Wednesday, September 12, 2012

橋下ノンポリ説 第2弾

一部に誤解があるようなのでこのあいだの「橋下ノンポリ説」に補足すると、橋下は今たまたま右翼的言説がウケる世の中だから右翼的言説をふりまいているだけなんです。世が世なら、君が代ではなくインターナショナルの起立斉唱を義務づけてると思うよマジで笑。それが橋下的ノンポリ。たちが悪い。僕はノンポリを免罪しているのではなく、厳しく批判しているわけ。

僕が言うノンポリとは、政治思想を持たない人ではなく、自らの政治性に無自覚である人を差します。なぜ無自覚では困るかというと、政治的存在でない人間はこの世に一人もいないにも関わらず、自分は政治的存在でないと誤解し、無意識に自らの政治的立場を他人に押し付けるからです。

例えば原発が日本に乱立したのは、国民の大部分がノンポリだったからですよ。ノンポリを自認する人々は「原発?よく分かんないけど、電気必要なんじゃないの〜」と言って原発が立つことを黙認してきたわけですが、それは立派に政治的行為なわけです。でも本人はそれが政治的だとは一切思っていない。

橋下を支持している人の大部分は、僕の言うノンポリでしょう。「橋下?よく分からんが政治を変えてくれそう」といった言説を、彼らは政治的だと自覚しません。たぶん自分は政治的に中立だと思ってる。でもそんなわけないでしょう。立派に橋下側に加担してますよ。それに無自覚なのがノンポリなんです。

ノンポリの特徴は、そのときどきに必ずメジャーな意見の側に立つということです。意見の内容いかんに関わらず。つまり常にマジョリティを形成するので、政治的に無自覚でいられる。人間が自らの政治性を自覚するのは、往々にして自らがマイノリティとして抑圧される経験をするときです。

橋下が新自由主義的なのは世の中の主流の価値観が新自由主義でそれを無自覚に吸収して育ったからだし、慰安婦問題などで歴史修正主義的発言をしているのも、世の中の空気が歴史修正主義的だからですよ。彼は究極のノンポリなんです。つまり政治的立ち位置は何だっていい。世の中のマジョリティでさえあれば。

ここで大事なのは、民主主義=多数決と言い切ってしまう民主主義観だと、橋下でいいじゃんという結論になることです。橋下は常にマジョリティにつくわけですから。でもそれじゃ困るんですよ、少なくとも僕は。常に少数派だから笑。最後は多数決で決めるにしても、少数派も尊重してもらわないと。

そういう意味では、橋下問題では日本人の民主主義観が問われているんですよね。実際、橋下って多数決で決まったことに従いたくない人(=少数派)は出て行けっていう人でしょ。今は「従わないヤツは公務員を辞めろ」って言ってますけど、国政を担うようになったら「国から出て行け」になりかねない。

「出て行け」ならまだマシで、下手すると「従わない奴は死ね」になりかねないのが橋下の危うさだと、僕は本気で思っています。「そんなバカな」という人、歴史を見て下さい。実例に事欠きません。もちろん僕の危惧は間違っているかもしれない。でも、当たってたら大変です。だから警告しているのです。

ちなみに、ノンポリ、つまりマジョリティの側の人間は、どのようにマジョリティ側の意見や空気を察知するのか。たぶんそれは、魚の群れと同じじゃないかと僕は思っています。つまり互いに参照し合うわけです。で、一定の数がドーッと右へ行けば右へ行く。右が正解かどうかは関係ない。そういう感じ。

人間も群れをなす動物ですから、それはある程度仕方のない習性なのだとも思います。僕にも勿論そういう部分があるし。でも、人間には理性もあるわけですから、最低限、そういう習性が自分たちにあるということは自覚した方がいい。でないと、崖のある方向にドーンとみんなで突っ走っちゃいますよ。

「日本人は賢いから大丈夫」だと言うみなさんはお忘れかもしれませんが、私たちには断崖絶壁へみんなで突っ込んだ痛い経験があります。勝てる可能性なんてゼロなのに、アメリカ相手に戦争をしたことです。あの手の取り返しのつかない事態を、なんとしても避けねばならない。そう、思っています。

こんなこと書くと、想田は多数派一般ピープルを蔑視すんのか!偉そうに!というお叱りがくるのだろう。でもね、多数派の支持と熱狂がなかったら第二次世界大戦は起きなかったし、日本に原発は乱立しなかったはずでしょう。その事実を無視して、一般人は常に正しいって言うのはイデオロギーですよ。

僕も含めた私たち人間の群れには、皆で力を合わせて破滅に向かって暴走する危険性が常にあるんだということを言いたいのです。それは民主主義というシステムの重大な副作用でもある。だからといって民主主義をやめる訳にはいかないわけで、要はみなさん気を付けましょうということです。自戒も込めて。

9 comments:

