Wednesday, December 30, 2009

『精神』の自主上映について

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『精神』の自主上映について
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『精神』は、自主上映会への貸し出しも行っております。
地域や学校のイベントで『精神』の上映会を開催しませんか?
実施をご希望される方はお気軽に下記、アステアまで、お問合せ下さい。
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〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町42-3 T&Kビル4F
TEL. 03-5459-1173
FAX. 03-5459-1174
E-mail. info@astaire.co.jp
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自主上映の流れや時期について、作品についてなどなど、
ぜひお気軽にお電話・メールにてご相談ください。

Tuesday, December 15, 2009

『社会福祉セミナー』に番組抄録


NHK出版『社会福祉セミナー』(09年12月−10年3月)に教育テレビ『福祉ネットワーク:「精神」を撮る』の番組抄録が掲載されています。

https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=69107162009

Friday, December 11, 2009

『キネマ旬報』12月下旬号に寄稿


雑誌『キネマ旬報』12月下旬号に、自分の方法論についての文章を書きました。「ドキュメンタリー、ドキュメンタリー作家の多様性」と題する特集の一環です。

http://www.kinejun.com/kinema/index.html

以下は、本稿の出だし部分の抜粋です。

 「観察映画シリーズ」と銘打って、ドキュメンタリー映画を作っている。これまでに、選挙運動を観察した『選挙』(07年公開、観察映画第一弾)と、精神科診療所の世界を描いた『精神』(09年公開、同第二弾)を発表した。現在、平田オリザ氏と青年団を被写体にした『演劇(仮題)』(同第三弾)を製作中である。
 観察映画の方法論的特徴として、撮影する前にテーマ設定をしないことが挙げられる。リサーチを最小限にとどめ、構成台本も書かず、目の前の現実をつぶさに観察しながら、行き当たりばったりで撮影をする。事前にいろいろ決めると、それが先入観や足枷となって、予定調和的な作品になってしまうからである。編集の際にも、先にテーマを決めない。映像素材を何度も観察し、試行錯誤を繰り返しながら、自らの視点を定めて行く。そして、その結果を映画にしていく。

酔いが醒める

ノーベル平和賞の演説で、受賞者が必ずしも平和の担い手ではないことを認識させられるとは、全く皮肉なものである。

前任者があまりにも酷かったので、僕はオバマ氏に過大な期待を抱いていたのかもしれない。さっと酔いが醒めた。

そういえば、オバマ氏は選挙戦中から、イラク戦争は否定するけどアフガン戦争は肯定していた。氏の主張は最初から一貫していたのであり、それを勝手に直視しないようにしていたのは、僕の方だったのかもしれない。世界最強の権力者の意図と行動を、もっとクリティカルに冷静に観ないといけない。

日本の新政権に対しても同じことがいえる。僕も含めた多くの日本人は、民主党政権に対して大きな期待を抱くがために、彼らの不祥事や欠陥に対して目をつぶろうとしていないか?

オバマ氏、戦争の正当性強調
【オスロ時事】2009年のノーベル平和賞授賞式が10日午後(日本時間同日夜)、ノルウェーのオスロ市庁舎で開かれ、「核兵器なき世界」の理念追求や米外交の変革を評価されたオバマ米大統領が、同賞を正式に受賞した。大統領は記念演説で「深い感謝と大いなる謙虚の念」を表す一方、アフガニスタン戦争など自衛や人道目的の武力行使を正当化、国際社会の平和と安定の達成を主導していく決意を表明した。
現職の米大統領がノーベル平和賞を授与されたのは、1906年のセオドア・ルーズベルト、19年のウッドロー・ウィルソンに続き90年ぶり3人目。イラクとアフガニスタンで戦争を進める「戦時」大統領でありながら、約9カ月という最短在任期間で受賞した点でも極めて異例で、論議を呼ぶ平和賞となった。
オバマ大統領は演説で「二つの戦争のさなかにある国家の最高司令官」として、「世界に悪は存在する。時に武力は必要だ」と指摘。平和維持における戦争の役割を認識した上で、「世界の安全保障に対する米国の決意が揺らぐことはない」と宣言した。また、「米国単独では行動できない」として、アフガン戦争に対する国際社会の支持と貢献を求めた。
一方、「核兵器なき世界」の実現追求と核不拡散の取り組みの緊急性を強調。米国が核軍縮を先導することを約束する一方、イランや北朝鮮のような国が不拡散体制を欺くことのないよう国際社会に対処を訴えた。さらに、スーダン・ダルフールの虐殺やミャンマーの抑圧には「相応の結果を伴わなければならない」と警告。イランの民主化弾圧も非難した。

