種に関する発言を繰り返した。例えば前大統領は「この州は(黒人指導者の)ジェシー・ジャクソン師が予備選で勝った州だ」と発言。白人に好感度が低い同師とオバマ氏を同列に並べた。「オバマ氏は黒人だけが支持する候補」との印象を与え、白人票を離反させる作戦だ。
この戦略は裏目に出た。ケネディ元大統領の実弟、エドワード・ケネディ上院議員がオバマ氏支持を表明したのも、クリントン陣営の「人種作戦」が原因とされる。米メディアは「ケネディ議員が前大統領に電話で警告したところ、言い訳され激怒した」と伝えた。
さらに、前大統領を「初の黒人大統領」と支持した黒人ノーベル賞作家トニ・モリスンさんがオバマ氏支持を表明。「くら替え」が注目された。
一般の民主党員も高学歴のリベラル派や黒人層を中心に「クリントン離れ」を起こしたとの見方がある。党員でロサンゼルスのCM制作者、フレッド・ルイスさん(36)は「クリントン夫婦は汚い手を使った。夫婦に献金を続けてきたが、もう縁を切る」と憤る。
著名人も次々とオバマ氏支持を表明。両候補激戦の一因となった。ケネディ元大統領の長女、キャロラインさん▽歌手のスティービー・ワンダーさん▽俳優のロバート・デニーロさん−−らがオバマ氏の集会に登場した。
一方、クリントン陣営は現在、人種差を強調する作戦は中止し、イメージ回復を図る。有名人では俳優のジャック・ニコルソンさんが支持を表明した。
パット・ブラウン公共政策研究所のハイミー・レガラード代表は「クリントン陣営は計算間違いをしたのではないか。メディアもオバマ寄りに変化したようだ」と分析した。
CNNテレビの4日発表の全米世論調査では、オバマ氏が49%でクリントン氏(46%)を初めて抜いた。
Sunday, February 03, 2008
Q&A 質疑応答、あれこれ
今日はマノスク映画祭の最終日。この映画祭では、映画の作者を会場に呼ぶことに力を入れていると書いた。だから上映後の質疑応答にもたっぷり時間をとってあり、『選挙』の質疑応答も1時間近く続いた。
ところで、この質疑応答をどう呼ぶのかで、お国柄が出るから面白い。フランスでは、「ディベート」と呼ぶ。いかにも討論好きのフランス人らしい呼び方である。アメリカでは「Questions and Answers」を縮めた「Q&A」というのが一般的。行為をそのまんま記述するだけの、アメリカらしい表現だと思う。韓国では、「Guest Visit」という呼び方だった。お客さんを手厚くもてなす韓国人らしい発想かもしれない。一方、日本では最近、「ティーチ・イン」という呼び方をすることが多いようだ。作者を先生に見立て、何かを教えてくれるのを期待しているんだろうか。何も教えられるようなことなんてない僕には戸惑う表現だけど、これまた日本人らしい発想だなあと思う。個人的には、「質疑応答」の方が断然しっくりくるが。
明日、ニューヨークに帰ります。
Sorry, again, this article is only in Japanese!
ところで、この質疑応答をどう呼ぶのかで、お国柄が出るから面白い。フランスでは、「ディベート」と呼ぶ。いかにも討論好きのフランス人らしい呼び方である。アメリカでは「Questions and Answers」を縮めた「Q&A」というのが一般的。行為をそのまんま記述するだけの、アメリカらしい表現だと思う。韓国では、「Guest Visit」という呼び方だった。お客さんを手厚くもてなす韓国人らしい発想かもしれない。一方、日本では最近、「ティーチ・イン」という呼び方をすることが多いようだ。作者を先生に見立て、何かを教えてくれるのを期待しているんだろうか。何も教えられるようなことなんてない僕には戸惑う表現だけど、これまた日本人らしい発想だなあと思う。個人的には、「質疑応答」の方が断然しっくりくるが。
明日、ニューヨークに帰ります。
Sorry, again, this article is only in Japanese!
Friday, February 01, 2008
Manosque Film Festival マノスク映画祭
Sorry, this article is in Japanese only.
1月30日、南フランスにあるマノスクにやってきた。『選挙』が上映される映画祭に出席するためである。マノスクは、空港のあるマルセイユから車で一時間、人口2万人足らずの小さな町である。
日本なら「村」と呼ばれそうな人口規模の田舎町でも、『選挙』のような映画がかかるということに、フランスという国の凄さを感じる。しかも映画祭は今年で21年目を迎えるという。到着早々、Elle's Appelle Sabineという自閉症に関するドキュメンタリー映画を観に行ったら、3〜400人は観客がいた。大都市の住人でなくても、芸術がごく当たり前に生活へ根付いている感じがした。文化大国としてのフランスの本領を垣間みた思いである。
実際、マノスクの街を歩くと、文化の香りがそこら中に漂っている。この間行ったナントでもそうだったが、まずここでは街の主役が歩行者である。街の中心部は車の入れない旧市街にあり、八百屋、靴屋、薬屋、パン屋、本屋、カフェなど、市民が経営する小さな店が元気に商売をしている。お客さんのほとんどは旅行者ではなく地元の人。街の中で健全にお金が循環していることが窺える。また、古い建物を大事に直しながら使っているので、風景が柔らかく風情がある。広場では近所の人達が井戸端会議に花を咲かせている。迷路のように入り組んだ路地裏を散歩するだけで、不思議と心が豊かになる。フランス人は昔からの街並みを大事に育て、生身の人間と人間がつながれる場を現代に残した。
歩きながら、ふと、旧市街の店に軒並みシャッターが下り、ゴーストタウンと化してしまってる日本の地方都市に思いが及んだ。車社会が到来すると同時に、日本人は道幅の狭い古い街を見捨て、バイパス沿いにアメリカ式のモールや大型チェーン店を建てて、人々は車の中に隔離されてしまった。その変貌ぶりを、日本人は時代の流れだと諦めているようにも見える。しかし、決してそうではないのだということを、このフランスの片田舎の街が物語っている。要は、政治に街作りの理念があるのか、欠落しているのか、その違いに過ぎない。アメリカの地方都市が惨憺たる有様であることを鑑みれば、日本はそのお手本を他に求めるべきであることを痛感せざるをえない。
話は変わるが、街並みの他に、ここマノスクで真っ先に目についたのは、あちらこちらで天に延びている細長い糸杉である。僕はすぐにゴッホの絵画を連想した。そして、彼が晩年を南仏で暮らしたことを思い出した。そういえば、ここの黄色がかった暖かみのある日差しは、ゴッホが描いた光とそっくりである。
『選挙』の上映は、2月2日、土曜日の午後2時からを予定している。
http://vertigo.imingo.net/2008/fiches/films/campaign.php