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Tuesday, February 05, 2008
一生の不覚
一生の不覚、というには大げさかもしれないが、それに近い思いを味わった。
フランスのマノスク映画祭からニューヨークに帰り、カミさんと一緒に昼飯のチャイニーズを囲んでいたときのことである。カミさんが「マノスクって何が名物?」と聞くので、「名物といっていいのかどうか分からんけど、Jean Gionoという作家の生家があった」と答えた瞬間に、あっ!と思った。口に含んだ麻婆豆腐を飲み込む間もなく本棚に駆け寄り、不朽の名作『木を植えた男』を手に取ったとき、思わず豆腐を吹き出しそうになった。
そう、『木を植えた男』の著者こそが、Jean Giono、つまりジャン・ジオノであり、そのことにその瞬間まで、僕は全く思いが及ばなかったのである。
『木を植えた男』は、幼なじみの友人に勧められて読んで以来、僕にとっての座右の書といえるくらい特別な思いのこもった本である。一人の老人が荒れた大地に人知れず木を植え続け、砂漠のようだった土地が蘇るという、何度読んでも感動せずにはいられない話で、フレデリック・バックによって素晴らしいアニメーションにもなっている。人生の方向性を見失いそうになったとき、僕は必ず『木を植えた男』を読んだり観たりして、バランスを取り戻そうとしてきた。その著者であるジャン・ジオノと、マノスクで読んだ観光案内パンフレットにあったJean Gionoとが、なぜだか分からないが僕の中で全く重ならなかった!だから生家があると知っても訪れなかったし、そういう視点でマノスクをいっぺんも眺めることなく、みすみすニューヨークに帰ってしまったのである。何たる失態。
訳者のあとがきによれば、ジャン・ジオノは1895年、靴屋の息子としてマノスクで生まれ、第一次大戦に出征。第二次大戦では徴兵を拒否して投獄されたが、それ以外のほとんどをマノスクで過ごし、1970年、当地で亡くなっている。『木を植えた男』の舞台も、マノスクを流れているデュランス川流域である。そういえば、フレデリック・バックの描いた絵は、どことなくマノスクの街を彷彿とさせる…。マノスクが不思議に僕の性にあったのも、当然といえば当然…。そう思ったときは、後の祭りである。
僕は『木を植えた男』を手に、2度も悔恨の叫び声を上げ、3度も地団駄を踏んだ。僕の『木を植えた男』好きを良く知るカミさんは「私を連れていかずに一人でいい思いをした罰なんじゃないの」とケラケラ笑った。僕は死ぬまでにもう一度、何としてもマノスクを訪れなければならない、と心に誓った。
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