Thursday, December 10, 2009

「ひょうご人権ジャーナル」に寄稿

「ひょうご人権ジャーナルきずな」12月号に文章を寄稿しました。下記で読めます。
http://www.hyogo-jinken.or.jp/keihatushiryou/kizuna/2009/kizuna12.pdf

Tuesday, December 08, 2009

『母の友』にエッセイ連載開始


雑誌『母の友』09年1月号に「風景が変わるとき」と題した短いエッセイを書きました。連載第1回目(全3回)です。

http://www.fukuinkan.co.jp/detail_page/haha201001.html

Monday, December 07, 2009

2009年の映画3本に入る!

尊敬する映画評論家の佐藤忠男氏が、2009年の映画3本に『精神』を選んでくださいました!
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912070105.html

毎日新聞の「映画:この1年」でも触れていただきました。
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20091201dde012200007000c.html

事業仕分けに異議あり

音楽関係者8人が仕分けに反論(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20091208k0000m040021000c.html
 政府の行政刷新会議の事業仕分けに対し、クラシック音楽関係者8人が7日、東京都内で記者会見して「緊急アピール」を行った。「友愛の精神は芸術から」と銘打って、「明確な文化立国のビジョンを示さないまま(日本芸術文化振興会の予算などを)大幅に縮減したことを危惧(きぐ)する」などとしている。
 ピアニストの中村紘子さんは「芸術文化は人間そのものを育てること。人間を育てるには時間がかかる。1、2年で効果が出るものとは違う」。指揮者の外山雄三さんは「少しずつ我慢してなんとかなるなら我慢したいが、オーケストラはもう限界」と述べ、作曲家の三枝成彰さんは「助成が削減されると、地方のオーケストラは存在できなくなる可能性がある。そういう意味がわかっていたのか、非常に疑問を感じる」と語った。【油井雅和】


音楽家たちが声を上げたのに関連して、事業仕分けの人選と方法について根本的な疑問を呈したい。

まず、何が無駄で、何が無駄でないかを判断するためには、その分野についての造詣と理解(=リテラシー)が絶対に必要だ。例えば、僕には医療についてのリテラシーはないから、どの研究が必要で、不必要なのか、全く判断できない。知識がなければ、価値判断はできない。当たり前だ。

ところが、この事業仕分けでは、どのように選ばれたのかもよく分からない仕分け人たちが、彼らの専門分野とは関係なく、バッサバッサと予算を削りまくっている。それがどんなに恐ろしい暴挙なのか。その魔の手が芸術・文化予算に及ぶまで、僕は恥ずかしながらよく認識していなかった。芸術・文化以外に、僕にリテラシーがないからだ。

けれども、芸術分野の仕分け結果や仕分け人のコメントを読むと、彼らにこの分野についてあれこれいう資格がないことは明らかだ。第一、仕分け人には芸術家がひとりも混じっていない。平田オリザ氏の『芸術立国論』を読んだ人がいるとも思えない。正直言って、音楽も演劇も絵画も映画もほとんど鑑賞しない人たちが、芸術なんて所詮無駄なんだよという先入観とルサンチマンに任せて、感情的に削減したとしか思えないのである。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm

積み上げるのに何十年かかっても、それを壊すのには一瞬しかかからない。それがいま起きようとしている。

そして、芸術分野がこの有様なら、たぶん他分野にも同じことが言えるのだろう。つまり、事業仕分け全体に対して、根本的な不信感を抱かざるを得ない。立花隆氏が科学技術予算の削減について「仕分け人は野蛮人。日本を潰す気か」と怒りの記者会見を開いていたが、全く同じ思いである。

「無駄を切る」というキャッチフレーズに、日本国民は騙されている。

無駄を切ることが必要なのは当たり前だ。大事なのは、何が無駄で何が無駄でないのかを見極める力とシステムだ。事業仕分けをするなら、専門分野ごとにその道のエキスパートを集め、その中で侃々諤々の十分な議論をすべきであり、今回のような人民裁判のごときプロセスは百害あって一利無しである。

Tuesday, December 01, 2009

WAMに寄稿

福祉医療機構が発行している「WAM」という雑誌(09年12月号)に、短いエッセイを寄稿しました。
http://www.wam.go.jp/wam/sitemap/index.html