Monday, December 07, 2009

事業仕分けに異議あり

音楽関係者8人が仕分けに反論(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20091208k0000m040021000c.html
 政府の行政刷新会議の事業仕分けに対し、クラシック音楽関係者8人が7日、東京都内で記者会見して「緊急アピール」を行った。「友愛の精神は芸術から」と銘打って、「明確な文化立国のビジョンを示さないまま(日本芸術文化振興会の予算などを)大幅に縮減したことを危惧(きぐ)する」などとしている。
 ピアニストの中村紘子さんは「芸術文化は人間そのものを育てること。人間を育てるには時間がかかる。1、2年で効果が出るものとは違う」。指揮者の外山雄三さんは「少しずつ我慢してなんとかなるなら我慢したいが、オーケストラはもう限界」と述べ、作曲家の三枝成彰さんは「助成が削減されると、地方のオーケストラは存在できなくなる可能性がある。そういう意味がわかっていたのか、非常に疑問を感じる」と語った。【油井雅和】


音楽家たちが声を上げたのに関連して、事業仕分けの人選と方法について根本的な疑問を呈したい。

まず、何が無駄で、何が無駄でないかを判断するためには、その分野についての造詣と理解(=リテラシー)が絶対に必要だ。例えば、僕には医療についてのリテラシーはないから、どの研究が必要で、不必要なのか、全く判断できない。知識がなければ、価値判断はできない。当たり前だ。

ところが、この事業仕分けでは、どのように選ばれたのかもよく分からない仕分け人たちが、彼らの専門分野とは関係なく、バッサバッサと予算を削りまくっている。それがどんなに恐ろしい暴挙なのか。その魔の手が芸術・文化予算に及ぶまで、僕は恥ずかしながらよく認識していなかった。芸術・文化以外に、僕にリテラシーがないからだ。

けれども、芸術分野の仕分け結果や仕分け人のコメントを読むと、彼らにこの分野についてあれこれいう資格がないことは明らかだ。第一、仕分け人には芸術家がひとりも混じっていない。平田オリザ氏の『芸術立国論』を読んだ人がいるとも思えない。正直言って、音楽も演劇も絵画も映画もほとんど鑑賞しない人たちが、芸術なんて所詮無駄なんだよという先入観とルサンチマンに任せて、感情的に削減したとしか思えないのである。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm

積み上げるのに何十年かかっても、それを壊すのには一瞬しかかからない。それがいま起きようとしている。

そして、芸術分野がこの有様なら、たぶん他分野にも同じことが言えるのだろう。つまり、事業仕分け全体に対して、根本的な不信感を抱かざるを得ない。立花隆氏が科学技術予算の削減について「仕分け人は野蛮人。日本を潰す気か」と怒りの記者会見を開いていたが、全く同じ思いである。

「無駄を切る」というキャッチフレーズに、日本国民は騙されている。

無駄を切ることが必要なのは当たり前だ。大事なのは、何が無駄で何が無駄でないのかを見極める力とシステムだ。事業仕分けをするなら、専門分野ごとにその道のエキスパートを集め、その中で侃々諤々の十分な議論をすべきであり、今回のような人民裁判のごときプロセスは百害あって一利無しである。

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