  1. 前の記事から読ませていただきました。
    この話に出てくるノンポリの概念でいえば
    うちの嫁さんはまさにノンポリだと思います。

    昔からなんですが、
    嫁を見ていると世の中の考え方の流れの様な物が
    なんとなく掴めるんですよね。

    嫁はTVをかなり見ますので、
    それを考えるとマスコミの影響力は相変わらず大きくて
    多くのノンポリの人を崖へと走らせる、
    大きな手助けをしてしまうのではないかと心配しています。

    橋下さんは無意識のノンポリだからこそ
    資金集めのために平気でパチ業界からお金をもらったり
    発言の内容をころころ変えるられるんだろうなということも
    理解ができました。

    日本国民は歴史的にみても
    明治後期から大正・昭和にかけて
    マスコミ等に躍らせれて突っ走りましたから
    正直心配です。

    私も気をつけたいと思います。

    ReplyDelete
  2. Anonymous8:27 AM

    小泉進次郎さんの事についても語ったほうがいいんじゃないですか?

    ReplyDelete
  3. まぁ言いたい事は解るけど、じゃあどうするんです?『皆バカだね何も考えずに右に倣えで、僕は冷静だからここにいるよ』って止まって二言目にはノンボリノンボリと・・決め付けの概念押し付けて。そんな事より自分のマイノリティな価値観ををマジョリティに押し上げるような発言をしたほうがよっぽど健康的だと思いますよ。『民主主義をやめる訳にはいかないわけで』ってそこまで解ってるのに・・。大体いい大人なんだから『市長』くらいつけたらどうなんですか世の中を斜めに見る事を覚えた中学生じゃあるまいし。

    ReplyDelete
  4. Anonymous8:41 PM

    橋下市長が「多数決で決まったことに従いたくない人は出て行けっていう人」と言うのは勘違いだと思います。

    都構想の賛否を問う住民投票でもし否決されたら「都構想の大きな方向性は賛意を得ている。区割りが問題なら、区の組み合わせを変えて、過半数になるまでやり続ける」
    と言い放ってます。
    (http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC3001H_Q2A830C1AC1000/)

    なぜ区割りだけが問題と考えるのかわかりませんが、自分が少数派になっても認めず、可決されるまでやると言うのは多数決を否定する物です。

    「多数決で決まったことに従いたくない人は出て行け」ではなく、「俺が決めた事に従いたくない人は出て行け」と言う人だと思います。

    ReplyDelete
  5. 堺からのアピール事務局の前田純一です。弊blogに、想田さんの記事を前回と同じく、ブログ名、URL明記で、全文転載させていただいてもよろしいでしょうか?よろしくご検討下さい。
    もし今回もご承諾いただけるようでしたら、またお手間をおかけして誠に恐縮ですが、ご一報いただけると幸いです。
    blog:http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/
    メールアドレス:QYD04504@nifty.com

    ReplyDelete
  6. Anonymous11:38 PM

    少しでも歴史の勉強をしていれば分かりますが、ヒトラー台頭前夜のドイツでも知識人たちはヒトラーを無視していたんですよ。「大衆の気分に阿ってるだけだ」「あんなのすぐにボロが出る」「飽きられたら終りだ」と。まあ現代版ヒトラーも、その批判者側もいずれも本家より漫画チックで小粒な存在ですが(もはや知識人など日本のどこにもいないし)。
    「橋下=ノンポリ」なる珍妙な説は、結果的に橋下の危険性を過小評価するだけです。「大衆の気分が落ち着けば橋下もそれに合わせて落ち着くだろう」という何の根拠もない楽観的予想に縋りつきたい気持ちは分かるけど。
    ・・・・・ああ、「ヒトラー=ノンポリ」って事にすれば万事解決だ。歴史を勉強しなくてもいい、言葉の壁に守られて外国人と議論する必要もない「思想のガラパゴス」こと日本でなら、世界的常識を無視したどんな珍妙な説でも通用するので。

    ReplyDelete
  7. ノンポリだから安心、などとはひと言も書いてません。自らの政治性に無自覚なだけに、むしろ危険だということを述べています。

    ReplyDelete
  8. 言論を生業としている人から有効な「橋下批判」が出てこない中、孤軍奮闘されている想田さんの心意気に敬意を表します。ご自身の作品においては「メッセージ性」を持つことに極度なまでに慎重な想田さんが一市民としては明確に考えを示すというバランス感覚がとても興味深いです。

    ノンポリとは「政治思想を持たない人ではなく、自らの政治性に無自覚である人を差します」というのはものすごく腑に落ちました。だからこそ「言論の多様性」が担保されていれば大事には至らないのではという気も一方ではしてます。もっとも、「多様性を許さない空気」をどう克服するかが大変なんですよね。それには「熱狂する多数派」の内実をよく見極めることも大事なのではと思いました。

    ReplyDelete
  9. ハメルンの自覚が有るなら未だマシですが、無いんですよね・・・
    付いて来る人が居るから自分は間違って無い程度の認識で動いてる。
    取りあえず言ってみて叩かれなかったら良いんだ。
    叩かれたら取りあえず謝るけど又繰り返す。
    それはノンポリゆえに為せる事と素直に合点しました。

    ReplyDelete

Note: Only a member of this blog may post a comment.