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Thursday, June 14, 2012
マロの死
実家の猫・マロが車にひかれて亡くなったとの知らせが入った。猫も人も癒す力をもった、ほんとに気だてのいい猫だった。ひき逃げだったが、ひいた人は罪に問われない。ひかれたのが猫だからだ。世の中は不条理である。ちょっとショックが大き過ぎて茫然としている。下記は以前『母の友』に寄稿したエッセイである。
猫薬
ウチの実家には7.5匹の猫がいる。「.5」は、エサだけ食べにぶらり立ち寄る地域のボス猫である。
他の七匹は、公園で見て見ぬ振りできなくて拾われたり、生まれたてで誰かにウチの玄関先に置き去りされたりと、それぞれワケアリでウチの子になった元ノラ(元カノのニュアンス)だ。そして、新メンバーが加わる度に、実家における人間関係ならぬ「猫関係」に変化が生じる。
二年ほど前、一気に子猫が四匹も増えた。すると、成猫で一番の古株・チビに異変が起きた。チビは子猫に出くわす度に激しい剣幕で「ハーッ」と威嚇し、毛を逆立てた。そのうち、子猫が近くにいなくても、虚空に向かってしきりにその動作を繰り返すようになり、しまいにはオヤジが日曜大工で建てた玄関脇の猫用ログハウスに一日中引きこもり、完全に孤立してしまったのだ。
明らかにチビは精神を病んでいた。全身を剥き出しの神経のようにして、苦しんでいた。他の猫達は、チビを遠巻きに眺め始め、僕ら人間もどうしていいか分からず、オロオロするばかり。
ところが、新入り子猫のマロだけは違った。マロは何度チビに威嚇され、攻撃されても、まるで「おっかさん、僕です」とでも言うように親密に寄り添っていく。他の猫が恐れをなして決して近寄ろうとしないチビのログハウスにも、平然と入っていっては追い出される。その繰り返しだ。
そうしているうちに、チビはマロだけには心を開いていった。夜は、なんとログハウスの一つ屋根の下で一緒に寝るようになった。信じられない光景だったが、僕らはホッと胸を撫で下ろし、マロに感謝した。チビの精神状態も少しずつ回復していった。今では随分落ち着いていて、マロ以外の猫ともかなりうまくやっている。
チビを病気にさせたのは猫関係の難しさだった。しかし、回復させたのも猫関係だった。そのことに、何か深い道理のようなものを感じる。人間の場合でも同じことではないか?映画『精神』の山本昌知医師が、精神病にはどんな最新の薬よりも「人薬」がよく効くと言われていたのを、思い出した。
想田和弘
Monday, June 11, 2012
政治と感情
時事通信「死にたいなら自分で死ね」-松井大阪知事・大阪無差別殺害
大阪府の松井一郎知事は11日、大阪・ミナミで男女2人が無差別に殺害された事件で逮捕された容疑者について、「死にたい言うんやったら自分で死ね。自分で人を巻き込まずに自己完結してほしいですね。どうしても行政の支援も受けずにこの世からいなくなりたいなら止めようがない」と語った。府庁内で記者団の質問に答えた。容疑者は大阪府警の調べに対し、「人を殺してしまえば死刑になると思ってやった」などと供述しているという。(2012/06/11-13:46)
http://bit.ly/Leyyqe
松井氏の橋下・石原・片山化現象…。こういう感情を煽るような発言は、必ず一般受けするんですよ。でも、特に公人が言っちゃマズいです。
だって、この調子で政治家たちが感情を煽る発言で人気取りを始めたら、いったいどうなっちゃうんだよ、この社会。
「他人を巻き添えにしないで一人で死ねよ」と言いたくなるのは、普通の感情。でも、そこで「ちょっと待てよ」と立ち止まって、「なぜ彼はそんな行動に出たのだろう?」と考えるのが理性ある大人でしょう。そうしたら「一人で死ねよ」とは簡単には言えなくなるはず。ましてや政治家なら。
岩波の『世界』7月号にも書いたんですが、橋下氏は「民主主義は感情統治」だと発言しています。人々の感情を統治するためにこそ、感情を煽る言葉を意図的に発しているフシがあるんですね。松井知事は橋下氏の一番近くにいる人物ですから、そういう橋下氏のやり口を取り入れたんじゃないか。
「ああ、政治的に正しい冷静な言葉よりも、政治的に正しくない感情的な言葉の方が人気につながるんだ」と、松井氏に限らず、さまざまな政治家たちが模倣し始めているような気がする。それは禁断の果実ですよ、政治家のみなさん。
まあ、政治的に正しいことを地道にやっても評価されるのに時間がかかる一方で、政治的に正しくない放言をすれば一瞬で人気が高まっちゃうのなら、後者に頼りたくなるのも人情。要は、有権者が放言に対して厳しい態度をとらないとダメなんだよね。
映画も大ヒットだけを狙うなら、観客の感情移入のし易さを最優先して作ればいいんですよ。でも、感情移入のし易い映画が優れているかといえば、逆の方が多い。それは最近のハリウッド映画とか観れば分かるでしょう。
政治的に正しくない放言で人気を取るような行為は、政治家にとってはドラッグのようなものだと思う。一度成功するとやめられない。そのときは快感が得られるし。でもその先に待っているのは衆愚政治。退廃ですよ。それ以外にはありません。
ところで、橋下氏や石原氏、片山氏(そして今回の松井氏)ら煽動的な政治家が使う感情は「怒り」です。これが今の社会で効果的な原因は、怒りが必ずしも悪い感情ではないとされているからなんですね。だって、「不正に対してもっと怒った方がいい」などと平気で言ったりするでしょう。でも怒っちゃダメなんです。
いや、僕も修行が足りないのでついつい怒っちゃうし、「怒っちゃダメだ」というのも怒りなのでやめた方がいいわけですが、まずは「怒りには百害あって一利なし」という事実をよーく認識する必要があるんですね。その認識がないと、怒りを避けることは不可能です。
といっても、これはスマナサーラ長老の受け売りです。そして元々はブッダが言われたことなんですね。ブッダは人間の三大煩悩として「怒り」「貪り」「無智」を挙げました。そのくらい怒りは有害だと考えていたんですね。詳しくは長老の著書等をお読み下さい。http://t.co/cPftwdZa
僕はいわゆる仏教徒ではないんですが、ブッダの教えから学ぶことは非常に多いと思います。ちなみに、日本の仏教はインドから中国や朝鮮半島を経由して輸入された上に日本化されたものなので、ブッダから離れてしまった部分が多くて残念です。
なお、「どんなときにも怒るのはよくない」というブッダの教えは、日本社会だけでなく、たぶんあらゆる社会において異端の思想であり、普通は人々は「自分には怒る権利がある。怒るのは当たり前」と考えているので、たぶん簡単には飲み込めないと思います。これが最大の障壁ですね、たぶん。
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以上、ツイッターでの連投を再構成しました。